新居
12月の半ば、ついに新たな桐島邸が完成した。今回は家だけでなく内装もお願いしていて、つまり家具家電が一式揃った状態での引き渡しだ。完成した新居の各部を見て回りながら、颯谷と玄道は「へえ」とか「ほう」とか「はあ」とか呟いた。
新居の総床面積は、以前よりもむしろ少し広くなっている。つまり当面使い道のない部屋もいくつかある。将来的な増改築は考えなくて良さそうだが、その反面掃除が大変そうだなとも思った。
新居は全体として落ち着いた雰囲気になっている。内装は(工務店を介してだが)デザイナーに依頼しており、お洒落でありつつも突飛な感じがなく、統一感のある装いになっていた。玄道は特に畳が敷かれたスペースが気に入ったらしく、「落ち着く」と話していた。
また今回建てたのは、実は家だけではない。新居の隣、今まで納屋があった場所に、車庫を建てたのだ。車庫と言っても以前と同じく納屋と兼用だが。駐車スペースは車二台分だが、引っ越しの際に納屋をかなり整理したおかげで、建物の大きさ自体はあまり変わっていない。
さらに車庫兼納屋の二階に、颯谷はトレーニングルームを設置した。「道場」と呼ぶには少々狭いが、先輩門下生からも話を聞き、こういう部屋があった方が良いだろうと思ったのだ。機材はまだ何もないが、これから色々と揃えていく予定である。
さて、新居の引き渡しに合わせて、颯谷と玄道も引っ越しを行う。持っていくべき私物はそれほど多くないのだが、金棒などの仙具が入った木箱を二人で運ぶのは大変ということで、今回も引っ越しは業者にお願いした。
とはいえすべてを業者に頼めたわけではない。中でも一番大変だったのはマシロたちを連れていくことで、頑としてコタツから出ようとしないワンコどもを追い立てるべく、颯谷は窓を全開にして外の冷気をお見舞してやった。
「鬼ぃ!」
「悪魔ぁ!」
「人でなしぃ!」
とでも言いたげな顔をする三匹を連れ、颯谷は新居へ向かう。それもわざわざ歩きで。「しもやけになっちゃう」みたいな顔をしていた三匹だったが、新居でコタツを発見するとたちまち破顔。頭から突っ込んでいた。
さて新居の引き渡しと引っ越しが終わると、次にやってきたのはAO入試の合格発表。颯谷も十中八九は大丈夫だろうと思っているのだが、それでもはっきりするまではなんだか落ち着かなかったし、いざその時を迎えると緊張する。
「合格だ」
合格発表当日、放課後に担任教師からそう告げられると颯谷は大きく息を吐いた。喜びよりは安堵の気持ちの方が強い。ともかくこれで大学に進学できる。将来が一つ定まったことで、彼はなんだか足元も固まったような気がした。
「合格、おめでとうございます!」
「ありがとう」
颯谷が一番に合格を伝えたのは木蓮だった。彼女はまるで自分の事のように喜んでくれて、颯谷の顔も自然とほころぶ。それから彼は少し申し訳なさそうな顔になりながら、木蓮にこう尋ねた。
「木蓮の方は大丈夫? いや、大丈夫なんだろうけど……」
「はい。模試もそこそこ取れてますし。まずは共通テストですねっ。わたしも頑張ります」
ふすんっと鼻を鳴らし、木蓮は可愛らしく気合を入れた。そしてふと思い出したような顔をして、颯谷にこう尋ねる。
「そう言えば、颯谷さんって共通テストはどうするんですか? 一応、申し込みはしていましたよね」
「受けるよ。まあ、記念受験かな。あ、そうだ、当日は車で送るよ」
「わっ、ありがとうございます。それなら当日、電車が止まっても大丈夫ですね」
手を叩いて喜びながら、木蓮はそう答えた。冬の東北の天気は荒れがちだ。悪天候のために電車が止まってしまうことも決して珍しくない。そして電車が止まってしまったら、受験生は否応なくその影響を受ける。無論、救済措置はあろうが、そもそも車で送ってもらえるのならそういう心配はしなくて済む。
「当日は迎えに行くよ。早めにね」
「はい。安全運転でお願いしますね」
「『受験会場行き』って張り紙をしておいたら、いろいろ譲ってもらえないかなぁ?」
「ふふ、良いかもしれませんね」
颯谷の冗談に木蓮がクスクスと楽しげに笑う。しかし、その約束が果たされることはなかった。
§ § §
クリスマスの季節が来た。過去二年、颯谷は木蓮のマンションにお邪魔してクリスマスを過ごしている。しかし今年は新築のお披露目も兼ねてという名目で、彼は木蓮を新居へ招待した。
「わぁ、すごい、素敵なお家ですねっ」
広々としたリビングに入ると、部屋の中をぐるりと見渡してから、木蓮は目を輝かせてそう言った。デザイナーに頼んでしつらえてもらった室内のコーディネートは、彼女の目から見ても及第点以上らしい。
今回の建て替えでこだわったのは内装だけではない。目には見えない、断熱にもこだわっている。言うまでもなく、毎年東北の冬は寒い。その寒い冬をなるべく快適に過ごすために重要なのが断熱なのだ。
また以前の家は古い木造住宅。すきま風だらけで、風通しはよかったものの断熱とは無縁にさえ思えた。何しろ、廊下の気温が外気温と大して変わらない時もあったほどである。そういう家に住んでいたものだから、正直内装よりも断熱にこだわった。
『では、外断熱にしてみますか?』
建て替えの相談をした時、工務店から提案されたのが「外断熱」だった。普通、断熱というと柱の間に断熱材を入れる「内断熱」が多く採用されるが、どうしても隙間ができるために気密性が下がるというデメリットがある。
一方で、断熱材で建物を包み込んでしまうのが外断熱。気密性や防湿性が高く、家が長持ちすると言われている。反面、外壁が分厚くなり敷地や間取りにその分の余裕が必要になってしまう。またお値段の方も内断熱より割高だ。
『要するに家が着ぶくれするってことか』
颯谷はそんなふうに理解した。とはいえ今回は、そういうデメリットは問題にならない。もともと敷地が十分に広いからだ。また資金の方も問題ない。玄道も特に反対はせず、颯谷は外断熱を採用することにしたのだった。
『断熱材も、良いヤツを使ってください』
「どうせやるなら徹底的に」と思い、颯谷は工務店にそう頼んだ。すると提案されたのはセルロースナノファイバーの断熱材。最近馴染み深くなったその単語が思いがけず出てきて、颯谷はちょっと笑ってしまった。
「その時ついさ、『家に防御力って必要かな』って思っちゃったんだよね。で、次の瞬間には『汚染されてるなぁ』って思った」
「まあ」
颯谷が断熱材を選んだ時のことを話すと、木蓮はおかしそうにコロコロと笑った。それから彼女ははたと思いついたように手を打ち、笑みを浮かべながらこう言った。
「仙樹由来の断熱材を使って外断熱にして、そのうえで氣を通したら、家丸ごと鉄壁の要塞になるんじゃないでしょうか? 颯谷さんの氣の量ならイケると思いますっ」
一体何と戦うことを想定しているのか。あと氣を通しても、普通にドアを開けて入ってきそうな気がするのだが。颯谷は苦笑しつつ、もう少し現実的な視点でこう尋ねる。
「それ、家本体より断熱材の方が高くならない?」
「断熱材も含めたのが家本体のお値段ですよ」
どちらにしろバカバカしいくらい高くなることは、木蓮も否定しなかった。もっとも、本当にやろうものなら駿河仙具はもちろん国防軍からも泣きながら文句を言われるに違いない。冗談は冗談のままにしておくのが良いだろう。
さて、遅ればせながら本日のメニューを紹介しよう。本日は寿司と鍋、そしてデザートのケーキとなっている。寿司は回らないお店に注文し、木蓮を迎えに行く道すがらに受け取ってきた。
鍋はカニを入れようかと思ったのだが、寿司が魚なので肉にした。鶏肉の肉団子が入っている。こちらは完全に手作りだ。ショウガをたくさん入れたので、きっと温まるだろう。ケーキはチョコレートケーキ。こちらも注文だが、日中に受け取って冷蔵庫に入れてある。
「……ところで買い取ったお家のほうはどうするんですか?」
「当面使い道はないし、空き家にしておくのもどうかと思うから、解体して更地にするつもり。ま、春になったらだけど」
「それが良いかも知れませんね」
颯谷の返答を聞いて、木蓮はそう答えた。彼女は武門の娘だが、同時に不動産屋の娘でもある。それで空き家問題の厄介さについては、一般人よりも幾分詳しい。そんな彼女からすると、さっさと解体してしまう方針は好ましく思えた。
お寿司と鍋を食べ終えると、颯谷はケーキを冷蔵庫から出して切り分ける。そしてケーキを食べながらプレゼントの交換をした。今年、颯谷が木蓮に贈ったのはカシミアのストール。ひざ掛けとしても使える品で、「風邪をひかずに試験を乗り切って欲しい」というメッセージのつもりだ。
一方で木蓮が颯谷に贈ったのはネクタイ。大学の入学式は基本的にスーツなので、その時に使って欲しいということらしい。また高校生なら学校の制服を色々な場面で使えるが、大学生になればスーツをその代わりに着用することになる。ネクタイを使う場面も増えるはず、と考えたらしかった。
「ありがとう、木蓮」
「はい。颯谷さんも、ありがとうございます」
「良かったなぁ、二人とも」
プレゼント交換をする颯谷と木蓮を、玄道が微笑ましげに見守る。二人は頷き合うと、こう言ってそんな彼にもプレゼントを贈った。
「あの、じいちゃん。これ、二人から」
「はい。良かったら、どうぞ」
「……お、いいのか? 悪いなぁ……」
気恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに相好を崩しながら、玄道はプレゼントを受け取った。二人が彼に贈ったのはニットの帽子で、玄道は「外に出る時にちょうどいい」と言って喜んだ。ちなみにコレは「二人から」のプレゼントだが、お金を出したのは颯谷で、品物を選んだのは木蓮だ。それを知ると、玄道は木蓮にこう言った。
「受験勉強で大変だったろうに、ありがとうなぁ」
「いえ、全然……。むしろ良い息抜きになりました」
木蓮はやや恐縮しながらそう答えた。とはいえ「息抜きになった」というのは本当だ。彼女は元来あまり勉強を苦としないタイプではあるが、それでも寝ても覚めても勉強ではさすがに嫌気がさしてくる。そんな時にプレゼントを選ぶのはちょうど良い休憩だったのだ。
「数学の息抜きに英語をやるのも、ちょっと限界がありますから」
「……ごめん、勉強の息抜きに勉強って発想がまずワカラナイ」
「そうは言っても、プレゼントは二つしかないんだから、すぐに終わってしまったんでねぇのか?」
「はい、まあ、そうですね。だから本当に机から離れたくなった時は、ちゃんと他のこともしていますよ」
「他の事って?」
「お料理とか、お掃除とか、お洗濯とか……」
「家事ですやん……」
思わずエセ関西弁になって颯谷はツッコんだ。しかしということは、木蓮はここ最近ずっと勉強中心の生活だったのだろう。しかも一人暮らしで家のこともすべて自分でやりながら。今日は家に呼んで正解だった、と颯谷はしみじみ思った。
プレゼント交換を終え、ケーキも食べ終え、それから少しおしゃべりを楽しむと、あまり遅くなる前に颯谷は木蓮を彼女のマンションへ送った。シートベルトを締めてからハイブリッドSUVを発進させる。万が一にも事故を起こさないよう、彼は気を付けてハンドルを握った。
「今日は、ありがとうございました。お鍋もお寿司も、みんな美味しかったです」
「そう、良かった。少しはリフレッシュできたなら良かったんだけど」
「はい。またお勉強頑張れそうです」
弾むような口調で木蓮はそう答えた。そしてこう付け加える。
「ひざ掛けも、使わせてもらいますね」
「ああ、うん、是非」
ストールなんだけどなぁ、と内心で思いながら颯谷はそう答える。まあ、ひざ掛けとしても使えるストールなので間違ってはいないのだが。それでも口元に浮かんでしまった苦笑は、暗い車内で木蓮には目撃されずに済んだはずだ。
木蓮のマンションの前に車を停める。彼女はシートベルトを外したが、しかしなかなか車から降りない。颯谷は「どうしたんだろう」と内心で首を捻り、そしてふと閃く。彼はごくりと唾を飲み込んでから、躊躇いがちに木蓮にこう話しかけた。
「あのさ……」
「はい」
「……キス、しても、いい?」
「……はい」
暗い車の中、街灯の明かりを頼りにして、二人はそっと唇を重ねた。
マシロ「しもやけになっちゃう」
ユキ「凍傷になっちゃう」
アラレ「風邪ひいちゃう」
颯谷「野性どうした」




