皇亀討伐
青森県東部異界。皇亀の甲羅に鎮座していた、その核が砕け散る。群青色のフィールドが消え、東の水平線から朝日が覗いた。
もうそんな時間なのか。そんなに何時間も戦った感じはしないのだが。もしかしたら異界の中だけずっと暗かったのかもしれない。征伐の達成感もあり、颯谷はふとそんなことを考えた。
だが彼は失念していた。異界を征伐しても、それで怪異が即座に消滅するわけではないことを。つまり異界は消えたが皇亀は健在なのだ。そして皇亀は何のために海へ入ったのか。それを彼は忘れていた。
「ゴオォォォォオオオ!!」
海の中、皇亀が雄叫びを上げながら前脚を持ち上げる。傾斜がきつくなり、颯谷は転げ落ちないよう四つん這いになって踏ん張った。そして次の瞬間、ビルの壁に巨大な鉄球をぶつけたかのような、大きな音が響いた。
続けて様々な金属音が響いた。軋む音、擦れる音、割れる音、折れる音、ジョイントが外れる音……。それはまるで車を力任せに解体しているかのようだった。しかし現実はさらにその上を行く。皇亀がついに護衛艦に喰いついたのだ。
「颯谷っ、退避しろっ、退避ー!」
下の方から自分を呼ぶ声がして、颯谷は四つん這いのままそちらに視線を向けた。そこにはボートに乗った雅がいて、「コッチに来い」とジェスチャーしながら声を上げている。他のメンバーもすでにボートに乗っているか、もしくはこれからボートに乗ろうとしているようだ。
――――ボォォオン!!
突然、爆発音が響いて颯谷は首をすくめた。見ると皇亀の首のほう、つまり護衛艦から火の手が上がり真っ黒な煙が激しく立ち上っている。詳しくは見えないが甚大な被害であることは分かった。
(なんで反撃しないんだ……!?)
颯谷は一瞬そう疑問に思ったが、すぐに自分で答えを出す。つまりここに決死隊が残っているから、自分たちがいるから反撃できないのだ。そのことに気付くと、彼はすぐに腹を決めた。
手を振る雅の方へ向かって、彼は駆けだした。急な傾斜のため、それは走るというよりまるで落ちていくかのよう。最後に大きな岩を足場にして大きく跳躍すると、彼は大きな水飛沫を上げて海に落ちた。
(もが……っ、クソ……!)
迷彩服が海水を吸って重くなる。さらに身体に絡みつくせいで、まるで全身に重りを付けられたかのようだった。それでも颯谷は藻掻き、何とか海面に顔を出す。振り回した彼の手をメンバーの一人が掴んでボートへ引き上げてくれた。
「ありがとう、ございます……」
「はは、泳ぎは苦手だったか?」
息も絶え絶えに颯谷が礼を言うと、相手は冗談っぽくそう尋ねる。颯谷は力なく笑ってそれに答えた。
ボートの上から、颯谷は改めて皇亀の姿を見る。異界のフィールドが解除されたことで海風が吹き、あれだけ濃かった霧は急速に晴れていっている。皇亀の身体はまさに岩石の塊で、霧のベールがはがれた今、その荒々しい姿はまるで崖か何かのようにも見えた。
そうしている間にも、皇亀は護衛艦を喰い進めていく。また爆発が起こり炎に炙られているが、皇亀に気にした様子はない。海面に目を向ければ、脱出したのだろう、乗組員たちが浮いていて、次々ボートに回収されていた。
「えっと、手伝わなくていいんですか?」
「異界が征伐された以上、俺たちはもう民間人なんだが……。とはいえ知らんぷりもできないよなぁ……」
雅はそう言ってボートを脱出した乗組員たちのほうへ向かわせた。とはいえボートにはすでに決死隊が乗っている。各ボートに新たに乗せることができたのはそれぞれ一人か二人だった。
颯谷たちの心情的には申し訳なく感じるのだが、そもそも相手は海のプロ。むしろ「さっさと行け」と手振りで指示され、決死隊のボートはその場を離れた。ただし港へ戻るわけではない。
ボートはさらに沖へ向かう。そして停泊していた強襲揚陸艦へ収容された。さらに護衛艦のクルーたちも続々とやってくる。颯谷たちは邪魔にならないよう、ボートを格納庫の奥へと運んだ。
さて、この段階で颯谷の征伐はほぼ終わったと言って良い。だが皇亀はいまだ健在である。これを討伐しない限り、脅威が取り除かれたとはいえない。そしてそのために国防軍はすでに動き始めていた。
まず最も避けなければならない事態は何か。それは皇亀の討伐に失敗してロストすることである。皇亀を海へ誘導するという作戦が提案されたから、特に海軍ではその可能性が指摘されていた。つまり皇亀がより水深の深い場所へ潜行し、手を出せなくなってしまう可能性だ。
その結果、例えば船舶に被害が出たり、あまつさえ他国に皇亀が上陸でもしようものなら、日本国国防軍の面目は丸つぶれである。それだけはなんとしても阻止しなければならない。国防軍、特に異界に突入した強襲揚陸艦のクルーにとってはここからがむしろ本番だった。
異界のフィールドが解除され通信が回復すると、ただちに強襲揚陸艦から対策本部へ報告と情報の共有が行われた。これで「皇亀討伐」という第一目標が共有されたわけだが、そのためにまず重要なのは皇亀を逃がさないこと。実のところ、護衛艦をただ喰わせてやっているのもそのためだった。
強襲揚陸艦からは、まず二機の戦闘ヘリが飛び立つ。ただ、これらの戦闘ヘリの動きは鈍かった。強襲揚陸艦に収容した護衛艦のクルーの数が足りなかったのだ。つまりまだ艦内に取り残されている可能性が高く、護衛艦を巻き込むような攻撃は躊躇われたのである。
それで二機の戦闘ヘリは皇亀の尻尾側から攻撃を仕掛けた。だが皇亀はこれらの攻撃をほぼ無視。何の痛痒も感じないが如くに護衛艦を貪り続けた。結局、二機の戦闘ヘリは残弾のすべてを使い果たしても目立った成果を上げることができなかったのである。
そうこうしている間に、陸側では征伐隊の人員の退避がほぼ完了。代わりに氾濫対策として待機していた部隊が港に展開した。多数の戦闘車両を中核とした部隊で、その中には戦車も含まれていた。
戦闘ヘリは一度強襲揚陸艦へ戻ることになり、今度はこれら陸上部隊が攻撃を開始。戦車の砲弾が皇亀の甲羅で炸裂した。そのほかにも無数の弾丸が皇亀へ撃ち込まれる。だがこれらの攻撃にも皇亀は無反応だった。
そしてついに、護衛艦がひときわ大きな誘爆を起こした。そして黒煙を上げながら海へ沈んでいく。強襲揚陸艦が中継するその様子を見て、対策本部の司令官は未回収クルーの生存は絶望的と判断。大規模攻撃を発令した。
まず行われたのは、主に東北地方の海域で任務にあたっている海軍艦艇からのミサイル攻撃。多数の巡航ミサイルが放たれ、そして次々に皇亀へ命中した。
皇亀が爆炎に包まれる。皇亀が悲鳴を上げたのかは分からない。すべては爆音と煙に妨げられた。戦果確認のため、しばし攻撃が中断される。そして煙が風に流されていくと、見えてきたのは負傷しつつも健在な皇亀の姿だった。
「あれだけのミサイルをくらって死なないのか、化け物め……!」
司令官はすぐさま陸上の部隊に攻撃を再開させた。すると今度は皇亀がこれらの攻撃に反応する。ただし、恐らくはこれらの攻撃を脅威と感じたからではない。
巡航ミサイルは沈みかけていた護衛艦にも命中していて、この攻撃で護衛艦は完全に沈没したのだ。要するに皇亀は次のエサを求めていたのである。
皇亀がゆっくりと回頭する。この時点ですでにスクランブル発進させた戦闘機の部隊が現場に到着していていつでも攻撃できたのだが、司令官は彼らに待機を命じた。
繰り返しになるが、最も避けなければならないのは皇亀をロストすることで、次に避けなければならないのは強襲揚陸艦の撃沈。皇亀が港の方へ向かうのであれば、対策本部としてもその方が都合が良かったのである。
陸上の部隊も適当なところで退避させる。ただ戦車など一部の車両は残した。足が遅いのと、皇亀をおびき寄せるエサにするためだ。実際、それが目を惹いたのか、攻撃が止んでも皇亀は歩みを止めなかった。そして皇亀が前脚を上げ、海から上がろうとするまさにそのタイミングで、司令官は戦闘機に攻撃開始を命じた。
多数の空対地ミサイルが放たれる。目標は鈍くてデカい皇亀だ。外れることなく全弾が命中。しかし対策本部や強襲揚陸艦の艦橋から歓声は上がらない。皇亀は巡航ミサイルの攻撃に耐えているのだ。
「どうだ……!?」
「今度こそ……!」
「やったか……!?」
多くの軍人が祈るようにしてモニターを見つめる。その先で爆煙の中から皇亀が健在な姿を現す。確かに損傷の痕は見て取れるが、しかしまだ動いている。直ちにミサイル攻撃の第二波が放たれた。
しかし皇亀はそれにも耐えた。一方で戦闘機の部隊はミサイルの残弾ゼロ。まさか機関銃が通用する相手とも思えず、司令官は戦闘機に帰投を命じる。そして次に彼はこう言った。
「バンカーバスターを使用する!」
バンカーバスターはコンクリートに覆われた地下施設を攻撃するための兵器である。あれだけの攻撃を耐える皇亀の防御力は尋常ではなく、司令官はもはやアレを普通のモンスターとは思わず、動く岩石の塊と見なしたのだ。
バンカーバスターの使用に反対意見は出ない。ただし問題はあった。国防軍はバンカーバスターを保有していたがその数は決して多くなく、配備されているのは関東と沖縄の基地のみ。つまり東北の基地には配備されておらず、現場に到着するには幾分時間がかかる。
その間、どうするべきか。皇亀は完全に海から上がっている。陸上にいる限り、皇亀を見失うことはないだろう。ただし今度は被害拡大の恐れがある。皇亀を閉じ込めていた異界という檻はすでになくなっているのだ。
またこれまで高火力のミサイルを遠慮なく使えたのは、そこが異界に呑まれていた場所で民間人が誰もいなかったからだ。しかし皇亀が移動して市街地へ突っ込むようなことがあれば、被害が拡大するだけでなく、攻撃手段も制約を受けることになるだろう。
なんとしても、今この場で討伐しなければならない。司令官は再び巡航ミサイルによる攻撃を行った。ただし飽和攻撃ではなく一発ずつ。皇亀の足止めが目的だ。
さらに五発ほど巡航ミサイルを撃ちこんでから、強襲揚陸艦より再び二機の戦闘ヘリを発進させ、まずは皇亀の周囲をぐるりと一周させる。そして左の後ろ脚に狙いを定めた。そこが一番、ダメージを負っているように見えたからだ。
脚を一本破壊できれば、皇亀の動きを封じることができる。完全には無理でも、大幅に機動力を殺げることは間違いない。そうなれば、後はどうとでもなる。
二機の戦闘ヘリが皇亀の左後ろ脚に持てる火力を集中させる。ダメージは入っている。だが破壊するまでは行かない。弾薬を使い切ると、戦闘ヘリは再び強襲揚陸艦へ戻った。
バンカーバスターを搭載した戦闘機はまだ到着しない。司令官は再び巡航ミサイルによる攻撃を命じた。
「左の後ろ脚を狙え。できるか?」
「哨戒機が到着しています。哨戒機からの誘導があれば可能です!」
「ではやれ」
命令は直ちに実行された。ミサイル駆逐艦から巡航ミサイルが発射され、哨戒機がその誘導を行う。残された戦車と戦闘車両を食い散らかした皇亀はゆっくりと南へ動いていたが、その左後ろ足へ巡航ミサイルが直撃した。
「ゴオォォォォォォオオオ!?」
と皇亀が悲鳴を上げたのかは分からない。だが哨戒機のパイロットは皇亀が身体をのけぞらせるようにしてバランスを崩すのを目撃した。左後ろ足は半ばから破断している。そして残る三本の脚では重すぎる体重を支えることができず、皇亀の甲羅がついに地面に落ちた。
「終わったな」
対策本部で司令官は小さくそう呟いた。皇亀は少しずつ動いていたが、司令官はバンカーバスターを搭載した戦闘機の到着を待つ。そしておよそ三分後。待ちに待った戦闘機が到着した。
戦闘機は全部で三機。それぞれがバンカーバスターを一発ずつ搭載している。そして最初の一機が皇亀目掛けてバンカーバスターを投下した。バンカーバスターは皇亀の甲羅に着弾。表面の岩石を粉砕して内側へ入り込み爆発した。
しかしそれでもまだ、皇亀は動き続けている。それを見て司令官は頬を引き攣らせた。そして攻撃の続行を指示する。すぐに二発目のバンカーバスターが投下された。だが皇亀はまだ耐える。
「三発目!」
そう指示を出す司令官の顔には焦りが浮かんでいる。皇亀を倒せないとは思っていない。最終的には倒せるだろう。だが三発目でもダメとなると、最上位モデルのバンカーバスターが必要になる。そしてそれを保有しているのは世界でもアメリカ軍だけだ。
(幸い、ソレも在日米軍には配備されている。いざという時に応援要請を躊躇うつもりはないし、米軍も応じてくれるだろう。だが……)
問題はその後だ。アメリカ軍は必ず事後処理に一枚噛ませろと言ってくるだろう。ゴーレムの例を考えれば、皇亀は多量の仙具素材を残すと想定される。間違いなくその一部を要求してくるはずだ。その場合、助けてもらった手前、国防軍としては拒否しづらい。
(いざという時には仕方がない。だが可能ならば避けたい)
それが司令官の考えで、それは国防軍の本音と言っていい。関係者が祈るような気持ちで見守る中、三発目のバンカーバスターが投下された。命中し、爆炎が上がる。次の瞬間、皇亀の首が地面を叩いた。赤い不気味な光を放っていた目が、その輝きを失っていく。最後の輝きが消えたとき対策本部で、そして強襲揚陸艦の艦内で歓声が上がった。
護衛艦さん「ワシもバカスカ撃ちたかった……」




