青森県東部異界の征伐に係わる総括ミーティング1
青森県東部異界の征伐から一週間後。颯谷は再び全体ミーティングが行われた国防軍の基地に来ていた。総括ミーティングに出席するためである。
会場の基地には少し早目に着いた。とはいえやるべき事も特にない。席を取ってスマホで時間を潰していようかと思ったその矢先、会場手前の休憩スペースで颯谷は見知った顔を見つけて声をかけた。
「岡崎さん。久しぶりです」
「ああ、桐島君。久しぶり」
颯谷が声をかけたのは後方支援隊にいた岡崎晋である。簡単に挨拶を済ませると、颯谷は早速気になっていたことを尋ねた。
「あの挿し木、どうなりました?」
彼の言う「挿し木」とは、異界の中で岡崎が世話していた仙樹の挿し木のことである。異界が征伐されたのだから、普通ならばすでに枯れているだろう。しかしこの挿し木はただの挿し木ではない。土に土塊人形のドロップ、つまり一級仙具を使っているのだ。
異界の中での実験では、一級仙具の土には氣を蓄えておく性質があることが分かっている。もしその性質が異界の外でも発揮されるのなら、仙樹を異界の外でも育てられるかもしれない。颯谷も気になっていたのだ。
「ああ、実は……」
岡崎はそう呟き、さりげなく左右を窺う。そして颯谷の耳元に顔を寄せると、そっと小声でこう告げた。
「半分、成功した」
「ええ!?」
颯谷は思わず大声を出し、周囲の人々が何事かと視線を向ける。岡崎が口に人差し指を当てるのを見て、颯谷はまず周囲の人たちに「すみません」と頭を下げた。彼らが興味を失って視線を外すと、颯谷も小声になってこう聞き返す。
「成功、したんですか? え、でも半分って……」
「そ。元気に葉っぱを茂らせてはいるんだけどね。それだけ」
岡崎はちょっと不満げな声音でそう答えた。異界の中であれば、仙樹はおよそ三日で実を付ける。だが異界の外へ持ち出した仙樹は、一週間たっても仙果を付ける気配はない。
そして仙果を付けないのであれば、仙樹といえども小さな挿し木など盆栽程度の価値しかない。今のところ元気に葉を茂らせている分、失望というか、期待外れ感が大きかった。
「まあ、まだ付けないと決まったわけじゃない。実家も興味を持ったから、実家に置いて世話を頼んできた」
「実家って北海道ですか?」
「いや、関東。北海道は進学する時に、食べ物がおいしいからそっちにした」
何とも明け透けな理由に颯谷は苦笑を浮かべる。まあ本人もニヤニヤしているから何割かは冗談なのだろう。それから不意に真剣な顔になり、岡崎はこう続けた。
「それで桐島君。一つ、いや二つお願いがあるんだ。……この件は秘密にしておいてくれないか?」
「秘密と言われても……。挿し木は他のメンバーにも見られたんじゃないんですか?」
「いや、大丈夫だ」
岡崎はそう言い切った。実際、彼には自信があった。どういうことかというと、まず拠点が皇亀に襲われたとき、彼は挿し木を持たずに避難した。そのまま異界は征伐され、彼も一度は挿し木のことを諦めたのだ。
皇亀が討伐された後、彼は私物を取りに拠点へ戻った。彼のテントは倒れてしまっていたが、中に置いていた荷物は無事で、何と挿し木も枯れずに葉を青々とさせていたのだ。それを見た彼は大声を上げそうになり、何とか堪えて飲み込んだ。
岡崎は素早く左右を確認。誰も自分に注目していないことを見ると、彼は素早く背嚢の中身をぶちまけた。そして空になったリュックサックの中にそっと挿し木を入れる。最後に土へ氣を補充してから、彼はリュックサックのファスナーを閉じた。
その後、彼は何食わぬ顔をして基地へ戻る。そして聞き取り調査を終えて基地を後にすると、北海道へは戻らず、その足で関東の実家へ向かった。その間、彼は一度もリュックサックを開けてはおらず、つまり挿し木の目撃者はいないはずなのだ。
颯谷にも黙っておけば、この件は武門内で秘匿することができた。もしもこの一週間の間に仙果が実っていたら、颯谷にも「枯れた」と答えていたことだろう。ただ実際には仙果は実らなかったし、颯谷には貴重な仙具を使わせてもらった借りがある。ウソをつくのも不義理だろうと思い、正直に答えたのだった。
(将来的に実をつける可能性が無いとは言い切れないけど……)
岡崎家でもそう考え、鉢植えの世話は続けている。ただ正直に言って仙果への期待は薄い。だからこそ颯谷に伝えることにも許可が出たのだ。もっともそれだけが理由ではない。他にも理由があり、どちらかというとそちらがメインだった。
もっとも岡崎はこれらの事情を詳しく説明したりはしない。それで彼が「大丈夫」というのを聞いて颯谷は一つ頷き、そしてこう続けた。
「それで、二つ目は?」
「皇亀のドロップ、特に土を譲ってほしい」
「皇亀のドロップは、基本的には国防軍に権利があるって聞きましたけど……」
「それならそれで家が交渉するから。ともかく土の価値を知っているのは僕と桐島君だけ。だから競合しないで欲しいんだ」
「どうだろう?」と問われ、颯谷は考え込んだ。正直に言って、皇亀ドロップの土に興味がないわけではない。ただ仙樹が手元にない以上、土だけあっても仕方がない。将来的に別の異界に土を持ち込み、仙樹の鉢植えを持ち帰るという手もあるが、なんだかそれも面倒くさい。
(それに……)
それに岡崎家で土を確保したいということは、将来的に仙樹を増やすつもりなのだろう。もちろんそれが上手くいくかは分からない。だがもしも上手くいった場合、それはなかなか魅力的な資源に思えた。
「……オレからも一つ条件を付けて良いですか? 駿河仙具には話したいんですけど……」
「……分かった。それでいい」
少し迷ったふうに見せてから、岡崎はそう答えた。ただし実のところ、岡崎家にとっては満額回答と言って良い。
上記の通り、異界の外で育てる仙樹の鉢植えに関して、岡崎家では少なくとも仙果については淡い期待しか持っていない。にもかかわらず皇亀ドロップの土を求めるのは、颯谷が想像したとおり仙樹そのものを増やせないかと考えているからだ。
仙果を期待していないのに、なぜ仙樹を増やそうとしているのか。それはもちろん仙樹鋼や仙樹弾の原材料とするためだ。ただこれを事業化するためには、駿河仙具か仙樹林業と提携する必要がある。
ではどちらから話を持ち出すのか。「提携をお願いする側になれば、足元を見られかねない」というのが岡崎家の懸念だった。可能ならば駿河仙具か仙樹林業の方から話を持ち出させたい。そのために彼らが目を付けたのが、他でもない颯谷だったのだ。
桐島颯谷が駿河仙具の株主であることは、能力者社会ではそれなりに知られた話である。彼が仙樹の鉢植えと皇亀ドロップの土のことを知れば、必ずや駿河仙具と絡めて関心を示すだろう。彼を経由して駿河仙具にアナウンスすれば、向こうから提携の話を持ってきてくれるはず。岡崎家はそう考えたのだ。
颯谷との話し合いを終えると、岡崎は礼を言ってから人気のないところへ向かう。そしてスマホを取り出し、早速実家の父親に電話をかけた。満額回答が得られたことを伝えるが、父親は硬い声音のまま彼にこう尋ねた。
「彼の様子はどうだった? あくまで学術的な実験と捉えているなら、もう一度釘を刺す必要があると思うが……」
「大丈夫だと思うよ。仙樹だの仙果だのは、一度も口にしなかったから。価値はそれなりに分かっていると思う」
「なら良いが……。後は土だな。頼んだぞ」
「ま、やるだけやってみますよ」
軽い口調でそう答え、岡崎は通話を終えた。時間を確認すると、そろそろ総括ミーティングが始まる頃合いだ。彼は小走りで会場へ向かった。皇亀のドロップがどうなるのか、聞き逃すわけにはいかない。
岡崎は会場に入り、隅の席に座った。そこから会場内を見渡すと、颯谷が真ん中あたりに座っているのが見えた。そしてそれから間もなく総括ミーティングが始まる。最初に壇上に上がったのは国防軍の担当官だった。
「では定刻になりましたので、青森県東部異界征伐の総括ミーティングを始めさせていただきます。まず資料をご覧ください」
資料によると今回の征伐隊の構成は、まず民間の能力者が109名、医療チームが5名、その護衛部隊が42名、護衛艦と強襲揚陸艦のクルーが合わせて336名、合計で492名となっている。
損耗と判断されたのは全部で11名。このうち死亡者は5名で、復帰が見込めない重傷者が6名。死亡者の内2名は護衛艦のクルーで、遺体はまだ回収されていない。誘爆に巻き込まれたか、脱出に失敗したものと考えられている。
損耗率はおよそ2.2%強。民間の能力者に限っても8.2%強で、いずれも10%を下回っている。これは第一にゴーレムという足が遅い怪異がメインだったので負傷しても離脱が容易だったこと、第二に一体型の守護者である皇亀が積極的に人間を襲わなかったことが要因とされている。
ただしその一方で負傷者は多い。軽微なものも含めた負傷率は40%以上で、民間の能力者に限れば90%に迫る数字になっている。重傷者も多く、医療チームがいなければ損耗率はさらに上がっていた可能性が高い。ゴーレムが決して容易な敵ではなかったことの証拠だ。
ちなみにこの負傷者の中には颯谷も含まれている。気付いたら全身に擦り傷があり、風呂に入ったら凄くしみた。風呂から上がってから強襲揚陸艦の医務室で手当てしてもらったので、負傷者にカウントされたのだ。
さて資料の大まかな説明が終わると、総括ミーティングは反省会に移った。その時々の対応を後から見直し、今後の参考になる点やもっと良い選択肢がなかったかなどを考えるのだ。まずマイクを渡されたのは十三で、彼は立ち上がって話し始めた。
「今回はまず突入前の、一番槍のところから。一番槍が伝えてきたのは『キリ フカイ』『シカイ フリョウ』『サラチ』『デカイ カゲ』『カメ』だった。これらの情報はおおよそ正確だったが、『デカイ』というのだけは不正確だったな。『トテモ デカイ』とか『チョウキョダイ』と伝えてもらえると、現実により即していたと思う」
十三が苦笑を滲ませながらそう話すと、会場からは小さく笑い声が起こった。一番槍を担当したメンバーも苦笑を浮かべながら小さく頭を下げる。そして会場が静かになると、十三はさらにこう続けた。
「突入後、まず苦労したのは拠点の設置だった。『サラチ』という前情報通り、当初予定していた施設を使うことはできなかった。また地面もデコボコが激しく、場所を見つけることにまず苦労した。
「地面があれだけ荒らされていたことは正直想定外だったが、重機があったのでなんとか整地してテントを設置することができた。とはいえ時間はかかったな。初日はほぼ拠点の設置で潰れた。ただまあ全体的に考えれば許容範囲内だったと思っている。
「その理由の一つはゴーレムとの戦闘だ。拠点を設置している最中にもゴーレムとの戦闘はあったが、この時点で重傷者は出なかった。ゴーレムとの戦闘経験はこれまでにほぼなかったと思うのだが、皆よくやってくれた。
「スタンピード時の情報はあったし、どういう戦術が良いかは事前に研究されていた。その成果が出たと思うし、また実際に戦うことで得られる生の情報はやはり大きい。結果論的にはなるが、序盤に数的有利を確保しながら戦えたのは良かった。ここで得られた教訓が後の戦闘に生かされ、最終的な損耗率を下げる要因になったと思っている。
「ただし今回の主敵はゴーレムではない。あの『デカイ カゲ』の主が最大の障害になるのだろうということはひしひしと感じていたが、初日の時点ではまだヌシなのかコアなのかも分かっていない。士気の問題もあり、まずはそこをはっきりさせるのが最優先だと考えた。それが間違っていたとは思わない」
十三は静かに、しかし確信を込めてそう語った。静まり返った会場の中から反論の声は上がらない。二拍ほど置いてから、彼は続きを語り始めた。
晋「進学してから5キロ太った」




