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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
ひとりぼっちの異界征伐

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20/205

雪崩


 少しずつだが、暖かい日が増えてきた。もちろん暖かいといっても、「冬にしては」だ。ただ影が短くなり、日も長くなってきたように感じる。もう節分を過ぎただろうか。だとすれば、もう暦の上では春だ。


 ともかく、これから気温は上がっていく。厳しい冬も終わりが見えてきたように思えて、颯谷もちょっとホッとしている。


 冬は本当に厳しかった。今までも冬は「寒い寒い」と身を震わせていたが、文明の恩恵を一切受けられない今年の冬の厳しさは桁が三つぐらい違った。本当に良く凍死しなかったもんだ、と颯谷はしみじみ思っている。


 そう思わせる出来事が、実は少し前にあった。マシロが生んだ子犬たちが死んでしまったのだ。それも四匹たて続けに。


 まだ名前も付けていなくて、個々の見分けも怪しかった子犬たちだが、じゃれ付いてくれば一緒に遊んだ。そうやっていれば孤独を忘れられて、その時間は颯谷にとっても貴重だった。つまりたっぷりと情は移っていて、その子犬たちが数日の間に死んでいくのは非常に辛かった。


 どこか具合が悪かったのだろうか。だがそんな様子は少しもなかった。いやもしかしたら自分が気付かなかっただけかもしれない。そう考えると、子犬たちが死んでしまったのは自分のせいのような気がして、颯谷はなんだかいたたまれなかった。


 いや、分かっている。颯谷は獣医ではないのだ。長年一緒にいたわけでもない。分からなくて当然だし、分かってもできることはなかった。だが分かっていても、子犬たちの死は彼にとって大きなショックだった。


『本当に、ここじゃ誰も助けてくれないんだな……』


 颯谷は改めてそのことを痛感したのだ。死んでしまうその瞬間まで、誰も手を差し伸べてはくれない。生き残りたければ自分の力で何とかするしかないのだ。その現実を彼は改めて受け入れなければならなかった。


 死んでしまった子犬たちは、洞窟のすぐ近くに埋葬した。雪を掘り返し、その下の土を掘って、そこに埋めたのだ。墓石代わりに石を二つ重ねて置く。


 こんなことに意味があるとは思わない。だがもし自分が死んだとき、その死体を野ざらしにされたくはない。見つけて、葬ってほしい。そんな願いが、彼にそうさせたのだった。


『まあ、それも望み薄か……』


 死んでしまった四匹目の子犬を葬ったとき、颯谷は力なくそう呟いた。仮に異界征伐がかなわず死んでしまった場合、次の征伐隊が突入してくるまでに数日からともすれば数十日のタイムラグがある。


 その間、自分の死体が残っているとは考えにくい。きっと熊あたりに喰われてしまうだろう。骨ぐらいは残るかもしれないが、それも見つけてもらえるかは分からない。つまり弔ってもらえる可能性はとても低いと言わざるを得ないわけだ。


『イヤだな、それは』


 颯谷はそう呟いた。死んで弔われも葬られもしないことも、そもそも死ぬことそれ自体がイヤだ。心の底からはっきりと、颯谷はそう思った。


 まあそれはそれとして。マシロが生んだ子犬は全部で六匹。そのうちの四匹が死に、二匹が生き残った。その二匹に颯谷は名前を付けた。


 二匹ともメスで、一匹はマシロと同じ真っ白な毛並み。もう一匹はそこにうっすら灰色のぶちが混じっている。彼は真っ白な方をユキ、ぶちが混じっている方をアラレと名付けた。


『お前らはちゃんと大きくなれよ』


 そう言って颯谷は二匹の頭を撫でる。気分は父親、というのは言い過ぎか。だがそれでも、彼がこの異界を征伐する理由は一つ増えた。


 さて、暖かくなってきたからと言って寒い日がなくなるわけではない。日によっては真冬並みに寒くなるし、ドカ雪が降ることもある。


 ドカ雪とはつまり、短時間のうちに大量の雪が降ること。ドカ雪が降ると、当然だがその分だけ積雪が増える。しかも今まであった積雪の上に、さらに新しい雪が積もるのだ。こういう条件がそろったときに起こりやすいのが、表層雪崩である。


 この日、夜のうちにドカ雪が降ったらしく、洞窟の外には新たな積雪がたっぷりとあった。とはいえすでに雪は晴れていて、さらに風も穏やかである。颯谷は「久しぶりのボーナスタイム」と喜んだ。


 洞窟を飛び出し、まずは朝食。仙果を十分に食べると、颯谷は別の仙樹のところへ移動して枝ごと仙果を確保する。それを洞窟に持ち帰ってマシロたちに与えてから、彼は本格的にレベル上げと特訓を始めた。


 これまでの特訓の成果として、伸閃の発動はかなり素早くなっている。即座にとはまだいかないが、発動までの溜めを一呼吸分くらいまで短くできた。動き回りながらの戦闘にもかなり慣れ、伸閃で狙いを外すことはかなり少なくなった。


「というか、最初から縦じゃなくて横に放てば良かったんだよな」


 それに気づくのが遅れてしまい、颯谷はちょっと恥ずかしい。まあ突いてくる奴は誰もいないので、このうっかりは自分一人の胸に秘めておくつもりだ。


 まあそんな気づきもあって、戦闘はかなり楽になった。中鬼や小鬼くらいなら、相変わらず雪に足を取られて動きは鈍い。ここ最近はほとんど作業のように倒していた。だからかもしれない。彼は少し油断していた。


 ここは異界。たとえ怪異モンスターの脅威度が大きく下がったとしても、ここが危険な魔境であることに変わりはない。生き残るためには常に危機に対して敏感でなければならない。そんな当たり前のことを、彼は忘れていたのだ。


 この異界の内部はほぼ山地である。つまり斜面が多い。颯谷が中鬼二体を見つけたのは、そんな斜面の一つ。そしてそこは樹木などの少ない斜面だった。


(よしっ)


 心の中で頷き、颯谷は速度を上げて月歩で駆けた。彼が雪を踏みしめるたびに、彼の足元で雪が勢いよく爆ぜる。たぶん、それが良くなかった。突然足元が、積もっていた雪が崩れたのだ。


「っ!?」


 不測の事態に彼は顔を強張らせる。そのまま、彼はなす術なくバランスを崩した。倒れこんだ先では、すでに雪が崩れて流れ始めている。雪崩だ。だがそれと理解するより早く、彼はその雪崩にのまれた。


「がっ……、くっ……!」


 雪崩にもまれて身体がグルグルと回る。上下の感覚がなくなる中、颯谷は外纏法を厚くして身体を丸くし、さらに仙樹の長棒を握りしめた。絶え間なく体のあちこちを殴られているかのようで、意識が遠くなりかける。だがここで気を失ったら死ぬと思い、彼は必死に意識をつなぎとめた。


 どれくらい時間が経っただろう。すごく長かったように感じたが、実際には長くても十数秒程度だろう。雪の中で颯谷の身体が停止する。上下の感覚は戻ってきたが、雪に埋まってしまって身体が動かない。というか、身体を動かすだけのスペースがない。


 リアル「壁の中にいる」状態、とでも言おうか。動けないのも問題だが、それよりマズいのは空気だ。このままだと窒息しかねない。ただ周りは雪。コンクリートではない。なら、やりようはある。


(雪なら溶けるだろっ……)


 心の中でそう呟いて、颯谷は氣を熱にして外へ放った。これが正解なのかは分からない。効率が良いのかも分からない。だが効果はあった。彼の周囲の雪が解けてスペースが生じる。空気もちゃんと入ってきて、彼はようやく一息ついた。


「ふう……、でもって……」


 やや強引に作ったスペースの中、颯谷は身じろぎして仰向けの状態になる。完全に横になっているわけではないが、ともかくこれで視線は上を向いた。それから彼は首を左右に動かして周囲の様子を確認する。


 当たり前だが、周りは雪だらけ。むしろ雪以外なにもない。ただ意外と明るい。もしかしたら、それほど深く埋まっているわけではないのかもしれない。雪崩に巻き込まれはしたが、比較的上の方にいたのが幸いしたのだろう。


 颯谷はしっかりと抱え込んでいた仙樹の長棒に氣を通す。さらにその周囲を氣で覆った。そしてその氣を刃状にする。彼が棒をゆっくりと上へ掲げると、棒は雪を簡単に切り分けていく。彼は高々と棒を掲げた。


「お……」


 颯谷は小さく声を上げた。棒の先端が、雪に触れている感覚がない。ということはやはり、何メートルも深く雪に埋もれてしまったわけではないのだろう。深くてもせいぜい2メートルくらいのはず。それくらいなら何とかなるかもしれない。


「吹っ飛ばす……!」


 颯谷は仙樹の長棒を雪の上に突き出したまま、氣を練りそこへ流し込んでいく。そして限界まで氣をため込んだところで、それを一気に上へ向けて解放した。放たれた衝撃波が雪を派手に吹き飛ばす。近くにだれかいたなら、間欠泉が噴出したように見えたかもしれない。


 雪を吹き飛ばして縦穴が通ると、空が見えるようになった。まあ実際に見えるのは群青色をした異界のフィールドだが。ただ外の景色が見えたことで、颯谷の心にも余裕が生まれる。彼は安堵の息を吐くと、さらに二度ほど衝撃波を放って縦穴を広げた。


「んしょっ、と……」


 狭いスペースのなか足を引っこ抜くようにして、颯谷は縦穴の底で立ち上がる。少し足が埋まったが大したことはない。彼はさらに足元を踏み固めた。


 縦穴は彼の身長よりも深い。だが十分にいける深さだ。彼はしっかりと膝を折り曲げて垂直にジャンプする。月歩も併用して、彼は一気に縦穴から抜け出した。


「っしゃあ! 脱出っ!」


 雪の中から出てくると、颯谷は喜びをあらわにした。雪崩にのまれたとき、いや雪の中で身動きが取れなくなったときはどうしようかと思ったが、案外何とかなるものだ。


 雪崩を起こした斜面を見ると、2、300メートルくらいは雪が崩れているように見える。それが雪崩の規模としてどうなのかは分からない。ただ「良く死ななかったな」と彼は乾いた笑みを浮かべた。


 ただ問題もある。彼は身を守るため、また雪の中から脱出するため、出し惜しみなしで氣を使った。つまりガス欠気味である。彼は近くに仙樹がないかと視線を巡らせた。すると100メートルほど先に林を見つける。あそこなら仙樹があるだろう。彼は月歩を使い、そちらへ向かって駆けだした。


 林の中に入ると、すぐに赤黒い実をつけた仙樹が見つかる。颯谷は近づいてそれを食べた。この辺りは初めて来る。つまり無計画に食べたり採取したりしても大丈夫な仙果だ。あとで持って帰ろうかな、と彼は思った。


「さて、と。ここはどのへんなんだろうな」


 ひとまず満足するまで仙果を食べると、颯谷はそう呟いて辺りを見渡した。頭の中に大雑把な地図を描き、自分の現在位置を推定する。するとどうもいつも動き回っている範囲よりも、異界の中心部に近づいているらしい。そしてそれを裏付けるように、遠くから重い地響きが聞こえ始めた。


「……っ、まさか……!」


 颯谷は顔を強張らせた。そして来た道を引き返す。林から出て雪崩を起こした斜面を十数メートルほど駆け上る。見晴らしのよいその場所から周囲を探ると、地鳴りを響かせる存在はすぐに見つかった。


「大鬼……!」


 恐怖がよみがえる。震える右腕を、颯谷は左手で抑えた。そしてしばらく使っていなかった隠形でともかく気配を消す。そのおかげか、あるいは距離があるからなのか、大鬼が彼に気付いた様子はまだない。彼は腰をかがめて大鬼の様子を観察した。


(やっぱりでかいなぁ……)


 颯谷は心の中で嘆息した。大鬼の身長はだいたい4~5メートルと聞いたことがある。だがあの大鬼はその倍ほどもあるように見えた。なにしろ林の木々の先端と、大鬼の頭の位置がほぼ同じである。


 かつて遭遇した大鬼と同じサイズである。同一の個体なのかは分からない。だが同一であってほしい、と颯谷は思った。別の個体だとすれば、あのサイズの大鬼が複数いることになるからだ。さらに言えば、主や守護者ガーディアンも別にいることになる。その展開は勘弁してほしい。いやマジで。


 逆にアレが同一の個体なら、あの大鬼が異界の主である可能性は高くなる。つまりアレさえ倒せばいいのだ。これまでのレベル上げも特訓も、すべてそれを想定してきた。想定した難易度が上がることはない。まあ、想定が甘い可能性はあるわけだが。


(それを確かめるためにも……)


 それを確かめるためにも、ここで一当たりしておくべきか。そんな考えが颯谷の頭に浮かんだ。正直、怖い。だが異界征伐のためには、いつまでも逃げ隠れしているわけにはいかない。それも確かだ。


 颯谷は大鬼をじっと観察する。大鬼はゆっくりと歩いているように思えた。中鬼のように雪の影響を受けているようには見えない。だが雪をまったく無視できるわけではないだろう。多少なりとも影響は受けているはずだ。


(むしろチャンス、か……?)


 雪に足を取られたモンスターがどれほど戦いにくそうにしているかは、颯谷が一番よく知っている。それを利用してレベル上げをしてきたのだから。雪がたくさん積もったこの状況であの大鬼と戦えるのは、むしろチャンスではないだろうか。


(やるか……? いや、やる……!)


 颯谷は視線を鋭くする。仙樹の長棒をぎゅっと握りしめてから、彼は姿勢を低くして動き始めた。


颯谷「ゆき の なか に いる!」

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― 新着の感想 ―
なんか、ソウヤだんだん脳筋寄りになってきてね?
[一言] ホワイトアウトに雪崩にと···これだけ環境が殺しにかかってるのに生き残ってる主人公、さすが悪運が強い。読み返してみると、たしかに怪異より環境の方が颯谷を殺しにかかっていたわ。
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