桐島、家を買う2
梅雨に入った。ただ梅雨のはじめというのは、それほど雨は多くない。雨が極端に多くなるのは梅雨の末期。それで河合家では雨がひどくなる前に家の整理を終わらせようとしているらしかった。
家の整理は桐島家でも進んでいる。河合家の事情は分からないが、桐島家ではかなり割り切った整理の仕方をしていた。家から持ち出すのは本当に必要な物とよく使う物だけ。後は家を解体する際、一緒に処分してもらうことにしている。まあそれでも手間はかかるのだが。
物品の整理は玄道が主に行っている。颯谷も手伝っているが、なにぶん古い家だけあって物が多い。なんだかわけの分からないモノが次から次へと出てくる。ちょっとした発掘調査でもしているような気分だ。
ただ前述したとおり、そういうモノはすべて処分する予定なので、整理は案外サクサクと進んでいる。物が多いので時間はかかるが。とはいえ玄道と颯谷がやるべきは家の整理だけではない。何よりも家を建て替えるその手はずを整えなければならないのだ。
実際の工事諸々は、当然ながら工務店にお願いすることになる。お金の心配はないのだから、あとは信頼できる工務店を見つけて仕事を頼めばいいだけだ。ただしこれは建て替えである。次にどんな家を建てるのか、その具体的なプランは玄道と颯谷でじっくりと話し合わなければならない。
「じいちゃん、これなんかどうかな」
工務店からサンプルとして渡された平面図の一つを、颯谷は玄道に見せる。今の家と比べると、かなりコンパクトな設計だ。とはいえ二人で住むには十分だし、客を泊めるゲストルームも用意できる。もちろん細かい要望は幾つかつけるが、基本はこれで良いのではないかと、颯谷としては思う。だがその平面図をじっくりと見た玄道はこう答えた。
「少し、狭くないか?」
「いや二人だし。十分でしょ?」
「うぅむ……、将来のことを考えると、なぁ」
少し困ったように苦笑を滲ませながら、玄道はそう答えた。「将来のこと」と言われて、颯谷は小さく首をかしげる。そして祖父の言わんとしていることを理解して「あ」と声を上げた。もしかしたら、顔が少し赤くなっていたかもしれない。
玄道が言う「将来のこと」とは、つまり木蓮とのことである。明け透けに言うなら、「木蓮と結婚して一緒に住むことになった場合、そしてさらに子供も生まれたりした場合、この間取りでは手狭ではないのか」と、そう言っているのだ。
(そんなこと言われても……)
と思う反面、颯谷は「そういうことも考えなきゃなのか」とも思う。何しろ一度家を建てたら、その家に四十年五十年と住み続けることになるのだ。本当にそうなるかはともかくとして、今はそういうつもりで考えている。つまりどんな家を建てるのかを考えるということは、自分の将来について考えるということでもあるのだ。
「手狭になったら、その時に増改築するとか、それこそ河合さんのところにまた新たに建てるとか、いろいろ手はあると思うぞ」
「う~ん……、それだったら最初から大きく作った方が良いような……」
大は小を兼ねるというし、と颯谷は心の中で続けた。手狭になると物理的に困るが、家が広くて困るのは掃除が大変なことくらいだ。いやそれも本当に大変なのだが。とはいえ増改築だの、新たに建てるだの、そんな話よりはずっと規模が小さくて済む。
颯谷は改めて平面図のサンプルをテーブルの上に並べてみる。部屋の数を数えてみると、現在の家と同じくらいの大きさなのは一つ。最初に選んだサンプルと見比べてみると、やはりかなり広いように思えた。
「まあ、そんなすぐに決めなくても良いじゃろ」
難しい顔をしながら平面図を見比べる颯谷に、玄道はそう声をかける。颯谷は一つ頷くと、サンプルをテーブルの上に投げ出した。そしてため息を吐きながら書類を片付ける。ともかくだいたい二つまで絞れたのだ。今日はここまで、ということにした。
そして翌日。建て替える家のことについて、颯谷は木蓮にも相談してみた。玄道にあんなことを言われたせいで、正直彼女にこの話をするのは気恥ずかしい。だがしないのもどうかと思うし、また彼女なら自分とは違う視点から意見をくれるかもしれない。それで颯谷はなるべく平静を装いながら、木蓮にこの話題を振った。
「…………って感じなんだけど、どう思う?」
「どう、と言われましても……。最終的には颯谷さんの判断だと思いますよ」
「それはそうなんだけどさ。家の建て替えなんてオレは初めてだし、木蓮なら何か具体例を知ってるんじゃないかなぁ、って思ったんだけど」
「そうですね……。分家筋の方の例でよければ、幾つか聞いたことはありますけど……」
過去に聞いたエピソードを思い出しながら、木蓮がそう答える。颯谷は身を乗り出して食いついた。
「お、どんな話?」
「わたしもそんなに詳しいことは……。……あ、でも今の段階で増改築を考えているなら、最初から大きい家を建てた方が良いかもしれません」
「ほほう、それはどうして?」
「工務店にもよるとは思いますが、増改築したそのつなぎ目の部分で問題が起こることが多いみたいです。その、雨漏りとか」
「ああ、なるほど……」
きっと隙間が空いたりとか、そういうことがあるのだろう。颯谷は勝手にそう納得した。それからさらにこう尋ねる。
「武門とか流門で、特有のあるあるみたいなのって、あるの?」
「う~ん、ウチもそうですけど、特に武門の本家は私的な道場が併設されている場合が多いですね。分家の方も使われたりしますし。あとはやっぱりお客様が多いですから。対応するためにも、家は広くなりがちだと思います」
トイレが二つは当たり前で、場合によってはお風呂やキッチンも二つあったりするという。ほとんど二世帯住宅みたいなモンだな、と颯谷は思った。
「それからあった方が良いと思うのは、仙具の保管室ですね」
「ああ、駿河家にもあった……」
「いえ、あそこは保管室というか、本当に物置で……。征伐で使う装備品の保管室です。特に一級仙具は高価ですから」
「盗難対策?」
「それもあります。ウチの場合、ドアは鍵付きでしたし。もっとも、これは子供が入らないようにっていうのもあるんですけど……。あとは純粋に品質管理のためですね。ウチは基本的に空調付けっぱなしでした」
「なるほどねぇ……。そういう部屋も必要ってことか……」
そう答えながら、颯谷は内心で「これは難しい問題だ」と呟いた。仙具の保管室は確かに必要だろう。だがどれくらいの広さにするのか。それはつまるところ、「どのくらいの仙具を保管しておくのか」ということに左右される。そしてそれは、「この先どのくらい征伐隊に入り続けるのか」という問題でもあるのだ。
(う~ん、保留!)
颯谷は内心で早々に保留を宣言した。今この場で考えても、間違いなく答えは出ないと思ったのだ。ともかく「そういう部屋が必要」というだけで今のところは良いだろう。そう思いながら、彼は木蓮にさらにこう尋ねた。
「他にも、そういう特別な部屋ってあるの?」
「特別かは分かりませんが、食糧庫がある家って結構多いですよ」
「食糧庫?」
「はい。冷蔵庫を使うかはそれぞれですが、台所に近くて、比較的涼しいお部屋ですね」
「そりゃそうだろうけど……。なんでまた……」
「災害に備えて、ですね。武門だと、異界顕現災害がやっぱり念頭にあると思います」
「ああ、巻き込まれると、外から食料が入ってこないから……」
異界顕現災害が厄介なのは、増援と補給を受けられないから。そのための日ごろからできる対策の一つが、そういう食料の備蓄なのだろう。なにしろ食料が尽きては戦うことさえままならなくなる。
実際、異界顕現災害のおり、多数の住民が内部に飲み込まれた場合、居合わせた能力者たちは巧遅よりも拙速を貴ぶ。それはもちろん被害を最小限にとどめるためだが、同時に食料があるうちにケリをつけるという意図もあるのだろう。
(仙果だけじゃ、足りないだろうしなぁ……)
閉鎖区間で食料が足りなくなったら、最悪暴動が起きかねない。そのレベルで食料が不足したら、正直個々の家庭で備蓄しておいても無意味だと思うのだが、それでも何もしないわけにはいかないのだろう。それに能力者の腹を満たすことが征伐の第一歩であることは間違いないのだ。
加えて食料の備蓄が必要になる災害は異界だけではない。颯谷も過去に一度、大雪のために外に出られず、冷蔵庫の中が空っぽになった経験がある。あの時は乾麺や缶詰も食べつくしてしまい、本当に一食や二食抜くことになるかもしれないと覚悟したモノだ。
「食糧庫は前向きに検討するとして……。他にもまだ何かある?」
「その……、バリアフリーにしておくと、良かったと思うことが、あるかもしれません……」
少々、いやかなり言いにくそうにしながら、木蓮はそう答えた。颯谷は苦笑してしまったが、しかしこれも大切なことだ。例えば足に障害を負って引退した場合、家の中がバリアフリー化してあって段差が少なければ、それは確かに生活しやすいだろう。
「あれ、でもいうて駿河家って結構段差があったような……」
「ウチは結構古いですから。分家の方がそういうリフォームをしたことがあると、前に聞いたことがあって……」
やはり少し言いにくそうにしながら木蓮はそう答えた。その家にはきっと下半身に障害を負って損耗扱いになった人がいたのだろう。そして能力者社会全体で見れば、そういう話は珍しくもなんともないに違いない。
この場でそういう例を持ち出すというのは、「お前もそうなるかもしれない」と暗に告げていることになる。颯谷が気分を害するかもしれず、だから木蓮は言いにくそうにしているのだ。彼はそれを察した上で、あえて気付かないふりをしてこう答えた。
「そうだなぁ……。まだ大丈夫だけど、じいちゃんも足腰は弱っていくだろうし。少なくとも一階はバリアフリーにしておくと良いかもなぁ」
「はい。それが良いかもしれません」
颯谷の意図に気付いたのだろう。木蓮は少しほっとした表情を見せて颯谷に同意した。その後、木蓮はさらに思いつく限りのことを話してくれた。その中には武門特有の事情もあればそうでないモノもある。むしろ比率としては後者の方が多いように思えた。
「……これも聞いた話なんですけど、家を建て替えることにして色々と調べたら、何十年も前に敷地内にあった小さな川を勝手に埋め立てたことが発覚して、お役所に怒られたなんてこともあったみたいですよ」
「きっと邪魔だったんだろうなぁ……」
苦笑を浮かべながら颯谷はそう答える。同時に「ウチは大丈夫だろうか」とちょっと心配になった。「あとでじいちゃんに聞いておこう」と彼は思うのだった。
さて六月の末。河合邸の売買契約を結ぶ日が来た。颯谷が要望したとおり、専門家が間に入って書類を作製してくれている。また諸々の手続きもすべて行ってくれることになっていた。
提示された金額は、土地・建物・その他費用すべて合わせて225万円。数字自体はあらかじめ聞いていて「それで良い」と返事をしていたので、説明を聞いてから颯谷は契約書にサインをした。そして実印を押す。ちなみに実印を使うのはこれが初めてだった。
二部作製した契約書を、それぞれが受け取る。後日、颯谷は指定された口座へお金を振り込み、そして河合邸の鍵を受け取った。これで名実ともに、河合邸の所有権は颯谷のものだ。
(さて、これから忙しいぞ……)
颯谷は心の中でそう呟いた。まずは工務店との話を決めなければならない。そして解体の日取りが決まったら、それに合わせて引っ越しだ。そちらの業者も手配しなければならないだろう。
やることが多くて頭がこんがらがりそうだ。だが玄道に焦った様子はなく、彼は落ち着いて物事に対応していく。その様子を見て、颯谷は思わず「さすが年の功……」と呟くのだった。
木蓮「大きい家がいいと思います」




