鉄室実験2
(大きい……)
鉄室の現物を実際に見て、颯谷はまずそう思った。中の床面積は畳一畳分と聞いていたが、鉄の塊だけあって圧迫感がある。鉄室の周囲には紙が散乱した机が二つと、空きが目立つ棚が一つ。そして扇風機が一台。それが諏訪部研の実験スペースだという。
「狭いだろ。それでもこのスペースを確保するのかなかなか大変だったんだぜ」
「そうね。ウチはもともとここでは実験をしていなかったから、他の研究室を押しのけて場所を空けてもらう形になったわ」
「へえ……。苦情とか出なかったんですか?」
「出たわよ。どこもかしこも、『これ以上狭くなるのは無理』って」
「だがしかぁし! 各研究室、増えた予算の出どころはウチの教授がゲットしてきた寄付金だからな。問答無用で蹴散らしてここを空けさせたってわけだ」
やっぱ金の力は偉大だぜ、と伊田が嘯く。このスペースを巡って一体どんな争いがあったのやら。颯谷は苦笑することしかできなかった。
さて颯谷たちがそんな話をしている間に、宮本が実験の用意をしてくれていた。鉄室の扉が開いていて、中では照明もついている。鉄室の前にはマットが敷かれていて、四人はそこで靴を脱ぎスリッパに履き替えた。
「中は土禁なんだ」
「おかげで、冬は底冷えして困るわ」
そんなことを言いながら、四人は鉄室の中に入った。鉄室の一番奥には簡易テーブルが置かれていて、さらにそのテーブルにスタンドアームでデジカメが固定されている。テーブルの下には大容量のポータブルバッテリーが置かれていて、照明の電源はそこから取られているらしかった。そしてもう一つ、テーブルの上には小さな機器がある。それを指さしながら、颯谷はこう尋ねた。
「アレ、何なんですか?」
「ああ、二酸化炭素濃度計だ。狭いところに四人も入るわけだから、酸欠にならないようにな」
宮本がそう答えるのを聞いて、颯谷は「なるほど」と思った。鉄室の目的は内部に氣を充満させること。つまり鉄室の気密性はかなり高い。扉を締めれば外から空気は入ってこないわけで、酸欠を心配するのはむしろ当然だろう。
ちなみにさっき見た扇風機は換気のためのもので、場合によっては吸引用の酸素スプレーを使うこともあるとか。良く見るとテーブルの足元に酸素スプレーが一つ置かれている。何気に命懸けだな、と颯谷はちょっと呆れてしまった。
「そんなに時間がかかる実験ではないし、ちゃっちゃとやってしまえば酸欠の心配はないわ。始めましょう、宮本君、扉を閉めて」
「了解」
そう答えて宮本が重い鉄製の扉を閉める。ちなみに鍵はついておらず、扉を締めれば気密性は保たれるが密室にはならない。
(狭いな……)
鉄室の扉が閉じられると、颯谷はまずそう感じた。全員が立っているとはいえ、一畳ほどのところに四人が入っているのだ。「すし詰め状態」と言っても過言ではない。二酸化炭素濃度計に目を向けると、たちまち数字が一つ増えた。
「じゃあ、氣を放出するわね」
久石がそう言い、他の二人と一緒に氣を放出し始める。その圧力を感じて、颯谷は多少の息苦しさを覚えた。ちなみに彼がそこへ加わらないのは、他の実験と条件を揃えるため。そして十秒ほどもそうしていただろうか。伊田が氣功計測用スクロールを颯谷に差し出してこう言った。
「じゃ、やってくれ」
「分かりました」
そう答え、颯谷は氣功計測用スクロールに氣を通す。そしてスクロールを開くと、そこにはかつて見たのと同じ、炎に似た紋様が浮かび上がっていた。それを覗き込み、驚愕の混じった声で伊田がこう言う。
「うぉ! やっぱすごいな、お前」
「伊田君、驚くのは後。早く記録を取りましょう。わたし達が酸欠になる前に」
そういう久石に促され、颯谷は紋様が浮かんだ氣功計測用スクロールを鉄室の奥の机の上に置いた。後は宮本が手早くデジカメを操作して写真を撮影。記録が取れたことを確認すると、久石がすぐに鉄室の扉を開けた。
「ふう。やっぱり中は息苦しいわね」
鉄室の外に出て、久石がそう呟く。颯谷は氣功計測用スクロールの様子を見ていたのだが、扉を開けると、つまり氣が外へ霧散していくと、それに合わせて浮かんでいた紋様がスゥーッと薄くなっていく。そして完全に消えた。
(こうやってリセットされるのか……)
颯谷がそう思っていると、伊田が氣功計測用スクロールを、宮本がデジカメをそれぞれ回収した。そして鉄室の外に出てから、先ほど撮った写真を確認する。デジカメの画面に映ったそれを見て、四人は「おお」と感嘆の声を上げた。
「さっきも見たけど、やっぱり凄いな……」
「間違いなくこれまでの最高記録ね。これが破られる日は来るのかしら?」
「他のデータと混ぜて大丈夫なのか、コレ」
諏訪部研の三人がそれぞれそう感想を述べる。それを聞きながら、颯谷は心の中でこう呟いた。
(前に見たときよりも広がってる……)
前回、颯谷がこの氣功計測用スクロールを使ったのは和歌山県東部異界に突入した直後。あの時はスクロールの七割くらいが紋様で埋まっていた。だが今回は八割に届いているのではないか。そんなふうに見える。
(まあ、結構倒したからな……)
和歌山県東部異界で颯谷は大量のスケルトンと三尾の妖狐、そして本人は覚えていないが主の餓者髑髏を倒している。きっとその分だけまた氣の量が増えたのだろう。
「よし。じゃあ次は筋力の測定だな。とりあえず握力だけやってしまおう」
伊田がそう言うと、宮本が棚から握力計を持ってくる。颯谷は左右で五回ずつ握力を計測した。久石が記録したその数字を眺めてみると、やはり左手より右手のほうが数字が大きい。増幅率も右手のほうがわずかに高いようだった。
「他にも色々協力してもらえるとデータがいっぱい取れて嬉しいんだけど、どうする?」
「あ~、今日はパスで」
颯谷がそう言うと、伊田は残念そうな顔をしつつもすぐに頷いた。「入学してしまえばこっちのモンよ」とか呟いていた気がするが、きっと颯谷の空耳だろう。これにて実験はひとまず終わったわけだが、研究室に引き上げるまえに宮本がこんなことを言い出した。
「せっかく桐島君がいるんだし、鉄室の中でどのくらい氣を放出すればスクロールを使えるようになるのか、ちょっと試してみないか」
「それは確かに、ちょっと気になるわね……」
久石がそう答え、伊田も前向きな様子を見せる。颯谷も「まあ、それくらいなら」と答え、四人はまた鉄室の中へ戻った。そして今度は颯谷が一人で氣を放出していく。だが不思議なことにどれだけ氣を放出しても氣功計測用スクロールは使えるようにならない。四人は揃って首を傾げた。
「コレ、氣はちゃんと充填されてるよな?」
「ええ。ちょっと息苦しいぐらいには、ね……。というか、いつもより多いでしょ、コレ」
「それなのにスクロールは反応なし、か……」
二酸化炭素の濃度が高くなってきたので、四人はひとまず鉄室の外へ出た。そして新鮮な空気で取り込んで脳を働かせながら、今さっきの実験について考察する。まず口火を切ったのは伊田だった。
「氣は充填されていた。だがスクロールは反応しなかった」
「今までも、一人で氣を充填してもスクロールは反応しなかった。これは単純に氣の量が足りないからだと思っていたが……」
「桐島君がやったんだから、量自体は十分だったはず。ということは、重要なのは量よりも質ってことかしら……?」
大学院生の三人がそう話し合う。そして次の瞬間、彼らは揃って颯谷の方へ視線を向ける。その圧力にたじろいで颯谷は半歩後ろへ下がった。
「桐島君はどう思う?」
「あ~、練氣鍛造法って知ってます?」
若干ビビりながら、颯谷は逆にそう問いかけた。「練氣鍛造法」というのは、駿河仙具と仁科刀剣が共同で特許を取得した、練氣法を応用した鍛造の新技術のことだ。現在はこちらの名前で知られている。これを用いると、制約はあるものの天鋼で一級並みの仙具を作ることができるのだ。
ちなみに仙樹鋼製のハンマーの供給が始まったことで、契約を交わした各工房でも練氣鍛造法を用いた天鋼製仙具の製作が年明け頃から始まっている。そういう事情もあり、能力者界隈で大きな話題になっているこの新技術のことを、三人は当然のように知っていた。
「桐島君も関わったという、アレだろ? アレがどうかしたのか」
「アレで一級品を作るとつまりユーザーが限定されちゃうわけなんですけど、それって要するに氣にはそれぞれ波長っていうか、型みたいなのがあるってことになりませんか?」
「まあ確かにそういうふうにも考えられるが……。ああ、なるほど」
「宮本、何か思いついたのか?」
「つまり、重ね合わせってことだろ? それぞれ波長の異なる波を重ね合わせて一定値以上でフラットな状態にするっていうか、イメージ的にはそんな感じ」
「あ~、そんな感じです」
宮本が言語化してくれたイメージがしっくりきて、颯谷は何度も頷いた。異界環境の疑似的な再現には氣の重ね合わせ、もとい複数の氣の型が必要なので、単独ではどれだけ多量の氣を放出しても氣功計測用スクロールは反応しない。そう考えれば確かに筋は通る。
「そうなると最低人数は二人なのか三人なのか、そこのところも検証してみたいな」
今度は伊田がそんなことを言い出し、四人はまた鉄室の中へ入った。最初に颯谷が氣を放出し、次に伊田がそこへ重ね合わせを行う。その状態で久石が氣功計測用スクロールに氣を通したのだが、しかし反応はなし。三人目の宮本がさらに重ね合わせをしたところで、ようやくスクロールは反応を示した。
「ってことはやっぱり、最低人数は三人みたいだな」
鉄室の外に出てから、伊田がそう呟く。他の三人も一様に頷いた。颯谷が氣を放出していたのだから、量という意味ではすでに十分だったはず。しかし氣功計測用スクロールを使うにはどうしても三人必要だった。ということは現状、異界環境の疑似的再現のために必要な最低人数は三名と考えて良いだろう。
「氣の型が重要なら、組み合わせ次第では二人でもいけるんじゃないかしら」
「もしくは逆に人数を増やしたらどうなるんだろうな」
「型を判別できるような仙具ってないかな」
大学院生の三人があれこれと好きなことを言い始める。まだギリギリ現役高校生の颯谷は置いてけぼりだ。三人はそのまま数分あれこれと話し合っていたが、困惑気味に立ち尽くす颯谷に久石が気付いて、ひとまず研究室へ戻ることになった。
「ああ、お帰りなさい。どうでしたか?」
「いや~、大豊作ですよ、先生」
満足げな顔をしながら研究室のイスに腰かけ、伊田がそう答える。その間に宮本がデジカメとパソコンを操作して颯谷の記録を画面に表示させた。それを見ると、研究室のメンバーからは自然と感嘆の声が上がった。
「スッゲェ……。凄すぎて比較対象にならなくないか、コレ」
「データとしては特異点的な扱いになりそうな気も……」
「しれっと混ぜておけばいいさ。サンプルが歯抜けになるのはこっちの責任じゃない」
わいわいと学生たちが話し合う。それを楽し気な様子で聞きながら、諏訪部は視線を伊田に向けてこう尋ねた。
「それで、大豊作というからには、成果はコレだけではないはず。他に何をしたんですか?」
「いろいろやりましたよ、先生」
伊田はやや興奮した様子で先ほどやってきた実験について諏訪部に話した。所々で久石が訂正と補足を入れる。一通りの話を聞き終えると、諏訪部は二度三度と頷きながらこう呟いた。
「なるほど……。それはとても興味深い……」
伊田ら三人が思いつきでやってきた実験。それは桐島颯谷という桁外れな氣の量を誇る能力者がいなければできなかった実験だ。だからこそまったく新しい知見に満ちている。研究者として、こんなに楽しいオモチャは他にない。
「桐島君。もし時間が許すならもう少し実験に付き合ってもらいたいのですが……」
「あ~、すみません。そろそろ帰らないと」
「先生。どうせ四月には入学してくるんですから。それまでの辛抱ですよ」
「……そうですね。では、それまでに実験項目のリストを作っておきましょうか」
今にもエスプレッソを淹れだしそうな諏訪部の様子に、颯谷は内心で頬を引きつらせる。これは入学を考え直すべきかもしれない。一瞬そんなことまで考えた。
諏訪部「まずは豆を選ばなくては」




