オープンキャンパス3
「氣功計測用スクロール」
いつまでも「あの巻物」では分かりにくいということで、諏訪部と伊田にせっつかれて颯谷は「あの巻物」を仮にだがそう呼ぶことにした。何かもっといい名前を思いついたら変えるつもりだ。もっともこのままズルズルといきそうな気がひしひしとするのだが、まあそれはそれとして。
諏訪部研で伊田が行っている研究において、この氣功計測用スクロールはまさに画期的な計測器だった。氣の量というのはこれまで間接的にしか計測できなかったのだが、このスクロールを使えば直接的な計測が可能なのだ。そのことに衝撃を受けた研究者は多い。諏訪部もその一人である。
氣功計測用スクロールのことを研究者界隈が初めて知ったのは、静岡県東部異界征伐後のことである。それでこの分野の研究は静岡県を中心にして始まった。だが研究者たちはすぐに歯がゆい思いを抱くことになる。
研究は征伐隊に参加した者たちが撮ってきた写真などを資料にして行われた。それらの資料はこれまでになかった全く新しいデータ。それは率直に言って素晴らしいモノだ。しかしその一方で、素人たちが集めてきた粗の目立つデータでもあったのだ。
研究者としてはあんなデータも欲しいしこんなデータも欲しい。だが氣功計測用スクロールは異界の中でしか使えない。そんな歯がゆい思いをしていたところに現れたのが岩手県南部異界で、しかもスクロールを貸してもらえるという。諏訪部はエスプレッソをキメながら徹夜で計測項目を作製。伊田に託したのだった。
もちろんそれらの項目すべてを消化できたわけではない。ただ岩手県南部異界の征伐は防御偏重で、伊田も基本的には拠点に籠りっぱなしだった。そのおかげで時間は結構あり、おおよそ満足できるだけのデータは集まったのだった。
「へえ、じゃあ後はそのデータをまとめれば研究は一段落、ってことですか?」
「まさか。むしろこれからが本番」
「そうですね。氣の量が判明し、しかも次の征伐まで増えないと考えられます。その間にできる限りの間接的測定を行いたいと考えています」
颯谷の質問に、伊田と諏訪部はそう答えた。ただ二人が言うには、サンプル数が少ないのがネックだという。そこで颯谷は、ほんの軽い気持ちだったのだが、二人にこんなことを提案した。
「良かったら、静岡県東部異界の征伐でリーダーやった人に連絡取ってみましょうか?」
「良いんですか!?」
その提案に、諏訪部は前のめりになって食いついた。颯谷はやや圧倒されたが、彼の熱量に押されその場で剛に電話。彼も諏訪部研の研究に興味を示したので、あとは二人で諸々話をしてもらうことにした。
「いや~、ありがとうございます、桐島君。おかげで研究が大きく前進しそうです」
溌剌とした笑みを浮かべながら、諏訪部は手に入れた剛の連絡先を大事そうにワイシャツの胸ポケットにしまった。そして満足そうに微笑んでから、彼は颯谷の方を向いてこう言った。
「ところで、私たちの話ばかりしてしまいましたが、桐島君はこんな研究がしてみたいとか、こんな分野に興味があるとか、そういうのはあるんですか?」
「分野っていうか……、今は仙具が面白そうだな、って思っています」
「なるほど、なるほど。それはとても良いですね」
颯谷の答えを聞き、諏訪部は大きく頷いた。氣功計測用スクロールを発端にして、これまで何の意味もないと思われていた仙具に、現在大きな注目が集まっている。そういう意味では、仙具の研究は最先端だ。しかしその研究を阻む大きな壁もある。そういう仙具の大半は、異界の中でしか効力を発揮しなかったのだ。
「異界の中でしか使えない、検証できないというのは、研究する上で大きな妨げと言わなければなりません」
「まあ、そうでしょうね」
颯谷はそう答えて一つ頷いた。今更言うまでもないことだが、征伐隊は異界征伐のために異界へ突入するのだ。最近では仙具の検証も行っているようだが、それはあくまでもついで、二の次である。決してそれが主な目的ではないのだ。
だが「ついで」では研究は進まない。また能力者たちがやる検証というのは、突き詰めて言えば「征伐に役立つかどうか」である。研究者たちが知りたいこと、解明したいこととは必ずしも一致しない。また検証したことすべてが総括報告書に記載されるわけでもない。研究者たちからしてみればもどかしい限りだ。
これはなにも仙具の研究に限った話ではない。可能なら自分たちで異界に突入し、思う存分に実験を行いたい。異界に関わる研究を行っている研究者なら、一度ならずそう思うものだ。伊田はともかく、諏訪部だって何度そう思ったか分からない。
しかしながらそれはできない。研究者たちには征伐隊に入るだけの実力はないし、また入ったとして生死のかかったその現場で呑気に実験などしていられないからだ。仮にやったとしたら、周囲から激しい顰蹙をかうだろう。
それでこれまでずっと、研究者が征伐隊に同行して研究を行ったことはない。同行を希望する研究者は少なくないが、全て征伐隊に断られてきたのだ。研究者の側からすると不本意かもしれないが、征伐隊の側からすれば当然だろう。完全な足手まといを連れていけるほど、異界はやわな場所ではないのだ。
稀に異界顕現災害に巻き込まれたことで、内部での実験が行われた例はある。ただ機器が揃っていないなどの理由で、目覚ましい成果が出た例はほぼない。研究者自身が死亡したことで実験が中途半端になってしまったり、実験は行われたらしいのだがデータの回収はできなかったりするなど、どうしても準備と防衛力の不足が目立つ結果になっている。
研究者らとしては悶々としていた、と言って良い。伊田の研究テーマだってそうだ。本来ならより多くの、そして詳細なサンプルが欲しい。だが氣功計測用スクロールを使えるのは異界の中だけ。そして異界の中では、研究は二の次にせざるを得ない。結局のところそれがすべてであり、仙具の研究もまたその文脈で語られることになるのだ。
「異界の外でも、何とか仙具が使えればいいのですが……」
「ホントそこなんですよねぇ。研究っていう視点で考えると、手足を縛られて這いつくばりながら進んでるような感じで」
「伊田君はまだ良いですよ。征伐隊に入れるのですから。私みたいな研究者は、得られる一次情報にどうしても限りがありますから」
伊田と諏訪部がそう愚痴り合うのを、颯谷は苦笑しながら眺めた。そんな彼の様子を見て、諏訪部はふとこう尋ねる。
「……桐島君。もしかして何かアイディアがあったりしますか?」
「あ~、いや……」
「もしあるなら、ぜひ聞かせてください。ただの思い付きでも、全然大丈夫ですよ」
「あ~、じゃあ、ちょっと思っただけなんですけど……。厚さ10センチ以上の鉄板であれば、氣を完全に遮断できる、んですよね?」
「そうですね。そう言われています」
「なら、厚さ10センチ以上の鉄板で四方を囲って、その内側で氣功能力を使って、こう、氣を内部に充満させれば、疑似的に異界の環境を再現できるんじゃないか、と」
颯谷がそう考えるようになったのは、仁科刀剣で行った練氣法を応用しての作刀実験だった。あの時、颯谷は練氣法のサポートとして妖狐の眼帯を装着してハンマーを振るった。そしてその時視えたのは、氣が大気中に浮遊して霧散していく様子だった。
練氣法を応用しての作刀実験という視点でそれを見れば、「ロスが多い」という意味になってしまう。だが少し視点を変えればまた別の意味を持つ。つまり「放出された氣はたちどころに消滅したりはしない」のだ。
そうであるなら、氣の霧散を防いでやれば、つまりどこかに封じ込めてやれば、いわば大気中の氣の濃度を上げることが出来るのではないか。そしてその「大気中の氣の濃度が高い状態」というのは、要するに異界内の環境の疑似的な再現ではないか。颯谷はそう思ったのだ。
「なる、ほど……」
颯谷のアイディアを聞いて諏訪部は考え込んだ。異界内でしか使えない、効果を発揮しない仙具があるということは、異界の内部と外部では環境に何かしらの差があることを示唆している。
そもそも、異界の中ではいろいろと不思議なことが起こる。その原因となるべき何かしらの要素、因子、エネルギーの存在は以前から指摘されていた。もっともその正体は不明なわけだが。颯谷はそれが氣功エネルギーではないかと考えたわけだ。
「いや、でもそんな単純な話かなぁ」
首をかしげながらそう呟いたのは伊田だ。氣を大気中に充満させるだけで異界内の環境を再現できるなら、そもそもその氣を仙具に込めてやれば効果を発揮しそうなもの。それができないのだから、颯谷の仮説は無理筋ではないか。彼にはそう思える。だがそんな彼に颯谷はこう答えた。
「一応、証拠と言うにはほど遠いですけど、傍証みたいなのはありますよ」
「それは?」
「仙樹と仙果です」
仙樹は異界の中でだけ繁る樹木で、仙果はその実だ。異界が顕現すると、仙樹はたちどころに生えてきて仙果をたわわに実らせる。そして仙果は採取されても三日程度と言う、普通では考えられないサイクルでまた実をならせる。
仙樹も同様で、伐採されても一週間から十日程度で元通りになる。普通の樹木であれば考えられないことだ。その普通ではないことが起きる要因は何なのか。それは分からない。だが間違いなくソレは異界の中に存在している。そして仙樹と仙果は強くその影響を受けているのだ。
だからなのだろう、と颯谷は思っている。仙果を食べると消費した氣が回復する。彼は経験則的にそれを確信している。つまり仙果に含まれている何かしらのエネルギーは、人間の氣と同質のモノなのだ。少なくとも容易く変換可能なモノであることは間違いない。
「なるほど……。それでさきほどの仮説に繋がる、と言うことですね……」
「まあ、かなりガバガバな仮説だとは思いますけど」
「仮説なんてみんな最初はそんなものですよ」
莞爾と微笑んで、諏訪部は颯谷にそう答えた。それから彼は顎先に手を当てて少し考え込む。そして一つ頷いてから颯谷に視線を向けてこう言った。
「これは仮説の実証実験を本当にやるとなったらの話なのですが、桐島君の氣功計測用スクロールを貸してもらえませんか?」
「それは、どうしてですか?」
「理由は二つあります。一つは仮説の検証のため。もう一つは仮説が正しかった場合、伊田君の研究にとても役立つと思うからです」
仮説を検証するためには、「異界内では効力を発揮するが、異界の外では使えない仙具」が必要になる。そして氣功計測用スクロールはそれと分かっている数少ない仙具の一つだ。検証用にはもってこいだろう。
そして伊田の研究だが、そもそもスクロールが異界の中でしか使えないから思うように進まないのだ。異界の外でも使えるのなら、試してみたいことは山ほどあるだろう。きっと貴重なデータを取れるようになるに違いない。
「はあ、まあいいですけど」
颯谷は深く考えずにそう答えた。とはいえ、征伐に持っていけば紛失のリスクが付きまとう。だが大学の研究室で使ってもらえば、そういう心配はしなくて良くなるだろう。それに貸し出している間は、スクロールに関するアレコレはすべて諏訪部研に丸投げできる。面倒が減って良いんじゃないかな、とさえ思った。
いざ借りる段になって連絡先が分からないでは話にならないので、颯谷は諏訪部と連絡先を交換した。これは後日の話になるが、彼のもとに諏訪部から連絡が来た。氣功計測用スクロールに関した話ではなく、彼の進学に関連しての連絡だ。そこにはこうあった。
【もし桐島君にウチを受験する意思があるのなら、大学として諸々考慮する、というお話ですよ】
担任とも話したのだが、事実上の内定をもらったと颯谷は解釈した。それで彼は私立東北西南大学理学部自然科学学科のAO入試を受けることに決めた。こうして彼の受験戦争はほぼほぼ終わったのだった。
さて色々と話し込んでしまったが、時間がきたので颯谷はそう言って諏訪部研の見学を切り上げた。面白い話が聞けた、と思う。天鋼関係の話は何もしなかったが、話せる時が来たらそれを話してみるのも面白いかもしれない。颯谷はそんなことを考えながらエレベーターに乗り込んだ。
エスプレッソさん「違法薬物みたいに言うの止めてもらえますぅ?」




