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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
高校三年生

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172/205

ドライブと悪い知恵


 十月の初め、房総半島異界に征伐隊が突入したほんの数日後、颯谷はかねてから話していたドライブに木蓮を誘った。免許を取ってからだいたい一か月。運転にも慣れてきたし、紅葉も深まってきた季節ということで、ちょうど良いかと思ったのだ。


「木蓮。ちょっといい?」


「はい。何でしょうか?」


「前に話してたドライブ、そろそろどうかなって思ってるんだけど、どう?」


「わっ、行きたいです! いつにしますか?」


「予定は木蓮に合わせるよ。いつがいい?」


「そうですね……。今週末は……、あ、ちょっと予定が……。来週末の土曜日なんてどうですか?」


「うん、大丈夫。じゃあ、そうしよう」


 颯谷は二つ返事でそう答えた。ちなみにその日、予定らしい予定はないのでスケジュール調整の必要はない。そしてデートプランの立案は颯谷に一任された。木蓮は受験勉強で忙しく、さすがにその時間がなかったのである。


「じゃあ、受験勉強の息抜きになるようなプランを考えておくよ」


「はい。楽しみにしています」


 木蓮はころころと笑いながらそう答えた。そして約束の土曜日。気持ちの良い秋晴れの中、颯谷はSUVを運転して木蓮を迎えに向かった。彼女はすでにマンションの外で待っていて、颯谷は彼女の前にゆっくりと車を停めた。ちなみに彼がこの車を木蓮に実際に見せるのはこれが初めてだ。


「ゴメン、待った?」


「いいえ、今さっき出てきたところです。この車、カッコいいですね」


「ありがと。その、木蓮もその服、良く似合ってる」


 颯谷が気恥ずかしそうにそう言うと、木蓮はパッと笑みを浮かべて「ありがとうございます」と答えた。以前、バイクで一緒にツーリングしたときには、彼女はズボンをはいていた。今日はスカート姿で、結った髪には以前颯谷が贈った簪を挿している。そのことに気付いて、彼はちょっと嬉しくなった。


 木蓮を助手席に乗せると、颯谷は車を慎重に発進させた。今日は制限速度を遵守すると決めている。やや緊張した面持ちでハンドルを握る彼の横顔を見て、木蓮はおかしそうに小さく笑うのだった。


 さて、木蓮を連れて颯谷がまず向かったのは小さな洋菓子店。なんでも東京の有名店で修業したパティシエが地元に帰ってきて開いたお店だとか。ネットの口コミの評価が高かったので選んだのが、実際、土曜日ということもあってか店内にはすでに多数のお客さんがいた。何よりショーケースに並べられた洋菓子はどれも美味しそうだ。


「わぁ……。迷っちゃいます」


 そう言って、木蓮はショーケースの前で目を輝かせる。たっぷり時間をかけて迷った末、彼女は和栗のモンブランを選び、颯谷はラズベリーのエクレアを頼んだ。それに加えてさらにマカロンの詰め合わせも購入。店内にはイートインもあるが、二人はそこでは食べずに車へ戻る。そしてドライブを再開した。


 車を走らせ颯谷と木蓮が向かったのは、とある山道に設けられた小さな展望台。駐車場とベンチは整備されているが、観光地としては無名で、今日も土曜日だというのに彼ら二人しかいない。ただだからこそ静かで、ゆっくり出来そうだった。


 そして肝心の眺望だが、かなり良いのではないかと颯谷は思う。展望台からは三陸海岸を一望でき、さらに紅葉も楽しめる。この二つを一緒に楽しめる場所はなかなかレアではないだろうか。晴天に恵まれたおかげか色のコントラストも美しく、木蓮は車を降りて手すりに駆け寄ると思わず歓声を上げた。


「わあ……! すごいですっ」


 木蓮の笑顔に内心でガッツポーズをしつつ、颯谷は車のトランクルームから荷物を取り出した。ちなみにトランクルームはその他にも細長い荷物が入っている。布でグルグル巻きにされた仙樹刀だ。万が一を考えての備えである。


 取り出した荷物も本来は「備え」の類で、征伐隊向けの標準的な背嚢だ。車に入れておこうと思い、追加でもう一つ購入したのである。背嚢をベンチに置き、そこから取り出したのはキャンプで使うようなガスバーナー。颯谷はそれを使ってお湯を沸かし、コーヒーを淹れ始めた。まずは蒸らしだ。


「あ、いい香りですね」


「ドリップパックだけどね。クリープは?」


「いただきます」


 颯谷は一つ頷いてから蒸らし終えた粉へお湯を注いでいく。最後にクリープを入れ、手際よく二杯のコーヒーを淹れると、彼はその片方を木蓮に渡した。次に取り出したのは先ほど購入したケーキ。そう、ここで食べようと思いテイクアウトにしたのだ。


「「いただきます」」


 二人揃ってそう言ってから、彼らはケーキを食べ始めた。ケーキはともかく、コーヒーは全然上等なモノではないのだが、雰囲気込みで美味しく感じる。木蓮も顔をほころばせていて、颯谷はもう一度心の中でガッツポーズを決めた。


 お互いにケーキを半分ほど食べて、それからお約束の一口ずつ交換。ケーキを食べ終えると、次にマカロンをつまみつつ、二人は残っていたコーヒーを啜って一息つく。それから木蓮は颯谷へからかうような視線を向けこう言った。


「モンブラン、美味しかったです。それからコーヒーも」


「お菓子は美味しかったね。コーヒーはまあ、お世辞と思っとく」


「うふふ、例の諏訪部教授の影響ですか?」


「……底の浅いことはするもんじゃないね」


 近くの紅葉に視線を逃がしながら、颯谷はそう答えた。残ったコーヒーを一息で飲み干す。クリープを入れたはずなのにずいぶん苦い。そんな彼の姿を見て木蓮がクスクスと笑う。口の中にはミルクの後味が残った。


「諏訪部教授といえば、何かアイディアを提供されたと聞いていましたが、それはどうなりましたか?」


「ああ、アレね。そろそろモノが来るみたい」


 最近来た諏訪部からのメッセージのことを思い出しつつ、颯谷はそう答えた。ちなみにアイディアの中身について、彼は木蓮にも詳しいことは教えていない。諏訪部から「実際に実験が始まるまでは秘密で」と言われていたのだ。別の誰かが同じ実験を先に始めてしまうことを危惧したらしい。


 ただそれも、そろそろ情報解禁になりそうだ。実験のため特別に注文した設備がようやく完成したのである。来週中には大学へ運び込まれるとかで、諏訪部からは「そろそろ氣功計測用スクロールを貸して欲しい」と連絡が来ていた。


「近々また諏訪部研に行くから。その時にでも、どこまで話していいのか聞いてみるよ」


「はい。楽しみです」


 木蓮はコロコロと笑いながらそう答えた。それから二人は紅葉を眺めながらアレコレと雑談を楽しんだ。話題は次から次に移り変わり、何を話したというわけでもない。ただこうしてまとまった時間を取れたのは久しぶりで、二人は十分に満足できた。


 お昼が近づいたところで、二人はまた車に乗り込み展望台を後にする。来た道を戻って山道を降ると途中に小さな食事処があり、彼らはそこで昼食を食べた。おススメはなんとジビエ料理で、二人は人生初のシカ肉を味わった。お土産に購入したのはイノシシ肉のベーコン。真剣に吟味する木蓮の眼差しが印象的だった。


(いいんだけど、なんか、なんだかなぁ……)


 デートの印象がすべてシカとイノシシに上書きされてしまった感が否めない。一方で木蓮は戦利品イノシシベーコンを手に満面の笑み。颯谷は口の端を微妙に歪めながらハンドルを握るのだった。あと余談だが、ベーコンはうまかった。


 さてデートを楽しんだその翌週の月曜日。学校から帰ってくると、颯谷はまたすぐに家を出た。東北西南大学の諏訪部研へ、氣功計測用スクロールを貸し出しに行くのだ。諏訪部は自分が取りに行くと言ってくれたのだが、家の建て替えに伴うアレコレのため、現在生活している旧河合邸の中はだいぶ散らかっている。人に来てもらうのはちょっと憚られたのだ。


 大学の構内にはまだ人が多くいた。当たり前だが全員私服だ。颯谷も私服に着替えてきたので、紛れてしまうと案外目立たない。誰も彼を高校生だと思っていないようで、彼は変な注目を集めることなく理学部棟の前まで来た。そこで伊田に電話をかけてから、建物の中に入って彼を待つ。しばらくすると伊田がやって来て颯谷に声をかけた。


「よ、今日はありがとさん」


「いえ。ここで渡しましょうか?」


「いや、研究室まで来てくれ。先生がコーヒーを淹れてくれてる」


「それは楽しみです」


 そう言って颯谷は顔をほころばせる。そして伊田に連れられて諏訪部研に向かった。研究室に近づくと、コーヒーのいい香りが漂ってくる。伊田がドアを開けるとちょうど諏訪部が粉を蒸らしている最中で、彼は颯谷に気付くと柔らかい笑みを浮かべてこう言った。


「こんにちは、桐島君。今コーヒーを淹れるので、少し待っていてください」


「あ、はい。ありがとうございます」


 そう答えてから、颯谷は空いていたオフィスチェアに座った。研究室の中には伊田の他にも学生が数名いて、それぞれ何か作業をしている。颯谷は少しだけ居心地の悪さを感じた。


「さ、はいりました。皆さんもどうぞ」


 コーヒーを淹れ終えた諏訪部が声をかけると、学生たちがわらわらとテーブルに集まってくる。そして迷うことなくマグカップに手を伸ばした。どうやらそれぞれ自分のカップが決まっているらしい。「カフェ諏訪部と言われるわけだ」と颯谷は妙に納得した。そして自分のコーヒーを一口飲んでから、彼は諏訪部にこう尋ねる。


「……そう言えば、外注した設備ってまだ来てないんですか?」


「はい、残念ながら。到着していたのなら、桐島君にも見てほしかったのですが……」


「あ、でも図面ならありますよ」


 そう言って学生の一人が立ち上がり、机の引き出しからクリアファイルを持ってくる。そしてそれを颯谷に差し出した。彼は礼を言ってそれを受け取り、中のA4用紙に目を通す。ただ正直、図面だけ渡されてもそれが実際にどういうモノなのかはイメージできなかった。そんな彼に諏訪部がこう説明する。


「新しい研究設備は、四方を厚さ12cmの鉄板で覆う構造になっています。プラス2cmにしたのは、まあいわゆる裕度ですね。内部空間の広さはおよそ一畳分で高さは2m。出入口は気密扉になっていて、閉じれば完全に外と遮断されます」


「お~。でも、中は閉塞感がすごそうですね……」


「それはもう仕方がありません。あまり広いと氣を充填させるだけで一苦労になってしまいますし、あまりに大きいと置き場所に困りますから」


 諏訪部はそう言って小さく笑いながらマグカップに口を付けた。ちなみに可能な限り密閉空間を維持するため、電気の配線などは全く行われていない。それで内部にはポータブルの電源を持ち込む予定だという。着々と実験の準備が進んでいることを実感し、颯谷は小さく唾を飲み込んだ。そして今日ここへ来た用件を思い出す。


「あ、そうだ。じゃあコレ……」


 そう言って颯谷はリュックサックから氣功計測用スクロールを取り出した。そしてそれを諏訪部に手渡す。彼はそれを受け取ると「ありがとうございます」と言って微笑んだ。


「そう言えば、桐島君はそろそろAO入試でしたね。準備は進んでいますか?」


「はい。まあ、だいたい」


「半ばスカウトのような形にはなっていますが、あまり油断しないでくださいね」


「ははは、気を付けます」


 颯谷は小さく苦笑しながらそう答える。そんな彼に伊田がニヤニヤと笑いながらこう言った。


「どうせならそのスクロール、受験の時に渡せば良かったんだ。で、その時一緒にこう言うんだ、『不合格通知が来たら、それは返してもらいますからね』って」


 それを聞いて諏訪部研の学生たちは一斉に笑い声をあげた。颯谷としてはどう反応したらよいのかちょっと判断に困る。冗談と分かっているが、圧として本当に有効そうなのが何とも言い難かった。一方で諏訪部はやや渋い顔をしながらこう注意する。


「伊田君。後輩にあまり悪い知恵を授けないでください」


「いやでも先生。実際、桐島君だって不合格くらってまでウチの大学に協力してくれないでしょう?」


 学生の一人がそう答え、視線を向けられた颯谷は曖昧な表情を浮かべた。とはいえ確かに、不合格になったら氣功計測用スクロールは返してもらうことになるだろう。実験は、それこそ駿河仙具でやってもらっても良いのだし。


「先生、根回ししておいたほうが良いんじゃないんですか?」


「勘弁してください。私はそう言うことにアレコレ口出しできる立場ではないんですから」


「またまた」


 学生たちが「やれやれ」と言わんばかりに小さく笑う。最近、理学部には複数の武門や流門から多額の寄付があった。それらの寄付はそれぞれの研究室へ分配されたわけだが、彼らが寄付をした理由が諏訪部研でやろうとしている新たな実験であることは周知の事実だ。そしてその実験のためには、氣功計測用スクロールがどうしても必要である。


 実験の結果として「異界内部環境の疑似的な再現ができなかった」というのであれば、寄付した武門や流門は残念がるとしても納得するだろう。実験とはそういうものだからだ。だがもし、そもそも実験ができなかったとしたらどうだろうか。彼らは「何のための寄付だったのか」と不満に思うに違いない。今後の関係は劣悪になり、寄付など到底望めなくなるだろう。


 だからこそ今現在、理学部内で諏訪部の発言力は高まっていると言える。本人が望むと望まざるとにかかわらず、だ。そういう事情を颯谷だけが分かっていなかった。


「良かったら、後で飲んでください」


 帰り際、諏訪部はそう言って颯谷に紙袋を手渡した。中を覗いてみると、中に入っていたのはコーヒーの粉。諏訪部が焙煎した豆を、さらに手ずから挽いてくれたのだという。颯谷は礼を言ってそれをリュックサックに仕舞った。


(あとで淹れ方を調べないと……)


 そんなことを考えつつ、颯谷はエレベーターに乗り込んだ。


伊田「悪い知恵を授けてやるのがセンパイってもんよ」

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― 新着の感想 ―
スクロール貸すときに何かしら契約書交わすシーンが欲しい感 金を積めば手に入るというワケではない逸品を気軽に渡しちゃうリスクに冷々しちゃう
更新ありがとうございます。 実際颯谷くんくらいの能力があれば、面接等の時によっぽど非常識なことを返答したりしなければ、まぁ受かりますよね。 とはいえ、大学に所属する側からは確定的なことは言えない、と…
パイセン、アザーっす
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