司令部入り1
六月。東北地方がそろそろ梅雨入りしようかというタイミングで異界が現れた。場所は青森県東部。大きさは直径5.8kmで、顕現時のフィールドの色は群青色。小さな漁港がこの災害に巻き込まれたという。そしてこのニュース速報が流れた次の日、颯谷のスマホに千賀道場の茂信から着信があった。
「颯谷は楢木十三さんを知っているな?」
「はい。新潟県の異界の時に。あとは例の騒動のときもお世話になったと聞いています」
「うむ。その十三さんがお前と話をしたいそうだ。連絡先を教えても良いか?」
「良いですけど……。このタイミングだとやっぱり異界関係ですかね?」
「だろうな。じゃあ、伝えておくから」
そう言って茂信は電話を切った。そのおよそ一分後、颯谷のスマホに再び着信が入る。登録されていない番号だったが、彼はすぐに電話に出る。相手は思ったとおりの人物だった。
「はい、桐島です」
「楢木だ。颯谷君、でいいかな?」
「はい」
「突然の電話で申し訳ない。いま、少し時間は大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です」
「青森県東部異界のことは、すでに知っていると思う。それでまず聞きたいんだが、君はどうするつもりだ?」
「赤紙が来たら出るつもりですけど……」
「ふむ、そうか……。実はな、こうして連絡したのは颯谷君を征伐隊の司令部に誘うためだ」
「司令部……!?」
「まあ要するに作戦の指示を出すメンバー、ということだな。……勘違いしないで欲しいのは、これは君の指揮能力を評価して、ということではないぞ」
「でしょうね」
十三の厳しい言葉を聞き、颯谷は逆に安心してそう答えた。征伐隊の指揮など、彼は今までに一度もしたことがない。それなのにいきなり「司令部」なんて言われて、内心ではひどく困惑していたのだ。そんな彼に、十三はさらにこう説明を続ける。
「ではどういうことなのかというと、君は特権持ちだ。もし君が当面現役を続けるつもりなら、いずれは指揮を執る側になることを求められるだろう。そのための経験を、多少なりとも積んでおいた方が良いのではないかと思ってな。まあ要するに研修みたいなものだ」
「えっと、それは……」
「余計なお節介だというのは分かっている。ただ私も年だし、そのうえ隻腕だ。引退のことは常に頭にある。ああ、私が引退したら東北で指揮する者がいなくなると、そう言っているわけではないぞ? ただ今回なら私もまだ出られるし、引退する前にお節介の一つも焼いておこうかと、そう思ったわけだ」
「…………」
「まあ、いきなりこんなことを言われて困るのは分かる。どうしてもというわけではないし、異界もまだ群青色だ。ちょっと考えてみてくれないか」
「はい……、分かりました」
そう答えて颯谷は電話を終えた。それから彼は部屋の中を意味もなくウロウロ動き回り「どうしようか?」と考えたのだが、どうにもその先に思考が進まない。それで茂信に相談しようと思いスマホを手に取ったが、結局電話はかけず、代わりに彼はバイクの鍵を手に取った。茂信だけでなく、他の門下生にも意見を聞いてみたいと思ったのだ。
「颯谷か。どうした?」
道場で颯谷の姿を見つけると、きっと十三の用件絡みだと思ったのだろう、すぐ茂信が彼に声をかけた。ちょうど他の門下生もいたので、その場で颯谷は事情を説明する。一通り話を聞いてから、茂信はこう答えた。
「なるほど、そういう話だったか。最終的には颯谷の判断だが、まあ、やってみても良いんじゃないのか?」
「でも実際問題、オレが指揮する立場になることなんてありますかね?」
「一般論でいうなら、十分にあり得る」
そう答えたのはとある武門出身の門下生だった。征伐隊は成果主義だ。つまり実力のある者が偉いのではない。結果を出した者が偉いのだ。そしてその観点で言えば、颯谷はこれまでに文句なしの成果を残している。それを否定することは誰にもできない。
「それにお前さんは特権持ちだ。分かりやすく格が違う。隊長に、って話はいずれ出ると思うぞ」
「いやでも、指揮って一人でするもんじゃないでしょ? オレ、そういう伝手とか全然ないんですけど」
「伝手だの人脈だの、そんなものはこれから作ればいい。むしろ武門や流門のしがらみがない分、本当に優秀な人材だけ引っ張ってくるなんてことができるかもしれない」
「オレ、千賀道場の所属ですよ?」
「ウチは弱小だから。最初から無理だってみんな分かってる」
「悪かったな、弱小で」
茂信がムスッとした表情でそう言うと、門下生たちはサッと視線を逸らした。ただし口元は噛殺し切れていない笑みで歪んでいる。一応擁護しておくと、千賀道場は弱小ではない。中堅である。茂信は一つため息を吐くと、気を取り直してこう続けた。
「……まあ、どれだけ成果を上げていても、一人で征伐隊を指揮することはできないし、そもそも前準備からしてまともには行えないだろう。そういう意味での組織力は颯谷にはないモノだ。逆に言えば、それを補うための下地作りという意図もあるのかも知れんな」
「えっと、つまり……?」
「研修を名目にした顔つなぎってこと。まあ研修も本題なんだろうけど」
「はあ……」
分かるような、分からないような。颯谷はそんな顔で困惑を表現した。受けたほうが良いのか、それとも断った方が良いのか、なんとも判断がつかない。加えて言うと、デメリットがあるのかもまだよく分からない。それで彼は率直にこう尋ねた。
「デメリットって、ありますかね?」
「デメリットかぁ……。まあたぶん後方支援担当ってことになるから、報奨金は減るんじゃないのか。実際の働き次第では分からんけど」
「あとは……、研修ってことは、今回は『見て学べ』みたいな感じなんだろうから、小間使いというか、雑用係みたいなことはやらされるんじゃないのか」
「少なくとも、今までみたく比較的自由に、ってわけにはいかないだろうな」
「なるほど……」
先輩門下生たちの返答を聞き、颯谷は考え込みながらそう呟いた。どれも彼にとって大きなデメリットとは思えない。自由に動けないのは窮屈そうだが、それもリスクとのトレードオフ。逆に安全性が高まると思えば、悪い事ではないだろう。
「ありがとうございました。もうちょっと自分で考えてみます」
そう答えて颯谷は頭を下げた。それを見て他の門下生たちも小さく頷いて散っていく。一人になると、颯谷は「せっかく道場へ来たのだから」と思い、道着に着替えてから流転法を始める。そして汗が滴り落ち始めたころ、一人の少女が彼に声をかけた。
「あ、颯谷さん。お疲れ」
「司か。お疲れ」
道場に顔を出したのは茂信の娘である司だ。彼女は剣道部所属なのだが、去年、団体戦で見事に全国制覇を成し遂げ、さらに個人でも全国三位の成績を残した。それでも彼女的には負けたことが不満らしく、三年生になった今も熱心に竹刀を振っている。
そんな彼女の良い練習相手として日夜ボコられているのが颯谷だ。「勝ち癖がつけられて、なおかつ緊張感のある相手」としてちょうど良いのだとか。彼はまた立ち合い稽古かと内心ちょっと身構えたのだが、司は彼を見つけると少し遠慮がちにこう尋ねた。
「颯谷さんは、例の青森の異界、行くの?」
「まだ考え中。まあ、赤紙が来たら行くことになるけど」
「そっか……」
「どした? お嬢」
「お嬢いうな。……いや、関係ないと言えばないし、あるといえばあるんだけど……。進路のこと。国防大学校にしようかと思って、さ」
国防大学校とはこの日本国における士官学校である。つまり司は将来、軍人になると言ったのだ。しかもこの場合、話はそれだけにとどまらない。司は千賀道場の、流門の娘だ。何人もの現役能力者を間近で見てきた。彼女は征伐隊に近い場所で育ったのだ。その彼女がわざわざ軍に入る理由など限られている。
「国防大なら剣道を続けられるっていうのは、もちろんあるよ。剣道を続けて、ゆくゆくは異界対策の選抜チームに入ることを目指したい」
颯谷の目を真っ直ぐに見て、司はそう言った。以前、同じようなことを言われた時、彼は「やめておけ」と答えた。征伐隊の一員として戦うことは、決して華々しく活躍して英雄になることではない。むしろその実態はもっと泥臭くて悲惨である。彼自身「地獄」と表現したくらいだ。
そのことを颯谷は司に伝えてある。彼女はそれを軽く考えたわけではない。彼女の瞳の強い光を見れば、そのことはおのずと理解できる。真剣に考え、そのうえでこの決断を下したのだ。
「……このこと、茂信さんは?」
「話した。『分かった、やってみなさい』って」
「そっかぁ……」
幾分緊張感をやわらげながら、颯谷はそう答えて頷いた。本人が覚悟を決めていて、さらに茂信が許可しているなら、彼が言うことは何もない。颯谷は「頑張れ」と司を激励した。そしてそのあと、若干口の端を歪めてこう尋ねる。
「ただなぁ……、なんでそこまで征伐隊にこだわるんだ? やっぱり自分の腕を試したいのか?」
「あはは、確かに前はそんなことも考えたけど、今はちょっと違う、かな」
「違うのか?」
「うん。だって国防軍の征伐オペレーションって、今後は銃がメインでしょ?」
確認するようにそう尋ねる司に、颯谷は「まあ、たぶん」と答える。彼は国防軍の人間ではないから、国防軍の今後の詳しいビジョンなど分からない。だが仙樹鋼や仙樹弾に関わる人間として、その需要が右肩上がりに伸びていることは知っている。となれば、今後はそういう方向へ進むのだろうという予測はできる。そして彼が否定しなかったのを見て、司はさらにこう続けた。
「周りが銃なのに一人だけ日本刀振り回すのがダメだってことくらい、わたしにも分かるよ。だから剣士としてって部分にこだわってるってわけじゃない、と思う、たぶん……」
ちょっと自信なさそうにしながら、司はそう答える。颯谷は内心で「言い切れないんかい」と突っ込んだが、裏を返せばそれだけ剣道というモノが彼女の中に深く根差しているということなのだろう。そして彼がそんなことを考えている間に、司はさらにこう言葉を続けた。
「なんていうか、剣士としてっていうか、わたしはやっぱり道場の娘だから、こうして能力者といっぱい関わってきたわけでさ、それなのに知らんぷりはできないっていうか、うん、そんな感じ、かなぁ」
「別に、全く関係ない道に進んだからって、それで知らんぷりしてるってことにはならないんじゃないのか? それこそ“行くべき義務”みたいのだって、最初からそんなのないわけだし」
「う~ん、どんなんだろ……。義務とか、そういういうふうに感じてきたわけじゃないよ。むしろずっと征伐隊には入れないと思ってたわけだし。でもこうして道ができて、自分がそれを選べる立場だって気付いた時にさ、それでも別の道を選ぶのはちょっと違うって思ったんだよね」
「行き先が地獄でも?」
「地獄でも」
司ははっきりとそう答えた。甘い夢を見ているわけではない。昔と今とでは、物の考え方は確かに変わった。
「昔は征伐隊に憧れていたと思う。帰ってきたお父さんはみんなから『スゴイ』って言われて、わたしも『スゴイ』って思った。『こんなふうになりたい』って思って、それが最初だったのは、それはそう。でもそれだけじゃ無いって言うのも、たくさん見て来たから。そもそも、颯谷さんにも『地獄だ』って言われちゃったし」
異界は厳しい場所だと認識している。もしかしたら認識不足かも知れないけれど、それでももう選んだのだ。その理由を彼女はこう口にする。
「異界って、理不尽でしょ? わたしはたぶん、ちょっとでもそこに抵抗できるようになりたいんだと思う。いざという時に守ってもらうんじゃなくて、守れるようになりたい。わたしが見てきたのはそういう人たちで、わたしがそうなるには、たぶん国防軍が一番の近道だと思うから。……剣道も、続けられるし」
「そこ、重要なんだ?」
「重要。とっても重要」
そう言って二人は笑いあった。それから颯谷はふと天井を見上げる。司は進路を決めた。剣道少女が次のステップに進むことを決めたのだ。自分もそういう頃合いなのかもしれない。彼はそう思うのだった。
司「でも弾薬が切れた時のために近接戦闘用の武器は必要だよね」
軍人さん「つまりスコップだな」




