ホワイトアウト
仁が提案した、護衛艦を囮にして皇亀を海へ誘導する作戦。その作戦の概要について聞いた海軍側の司令官は、即座に作戦への参加を希望した。つまり護衛艦を囮とすることに同意したのである。ただし二つ条件を付けた。
一つは時間だ。海底の変異の有無を調べるため、もう少し時間が欲しいという。これは「どこに皇亀を誘導するのか」や、「どこまでなら護衛艦や強襲揚陸艦を動かせるのか」という事柄にも関わってくる。作戦の成否に直結する事柄と言え、説明に赴いた十三と仁は揃って頷いた。
二つ目は位置。作戦を開始するにあたっては、皇亀が躊躇いなく海へ入れる場所でなければならない。また皇亀が護衛艦を直接視認できる場所であることが望ましい。そしてこの異界の中、それらの条件を満たす場所は一つしかない。すなわち漁港だ。
「漁港まで、どうにかして皇亀をおびき寄せてください。その時点で護衛艦から砲撃を開始します」
「検討、してみます」
十三も仁も、そうとしか答えられなかった。二人は陸の拠点に戻ってくると、すぐに司令部のメンバーを集める。そして作戦への同意と引き換えに与えられた宿題について説明した。それを聞いたメンバーの表情は一様に渋い。
「それはまた、無理難題を……」
「そもそも誘導は可能なのか? こちらにまったく興味を示していないように見えるが」
「港まで誘導するってことは、拠点が危険なんじゃないのか?」
「つまりアレと追いかけっこするってことだろ? 車両かバイクを使うとしても、想像しただけで生きた心地がしないんだが……」
「だがやるしかあるまい」
十三の毅然とした声がテントの中に響いた。メンバーの視線が彼に集まる。その中で彼はさらにこう続けた。
「皇亀は巨大だ。しかも動く。下から登るのはほぼ不可能だろう。またガーゴイルがいる以上、上から降下するのも難しい。残された手段はどうにかして高低差を潰すこと。そのためには海に入れるのが、やはり一番良い」
十三の指摘に反論の声は上がらない。これまで何度も検討してきて、そのうえで至った結論がそれだからだ。他に有効な案は出ていない。これは海軍側も同様だ。であれば彼の言う通り、やるしかない。
「どうやって皇亀の気を引くのか。まずはこれが一つ。また拠点を動かす必要があるだろう。今のままだと、護衛艦の前に拠点の設備が喰われかねない」
皇亀誘引作戦の立案と、拠点の移設先の選定。この二つが並行して行われることになった。話し合いの結果、誘引作戦は国防軍の護衛部隊がメインで立案することになり、拠点の移設先は攻略隊が探すことになった。
「では、よろしく頼む」
十三がメンバーに向かって小さく頭を下げる。それを見てメンバーたちは一様に頷く。彼らの表情は厳しい。楽な作戦にはならないと、全員が思っている。だがそれでも。やることが明確になり、征伐隊はようやく動き始めた。
だが征伐において計画が計画通りに進むことなどまずない。なぜなら怪異は人間の思惑通りには動いてくれないからだ。そしてこの青森県東部異界の征伐でも人間たちはそれを思い知らされることになった。
十三が方針を定めたその翌日。その日は朝からこれまで以上に霧が濃いように思えた。とはいえだからと言って何があるわけでもない。湿度は高いように感じたが行動に支障はなく、各隊はそれぞれ自分たちの任務に合わせて動き始めた。
異変が起こったのはその日の夜。夜中の12時を過ぎてからのことだった。最初に異変に気付いたのは護衛艦でレーダーの画面を見ていたクルー。護衛艦ではレーダーを使い24時間体制で皇亀の動きを監視していたのだが、その画面がいきなりホワイトアウトしたのだ。
「はあ!?」
「どうしたっ?」
「レ、レーダーがホワイトアウトしました!?」
「なにぃ、どういうことだ!?」
「わ、分かりませんっ、突然真っ白に……!」
直ちに複数のクルーがレーダー画面を確認する。確かに画面は真っ白にホワイトアウトしていた。問題は原因だ。単純な操作や設定のミスではないことはすぐに分かった。しかしそうなると、原因の特定には時間がかかる。
すぐさまレーダーのホワイトアウトは陸組にも伝えられた。そのことを十三に伝えたのは護衛部隊の隊長である槇原だったのだが、話を聞いた十三は少し困ったような顔をしながら彼にこう尋ねた。
「それで、具体的にはどんなことが問題になりますかな?」
「最大の問題は、皇亀の動きを監視できないことです。また火器管制用のレーダーも利かないことになりますから、この状態が続くようですと、護衛艦を囮とする作戦にも支障が出るかもしれません」
「なるほど……。作戦への影響は原因が分からない限りは何とも言えませんが、差し当たっては歩哨を増やして警戒することにしましょう。なに、皇亀は巨大です。レーダーからは隠れられても、近づいてくれば音なり振動なりあるでしょう。それを見逃さなければ良いのです」
十三はそう答え、実際その通りに指示を出した。征伐隊は警戒の度合いを強めたのだ。レーダーのホワイトアウトのことも、主だった者たちには伝えられる。投光器による照明も増やされ、拠点にはにわかに緊張感が漂い始めた。
とはいえ、それ以上のことはしなかった。真夜中で、周囲は当然ながら暗い。征伐隊の隊員も大部分が就寝中だ。危機が差し迫っているとは言えない中で、物事を大袈裟にしたくないという気持ちもあったのだろう。
何より、皇亀はこれまで拠点には近づいて来なかった。まるで無視するかの如く、何の興味も示してこなかったのである。モンスターとしてはいっそ不気味なほど、と言って良い。だがそれも「土塊人形生成のため」と考えれば辻褄が合う。合理的に説明できるので、今まで問題視してこなかったのだ。
要するに十三は、いや征伐隊の誰もが、皇亀が拠点を襲撃するとは思っていなかったのである。だからこそ上記したように「危機が差し迫っている」とは思わなかったし、「大袈裟にしたくない」と思ったのだ。
バイアスがかかっていた、と言って良い。そしてそれはこの夜、完全に裏目に出た。
「おい、なんか揺れてないか……?」
最初に異変に気が付いたのは、歩哨に立っていたメンバーだった。足元から僅かな揺れを感じ、隣に立つ仲間にそう尋ねる。彼は首を傾げ、「気のせいじゃないか?」と答えようとしたが、しかし口を閉じて表情を険しくする。そして足元を睨みつけながらこう答えた。
「本当だ……! 揺れてやがるぞっ!」
「しかもだんだん強くなってやがるっ。近づいてるぞっ!」
何が、とは二人とも口にしない。地震のような揺れを引き起こせる存在など、この異界には一体しかいない。いや、護衛艦のミサイルなら可能かもしれないが、彼らがミサイルを撃つ理由はない。であれば原因は明白、たった一つだ。
「皇亀だっ!」
直ちに報告が十三のところまで上げられた。そして彼もまた即座に指示を出す。
「拠点は放棄っ、全員叩き起こせ!」
「十三さん、ゴーレムもいるぞっ! 攻めてきやがった!」
「っち、医療チームの避難を急がせろっ。それまでは時間を稼ぐぞ!」
そう声を上げながら、十三はテントの外に出た。すでに警報が鳴り響いている。前線での戦闘指揮は仁に任せ、彼は拠点放棄のための指示を矢継ぎ早に出した。
拠点を放棄すると言っても、何もかも捨てて逃げるわけではない。もちろん電子データはコピーを取って護衛艦と強襲揚陸艦の二ヵ所で保管しているが、電子化されていない紙データも多い。それらは持っていく必要がある。
「十三さんっ」
「電子データはバックアップがある。紙データだけ集めろっ」
十三が司令部のテントに入ると、そこにはすでに三名のメンバーがいた。すべてを持ち出そうとしている彼らに、十三は明確な指示を出す。彼らは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに指示を理解して頷き、書類を手あたり次第リュックサックに詰め込み始めた。
紙データの回収は彼らに任せ、十三はテントの外に出た。振動は断続的に続き、まただんだんと強まっている。皇亀が近づいて来ているのだ。
今はまだ立って歩けるが、そのうち歩くことさえ困難になるかもしれない。時間との勝負だと強く意識して、十三は表情を厳しくした。
また振動に混じって戦闘の音も聞こえてくる。すでにゴーレムとは戦闘状態になっているようだ。その音に十三は多少の違和感を覚える。数が多いように感じたのだ。
これまでの報告によれば、ゴーレムの数はさほど多くない。そしてその数は氾濫で現れた分と比較しても納得できるものだった。だからこそ彼はその報告と数に違和感を覚えてこなかった。
だが今聞こえている音からすると、どうも想定以上の数が集まっているように思える。異界中からかき集めてきたのか、もしくはここへきて皇亀が“備蓄”を吐き出しているのか。だとしたら厄介だ、と十三は顔をしかめた。
「おい、医療チームの避難はどうなっている?」
「怪我人の搬送に手間取りましたが、もうすぐ出られます」
「よし。国防軍の護衛部隊とは別に、能力者の護衛も付けろよ」
「了解です」
その返事に十三が頷いた次の瞬間、「ズンッ!」と大きく地面が揺れた。皇亀が近づいてきたのだ。もしかしたら強く踏み込んだのかもしれない。夜の暗がりの中、投光器の明かりが濃い霧を照らしている。その奥に、彼は確かに皇亀の気配を感じた。
「強襲揚陸艦が無事なのだから、物資はまだ十分にある! 荷物など捨てていけ! 今は人命優先だ!」
十三はそう声を張り上げ、殿以外のメンバーを急き立てた。物資を降ろして空になっているトラックの荷台に人々を押し込み、満員になったら順次発進させる。彼が退避を急がせる中、彼を呼ぶ声があった。
「伯父貴っ!」
「慎吾か!? 何をしている、さっさと退避しろっ!」
「いや、伯父貴が残るならオレも!」
「十三さんっ、紙データ回収してきました!」
二人が押し問答しているところへ、先ほど司令部のテントにいたメンバーが割って入った。彼らはそれぞれ書類のはみ出たリュックサックを大切そうに抱えている。十三は彼らに大きく頷くと、慎吾の方へ振り返りこう命じた。
「慎吾、この人たちを護衛しろっ。大切なデータだ、任せたぞ!」
「……っ、はい!」
方便だと分かったのだろう。慎吾は納得したふうではなかった。だがこれ以上言い募っても無駄だと分かったのだろう。彼はリュックサックを抱えた三人を守るようにしながらトラックの荷台に乗り込んだ。
そのトラックが発進する。それを見て十三は満足げに小さく頷いた。そしてすぐに表情を引き締める。退避はすでに三分の二程度まで進んでいる。だが同時に揺れもかなり強くなっている。彼はたまらず片膝をついた。そして見上げたその先に、それはいた。
「ゴオォォォォォォ!!」
低く、腹の底に響くような雄叫び。左右非対称に並ぶ赤い目。夜闇と濃い霧の向こうから、ついに皇亀がその姿を現したのだ。
「…………っ!」
十三の全身が怖気立つ。これまでどんなモンスターにも覚えたことのない恐怖を、彼は皇亀に感じた。映像で見てはいた。しかし現物は文字通り格が違う。
――――ドォォォォオオオン……!
不意に振動と爆発音が響き、十三は身をすくませた。国防軍の護衛部隊はすでに退避しているはず。ということはガソリンか何かに引火でもしただろうか。ともかく皇亀が拠点のすぐ近くまで来たことで、状況はさらに悪くなった。しかし別の捉え方をしている者もいる。
「十三さん、十三さん!」
名前を呼ばれ、十三は振り返った。走って駆け寄ってくるのは雅だ。一緒にいるのは国防軍の槇原。どうやら彼は残ったらしい。二人は連れ立って十三のところへやって来ると、開口一番にこう言った。
「皇亀を海へ誘導する作戦、始めましょう!」
「馬鹿なことを言うな、この状況だぞ」
「ですが皇亀をこのまま放っておくわけにはいかないでしょ。退避した連中を追われたら、それこそ一大事だ。もう逃げ場がない」
「む……」
「それにです、楢木さん。形はどうあれ、皇亀が海のすぐ近くまで来た、この好機を逃すべきではありませんっ」
「……問題は二つだ。一つ目は、退避がまだ完了していないのに、拠点に着弾する可能性のある砲撃をやるわけにはいかないこと。二つ目は、拠点を襲いに来たということは、現状皇亀の注意は陸側に向いていて海側には向いていないということ。どうにかしてヤツの注意を海側へ向ける必要がある」
「そのための砲撃では?」
「砲撃はダメだ。そもそも火器管制用レーダーが死んでいると言ったはず。護衛艦の砲撃で、征伐隊の隊員に被害を出すわけにはいかんのだ」
十三は厳しい口調でそう言った。それを聞いて二人は押し黙る。ただ、決して作戦の決行を諦めたわけではない。とはいえそのためには十三の言う通り、どうにかして皇亀の注意を海側へ向ける必要がある。
そのために何ができるのか。二人は考え込んだ。
皇亀さん「夜分遅くにこんばんわ!」




