挿し木実験
突入から四日目。これまでのところ、征伐に大きな進展は見られていない。あれから作戦会議がもう一度開かれたが、有効と思える作戦案は出なかった。これは国防軍の軍人も含めての話である。
この間、皇亀は人間を歯牙にもかけない様子で、相変わらず民家をかじったり山を食い散らかしたりと好き勝手にやっている。それに見合った量の土塊人形も生成されていて、回収されたドロップは増え続けていた。
颯谷はどうしているのかと言えば、彼は後方支援隊の所属なので、基本的には拠点にいる。今のところ、シフト制の夜警を除けば、大変と思える仕事はない。夜警も、シフト次第では寝ているところを起こされるのがイヤなだけで、警備の仕事自体を大変とは思っていない。もちろん実際に戦闘状態になれば、それなりに大変だが。
司令部の研修は細々と続いている。今のところ、皇亀の攻略法が定まらないので、司令部としても先に進めない状態が続いているのだ。大まかにでも方針が定まらないと、そこへ向けたロードマップさえ描けないのである。
そんなわけでそちらの仕事も少なく、颯谷としてはここのところちょっと時間を持て余し気味だった。それでこの日、彼は拠点のなかをぶらぶら歩いていたのだが、その際に気になることをしている隊員を見つけてこう話しかけた。
「こんにちは。何をしているんですか?」
「ああ、どうもこんにちは。何というか……、まあちょっと挿し木をしてみようかと思って」
そう言って颯谷が話しかけた隊員はビニール袋に入った土と、そこに挿された木の枝を見せてくれた。折ってきたばかりなのか、木の枝にはまだ青々とした葉と赤黒い実がついている。それを見て颯谷は思わずこう言った。
「まさか、仙樹ですか?」
「うん、そう」
「……仙樹って、挿し木できるんですか?」
かなり疑わし気な顔をしながら、颯谷はそう尋ねた。彼自身、最初の異界で仙樹の挿し木を試してみたことがある。もっとも挿し木と言ってもただ枝を地面に突き刺しただけで、その枝も実をつけることなく枯れてしまった。
彼自身、そう言う結果になったわけだし、またこれまでに仙樹の挿し木に成功したという話は聞いたことがない。こんな簡単なアイディアを今まで誰も思いつかなったはずがないので、「たぶん無理なんだろう」と思っていたのだ。
(それに……)
それに、仮に仙樹の挿し木に成功したとしても、異界が消えたら結局は枯れてしまう。異界の外へ持ち出せないのであれば、挿し木には食料確保の意味合いしかない。だが通常、征伐隊は仙果に頼らなくても大丈夫なだけの食料を持っていくのが普通だ。となると挿し木をしてもそもそもあまり意味がないことになる。
(征伐中に大きく成長してくれるなら、話は別なんだろうけど……)
颯谷が考えたのは、仙樹林業のこと。もし挿し木に成功し、さらに大きく育つのであれば、仙樹林業はその技術に大きな関心を示すだろう。そして仙樹の確保に大きく貢献してくれるに違ない。もしやそれが狙いなのかと颯谷は思ったが、しかし挿し木を持つ隊員が考えていることはまた別らしい。彼はこう答えた。
「今までに仙樹の挿し木に成功した例はないよ。だからちょっとやってみようと思ったんだ」
「もしかして、何か思いつきました?」
「まあね。肝はこの土さ」
そう言って彼はビニール袋に入った土を指さした。颯谷もそれをマジマジと見たが、まさか紫色をしているわけでもなく、ごく普通の土に見える。颯谷が首をかしげるのを見て、彼は満足げにこう種明かしをした。
「この土、実はゴーレムのドロップなんだ」
「あっ!」
颯谷は思わず声を上げた。ゴーレムのドロップは全て一級仙具である。道具としての実用性に差はあれど、氣の通りに大きな差はない。実際、石であっても氣を良く通す。同様にこの土は良く氣を通すのだ。
仙樹は異界の中でしか葉を茂らせない。つまり氣功的なエネルギーがその生育に大きく関わっていると考えられる。逆に言えば、それさえあれば仙樹は異界の外でも育つ、かもしれない。そしてその氣功的エネルギーを溜めておくための器が、ゴーレムがドロップした土というわけだ。
「僕は後方支援隊だから、なかなか土が手に入らなかったんだけど、ようやく手に入ってさ。今さっき、仙樹の枝を切ってきたところなんだ」
そう言って彼は苦笑を浮かべた。この異界では、ゴーレムは皇亀が生成している。そして今のところ、皇亀が拠点に近くにまで来たことはない。つまりゴーレムの生成は拠点から遠くで行われていることになる。
また前述したとおり、今のところ攻略作戦はまったく進んでいない。それで攻略隊が何をしているのかというと、彼らはレベルアップも兼ねてゴーレムを狩りまくっている。遊撃隊もやっていることは同じで、つまりゴーレムが拠点の近くまで来ることは稀だった。
征伐隊目線ならそれはとても良い事なのだが、土が欲しかった彼は内心でやきもきしていたのだという。ところが今朝、ようやくゴーレムが一体拠点のすぐ近くまで来た。彼は他のメンバーと一緒に飛び出してこれを討伐。念願かなってついに土を手に入れ、いよいよ挿し木の実験を始めたというわけだった。
「でも、そう上手くいきますかね?」
「それは分からない。分からないからやってみるんだ」
その言葉に、颯谷は「それは確かに」と思って頷いた。何にしても、これは興味を惹かれる実験だ。「唾を付けておく」という表現は下品だが、仙樹林業のことも考えれば見て見ぬふりはあり得ない。
「……そう言えば、自己紹介がまだでしたね。オレは桐島颯谷と言います」
「あ、これはどうも。岡崎晋です」
「えっと、じゃあ岡崎さん。その土が本当に氣を溜めておけるのか、ちょっと確認してみませんか?」
「そりゃできるならやりたいけど……。できるの?」
「はい」と答えて、颯谷は迷彩服の胸ポケットから妖狐の眼帯を取り出した。それを装着してから彼は岡崎にこう頼む。
「じゃあ氣を込めてみてください」
「了解」
面白がるようにそう答え、岡崎がビニール袋に入った土に氣を込める。妖狐の眼帯を介した視界に、その様子ははっきりと映った。流石は一級仙具。澱みない流れ方だ。ただし、今回重要なのはそこではない。
「止めてください」
颯谷がそう言うと、岡崎は氣を流すのを止める。颯谷は土とそこに込められた氣の様子をじっと観察する。驚くべきことに、氣が直ちに抜けていくことはなかった。
つまり一級仙具の土は氣を溜めておくことができるのだ。そしてこの事実は、異界の外でも仙樹を育てることができる、その可能性を示唆している。
「え、ほ、本当にっ?」
颯谷がそのことを伝えると、岡崎は興奮した様子でそう聞き返した。颯谷が大きく頷いて答えると、彼はさらにこう言った。
「ちょっとその仙具を貸してもらっても良いかな!?」
「どうぞ」と言って颯谷は妖狐の眼帯を岡崎に差し出した。そして簡単に使用法を説明する。彼が目元に眼帯を装着したその時、颯谷は内心で「あっ!?」と大声を上げた。
(ヤバ……!? バレるっ!?)
血の気が引く颯谷の目の前で、岡崎は「おおっ」と歓声を上げた。颯谷の背中は冷や汗でぐっちょりだ。心臓がイヤな速度で拍動する。妖狐の眼帯の桁外れな探知能力が、バレてしまっただろうか。それを心配する颯谷の目の前で、岡崎はさらにこう続けた。
「本当にちゃんと氣が溜まっているねっ!」
「これは凄い」と興奮する岡崎の様子に、颯谷は内心で首を傾げた。あの探知能力が発揮されているなら、こんな反応では済まないはず。霧があったとしても、いや霧があればこそ、だ。ということは逆説的に、あの探知能力は発揮されていないのだろうか。冷や汗がおさまらない中、颯谷は彼にこう尋ねた。
「えっと、何が見えてますか?」
「ちゃんと氣が溜まっている様子が見えるよっ。抜けていく様子もないし、あとはこれがどのくらいもつのか、だねっ!」
「そうですか……」
やはりあの探知能力に気付いた様子はない。これはセーフということでいいのかも知れない。ただそうだとすると、今度は「なぜあの探知能力が発揮されなかったのか?」という疑問が生じる。とはいえ彼はすぐに「保留!」と決めた。今はこの挿し木のことを優先するべきだろう。
「いや~、良いモン見せてもらった。ありがとう!」
岡崎は満面の笑みでそう礼を言った。そして妖狐の眼帯を颯谷に返す。彼はそれを受け取り、迷彩服の胸ポケットにしまうと、何でもないふうを装いながらこう答えた。
「どういたしまして。……じゃあ後は、この状態がどのくらいもつのか、ですね」
「そうだね。それで、そのためにはさっきのアレで調べてもらうしかないわけなんだけど……」
「乗り掛かった舟ですから。やりますよ」
「よしっ。じゃあ、とりあえず明日の朝かな。明日の朝にまた確認してもらっていいかな?」
「分かりました」と颯谷は答えた。挿し木は岡崎が彼のテントで保管する。そこへ案内してもらう途中に少し話をしたのだが、彼は北海道の大学で異界関連の研究をしている、修士の一年だという。
「ゴーレムが土をドロップしたって聞いた時にこのアイディアを思いついてさ。居ても立っても居られなくなって志願したんだ」
「それはまた……、アグレッシブですね」
苦笑を滲ませながら、颯谷はそう答えた。同時に「研究者っていうのは、みんなこうなのかな?」と頭の中で考える。彼の脳裏には諏訪部研のメンバーの顔が浮かんでいた。
岡崎のテントの場所を教えてもらうと、颯谷はそこで彼と別れた。拠点の中を歩きながら考えるのは挿し木の事、ではない。妖狐の眼帯のことだ。
岡崎が眼帯を使ったとき、氣の可視化はされていたようだが、視界の拡張はされていないようだった。颯谷が使った場合と比べると、大きな差があることになる。その原因は一体何なのか。
異界の中と外で、妖狐の眼帯の性能に差が出るのは、すでに颯谷自身が確認している。はっきりとした理由は分からないが、「仙具なのだしそういうこともあるだろう」と納得はしている。だが今回、二人とも異界の中で使っているのに大きな差が出てしまった。
仮にこの差の理由が属人的なものであるなら、考えられる可能性は二つ。「岡崎が使うと性能が下がる」か、もしくは「颯谷が使うと性能が上がる」かのどちらかだ。そこをはっきりさせるためには、二人以外にも幾人かに妖狐の眼帯を使ってもらうしかない。
ただ颯谷としては気乗りしない。それで別の理由を考えてみる。属人的な理由でないとしたら、「氣の量」はどうだろうか。「妖狐の眼帯の能力は、実は二段階に分かれていて、二段階目を発動させるには異界の中で一定以上の氣を込める必要がある」という仮説だ。
ただこの仮説を検証するためにも多数のサンプルが必要だ。そしてやはり、颯谷としては気乗りしない。ここはもう、異界の中では他人に使わせない方向で行くってことでいいのでは、とさえ思う。
(それにたぶん、原因って……)
颯谷は首から下げたコアの欠片を、迷彩服の上から握る。結局のところ、原因はコイツではないだろうか。そういう直感が彼にはある。より厳密に言えばコアの欠片ではなく、コアの欠片が学習した狐火。それこそが原因ではないだろうか。
(いや、それもどうだろう……?)
颯谷は内心で首を傾げた。的外れではないが、中心は外しているような、そんな違和感。彼は「う~ん」と唸りながらその違和感の奥を探ろうとしたが、結局何のひらめきもなく、また「保留!」ということにして考えるのを止めた。
「……っ!?」
止めたのだが。その瞬間、妙な気配を感じて彼は思わず振り返った。しかしそこには誰もいない。そして気配も消えてなくなっている。彼は頭をかきながら「気のせい……?」と呟いた。
「このままでいいのか……?」と一瞬迷ったが、よくよく考えるまでもなく、このままにしておく以外どうしようもない。それに妙な気配とはいえ、イヤな感じはしなかった。彼は小さく首をかしげてからまた歩き始める。
ふと脳裏に、三尾の妖狐の姿が浮かんだ。
妖狐さん「たまには自己主張しとかんとな」




