オープンキャンパス1
1914年に初めて異界が出現して以降、この国の形は大きく変わった。そしてその中には意図的に変えたと言えるものもある。その一つが人口分散政策だ。これは人口を分散させることにより、異界顕現災害の被害を最小限に抑えることが目的だった。
そのために設けられているのが、各都道府県の人口目標値だ。この数値は国の総人口と各都道府県の面積などから毎年算出され、少なければ増やす努力を、多ければ減らす努力をするように各自治体に求めている。
そのための方策は様々だが、特に増やすための方策として効果が高いとされているのが、大学の誘致である。県外から学生を呼び込み、さらにそのまま定住してもらえる可能性が高いとして、加えて人口の流出を防ぐ方策としても、大学の誘致は有効とされていた。
そういうわけであるから、特に私立の大学は地方で開設されることが多かった。あるいは〇〇キャンパスのように、地方に分校や設備の一部を置くパターンもある。これは地方の方が学生を集めやすいからというわけではなく、上記の人口分散政策の文脈に沿った話だ。つまり地方でないと大学開設の許可が下りないのだ。
「オープンキャンパスに行きませんか?」
ゴールデンウィーク目前、木蓮が颯谷をオープンキャンパスに誘った私立東北西南大学もそういう大学の一つである。また地方は土地が安い。そのおかげで広い土地を確保しやすく、およそ50年前に開設されたこの大学は私立でありながら全国でも屈指の敷地面積を誇る総合大学だった。
「オープンキャンパス、かぁ……」
「気乗りしませんか?」
「そういうわけじゃないけど……。っていうか、木蓮はまだ行ってなかったの?」
「それが……、お恥ずかしながら、『近くだしいつでも行ける』って思っていたらズルズルとこんな時期になってしまいました……」
少し恥ずかしそうにしながら、木蓮はそう答えた。颯谷は小さく笑いながら「そっか」と答えたが、彼は木蓮の言い分を完全に信じているわけではない。もしかしたら彼女は最近まで第一志望をはっきり決めていなかったのではないか。だからオープンキャンパスも行っていなかったのではないか。
(その原因は……)
その原因は、言うまでもなく颯谷だろう。彼もつい最近まで第一志望を決めていなかった。そのくせして「木蓮と一緒のキャンパスライフは捨てがたい」なんて言っていた。それが木蓮の第一志望選びに影響してしまったのではないか。そう思うのだ。
もちろん木蓮がそう言ったわけではない。颯谷がそうじゃないかと思っているだけだ。だがもしそうだったら。かなり申し訳ない。ただ彼にも事情があった。一言で言えば情報過多だったのだ。
ネットで調べた、わけではない。資料が送られてきたのである。日本全国津々浦々の大学は言うまでもなく、海外の大学の資料もあった。英語、中国語、フランス語の資料が多く、颯谷は思わず「読めるかっ!?」と叫んでしまった。
これらの資料、自宅へ直接郵送されてきたわけではない。颯谷は自宅の住所を公開していないから、直接送るためにはまず住所を調べる必要がある。だが調べて資料を送りつければ、彼とていい気はしない。そこで彼の関係先であり、住所が公表されている場所に問い合わせが殺到した。千賀道場である。
例の「赤紙騒動」の一件で、颯谷が千賀道場の門下生であることは、おおよそ日本中の能力者たちが知っている。そしてその中には大学関係者やその知人もいた。すると彼らはこう考えるわけだ。「千賀道場に問い合わせれば何とかなるのではないか」と。
また実質一日で決着したとはいえ、赤紙騒動は政治的大事件でもある。当然ながら各国の大使館も強い関心も持っており、その背景を詳細に調べた。その中で颯谷と千賀道場の関係は判明しており、やはりそこを窓口にすることを考えた。
一時期、千賀道場の電話は鳴りやまなかったとか。母屋と同じ回線にしていたら、大変なことになっていただろう。そもそもこれは千賀道場にとって余計な業務である。いちいち対応してやる義理はない。
とはいえ、例えば仙甲シリーズをいち早く入手できたことなど、颯谷がいてくれたおかげで恩恵を受けられた事例もある。その分くらいは骨を折るかと茂信は飲み込んだ。ただ千賀道場としても、聞かれたからと言って門下生の住所を教えることなどできない。それで道場宛に資料を送ってもらい、それを颯谷が来た時に引き取ってもらう形にした。
なぜスカウト合戦は過熱したのか。一言で言えば「桐島颯谷にはそれだけの価値があるから」だろう。これまでの実績を考えれば、異界征伐の切り札として欲しくない自治体などありはしない。また一度進学のために引っ越してきてもらえれば、大学卒業後も引き続き定住してもらえる可能性がある。
もしそうなれば、それは武門が一つ引っ越してきてくれたのとほぼ同じと言って良い。アプローチしたくなるのは当然だろう。それは各国とて同様だ。むしろ海外からの引き合いはそういう政治的な理由のほうがメインだった。
また大学自身にもメリットはある。颯谷はスポーツなどで顕著な成績を残したわけではない。だからそういう分野での活躍を期待してのスカウトではないことは明らかだ。しかしそれでも、彼が通ってくれることには大学にとってメリットがある。
もちろん颯谷は氣功能力者だから、例えば異界や氣功能力の研究を行っている大学なら、それらの研究への協力を期待できる。だがそれは別に颯谷でなくとも構わない。大学が彼に期待するモノ、それは「安全」だ。
これまでの業績を考えれば、上記の通り桐島颯谷が引っ越してくるとは武門が一つ引っ越してくることに等しい。そして有力武門の周りには人が集まる。そこは安全だと思うからだ。であれば彼が通っている大学も安全と言えるだろう。
異界はいつどこに顕現するか分からない。過去には大学の敷地や設備の一部を巻き込んで顕現したこともある。進学先を決める重要な要素はもちろん「何を学びたいのか」だが、同時に「そこは安全なのか」という要素も無視できないのだ。
実際、統計的に見て近くに有力な武門や流門がある大学は志望者数が多い。これはそれだけ多くの能力者がその大学に通っているからだとも言われている。もちろん大学側が大々的にそれをアピールすることはない。だが選ぶ側の考慮条件には自然と入ってくる。では桐島颯谷が通う大学は一体どれほど安全なのか。
実際のところ、本当に安全なのかは分からない。実際に大学が異界顕現災害に巻き込まれたとして、その時その場に彼はいないかもしれないからだ。だがそんなことは関係ない。「より安全そう」と考える者は必ずいる。そしてそういう者たちの数パーセントが希望進路を変えるだけで、その大学は多数の入学希望者をゲットできるのだ。
また武門や流門でそれなりの地位にいる者たちは、母校へ多額の寄付をすることが多い。将来的に桐島颯谷がどういう社会的地位につくかは分からない。だがもし彼が寄付をするとなったら、母校はそのリストの上位に食い込むだろう。もちろん確実性は低い。だが決してない話ではない。
ともかくそういう様々な思惑が絡み合い、大量の資料が千賀道場に集まることになったのだ。バイクでは到底持ち帰ることができず、颯谷は玄道に軽トラを出してもらわなければならなかった。
そうやって持ち帰った資料に、颯谷はできるかぎり目を通した。しかし前述したとおり多すぎる。志望学部を持たない大学の資料も含まれており、それらに目を通す作業はだんだんと雑になった。
『英語、中国語、フランス語、スペイン語、あとなんじゃこりゃ……? 読めないってぇの!』
ややキレ気味になりながら、颯谷は資料を整理する。自分が大学選びをしているのか、それとも部屋の整理をしているのか、それさえ曖昧だ。そんな具合だったもので、どこのオープンキャンパスに行くとか、そんなことまで頭が回らなかったのである。
とはいえ、大学進学はするつもりでいる。そうであるなら、何も知らないところへいきなり飛び込むのはリスキーだろう。そういう意味でも、やはりオープンキャンパスは行っておいた方が良い。そう思い、颯谷は木蓮と一緒に私立東北西南大学のオープンキャンパスへ行くことにした。
そして五月五日、こどもの日に二人はオープンキャンパスへ向かった。私立東北西南大学はやや郊外に立地している。50年前の開校当初は周囲に田んぼしかなかったという話だが、今では多数の飲食店や雑貨店、アパートなどが周囲に立ち並んでいる。もっとも少し離れれば相変わらず田んぼばかりの風景ではあるが。
アクセスはさほど悪くない。大学開校に合わせて最寄り駅が建てられ、そこから大学の正門までが徒歩でおよそ十分。正門前にはバス停もあり、バスを利用して通学している学生も多い。ただし電車やバスの本数はお世辞にも多いとは言えない。
(やっぱり車が便利かなぁ)
颯谷としてはそう思う。まずバスは家の近くにバス停がないので却下。自宅の最寄り駅にはバスも来るが、そこまで行くなら電車を使った方がいい。バスの方が本数が少なくて時間もかかるからだ。
だが電車の場合、駅から大学までは歩く必要がある。五月の晴れた日なら気持ちよく歩けるだろうが、あいにく東北は天候の悪い日も多い。特に冬は大変だろう。自宅から最寄り駅に行くのも、降車駅から大学まで行くのも。
それを考えると、一番都合が良くて便利なのはやはり自動車だ。やっぱり受験がひと段落したら免許を取ろう。颯谷はそう思った。ネックはお金なのだろうが、そこは何の問題もない。中古の軽自動車くらい、100台でも200台でも買える。買わないが。
とはいえ今現在、颯谷はまだ自動車の運転免許証は持っていない。彼が運転できるのはバイクで、この日も彼はバイクでオープンキャンパスへ向かっていた。後ろには木蓮が乗っている。東北西南大学は広い敷地を持ち、その中には広い駐車場もある。颯谷はそこにバイクを止めた。
「さて、と。じゃあまずは軽く見て回るんだっけ?」
「はい。購買と学食と図書館と……、まずはそのあたりでしょうか」
大学構内の案内図をスマホに表示しながら、木蓮はそう答えた。購買も学食も図書館も、学部を問わず学生が利用する施設。二人はまずはそういう場所を見てまわることにした。
祝日だけあって、校内に人の姿はまばらだ。ただ制服を着た男女がちらほらといる。どうやら彼らもオープンキャンパスに来たらしい。ちなみに颯谷と木蓮は私服だった。
「っていうか、本当に広いなぁ……」
「そうですね」
颯谷の呟きに木蓮がそう答えて頷く。東北西南大学は広いと知ってはいたが、実際に歩いてみると思っていた以上に広い。立派な建物が何棟もある。建てられた時期が違うのか、外壁に蔦が這った古い建物もあり、颯谷は何となく歴史を感じた。
学食はなんと四つもあった。ただやはり祝日の影響で三か所は閉じており、営業していたのは一か所のみ。やっていたのは学食というよりカフェのような雰囲気で、メニューも食事というより軽食が多い。あとでお茶でもしようかと二人は話した。
購買は二階建てで、一階は書店、二階は雑貨店になっている。書店は大学らしく専門書や参考書、資格試験用のテキストなどが多い。ただ小説やマンガなども普通に並べられており、颯谷は少し驚いた。
二階で取り扱われているのは、主に三種類。食品と文房具と生活雑貨である。面積が一番広かったのは食品類で、売り場面積のおよそ半分を占めていた。ぐるりと見て回っただけだが、最低限必要なモノはすべてここで揃うのではないか。颯谷はそう思った。木蓮は少し物足りなさそうな顔をしていたが。
そして図書館。こちらはいわゆる街の図書館とは一線を画す。並べられているのはほぼ全て専門書だ。小説もあったが、娯楽目的ではなく文学書としての位置づけである。他にも科学雑誌などのコーナーもあった。またパソコンが何台もある。学習スペースも広く確保されていて、分厚い本を広げながら机に向かう学生が何人もいた。
「あ、そろそろ時間だね」
「はい。ではまた後で」
ひとまず学部関係なく使いそうな施設を一通り見て回った後、時間を確認してから二人は一度別れた。これからそれぞれの志望学部の見学に行ってくるのだ。というか、法学部のほうは見学のプログラムが組まれているとかで、そこに入る気もない奴が混じるのは迷惑だろうと思い、颯谷が遠慮したのである。
そんなわけで木蓮と別れ、颯谷が向かったのは理学部棟。22階建ての立派な建物で、大学構内では比較的新しい建屋である。もはやビルのようなその建物にやや圧倒されながら、颯谷は理学部棟の中に入った。
この日、理学部では見学プログラムは行われていない。それで各学科の研究室を見て回ることはできなかった。ただ理学部棟に入ってすぐのロビーで各研究室のパネル展示がされており、颯谷はそちらの方へ足を向けた。
現在、颯谷が進学先として考えているのは、理学部の自然科学学科である。自然科学とは要するに自然現象を対象とする学問であり、異界や氣功能力の研究も大きく括ればここに含まれる。もちろんそれ以外にも、例えば物理学や化学、天文学なども含まれており、かなり幅の広い学問分野と言える。
(建物がデカいのはそのせいかな……?)
そんなことを考えながら、颯谷はパネルを眺め始めた。幅広い分野だけあって、パネルの内容も多岐にわたる。一つ一つ丁寧に読んでいるわけではないが、図表や写真が多用されていて、見ているだけでも結構面白い。特に宇宙の写真は見ごたえがあった。
「……っと、そうじゃなくて異界だの氣功だの研究しているところは……」
「あーーーっ、桐島颯谷っ!?」
突然名前を呼ばれ、颯谷は肩をビクッとさせた。反射的に振り返ると、そこには大学の学生と思しき男性が一人。しかし彼の顔を見て颯谷は思わず首を傾げた。
「……誰?」
まったく見覚えのない相手だったのだ。
茂信「やはり被害者の会が必要……」




