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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
高校三年生

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オープンキャンパス2


「桐島颯谷、桐島颯谷君だよな?」


 理学部棟のロビーの一角に設けられた、パネルの展示スペース。そこで各研究室のパネルを眺めていると、颯谷はそこで見知らぬ男子学生から話しかけられた。年齢は二十歳くらいだろうか。オーバーサイズのパーカーを羽織っている。ただ相手の顔に見覚えはない。だが向こうは颯谷のことを見知っている様子。彼は首をかしげると、素直にこう尋ねた。


「えっと、どこかでお会いしましたっけ?」


「ああ、まあ、さすがに覚えてないか。ほら君って新潟県北部異界の征伐隊に入ってたじゃん? その時にね」


「あ、ああ~。あの時の……」


 そう答えて颯谷は記憶を探ったが、やはり彼のことは何も思い出せない。だが彼は気にした様子もなく笑いながらこう言った。


「ま、あの時は別に話をしたわけでもないしな。んじゃ改めて、伊田いだ勝俊かつとしだ。よろしくな」


「あ、どうも。桐島颯谷です」


「はは、知ってる。で、桐島君は、今日は見学?」


「はい、そんな感じです」


「志望は? ここにいるってことは、理学部は候補に入っているんだろうけど……」


「一応、自然科学学科が第一志望です」


「ってことは、やっぱり氣功能力関係?」


「まあ、はい、そうなると思います」


「お、いいねぇ。未来の後輩だ。ん~、じゃあ良かったらなんだけどさ、ウチの研究室、ちょっと寄っていかない?」


 少し考えてから、伊田は颯谷にそう提案した。大学側でプログラムを組んでいるわけではないので、他の研究室の見学はできない。だが伊田自身が所属している研究室なら、中を見せてくれるという。


「さっき見たら教授もいたし、話も聞けると思うよ。あと教授の淹れるコーヒーはうまい」


「あ~、じゃあ、お願いします」


 颯谷は苦笑しながらそう答えた。決してコーヒーにつられたわけではないが、これもいい機会だと思ったのだ。研究室があるのは12階で、二人はエレベーターへ向かった。その途中、颯谷は歩きながら伊田にこう尋ねた。


「伊田さんって、四年生なんですか?」


「いんや、修士の一年。あ~、院生ってこと」


「院……。院って忙しいんですか? 今日って祝日ですよね?」


「いやいや、修士の一年なんてたぶん一番楽だよ。あ、いや、二年の方が楽かな……。オレらみたいなのはどうせ就活しないし。……ああ、それから休日出勤したのはな、遊びすぎてレポートが終わってねぇんだわ」


 ケタケタ笑いながら伊田はそう答える。あっけらかんとしたその言いぐさに、颯谷は「本末転倒じゃないかなぁ」と思いながら若干頬を引きつらせた。そうこうしている間にエレベーターは12階に到着。エレベーターから降りると、伊田は「こっち」と言って歩き始めた。そしてある部屋のドアをノックしてこう告げる。


「先生、お客さんですよ」


「……客? 来客の予定はなかったと思うのですが……?」


 そう呟きながら部屋から出てきたのは、五十代半ばほどの男性だった。灰色のスラックスと白いワイシャツ、ダークブラウンのカーディガンを羽織っている。髪の毛には白髪が混じっていて、そのせいか幾分老けて見えた。彼が伊田の研究室の教授らしい。彼はまず伊田の顔を見、次に颯谷の顔を見、少し不思議そうに首を傾げた。そして伊田にこう尋ねる。


「伊田君。彼は?」


「驚かないでくださいよ、あの桐島颯谷君です。一階のロビーで見つけたんで、誘って連れてきました」


「ああ、なるほど。それは、それは」


 事情が呑み込めたのだろう、彼は穏やかに微笑んで頷いた。それから彼は颯谷に右手を差し出してこう言った。


諏訪部すわべと言います。どうぞよろしく」


「桐島颯谷です。よろしくお願いします」


 互いに自己紹介してから、二人は握手を交わした。それから三人は研究室に移動する。ちなみに諏訪部の部屋と研究室は別だ。研究室に入ると、諏訪部は開口一番にこう尋ねた。


「桐島君は、コーヒーは飲みますか?」


「あ、飲みます」


「先生、オレも欲しいです」


「では三人分ですね」


 そう言って諏訪部はコーヒーの準備を始めた。なんとミルで豆を挽くところからだ。諏訪部がミルのハンドルを回し始めると、コーヒーの良い香りが部屋の中に漂い出す。「カフェ諏訪部は今日も絶好調ですね」と伊田が茶々を入れると、彼は「個人的な趣味ですよ」とやや苦笑気味に答えた。


「コーヒーが趣味なんですか?」


「まあ、そんなところです。カフェインは研究者の友人ですから。だから、そんなに凝っているわけではないんですよ」


「自分で焙煎して、飲むたびにミルで豆を挽いてる人が凝ってないなんて、そりゃ無理がありますって、先生」


「無心になれる時間が欲しいんですよ。つい何かを考えてしまう。研究者の悪い癖です。……それより伊田君、お菓子があったでしょう、桐島君に出してあげてください」


「あ~、はいはい。どこだったかな……」


 伊田が立ち上がって棚を漁り始めると、諏訪部は挽いた粉をドリッパーにセットしたペーパーフィルターに移し、それをコーヒーポットの上にセットする。彼は電気ケトルを手に取り、まずは少量のお湯を注いで粉を蒸らした。その瞬間、コーヒーの香りがさらに強く香る。三十秒ほど待ってから、彼はゆっくりとさらにお湯を注いだ。


「さ、どうぞ」


 三つのマグカップにそれぞれコーヒーを注ぐと、諏訪部はそれをテーブルの上に置いた。諏訪部は砂糖とクリープも用意してくれたが、彼と伊田はブラックで飲んでいる。それで颯谷もブラックのままコーヒーに口を付けた。


「あ、美味しい……」


「それは良かった」


 颯谷の素直な感想を聞いて諏訪部は莞爾と微笑んだ。颯谷はさらにもう一口コーヒーを啜る。そのコーヒーは香り高く、確かに苦いのだがほのかに甘く、全体的な印象として丸い。颯谷は初めて本格的なコーヒーを飲んだような気がした。


「さて桐島君。せっかくこうして来てくれたわけだし、少しこの研究室のことを話しておきましょうか」


 コーヒーを半分ほど飲んだところで、諏訪部はやおらそう話し始めた。颯谷が顔を上げると、彼はさらにこう続ける。


「この研究室、まあ諏訪部研と言われているんですが、ここでは主に氣功能力について研究しています」


「氣功能力について……」


「そう。もちろんかなり幅広いわけですが、例えば伊田君は『氣功能力の客観的計測と評価』というテーマで研究を行っています」


「え、氣功能力って測定できるんですか!?」


「直接は、今のところ無理。でも間接的になら測れるよ」


 驚く颯谷に伊田はそう答えた。「間接的に」と言われても、颯谷はいまいちピンとこない。そんな彼に伊田はさらにこう説明する。


「例えば内氣功を使えば身体能力が上がるというのは、経験則的に知られている。そして氣の量が多いほどその上がり幅が大きいということも。だから例えば、素の状態でベンチプレス60キロだったのが、内氣功を使ったら80キロになったとして、20キロ分が氣功能力による上乗せ分、っていう具合に評価できるわけ」


「なるほど……」


「まあもちろん個人差があるし、氣功能力それ自体の熟練度とかも関わって来るから、その辺面倒ではあるかな」


「せっかくですし、桐島君も試しにちょっと測ってみますか?」


「え、そんなに簡単に測れるもんなんですか?」


「はい。握力でやってみましょう」


 首を傾げた颯谷に、諏訪部がそう答える。すると伊田が立ち上がり、部屋の隅から小さなハンドバッグほどの大きさの計器を持ってきた。握力計だ。颯谷も高校の体力測定で見たことがある。


 早速測ってみると、素の状態では46.28kg。世代平均と比べると少し高い。これは日常的に道場に通って鍛えていることが理由と思われた。実際、伊田も「氣功能力者はだいたい素の状態でも平均以上の数字を出す」と言う。やはり日常的に鍛えていることが窺える。そして次はいよいよ内氣功を使っての測定だ。


「いきなり全力は出さないでください。計器が壊れてしまうかもしれませんから、徐々にお願いしますね」


「いや、さすがに壊れはしないでしょう……」


「その握力計、180キロが上限なんだ」


 それは一体どういう意味なのか。颯谷は内心で訝しみながら、握力計に指をかけた。そして言われた通り徐々に内氣功を活性化させていく。彼自身は数値を見ていないのだが、諏訪部と伊田が確認している。その二人が止めないのだからいいのだろうと思い、颯谷はさらに力を込めていく。果たしてその結果は……。


「163.78キロ……。計器が壊れなくて何よりです」


「絶対計測不能だと思ったんだけどなぁ」


「え、なにこの肩透かしみたいな空気」


 颯谷がそう言うと、諏訪部と伊田はさっと視線を逸らす。それから諏訪部はわざとらしく咳ばらいをしてからこう続けた。


「確か日本人の最高記録が120キロくらいだったので、文句なしの日本最高記録ですね。まあもちろん非公式ですが」


「ちなみに世界最高記録は?」


「190キロくらいだったはずです。なので、164キロ弱ならまだ人間の範疇ですね」


「まだってなんですか、まだって」


 颯谷がそう文句を言うと、諏訪部と伊田はまたすっと視線を逸らす。伊田はやや頬を引きつらせながら、こう言い訳する。


「ま、まあ、実際問題、回数を重ねるごとに記録は伸びる傾向があるんだよ」


「それって、氣の量が増えたってことじゃないんですか?」


「いや、違う。記録を取った期間中、対象者は異界に入っていない。だから氣の量は増えていないはずだ。それでも全体の傾向として、記録は伸びる傾向がある」


「要するに慣れですよ。握るという動作ではなくて、その際の氣の使い方に関して慣れていくというか、徐々に習熟していくのだろうと考えています」


 諏訪部がそう説明すると、颯谷は「なるほど」と思って頷いた。そしてこう尋ねる。


「実際、どれくらい伸びるんですか?」


「一割か二割くらいですね。だから桐島君が測定不能の記録を出すのは決して不可能ではないと思います」


 そう言って面白がる諏訪部に、颯谷は呆れたように肩をすくめて見せた。そして次にこう尋ねる。


「オレ以外の記録って、どんな感じなんですか?」


「俺がやった範囲だと、まず素の状態で平均値はだいたい60キロくらい。やっぱり鍛えているヤツが多いって印象だな。内氣功を使った状態だと、平均は83キロくらいで、中央値が71キロくらい。増加率で言うと、平均が50%強で、中央値が30%くらいだな」


「はあ……」


「ただ五回の義務を終えた人たちに限定してみると、平均値は100キロくらいで、中央値も90キロを超えてる。増加率が100%を超える人もちらほらいるから、やっぱりこのへんの人たちは別格って感じがする」


「へえ、そんな感じなんですねぇ」


「一応補足しておきますと、意識的に握力を鍛えている人は増加率の高くなる傾向があります。だからこの数字だけを見て氣の量が多いとか少ないとかは、あんまり正確には分からないんですよ」


 苦笑しつつ、諏訪部はそう補足した。間接的な計測は結果が他の要素に影響されやすい。しかし氣功を直接計測することはできなかったので、間接的に計測するよりほかに方法はなかったのだ。そうこれまでは。


「桐島君が貸してくれたっていうあの巻物、アレは本当に革命的だった。今やっている研究も、あの巻物がきっかけだしな」


 伊田がそう言って何度も頷く。話が思わぬところに繋がり、颯谷は驚いた。


伊田「先生的には、紅茶はどうなんです?」

諏訪部「一度、淹れている最中に席を外したらすっかり冷めてしまったことがありまして。以来コーヒー党です」

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― 新着の感想 ―
殺伐なことになりがちな業界、武門の人間としていきなり呼び捨てはどうなのだろう? また生徒(〜高校生)ならともかく学生(大学生)は職業ともみなされる準社会人、院生なら確実に社会人扱いだと思うんだけど・・…
個人的にコーヒーはあまり好きじゃないけど、他人が丁寧に淹れてくれたモノは美味しいんだよな。かと言って自分で再現したいとは思わないんだけど。
「えっと、どこかでお会いしましたっけ?」 「今井慎吾だよっ!」 「あーっ…初めまして?」 というやり取りを期待してた自分は悪くないと思う。
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