瀬戸内異界3
瀬戸内異界征伐のため、征伐隊は海上と陸上に分かれて行動を開始した。ただ完全に分かれて行動するわけではない。特に敵船団が完全に無傷で上陸した場合、恐らくだが敵の戦力は中鬼五〇体、小鬼一五〇体を超える。この数が一斉に襲い掛かってきたら、それはもう決戦だ。勝てたとしても、味方には大きな損害が出る。
しかも敵は同じ規模の船団を幾らでも繰り出せるのだ。最終的に征伐隊がすり潰されることは目に見えている。それを避けるためには、初戦のように敵船舶を上陸前にすべて沈める必要がある。そうすれば、後は生き残り海岸に泳ぎ着いた怪異を順番に討伐していけば良い。
そのためにはどうしても軍艦から砲撃してもらう必要がある。つまり陸上組の拠点から軍艦を離し過ぎるわけにはいかないということだ。それで海上組の活動、敵本拠地への進攻ルートを見つけるための作戦は、主にドローンやヘリを用いて上空から行われることになった。
さて一方の陸上組である。当面、彼らの主たる目的は育成になった。要するに未覚醒者の氣功能力を覚醒させ、その上で全体の氣の量を増やすのだ。レベリングはもちろん中・長期的な視点で大きな意味を持つが、短期的にも意味がある。
異界を征伐するためには主にしろ守護者にしろ、強力なモンスターとの戦闘が避けられない。来るべきその戦いに、損耗を抑えつつ勝利すること。短期的にはそれが目標になった。
まず氣功能力の覚醒だが、こちらはすぐに終わった。拠点のすぐ近くに仙樹が生えており、仙果をたわわに実らせていたからだ。この仙果を食べることで、未覚醒者たちは氣功能力を覚醒させたのである。
ちなみに仙果は艦隊の方にもデリバリーされ、海上組も全員が氣功能力を覚醒させた。さすがに一度で全員というわけにはいかず、何度かに分けたが。ともかく最終的には700人以上が新たに氣功能力を覚醒させたわけで、これはここ五十年でぶっちぎりの数になった。
次に行うべきは本格的なレベリング。つまりモンスターを倒して氣の量を増やすのだ。戦闘の流れは毎回初戦とほぼ同じで、陸上組は大きな被害を出すことなく戦果だけを積み重ねることができた。
いわゆるパワーレベリング、つまり低レベルの能力者に止めだけ譲るようなことも頻繁に行われた。それだけ余裕があったのだ。それでいてキルスコアも多いのだから、この瀬戸内異界は当初考えられていた以上にレベリング向きの異界だったと言って良い。そしてそのことを誰よりも喜んでいたのが、フランス人部隊だった。
「日本に来た目的を何とか果たせそうですね、少佐殿」
「うむ。なかなか思うようにいかずストレスだったが、この瀬戸内異界は素晴らしい。可能な限り、レベリングに励むとしよう」
ヴィクトールとトリスタンはそう言葉を交わした。彼らの戦略目標はあくまでも母国フランスに顕現した異界の征伐。だから征伐隊の日本人とは少し視点がずれている。ここでの経験を本国での異界征伐に還元すること。それがこの征伐における彼らの目的なのだ。
もっとも、だからと言って手を抜くということはない。異界は一度突入したら、征伐するまで外には出られないからだ。彼らの戦略目標を果たすためには、この異界の征伐が必須である。そう言う意味では目的意識を共有できており、多少の立場の違いは問題にならなかった。
レベリングに勤しんでいるのはフランス人部隊だけではない。民間の能力者組も、海軍の選抜チームも、この機会を逃すまいとレベリングに励んだ。今後、異界と関わり続けるつもりであれば、氣の量が多いに越したことはない。それは全員が分かっていた。
「陸軍の連中は、悔しがるだろうなぁ」
「はは、違いない」
海軍の軍人たちは何度もそんな話をした。国防軍に限って言えば、これまで異界対策の主役はずっと陸軍で、それはこの先もずっと変わらない。むしろ陸軍が果たす役割はより大きくなっていくだろう。
それを考えれば、この場でレベリングするのは陸軍の軍人たちであるべきだったのかもしれない。だが実際には海軍の軍人たちがその機会を得ている。その優越感とほんの少しの後ろめたさが、彼らを高揚させた。
もっともこれだけ順調にレベリングできているのは、前提として軍艦が敵船団を掃討してくれているからこそ。そう言う意味ではこの場にいたのが海軍で良かったと言える。それにこの先、異界対策として海軍の出番がないということはないのだ。それを考えれば、少ない回数で効率的にレベリングするのはむしろ必須と言って良いだろう。
ただしこのレベリング、ずっとやっていられるわけではない。明確な期限があるのだ。政治的な期限、というわけではない。持ち込んだ物資の限界、より正確に言うなら弾薬の限界だ。弾薬が尽きて敵船団を一方的に撃滅できなくなったら、その瞬間から戦いは消耗戦になる。しかも人間側に大変不利な消耗戦である。
「そうなる前に征伐を完了しなければ」という意識は、艦隊司令官と征伐隊指揮官の両方が持っていた。いざとなれば座礁覚悟で艦を突っ込ませる。特に艦隊司令官はその覚悟でいたが、幸い弾薬にはまだ余裕がある。特攻などしないで済むよう、彼は自分の仕事に邁進した。
さて、陸上組にはレベリングと並行してやるべき幾つかの実験があった。その一つが仙樹鋼製の弾頭を使用した銃弾、通称「仙樹弾」の実戦テストである。今回持ち込まれた仙樹弾は二種類。対物ライフル用とアサルトライフル用だ。このうちまずテストが行われたのは、アサルトライフルの方だった。
「あ~、マジで効かねぇ……」
「小鬼は痛がっているけど、中鬼はほぼ完全に無視……! これは確かに銃を使っても意味がないってなるな……!」
物は試しと、まずは通常弾を試す。異界の外でなら十分に効果のあるその攻撃は、しかし異界の中では足止めにすらなりはしない。正直、石を投げた方がまだ効果がある(しかもコストはゼロ)。現在では常識となっているその知識を、目の前でまざまざと見せつけられて軍人たちは顔を歪めた。
「仙樹弾を使用する! 弾倉交換! しっかり氣を込めろよ! ……撃て!」
部隊長の命令に従い、特注のアサルトライフル(部品の一部が仙樹鋼製)を軍人たちが一斉に引き金を引く。その結果は先ほどとは全く違っていた。
「ギャア!?」
「ギャギャァ!?」
「グゥ……!」
数体の小鬼が身体を仙樹弾に貫かれてひっくり返る。そしてそのまま黒い光の粒子のようになって消えた。倒したのだ。アサルトライフルで、小鬼を。通常弾では痛がる程度の効果しかなかったのに、氣を込めた仙樹弾なら容易く小鬼の身体を貫通したのだ。ヘッドショットを決めれば一撃で倒せるに違いない。
それだけではない。仙樹弾使用のアサルトライフルは中鬼にも効いたのだ。身体が大きい分それだけ体力もあるのだろう。またそもそもアサルトライフルの数が少なかったこともあり、倒せた中鬼はいない。しかし動きは確実に鈍っている。それだけでも十分な成果だった。
「「「おおっ!!」」」
軍人たちは歓声を上げた。とはいえ戦闘は続いている。実験のために待機してもらっていたフランス人部隊や民間の能力者たちに合図を出し、ひとまず目の前のモンスターを片付けた。
海岸に上陸したモンスターの討伐はすぐに終わったが、海上にはまだ陸地を目指すモンスターが多数。ただそれらが上陸してくるまでにはまだ数十秒ある。そして次の実験のための準備にはそれだけあれば十分だった。
次の実験は対物ライフルだ。ただ、対物ライフルは通常弾でも中鬼までは効く。よって試すなら大鬼相手にテストするのが一番わかりやすい。だが大鬼はいないらしい。というより、今回の征伐を通して大鬼はまだ出てきていない。それでこの時の対物ライフルによる仙樹弾の実験は、インパクトの少ない結果になった。
対物ライフル用の仙樹弾は効いた。そりゃそうだ。中鬼相手なら通常弾でも効くのだから。とはいえ一応、通常弾との差は確認できた。中鬼相手でも防具に当ててしまうと通常弾は弾かれてしまうのだが、仙樹弾ならば有効だったのだ。
もっとも有効といってもその意味する範囲は広い。しっかりと貫通して仕留めることができる場合もあれば、防具を破壊する程度で終わってしまう場合もあった。また命中する角度によっては、衝撃はあれどほぼノーダメージという場合もあり、「防具で保護されていない箇所を狙うのが効果的」という、通常弾と同じ結論に達してしまったのだった。
「つまり対物ライフルの場合、中鬼までは通常弾を使った方が効率的、ということだな」
「相手がガチガチに防具で固めているなら、仙樹弾も有効かもしれないが……」
「その場合は数を撃ち込まんとあまり意味がないだろう。ロケットランチャーか何かでノックバックさせて、後は能力者が仕留めるというのが、今のところ一番良いのではないのかな」
「やっぱり大鬼だよ。大鬼相手に有効かどうか。対物ライフルを使うなら、そこが一番重要なんだ」
テストに都合の良い大鬼が現れないだろうか。軍人たちはそんなことを考えた。フランス人部隊の軍人たちも同様だ。テスト結果が良ければ自分たちもそれを使えるのだから。民間の能力者も対物ライフルまでなら使える。仙樹弾が大鬼に有効なら今後の征伐のハードルは大きく下がるだろう。期待値は大きかった。
そして突入からおよそ二週間後、ついに大鬼が現れた。ただしテストに都合の良い大鬼であったかは分からない。
このおよそ二週間で瀬戸内異界におけるモンスターの出現パターンはおおよそ分かっていた。まず海上に突然濃い霧が現れ、その霧の中から船団が現れるのだ。
これまでのところそれ以外にモンスターが出現したケースはない。それで敵船団の出現さえ見逃さなければ、敵の奇襲を受けることはほぼないと言って良かった。
大鬼が現れたときも、このセオリーに沿っていた。まずは敵船団が現れ、その中に大鬼がいたのである。ただしこのとき時刻は夜で、敵船団の中にはこれまでにない船が含まれていた。
「レーダーに感アリ。敵船団が出現した模様。これは……」
「どうした。正確に報告しろ」
「敵船団の中に大型船、いえ超大型船が含まれている模様。大きさは安宅船の3~4倍と思われます!」
「……っ、敵超大型船に砲撃を集中! 最優先で沈めろ!」
件の超大型船はいわゆる鉄甲船である可能性が高い。そして鉄甲船であれば大砲が搭載されている可能性が高かった。もし鉄甲船に大砲が搭載されていたら、陸上組の拠点は恐らくその射程の範囲内だ。
いくつも推測を重ねた上での予想だが、艦隊司令官は迷わなかった。しかしそれでも敵の方が早かった。「ドンッ、ドンッ、ドンッ」と低い破裂音が連続して響く。艦隊司令官は「クソッ」と言ってイスの肘掛を拳で叩いた。
「次を撃たせるなっ!」
「りょ、了解!」
砲撃が鉄甲船に集中する。ほどなくして鉄甲船は沈められた。しかしすでに大砲は放たれている。そしてその弾は陸上組の拠点に着弾していた。
「メディック! メディーック!」
この攻撃で陸上組には八人の負傷者が出た。幸い死者は出なかったが、五名が重傷のために戦線離脱を余儀なくされた。そして、このうち二名は損耗扱いになると見込まれた。そしてまだ戦いは終わっていない。むしろこれからだった。
「敵が来るぞっ、負傷者を下がらせろっ、投光器持ってこい!」
征伐隊指揮官が矢継ぎ早に指示を出す。そのおかげで陸上組の迎撃準備は間に合った。そして待ち受ける人間たちの視線の先で、泳ぎ着いたモンスターたちが上陸し始める。迎撃戦が始まった。
夜の暗闇の中とはいえ、多数の投光器のおかげで明かりは確保されている。最初の砲撃のせいで多少浮足立っていたが、それも戦闘が始まれば問題にならなかった。上陸するモンスターを順番に討伐していく。これまでと同じ戦闘だ。征伐隊の陸上組は急速に平静さを取り戻していった。しかしそこへ、まるで獣のような咆哮が浴びせらせる。
「ガァァァァァァアアアアア!!」
その咆哮は聞く者すべての心胆を寒からしめる。特に経験の浅い者ほど、まるで内臓を鷲掴みにされたように感じた。そしてここにはその経験の浅い者が、これが初めての異界だという者が大勢いるのだ。すくみ上がった彼らが連鎖的にパニックを起こしかけたその瞬間、征伐隊指揮官が腹の底からこう叫んだ。
「ビクビクするなっ!! ただの大鬼だ!!」
その一言で、どうにか新人たちが落ち着きを取り戻した。そして彼らが見つめる先、投光器の光が届くその境界に、ひときわ大きな人影が現れる。大鬼だ。そして大鬼は水飛沫を上げながら駆けだした。
対物ライフル用の仙樹弾が使用されたのは、その大鬼に対してだった。まず使用されたのは通常弾。心臓を狙ったらしいその弾は、しかし大鬼の右肩に当たって弾かれた。ノーダメージだが、しかしその衝撃で大鬼の動きが一瞬止まる。その隙を見逃さず、本命が放たれた。
「グゥ!?」
大鬼の口から困惑の混じった悲鳴が上がる。対物ライフル用の仙樹弾だが大鬼の手や足にダメージを与えたのだ。しかしまだ倒せてはいない。しかも大鬼は前傾姿勢になり、両腕で頭を庇いながら突撃を敢行する。
大鬼が倒れないのを見て、さらに連続して対物ライフルの銃声が響いた。大鬼はすでに水から上がっている。姿勢を低くして頭を庇われては、急所を狙うのは難しい。だが一発の仙樹弾が大鬼の太ももを抉った。
大鬼が前のめりに転倒する。その隙を見逃さず、三人の能力者が飛び出して大鬼を仕留めた。終わってみれば完勝である。だが新人たちが感じたのは、勝利の喜びよりもむしろ大鬼への恐怖。それは軍人組も同じで、彼らは実験結果の評価をすぐには行えなかった。
トリスタン「仙具の回収も忘れるな、刀は最優先だ!」
ヴィクトール「了解であります!」




