北海道西部異界、突入
最終的に、颯谷のセミナーは三日間に及んだ。いや、三日間で終わったというべきかもしれない。三日目の午後三時頃に北海道西部異界が白色化したとの一報が入り、翌日の午前十時に突入することが決まったのである。
一報が入ると、セミナーの受講者たちのうち、征伐隊参加者らはすぐに自主訓練を切り上げた。体調を整え、明日の突入に備えるためである。他の受講者たちは自主訓練を続けたが、冬は日が落ちるのも早い。暗くなってきたところで彼らも自主訓練を切り上げた。
「月並みですけど、頑張ってください」
夕食時、食堂で笠原泰樹の姿を見つけ、颯谷は隣に座ってからそう声をかけた。泰樹はニヤリと笑ってこう答える。
「分かってますよ、桐島センパイ。あ、お土産何が良いですか?」
「土産って……。無事に帰ってきてくれればそれでいいですよ」
「じゃあ牙鹿の角がドロップしたらプレゼントしますね。あ、牙の方がいいですか?」
「置き場所に困るからやめろください」
呆れた様子で颯谷はそう答えた。ちなみにシカの角などの怪異ドロップは「生体ドロップ」と呼ばれる。氣を良く通すので一級仙具の一種ではあるが、そのまま使われることはほぼなく、使う場合には加工することが多い。
ただし金属製の仙具とは異なり、より素の状態に近いからなのか、氣の通りが悪くなりにくいことが知られている。つまり加工して二級ではなく、準一級くらいの品質を維持できるのだ。
もっとも生体ドロップの場合、一番多いのは「使わない」というパターンだが。道具というのは、氣の通り具合だけで評価が決まるわけではない。シカの角を槍の穂先に使うことなんて、原始時代でもやらなかった。そんなモノ、貰っても困る。
「角とか牙とか爪とか、使い道があるのはゲームの中だけでしょ」
「アクセサリーに使うパターンはありますよ。いわゆるボーンアクセサリーみたいなヤツ。趣味で作ってる人がいますし、なんならネット販売もしてます」
「氣の通りは良いんでしょうけど、実用面ではどうなんですか、それ」
「アクセサリーに実用性を求めるのは、それこそゲームの中だけですよ、センパイ」
「ダメですやん」
思わずエセ関西弁になって颯谷はツッコんだ。その様子に小さく笑いながら、泰樹はこう答える。
「装備するだけで防御力20%アップ、みたいなアクセサリーがあったら良いんですけどねぇ」
「そんな都合のいい物があるはずもなく……。だから本当に角とか牙とか、要らないですからね。それこそアクセサリー作ってる人にあげてください」
「はいはい。……でもまあ毛皮とかだと、案外使い道があるみたいなんですけどねぇ、生体ドロップって」
「アウターを作るってことですか?」
「そうそう。氣を通せば防御性能は結構いいって聞きますけどね。ただし見た目が完全に山賊」
「それは……、そうかも……」
剛が毛皮のベストを着ているところを想像して、颯谷は思わず納得した。スキンヘッドにして、さらに眼帯とか付けているとなお雰囲気が出る。そんな感じで颯谷が剛を脳内で山賊スタイルにしていると、泰樹がさらにこんなことを言った。
「あとは、パンツを作った猛者もいるって話です。一体ナニを守りたかったんでしょうね?」
「そりゃ、大切なナニカでしょうよ」
ニヤニヤと笑う泰樹に、颯谷は呆れながらそう答えた。ちなみにパンツネタで言うと、中鬼が人間が着ることのできる下着をドロップすることが稀にある。通称「リアル鬼のパンツ」だ。
もちろん一級仙具で、装備すれば防御力が上がり大切なところをしっかりと守ってくれる、はず。ただ颯谷も泰樹もこれまでにソレを装備したことのある猛者については聞いたことがない。むしろ「洗濯しても使いたくない」、「汚物は消毒!」という意見を良く聞く。さもありなん、という話だ。
「パンツはともかく、腹巻なら結構良さげな気はしますけどね」
「センパイ、お腹冷えちゃうタイプですか?」
「そうそう寒いとお腹の具合が、って違うから。あ、いやでも真冬の北海道だとそっちの役割も重要かも知れないけど、違うから。防具、防具としてって話ですよ。お腹周りはそういう意味でも大事でしょ?」
「まぁ、アレですよね、内臓がグチャグチャになっちゃうと、さすがに医療チームがいても助からないでしょうしねぇ」
その様子を想像してしまい、颯谷はちょっと身震いした。人体の急所と言えば、第一に頭、第二に心臓だが、胃や腸、肝臓などの内臓だって重要だ。実際、統計では「内臓を傷つけられたことによる出血死」が上位にランクインしている。
「実際のところ、何か対策ってしてないんですかね?」
「う~ん、特に軽装で突っ込むタイプの人たちはサラシ巻いてたなんて話は聞きますけどねぇ。それこそ、例のアレでなんかないんですか?」
泰樹のいうアレとは仙樹由来のセルロースナノファイバーで作った仙樹糸のことだろう。確かに糸があるのだから、腹巻やサラシなら作れそうな気はする。ただ今現在までに駿河仙具から新しい商品カタログは送られてきていない。たぶん、まだ注文ロットを捌くので手一杯なのだろう。
「ラインナップ増やしたって話はまだ聞かないですね。今度提案してみようかな……」
「パンツをですか? さっすがセンパイ!」
「ちげーよ! 腹巻だよ! いや、サラシでもいいけど」
ややキレ気味に颯谷はそう答えた。というか、突入前夜がこんな感じで良いのだろうか。変に緊張したり暗くなったりするよりはいいか、と彼は思うことにした。
そして翌日午前八時。征伐隊は待機していた国防軍基地を出発した。颯谷としては昨日の時点でお役御免なのだが、征伐隊の突入までは見届けようかと思い基地に残る。
もちろん何ができるわけでもないが、一番槍が伝えてくる情報くらいは教えてもらえるはずだ。そして同じように考えたのだろう、食堂には多数の能力者が集まった。その中にはトリスタンとヴィクトールの姿もあった。
そして午前十時。予定時刻が来ると、北海道西部異界の征伐オペレーションが始まった。まずは定石通り一番槍が異界に顔を突っ込む。今回もハンドサインではなく、トリガー型のデバイスを用いたモールス信号で情報が伝えられる。そしてその情報は関係者全員にとって思いがけないモノだった。
『ナツ』
『アツイ』
『ユキ ナシ』
その情報が伝えられると、颯谷たち食堂で待機していた能力者たちは揃って何とも言えない顔になった。一般に直径15km以上の大規模異界は内部の変異が起こりにくいとされる。今回の北海道西部異界の直径は18.2km。文句なしの大規模異界で、つまり内部に変異は起こっておらず、外と同じく真冬の環境であろうと考えられていたのだ。
だからこそそれに合わせて装備を整え、セミナーを開くなりして準備をしてきたのだが、よりにもよって内部は「ナツ」で「ユキ ナシ」だという。完全にアテが外れた格好だ。そういう意味では突入中止すらあり得る。
ただその一方で、冬より夏の環境の方が征伐はやりやすいだろう。また一部使い道がなくなった装備はあるだろうが、全ての準備が無駄になったわけではない。むしろ大半の装備は夏の環境であろうとも使えるはずだ。
「これ、どう判断するんだ……?」
「分からん。思惑が外れたのは確かだろうが、それでも一番槍を見捨てるほどかと言われると……」
「暖かくて雪がないなら、むしろプラスに思えるぞ」
「逆なら突入中止一択なんだろうがなぁ……」
食堂に残った能力者たちは顔に困惑を浮かべながらそう話し合った。トリスタンとヴィクトールもフランス語で何やら話し合っている。そんな中で颯谷は一言もしゃべらずに続報を待った。
「征伐隊、突入を開始しました」
国防軍の軍人が食堂に集まった能力者たちにそう教えてくれる。現場は突入の判断を下したらしい。異界の内部は「ナツ」という話だが、それでもスノーモービルなど冬季用の装備も持っていくという。環境が周期的に変わる可能性を考慮して、ということらしい。
「あり得るか、そんなこと?」
「あり得ない、とは断言できない、か……」
「いや、大規模異界だぞ? さすがにないだろ」
「征伐中ずっと夏の環境だとしても、冬用の装備は必要であると、小官も考えますよ」
割り込む形でそう答えたのはトリスタンだった。冬用装備を「必要」と断言した彼に視線が集まる。その中で彼は口調を変えることなくこう続けた。
「征伐が完了し、異界のフィールドが消えれば、また真冬に逆戻りです。場合によっては、即座に吹雪に襲われることさえあり得るでしょう。やはり冬用の装備は必要かと」
言われてみればその通りだ、と颯谷は納得した。確かに主を倒すか核を破壊すれば、それで異界征伐は完了する。だがこれはゲームではないのだ。征伐が完了したら自動的に次のシーンへ移行する、なんてことは起こらない。
颯谷が最初に異界征伐を達成したときもそうだった。あの時、彼はコアを破壊した後、「気付いたら病院にいた」わけではない。見晴らしの良い場所へ移動し、枯れ枝を集めて火をつけ狼煙を上げた。確認のために飛んでくるであろうヘリに見つけてもらうためだ。そうやって初めて彼は生還できたのである。
逆に言えば、たとえ征伐を達成してもヘリに見つけてもらうまでは、彼は遭難した状態のままだったと言える。ではあの時、いきなり吹雪が吹いて気温が急激に下がったら、一体どうなっていただろうか。
(つまりそれと同じことが今回起こるかもしれない、ってことか……)
そうであるなら、確かに冬季用の装備は必要だろう。それだけでなく、颯谷が教えた温身法や外纏法も役に立つに違いない。なにしろ天候が悪ければ、国防軍であっても直ちに征伐隊を回収することは困難なはず。その場合、迎えが来るまでの間は、どうにかして寒さに耐えなければならないのだから。
異界に突入可能なのは、一番槍が最初に顔を突っ込んでからの一時間のみ。内部に雪がないため、スノーモービルなど一部の装備を異界内に入れるのに多少手こずったものの、征伐隊はどうにか時間内に突入を終えた。そしていよいよ、その時が来る。
「異界のフィールドが群青色になりました」
国防軍の軍人が食堂に集まった能力者たちにそう告げる。それを聞いて、誰からともなく大きく息を吐くのが聞こえた。この状態になったからには、もう外部からできる事はない。征伐が上手くいくようにと祈るだけだ。
「じゃ、そろそろ行くかな。お疲れさん」
一人がそう言って立ち上がり、食堂を後にする。それを皮切りにして、食堂に残っていた能力者たちはそれぞれに散っていった。颯谷も、この基地でやるべきことはもう何もない。そんな彼に話しかけたのは軍服姿の外国人。トリスタンだ。後ろにはヴィクトールも控えている。
「やあ、キリシマ君。今回のセミナーはとても良かった。ありがとう」
「いえ。その、役に立ちそうですか?」
「もちろんだ。惜しむらくは、もう少し細かい部分も聞けたら良かったのだがね。まあ、そもそも征伐隊優先だ。こればかりは仕方がない」
そう言ってトリスタンは西洋人らしく大袈裟に肩をすくめて見せた。そして穏やかな表情を浮かべてこう続ける。
「今回の日本での遠征は非常に得るものが多かった。本当に感謝している」
「いや、それ、オレに言われても……」
「ふふ、そうかね」
トリスタンはそう言って小さく笑った。颯谷は心底心当たりがなさそうにしているが、フランス人部隊が得たモノの多くには彼が関わっている。
例えば医療チームの同行。これは「レベルアップ重視」の文脈の中から出てきたアイディアだ。そしてレベルアップが重視されるようになったのは、桐島颯谷がたった一人で異界征伐を成し遂げたことがきっかけである。
また仙樹由来のセルロースナノファイバーを用いた数々の新装備。これも桐島颯谷が仙樹の枝を武器として使ったことがきっかけである。そして彼は駿河仙具の大株主としてこの分野に関わり続けている。
さらに言うなら今回のセミナーも、桐島颯谷の経験をフィードバックすることが目的と言い換えられる。その知見は間違いなくトリスタンの部隊の対応能力を高めてくれた。このように彼はフランス人部隊に大きな影響を与えているのだ。
「私はね、キリシマ君。君と出会えたことを神に感謝しているんだ。それも真剣にね」
「は、はあ。それはどうも……?」
トリスタンが差し出した右手を、颯谷は戸惑いながら握る。そんな彼にトリスタンはさらにこう言った。
「実は昨日、本国から緊急の連絡があった。我が祖国に異界が顕現したそうだ」
「それは……!」
「いよいよ、我々の訓練の成果が試される時が来たということだ」
「いつ、向かわれるんですか……?」
「すでに部下たちが撤収の準備を進めている。我々が合流したら、すぐに輸送機を飛ばす手はずだ」
そう答え、トリスタンは握っていた颯谷の手を離した。そしてヴィクトールと一緒に軍人らしく敬礼してこう続ける。
「ではキリシマ君。また会える日を楽しみにしている」
「えっと、ご武運を」
颯谷がそう言うと、トリスタンは小さく微笑んだ。そして背を向けて歩き出す。颯谷に一礼してから、ヴィクトールがその後ろに従った。
トリスタン「私は死なんよ。フリ〇レンの第二期を見るまでは!」




