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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
高校三年生

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オープンキャンパス4


「あ、颯谷さん。こっちです!」


 理学部棟の外へ出ると、颯谷が向かったのはあのカフェのような雰囲気の学食。その建物の前にはすでに木蓮がいて、彼に気付くとパッと笑顔を浮かべて大きく手を振った。そんな彼女のもとへ、颯谷は小走りになって急ぐ。


「ごめん、待った?」


「いいえ、わたしもさっき来たところです」


 お約束のようなやり取りをして、二人は合流する。そして連れ立って学食の中に入った。営業しているとはいえ、祝日だからか、やはり店内はすいている。やや奥まったところにあいたテーブルを見つけ、二人はそこに席を取った。


 学食はレストランではない。だから注文を取りに来るウェイターやウェイトレスはいない。自分で注文しに行かなければならない。それで二人はテーブルに手荷物を置いてからカウンターに向かった。


 木蓮は紅茶とシフォンケーキを頼み、颯谷はウーロン茶とチョコレートマフィンを頼んだ。お金を支払い、二人はテーブルに戻る。向かい合って座り、紅茶を一口飲んでから、木蓮は颯谷にこう尋ねた。


「理学部は、いかがでしたか?」


「それが思いがけず研究室の見学ができてさ、諏訪部研っていうんだけど、結構面白かった」


「まあ、そうなのですか?」


 目を丸くして驚く木蓮に、颯谷は簡単に経緯を説明する。諏訪部研でコーヒーをご馳走になったことを話すと、「それでウーロン茶だったんですね」と言って木蓮は小さく笑った。


「木蓮の方はどうだった?」


「あ、はい。面白かったですよ。幾つかのゼミについてお話も聞けました」


 余談になるが、「ゼミ」と「研究室」は似て非なるモノだ。詳しい説明は省くが、基本的に文系が「ゼミ」で、理系が「研究室」だと思っておけばよい。


「法学部って、法律の勉強をするんだよね? じゃあ、ゼミって何をするの?」


「法律の勉強ですよ。ただ法律と言っても色々な側面がありますから。ゼミではそれぞれテーマを決めて勉強したりディスカッションしたりするんです」


 そう言って木蓮は今日の見学で貰った資料を颯谷に見せた。少し目を通して見ると、難しそうなテーマがずらりと並んでいる。正直、目が滑る感じだ。彼のその様子に小さく笑ってから、木蓮はさらにこう続ける。


「法学部の一番の目的はやっぱり司法試験なんですが、その対策についても教えていただきました。やっぱり力を入れているみたいでしたね」


「まあ、一番のアピールポイントではあるよね」


「はい。でも司法試験だけじゃなくて、例えば税理士とか、行政書士とか、そういう資格も取れるみたいなんです。あ、もちろん試験を受けて、なんですけど……」


「そういう資格の試験対策みたいなのもやってる、ってこと?」


「あ、そうです。そうなんです」


 木蓮は嬉しそうに微笑んでそう答えた。法学部にとって司法試験こそが最大のメインイベントであることは間違いない。だが司法試験は合格者の少ない最難関試験でもある。法学部に入ったからといって取れるとは限らないのだ。


 法学部に入っても司法試験に合格できない者もいる。それが現実だ。であればそこに何かしらの手当をする必要があるだろう。その方策の一つが、他の資格についても習得を支援するということであるらしい。


 木蓮は司法試験に合格して弁護士になることを目指している。とはいえさすがに「絶対大丈夫!」と考えているわけではない。次善策として他の資格を取ることは最初から考えていた。そしてこの大学の法学部なら、学部としてそれを支援してくれる。


「正直、ここを第一志望に決めてしまおうかと思うのですが、颯谷さんはどうですか?」


「オレもそうしようかな。諏訪部研は悪くなさそうだったし、ここなら家から通えるし」


 颯谷がそう答えると、木蓮は小さく頷いた。こうして二人はそれぞれ私立東北西南大学を第一志望とすることを決めた。なお颯谷がこの決定を下すにあたり、諏訪部が入れてくれたコーヒーがどの程度影響したかは、本人だけが知っている。



 § § §



「異界内の環境の疑似的な再現」。そのアイディアを颯谷から聞くと、諏訪部はすぐに動いた。ゴールデンウィーク明け、諏訪部はまず理学部の学部長室へ向かう。そして颯谷に研究室を見学させたことと彼から聞いたアイディアについて話した。


「なるほど。確かに興味深いお話です」


「学部長ならご理解いただけると思っていました。つきましてはお願いがあるのですが」


「……新たに予算が欲しいというお話であれば、難しいと言わざるを得ません」


 学部長は渋い顔をしながら諏訪部にそう答えた。実際、理学部の予算はカツカツである。いくら政府がそういう方針を取っているとはいえ、地方大学が学生を集めるのは決して簡単なことではないのだ。そしてそのことは諏訪部も承知している。それで彼はこう答えた。


「予算については私も理解しているつもりです。ただ二つ、お願いしたいのですが」


「……伺いましょう」


「まず一つですが、桐島君をスカウトしたいと考えています。それでもし彼がウチを受験することになったなら、その点ご配慮いただけたら、と」


「有望な学生に声をかけて来てもらうのは良くあることです。もし彼が望むのなら、一定の配慮は考慮しましょう」


「ありがとうございます。もう一点ですが、これから知り合いの武門や流門を回って理学部への寄付を募ってくるつもりです。つきましては、実験のための予算をそこから工面していただきたいのです」


「良いでしょう。ですが結局のところ、諏訪部研にどれだけの予算を回せるかは、寄付していただける金額次第です」


「承知しています。……ただこれは私見なのですが、興味を持つ方は多いと思いますよ」


「そう願いたいものです」


 学部長との話を終えると、諏訪部はすぐに自分の車のところへ向かった。彼は武門や流門に知り合いが多い。氣功能力の研究を進めるにはどうしても彼らの協力が必要だからだ。また伊田のように、彼の教え子である能力者も少なからずいる。


 諏訪部がまず向かったのは篠田家。度々研究に協力してもらっている武門の一つだ。すでに当主にアポは取ってある。車を十分ほど走らせて篠田邸に到着すると、彼はすぐに応接室へ通された。


 余談になるが、武門や流門にとっても諏訪部の研究は有意義だ。例えば専門的に筋力の計測を行い、それをこれまでのデータと比べることで、自分の実力や氣の量を把握する指標になるからだ。それで彼を迎える篠田家当主の表情は友好的だった。


「……それで諏訪部教授。今日はどんなご用件でしょうか。また実験のお手伝いですかな?」


 少々の雑談をしてから、当主が本題に入るよう促す。諏訪部は一つ頷くとこう答えた。


「ええ、それもまたお願いします。ただ今日は、恥ずかしながらお金の無心に参りました」


「それは、また……。一体どういうことでしょう?」


 当主の顔に困惑が浮かぶ。諏訪部が金の無心をするなど、これまでなかったからだ。しかも「金の無心に来た」と言いつつ、少しも悪びれたところがない。当主が困惑してしまうのも当然だろう。諏訪部は大きく頷いてからこう答えた。


「実は先日、桐島颯谷君がウチの学部に見学に来まして。その時に少し話をする機会があったんです」


「ほう。どんな話を?」


 興味を持ったのだろう、当主が身を乗り出す。そんな彼に諏訪部はこう答えた。


「まず桐島君は『仙具に興味がある』と言っていました。ただ仙具の研究は難しい」


「そうですな。特に、異界の中でしか効果を発揮しない仙具を、異界の外で研究するのはほとんど不可能と言って良いでしょう」


「はい。まさしくその通りです。桐島君もそのことは承知していました。その上で、あるアイディアを話してくれました」


「それは……?」


「異界内の環境を疑似的に再現する方法、の仮説、です」


「なんと……! そ、それは一体、どのような……?」


 完全に意表を突かれたのだろう。当主は目を見開いて驚いた。彼は具体的な内容を聞きたがった、諏訪部は苦笑を浮かべて首を横に振る。そしてこう答えた。


「申し訳ありません。今はこれ以上話せないのです。ただ私個人としては、可能性はあると思っています」


「なるほど……。つまり、その実験のためにお金が必要であると、そういうことですか」


「はい。ただそれだけではないんです」


「まだ、何かあるのですか?」


「はい。まず、仮説が正しいのかどうかを判断するには仙具が必要です。先ほど篠田さんがおっしゃったように、『異界の中でしか効果を発揮しない仙具』が。そして桐島君はそういう仙具をちょうど持っていました」


「まさか……」


「そう、氣の量を計測する、あの巻物です。氣功計測用スクロールと呼ぶことになったのですが、このスクロールを貸してもらえることになりました。そしてこのスクロールですが、別の研究のためにも使ってよいと、許可をもらっています」


「……!」


 当主は思わず目を見開いた。諏訪部研では研究の一環として氣功能力の計測を行っている。ただこれまでは握力など間接的な方法でしか氣功能力の計測を行えなかった。だが氣功計測用スクロールがあれば直接的な計測が行えるのだ。


 諏訪部研では嬉々としてその計測を行うだろう。とはいえそのためには能力者の協力が必要だ。そしてサンプルは多いほど良い。ただそうは言っても、対応できる人数には限りがある。


 これを氣功能力者の側から見るとどうか。実験に協力することで自分の氣の量を計測できるのだ。ほぼ全ての能力者がぜひそれを知りたいと思っている。実験への参加は希望者多数になるだろう。となれば選ぶ権利は諏訪部研の側にある。そしていざ選ぶ段階になった時、選抜材料となるのは一体何か。


「いくら、必要なのですかな?」


「まあ、落ち着いてください。私もこの話を聞いた時は正直興奮してしまいました。ですが、全てはまだ仮説です。上手くいかないことも十分に考えられます」


「そうでしょうな。しかし試してみる価値は大いにある」


 当主は真剣な顔をしてそう言った。それを聞いて諏訪部は微笑む。そしてこう答えた。


「実験の意義をご理解いただき、ありがとうございます。それで寄付の話なのですが、一口を十万円として、無理のない金額を理学部の方へお願いしたいのです」


「承知しました。前向きに検討させていただきます」


「よろしくお願いします」


 そう言って諏訪部はクリアファイルに入れて用意してきた寄付用の書類を当主へ手渡した。それを一瞥して当主は小さく頷く。そしてテーブルの上に書類を置くと、ふと話題を変えてこう尋ねた。


「ところで、桐島君はそちらの大学へ進学することになったのですかな?」


「どうでしょう……。学部長からは『配慮を考慮する』との言質をいただきましたが」


「『配慮を考慮する』、ですか……。なんというか、味わい深い言葉ですな」


「確約を出すのもどうかと思ったのでしょう」


「なるほど」


 勉強しなくなる、とでも思ったのだろうか。当主はそんなふうに考えた。とはいえ彼としてもそこまで気にしているわけではない。それで次の話題に移ってこう尋ねた。


「それと先ほどの、異界の環境の再現でしたか、そちらにも当家として強い関心があります。いずれお話しいただけるようになりましたら、その時は……」


「はい。承知しています。しかるべき時期に研究成果は公表されるでしょう。それが学術機関としての大学の存在意義ですから」


 莞爾と微笑んで、諏訪部はそう答えた。最後に握手を交わして、彼は篠田邸を後にする。鞄の中には用意してきた寄付用の書類がまだ多数残っている。彼は幸先の良いスタートに手ごたえを感じながら、次のアポイントメント先へ向かうのだった。


諏訪部「本当は研究だけしていたいんですがねぇ」

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― 新着の感想 ―
鉄板… どんな種類の鉄を使うんでしょうかね?
最近一気読みしました。 将来的に異界征伐の歴史を語る上で、桐島以前/以降で分けられることになりそうなくらいいろいろやってますね…
地味ながら果ては仙果の栽培にまで繋がりそうな一大研究テーマ
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