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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
高校三年生

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170/205

夏休み


 七月。梅雨が明けた。いよいよ本格的な夏に突入である。そして東北であっても焼け付くように熱い夏空の下、桐島邸の解体工事が始まった。


 すでに旧河合邸への引っ越しは終わっている。引っ越し業者に頼んだのだが、こちらは半日ほどで終わった。荷物が少なかったことと、引っ越し先がすぐ近くだったことが要因だ。荷物の開封や片付けも業者が手伝ってくれたので、思った以上に楽だったというのが颯谷の感想である。


 引っ越し業者が引き上げたあと、颯谷はマシロたちを旧河合邸に連れてきた。今後しばらくは生活の拠点がこちらへ移る。新しい家に慣れさせようと思ったのだ。やはり匂いが違うのか、家の中にはいると三匹はどこか落ち着かない様子。それでダンボールといつも使っているタオルでスペースを作ってやると、三匹はようやくホッとしたようだった。


 そしてついに、桐島邸の解体工事が始まる。工事が始まるその日の朝早く、玄道と颯谷は長年暮らしたその家の中をぐるりと見て回った。色々と荷物を運び出した後なので、生活感はもうあまりない。だが部屋を見て回れば、思い出が溢れてくる。颯谷がふと隣を見れば、玄道は目を潤ませていた。


(そっか、そうだよな……)


 颯谷がこの家で暮らしたのはほんの数年程度。だが玄道は何十年という時間を、人生の半分以上をこの家で過ごした。彼はこの家で結婚し、子供をもうけて育て、そして巣立っていくのを見送ったのだ。思い出の量で言えば、颯谷の比ではない。


「じいちゃん、写真撮ろうよ」


 颯谷は玄道にそう声をかける。計画は進んでいて、今更工事の中止はできない。だが写真を撮って、在りし日の姿を残しておくことはできる。そうすればその写真が思い出のよすがになるのではないかと思ったのだ。


「そうだなぁ、そうするかぁ……」


 玄道もそう答えたので、颯谷はスマホを取り出した。そしてたくさんの写真を撮った。家の中でだけではなく、家の外観や庭、裏山も写真に収めていく。あとでプリントアウトしてアルバムにまとめようか。そんなことを考えた。


 写真を撮りながら颯谷がふと思い出したのは、父の遺品であるアルバムの事。父がたくさん写真を撮ってはせっせとアルバムにまとめていた理由が、少し分かったような気がする。父も思い出を形にして残しておきたかったのではないだろうか。そうすることで「確かにあったんだ」という確信が欲しかったのではないか。そんなふうに思えた。


 家の敷地の中に、解体業者のトラックや重機が入ってくる。その音で颯谷は我に返った。ノスタルジックな感傷は唐突に打ち切られ、目の前には現実がやってくる。その無遠慮さに感じた小さな怒りを、颯谷は口の端をわずかにゆがめて散らした。


「それじゃあ、よろしくお願いします」


 玄道と颯谷はそう言って、揃って解体業者に頭を下げた。業者の方も一礼し、それからヘルメットを被って作業に入る。まずは残った家具や畳などを運び出す作業だ。その場にいても何もすることはないのだが、それでもやはり離れがたいのだろう。玄道はじっと、その作業を見守っていた。


 車庫兼納屋も含めた解体工事は三日で終わった。更地になった自宅跡を見ると、颯谷も少し物悲しい気分になる。それを深呼吸と一緒に吐き出し、彼は連れてきたマシロたちを裏山へ放った。駆けていく彼女たちの後姿はいつもと変わらない。颯谷はそのことに少し安心した。


 もっとも、解体工事が終わってすぐに次の工事が始まるわけではなかった。諸々の申請や資材の調達などの準備がまだ終わっておらず、着工はおよそ二週間後ということになった。そのスケジュールで颯谷たちに不都合はないが、工事が始まるのは最も暑い時期ということになる。大工さんたちは大丈夫だろうか、と颯谷はちょっと心配になった。


「飲み物でも、差し入れるか」


「いや、でも毎日? 面倒じゃない?」


「まとめ買いしておけばいいじゃろ」


 玄道がそう言うなら、颯谷にあえて反対する理由はない。ちなみに工事業者も熱中症対策はしっかりと考えていて、プレハブの休憩室を設置して空調の利いた中で休めるようにしていた。プレハブの中には冷蔵庫もあって、そこにスポーツドリンクやら麦茶やらを毎日入れておくのが、工事中の玄道の日課になった。


 さて、建設工事の着工と前後して、颯谷と木蓮は夏休みに入った。ただ一般に、大学受験を控えた高校三年生に夏休みなどあってないようなモノ。二人が通う私立葛西南高校でも夏休みの間、三年生を対象にした受験のための補習が毎日予定されている。


 木蓮はその補習に申し込んでいて、御盆を除いたほぼ毎日学校へ行く予定だ。一方の颯谷は、少し悩んで補習は受けないことにした。私立東北西南大学理学部自然科学学科のAO入試でほぼほぼ確定を貰っているというのがその理由だ。


 代わりに彼が予定しているのが、自動車の免許取得だ。正直、合格を貰ってからにしようかとも思ったのだが、そうすると季節は冬になる。教習所までバイクで通うのは難しい。教習所の巡回バスは家の近くまで来ないのだ。


(まあ最寄り駅には来るから、そこから乗っても良いんだけど……)


 とはいえせっかくバイクがあるのだからバイクを使いたいというのが、颯谷の正直なところである。そしてバイクの使用を前提にすると、夏休みに取ってしまうのが一番都合がいい、というわけだった。


「油断しすぎ、とは言えないのが、ちょっとズルく思えてしまいますね」


 苦笑しながらそう感想を述べたのは木蓮である。本来なら彼女の言う通り「油断しすぎ」であろう。ただオープンキャンパス以来、諏訪部とのやり取りは続けていて、彼からもらっている情報も勘案すれば、AO入試で颯谷が合格できる確度はかなり高い。それを踏まえて考えれば、補習に出るのが無駄に思えてしまうのも無理はなかった。


「桜華さんは普通に受験したとして、正之さんってスカウトっぽいのがあったの?」


「お兄様の場合、征伐隊に入ったのは大学生になってからですから。受験の時点ではまだ能力者ですらないですし、確約がもらえるほどの強力なアプローチはなかったと思いますよ」


 颯谷の問いかけに、木蓮は当時のことを思い出しながらそう答えた。ただし当時の彼女はまだ中学生。突っ込んだ話は耳に入っていなかった可能性もある。正之が有力武門駿河家の後継者であることは周知であったはずで、そのことを勘案すれば地元の大学がスカウトに動いたことは十分に考えられる。今度聞いてみようかな、と颯谷は思った。


 ともかくそんなわけで、颯谷は夏休みを利用して自動車の免許を取ることにした。とはいえそれだけにかかりきりになるわけではない。千賀道場での鍛錬はこれまで通りに続けている。


 千賀道場と言えば、夏休みに入る直前、颯谷はついに司から剣道で一本取ることができた。彼が道場に通い始めてから三年弱。司と試合をするようになってからだと、だいたい二年半。素振りもままならなかった素人が、ついに全国レベルの剣士から一本取れるまでに成長したのである。


『ああ、もう! 悔しいぃぃ!』


 一本取られた司は、面を取ると地団駄を踏んで悔しがった。颯谷は一度大きく喜んだが、それで調子に乗ったりはしない。彼としては、半分は実力だとして、もう半分はまぐれだと思っている。それでもちろん嬉しいのだが、どこか他人事のようにも感じた。それで火をつけられたのは、どちらかというと司の方だった。


『また鍛え直さないと。今年こそ全国制覇するんだから』


 そう宣言し、彼女はこれまで以上に竹刀を振り込むようになった。また、半分まぐれでも一本取れる程度には成長した颯谷は練習相手としてちょうどいいらしく、道場で彼を見つけては立ち合い稽古を重ねている。ちなみに司の勝率は九割以上で、颯谷はフルボッコの状態だった。


『油断すると負けちゃうくらいの実力があって、でもちゃんと集中していれば勝ち癖をつけられる。颯谷さんって、練習相手として最適だよね!』


『え、オレってカモられてんの?』


 なかなかヒドい評価だが、まあそれはそれとして。司と立ち合い稽古を重ね、黒星(ごくまれに白星)を積み上げていく中で、颯谷はとあることに気付いてしまった。そのことを彼は恐るおそるこう口にする。


『司って、全国制覇できなかったって言うけど、それって個人戦、それとも団体戦?』


『どっちも。だからどっちも勝ちたいんだよね』


『司に勝てるレベルの女子高生がいるのか……。おっかねぇ……』


 その事実に颯谷は戦慄した。わざとらしく身体を震わせる彼に、司は冷たい視線を向ける。そしてこう文句を言った。


『花の女子高生におっかないとか言うな。それに、去年は確かに負けちゃったけど、そこまで実力差があるわけじゃないから。当日のコンディションとかもあるし、とにかく強いとか弱いとか一試合で分かるようなことじゃないから』


 少し早口になりながら、司はそう語った。颯谷は「分かっているぞ」と言わんばかりに大きく頷き、真面目腐った顔でこう答える。


『悔しかったんだな、お嬢』


『お嬢言うなっ!』


 その後、颯谷は立ち合い稽古でボコボコにされた。さてそんな司との立ち合い稽古だが、夏休みに入ってからは頻度が減っている。合宿など、司の部活動が忙しくなったのだ。また夏休みということもあり、颯谷が道場に来る時間は司の部活の練習と重なることが多く、自然と頻度は減ってしまったのである。


 とはいえ、颯谷も司との立ち合い稽古だけを目的に道場へ通っているわけではない。他にもやるべきことや学ぶべきことはあり、彼は道場で地道な鍛錬を続けていた。また道場は他の能力者との交流の場所でもある。そして今現在、能力者界隈で話題になっているのは、颯谷も関わった天鋼製仙具の改良に関わる事柄だった。


 颯谷も関わったその技術は、駿河仙具と仁科刀剣が共同で特許を申請している。それが瀬戸内異界が顕現する少し前のことで、八月一日付で特許が取得された。それ以前から天鋼製仙具の画期的な新技術についての噂は界隈に出回っており、特許取得を契機にして一気にその注目度が高まったのだ。


「で、またお前さんが関わってるっていうね」


「後輩の夢を応援してあげただけですよ」


「横から搔っ攫ったの間違いじゃねぇの?」


「夢を破ったわけじゃないんだから、十分に応援ですよ。そもそも仁科刀剣だって権利を持っているわけですし」


 やや呆れ気味の先輩門下生に、颯谷は心外そうな顔をしながらそう答えた。駿河仙具も仁科刀剣も、特許を取得するまで迂闊なことは話せなかった。それは彼も同じだ。ただ特許を取得したことで、技術と直接関係のない、制作秘話的な事柄は話せるようになった。その中で颯谷が関わっていることも知られるようになったのである。


「真面目な話、マジで一級品を作れるようになったの?」


 真剣な顔でそう尋ねる先輩門下生に、颯谷は大きく頷いて答えた。ただし一級相当の場合は「製作した本人のみ使用可能」という制約がある。万人が使えるモノだと、今のところは二級相当が限界だ。颯谷はそのことも説明したが、先輩門下生たちに落胆した様子はない。むしろ圧を強めながらこう詰め寄った。


「で、どうすれば手に入る?」


「あ~、タケさんの話だと、まだ一般向けの提供は開始してないそうなんですよ。今はまだライセンス契約を締結する工房を募集している段階だとかで」


 やや気圧され気味になりながら、颯谷は先輩らにそう答えた。練氣法を応用した新技術は、しかしだからこそ機械化できない。大量生産には向かないわけだが、その一方で需要は膨大だ。とてもではないが、駿河仙具と仁科刀剣で賄えるものではない。


 となれば方法はただ一つ。多数の工房とライセンス契約を結ぶことだ。今はその工房の募集中だという。ちなみにライセンス料は定額制ではなく、売り上げに応じてその一部を支払うという形にしたらしい。ただ重要なのは、工房の数だけではない。今回の新技術では道具もまた重要になってくる。


『ハンマー、大丈夫なんですか?』


 電話で特許の話をしたとき、颯谷は剛にそう尋ねた。試作品を作った時には、彼が持つ一級品のハンマーを使って短刀を打った。もちろん必ずしも一級品のハンマーを使う必要はないだろう。だが「練氣法を使いつつ氣を叩き込む」以上、仙具のハンマーを使う必要がある。そして「どれだけ氣を叩き込めるか」は完成品の質を左右しえる。


 また一般に氣の通りの悪い仙具は使う際にストレスになり、それは集中力をそぐことが懸念される。そういうことを併せて考えれば、三級よりは二級、二級よりは一級のハンマーを使うことが望ましい。


 だが一級品はもちろん、二級品であっても保有している工房はほぼないと言って良い。なぜなら二級以上の仙具は基本的に異界征伐のための装備だからだ。だからある工房で一級または二級相当の天鋼製仙具を作ろうとする場合、まずはハンマーを用意するとこから始めることになる。


 顧客が二級か一級品のハンマーを持っていれば、それを使うことができるだろう。だが毎度それを期待するのは現実的ではない。やはり工房で二級相当以上のハンマーを持っておくことが望ましいだろう。逆に言えば、多数の工房とライセンス契約を結んでも、それらの工房がハンマーを用意できなければ、需要は満たせない。ではそのハンマーをどうするのか。剛はこう答えた。


『仙樹鋼で作ったハンマーが使えそうだ。実際に使って作ってみて、出来栄えは悪くない。まずはコイツを量産して対応する』


『へぇ……。もうできたんですね』


『うむ。数馬君が頑張った』


 ちなみに数馬が頑張った理由の一つは、質の良い天鋼製仙具が普及すれば、巡り巡って自分の仕事が減ると考えたからだ。とはいえ激務に違いなく、彼は現役時代でもお世話にならなかったエナジードリンクと栄養ドリンクをキメながら仕事をしていたとか。ともかくこうして新技術を広める下地はできあがった。


「まあそんなわけなんで、もう少し待ってください」


 颯谷はそう言って先輩門下生たちをなだめる。同時に胸の内で考えるのはこの技術が広まったさらにその先の事。きっと氣功能力を持つ鍛冶師という存在が、どうしても必要とされるだろう。その候補として思い浮かぶのは後輩の姿。もしかしたら征伐隊で彼と肩を並べる日はそう遠くないかもしれない。颯谷はそんなふうに思うのだった。


颯谷「天鋼製の二級ハンマーを作って対応するという手もある気が……」

剛「それだとほら、ウチの売り上げにならないから」

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― 新着の感想 ―
気の整流技術はまだ特許を取ってないのかな
実際の話仙樹鋼と天鋼ってコスト的には結構違うんですかね?
『ああ、もう! 悔しいぃぃ!』からところどころカギカッコ「」が二重カギカッコ『』になってるのは意図的なものでしょうか? 特にパターンが読み取れないので、何かの間違いぽい?
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