青森県東部異界氾濫次第
六月下旬。青森県東部異界が最初の氾濫を起こした。現れた怪異は土塊で出来た歪な人形。土塊人形と命名され、一般にはゴーレムと呼ばれるようになった。
そしてこのゴーレムに対し、国防軍は防衛のために少なからず被害を出した。兵士たちが装備していた自動小銃がほとんど効かなかったのである。これは異界の中の場合のように無効化された、という意味ではない。もともとの防御力が高いために、当たっても有効なダメージを与えられなかった、という意味だ。
またゴーレムには急所と呼べるモノが存在しなかった。頭部を吹き飛ばしても倒れなかったのである。それで結局、倒すにはある程度小さくなるまで砕くしかなく、そのため一体のゴーレムを倒すための労力が想定よりも大きくなった。これは実質的に、想定よりも敵戦力が多くなってしまったと考えてよい。
さらに今回のゴーレムはモンスターとしても特殊だった。普通、モンスターは倒すと黒い光の粒子のようになって跡形もなく消えてしまう。これは異界の中でも外でも変わらない。だが今回のゴーレムは違った。倒すと、なんと身体の半分以上がそのまま残ったのだ。
後に解析したところ、残ったのはほとんどが土塊や岩石、コンクリートやアスファルトの塊などだった。つまり今回のゴーレムはこれら天然物を一部素材として使い、生成されているものと考えられた。ただ防衛線で戦っていた兵士たちにとって重要なのはそう言うことではない。
ゴーレムを倒すと、その場に岩石やコンクリートの塊が残るのだ。すると他のゴーレムはどうするだろうか。「拾って投げる」というのは全く不自然ではない。つまり投石攻撃だ。これによって防衛線に混乱が生じ、ゴーレムの接近と突入を許すことになってしまった。
そして一度近づいてしまうと、人間と比べてゴーレムのほうが身体は大きいし体重も圧倒的に重い。ゴーレムが振り回す腕に、何人もの兵士が弾き飛ばされた。また跳弾などによっても被害が出ている。
混乱はさらに拡大した。すると車両などを迂闊に動かせなくなる。そこへゴーレムが突撃。車両をひっくり返したり叩き潰したりした。結局、国防軍は第一次防衛線を放棄。第二次防衛線で戦力を再編し、どうにか全てのゴーレムを撃滅したのだった。
避難が徹底されていたため、民間人の被害は出ていない。ただ第一次防衛線を放棄せざるを得なくなったことで、民家などに少なからず被害が出た。近年まれに見る被害で、これは国防軍の失態とされた。
もっとも国防軍が上手く対応できなかったのは、間違いなく事前情報が全くなかったためだ。それで二度目からは国防軍も重火器を大幅に増やして次以降のスタンピードに対応。この対ゴーレムシフトとでも言うべき編成は功を奏し、二度目以降のスタンピードではこれまで通り被害を抑えて対応することができた。
さて、上記の通り今回のゴーレムは一部土塊など、実在の物質を素材にして生成されている。そしてそれら倒した後の残留物を調べたところ、ステンレス製のスプーンが発見された。異界内部に取り込まれた、民家や施設などに置いてあった物と考えられる。
このステンレス製のスプーン、何が特別だったというと、なんと仙具化していたのだ。つまり氣の通りが非常に良かったのである。もとはなんて事のないただのスプーンが、モンスターに取り込まれることで仙具と化したのだ。この発見は関係者に大きな衝撃を与えることになった。
さらに調査が行われ、ゴーレムの残留物の中から拳二つ分ほどの鉄塊が見つかった。もはやインゴットと呼んで差し支えないそれは、やはりモンスターに取り込まれたことで仙具化している。すると試してみたいのは、コレを使った武器作成だ。
「学術的に貴重な資料なので保管しておくべき」という意見も確かにあった。ただ他にもサンプルがあることや、何より国防軍が仙具を欲していたので、とある工房に刀剣の作成が依頼された。そしてゴーレム由来のインゴットを用い、今話題の練氣鍛造法によって作成されたその刀は、何と一級相当と評価されたのである。
こういう情報のすべてが異界突入前に征伐隊へ伝えられたわけではない。ただインゴットと呼んで差し支えない金属の塊がドロップするということは伝わった。これを異界の中で手に入れれば、仙具の素材として有望であることは間違いない。征伐隊のボルテージは静かに上がった。
七月の十日前。いよいよ征伐隊が国防軍基地に招集された。颯谷も指定された基地へ向かったが、彼は全体ミーティングの前日に現地入りした。事前に言われていたとおり、全体ミーティングの前に十三のところへ顔を出すためだ。
「よく来てくれた。まずは司令部の連中を紹介しておこう」
颯谷が十三のところへ行くと、十三は彼を歓迎した。そして司令部、つまり今回の征伐の中心となるメンバーを彼に紹介する。その中には新潟県北部異界で一番槍を務めた楢木雅や同じく攻略隊のリーダーだった中原仁の姿もあった。そして紹介が一通り終わると、最後に颯谷が自己紹介をする。
「桐島颯谷です。よろしくお願いします」
「前の打ち合わせでも話したが、颯谷君には今回、司令部でいろいろと勉強してもらうつもりだ。戦力的には計算外の扱いになる。もちろん意地でも戦わせないわけではないが、まあ、そのつもりでいてくれ」
「…………」
「たった一人抜けたくらいで我々は揺らいだりはせん。そうだろう?」
「当然ですよ、十三さん」
「颯谷君。今回はラクをさせてやる。期待しておいてくれ」
雅と仁がそう答え、他のメンバーからも賛同の声が上がる。雰囲気が軽くなったところで十三が杖で床を「コツコツッ」と鳴らし、彼らを作業に戻らせた。
「さて、颯谷君。君はこっちだ」
そう言って十三は颯谷を隅の方へ連れて行き、そこに用意しておいた資料を使って彼にこれまでのところの状況を説明した。情報量が多くて、颯谷はついていくだけでも大変だ。そんな中、彼はどうしても気になったことを十三にこう尋ねた。
「あ、あの、十三さん。教えてもらえるのはありがたいんですけど、オレにかかりきりになっていて良いんですか?」
「なに、問題はない。私が引退したら、あいつらが東北の中心になってやっていくんだからな。このくらいはやってもらわねば」
そう言って十三は薄く笑った。諸々丸投げされてしまった側の意見はどうだったのか、颯谷には分からない。分からないのでとりあえず無視して、颯谷は十三からマンツーマンであれこれと説明を受けた。
どこから突入し、どこに拠点を設営するつもりなのか。必要と思われる物資はどの程度なのか。どんな手順で攻略を進めるのか。モンスターはゴーレムということだが、どんな戦い方が有効なのか。国防軍との連携はどうするのか。これまでに検討して作成してきたプランについて、十三は資料を使いながら颯谷に説明した。
いまだ全体ミーティング前だというのに、そのプランはすでに骨格以上のモノになっているように颯谷には思えた。とはいえそれが当たり前なのだろう。これまでの例を思い出してみても、全体ミーティングで行われるのはプランの手直しと承認。プランの作成自体はその前に終わっているのだ。そしてそれをやっておくのが司令部の仕事ということになる。
(大変だ、こりゃ……)
颯谷は心の中でそう呟いた。司令部の仕事は多いのだろうとは思っていたが、正直想像以上だった。情報量が少なく、基本的に手探りなので、大半の項目で複数の選択肢が考慮されている。
ただし「実際に突入してみれば、想定外の事の方が多い」と十三は話していた。とはいえそれでも、やらないわけにはいかないのだ。そして一通りの説明を終えると、十三は颯谷にこう尋ねた。
「何か、気になることはあったか? あるなら、遠慮なく話して欲しい」
「えっと、じゃあ、拠点の事なんですけど……」
「ふむ。拠点がどうかしたかね?」
「拠点は全部の案で、既存の建物を利用することになっています。それからモンスターなんですけど、今回のゴーレムってコンクリートとか建材とかを一部利用してるんですよね? ってことは、拠点として使っている建物の一部が、突然ゴーレムに化けるってことはあり得ないでしょうか……?」
「ふぅむ……。つまり拠点こそモンスターの出現率が高くなるのではないかと、そういうことか?」
「はい」
「……あり得る、な。いや、むしろ……」
十三は難しい顔をして考え込んだ。これまでのスタンピードで決して少なくない量のゴーレム残留物が発生している。それらは全て異界の中から持ち出されたモノであり、下手をしたら拠点として使うつもりだった建物は全てボロボロの虫食い状態になっているかもしれない。
(拠点として使える建物はないかも知れんな……)
表情を険しくしながら、十三は無言でそう呟いた。またあったとしても、颯谷が言うようにそこはかえってゴーレムが出現しやすい場所になっている可能性はある。そういうことも考えあわせれば、拠点用のテントなどはもっと数が必要かもしれない。
「抜け落ちていたな……。指摘してくれて感謝する」
「い、いえ! 思いついただけなので……」
十三に頭を下げられ、かえって颯谷の方が恐縮した。十三は頭を上げるとすぐに他のメンバーを呼び、颯谷が指摘したことやそこからさらに自分が懸念することを話す。司令部のメンバーは大きく頷くと、その点も考慮に入れた行動計画を早速練り始めた。
きっとそういうことは何度も繰り返してきたのだろう。彼らの対応はさすがに早いというか、手慣れているように感じる。颯谷は感心しながらそれを見守っていたのだが、周りが忙しくしているなかで暇人が見逃されるわけもない。諸々雑用を言いつけられ、結局あれこれと手伝うことになった。
とはいえ、これはこれで面白い。あちこち動き回っているうちに、自分が今やっている仕事と、さっき十三から説明してもらった計画の内容がだんだんと結びついてくる。もちろん颯谷がやったことなんてほんの雑用に過ぎないのだが、それでも役に立てている気になれた。
さて作業が終わり、後は明日の全体ミーティングを控えるばかりとなったのは夕方のこと。夕食まではまだ少し時間がある。十三たちは食堂に集まってテレビを見ているが、颯谷はそこから一人抜けだした。廊下を歩いていると、軍服を着た軍人を見つける。颯谷は彼に話しかけた。
「あの、ちょっとすみません」
「はい、どうかしましたか?」
「実はフランスの異界について詳しいことを知りたいんですが、どこに聞けば良いでしょうか?」
「フランスの……?」
「はい。征伐されたことはニュースで知ってるんですけど、もう少し詳しいことが知りたくて……。国防軍なら詳しいことを知ってるんじゃないかと思ったんですけど……」
「ああ、なるほど」
軍人は納得した様子で大きく頷いた。そして少し考え込む仕草をしてから、通路の突き当りにある休憩スペースを示してこう言った。
「あそこで待っていてください。レポートがあったと思うので、持ってきましょう」
颯谷は「ありがとうございます」と礼を言って、言われた通り休憩スペースのイスに座ってその軍人が戻ってくるのを待った。彼は五分もしないで戻って来て、颯谷の向かいのイスに座る。手にはタブレット端末を持っていた。
「お待たせしました。ただ紙のレポートがなくてですね。フランスのレポート自体は機密情報ではないんですが、この端末にはちょっとお見せできないファイルも入っていまして。口頭で説明する形でも良いですか?」
「はい。お願いします」
「ところで、フランスの方々とはどこかで?」
「ええっと、北海道のセミナーの時に、これから本国に戻るという話をトリスタン少佐から聞きまして。それでその後どうなったのかな、と」
「ああ、なるほど。そういうことでしたか」
いろいろ腑に落ちた様子を見せてから、軍人の男性はタブレット端末の上で指を滑らせた。そして目当てのファイルを開くと、僅かに目を細めてから概要の説明を始めた。
仁「雅が颯谷君の分も働いてくれるんだよな?」
雅「いやいや仁さんでしょ」




