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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
ひとりぼっちの異界征伐

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16/205

積雪1


 雪国では、冬の静かな夜というのは危険である。なぜなら雪がドカ降りしていることがあるからだ。そして東北の、それも山中ともなれば、一晩で数十センチ積もることも珍しくない。


 ある朝、颯谷が目にしたのはまさにそういう景色だった。洞窟の入口をふさいでいた薪の束を取り除くと、そこにあったのは雪の壁。入口を完全に塞いでいるわけではなかったが、半分くらいの高さにはなっている。つまりそれくらいの高さで雪が積もっているのだ。


「ついに……、積もっちまったか……」


 颯谷は顔をゆがめて外の雪景色を眺めた。この異界内部の天候や気候が、外とだいたいリンクしていることはすでに分かっている。だから雪が降っても驚かなかったし、いずれは積もるだろうとも思っていた。


 だがこうして実際に積もっているのを見ると、顔をしかめざるを得ない。ここには除雪業者なんていないのだ。そしてもちろん、自分で除雪するなんて不可能。ということはこれからずっと、雪をかき分けての移動になる。


「…………」


 一歩目を踏み出す前から、颯谷はうんざりした顔になった。かんじきでもあればいいのかもしれないが、そんな便利道具はここにはない。今からでも作ろうかと思い、彼はすぐに「無理だな」とあきらめた。


「マシロ、どうしようか……?」


 颯谷がそう問いかけると、マシロはスッと目をそらした。彼女も雪原に飛び出すのはイヤらしい。もっともマシロが生んだ子犬たちは積もった雪に興味津々だ。ピョコピョコと動き回り、遊びたそうにしている。颯谷はそれを見てちょっとほっこりした。


 まあ出不精なマシロはともかくとして。「外に出たくない」などと甘えることは、颯谷には許されない。食料がないし、薪の補充もしなければならないからだ。つまり死にたくなければ動くしかない。


「はあ……」


 ため息一つで覚悟を決める。洞窟の近くに挿し木した仙樹は結局根付かなかった。やり方が悪かったのか、それともそういうモノなのか、それはわからない。だがともかく、ある程度移動しなければならないことだけは確かだ。


 立てかけて置いた仙樹の棒を手に持つ。颯谷は体内で念入りに氣を練り上げてから外へ飛び出した。たちまち、足が雪に埋まる。彼はめげずに足を動かした。えっちらおっちら、彼は前へ進む。だがすぐに息が上がった。


「くっそ……。何とかならないかな、コレ……」


 肩で息をしながら、颯谷はそう呟いた。悪態にも元気がない。雪の中の移動は思った以上に困難だった。このままでは目的の仙樹のところへたどり着くまでに過労死してしまいそうだ。


「何とか……、何とか……」


 何か良い方法はないものかと考える。スキー場のように雪を固めることができれば一番良いが、あれはそれ用の車両を使っている。人力ではとても無理だ。というよりほぼ身一つの颯谷に一体何ができるのだろうか。


「可能性があるなら、やっぱり氣功だよな……」


 颯谷にできることと言えばそれくらいしかない。では氣功をどう使うのか。颯谷はしばし考え込んだ。そしておもむろに仙樹の棒を両手で、頭上高くに構える。彼は念入りに氣を練って勢いよく降り下ろした。同時に、その棒から前方へ氣を放つ。


 ボボボボボ、と低い音がこだまする。放たれた氣は雪を吹き飛ばして道を作った。だいたい10メートルほどか。思いのほかうまくいって、颯谷は「おおっ」と歓声を上げた。雪を吹き飛ばした場所は、当たり前だが歩きやすい。彼は同じようにしながら目的地へ向かった。


 何度か繰り返すうちに、一度で除雪できる距離は伸びていった。だが同時に欠点にも気づく。当たり前だが消耗が激しいのだ。まして今日はまだエネルギーの補給をしていない。いい加減、お腹もすいてきた。このやり方では、たどり着くまでにエネルギー切れになるだろう。


「別のやり方……、別のやり方……」


 颯谷はまた考え込んだ。だが彼が次のアイディアを思いつくより前に、彼の耳が異変を捉えた。喧噪が近づいてい来る。彼が反射的に顔を上げると、そこには雪をかき分けながら向かってくる中鬼と小鬼の姿があった。


「グアァァァァァ!」


「ギィギィ!」


「ギィィィ!」


 中鬼らが颯谷を威嚇する。だがそれを見て、彼は思わず失笑した。中鬼はかなり大柄だが、それでも雪は邪魔らしい。雪をかき分けながら進むその姿は少し滑稽で、迫ってくる速度もずいぶん遅い。そこに今までのような迫力はなかった。雪は颯谷にとって頭の痛い障害物だが、それは怪異モンスターたちにとっても同じらしい。


 小鬼らは、中鬼の後をついてくる。中鬼が作った道を使っているのだ。それを見て颯谷はピンッとひらめいた。モンスターたちは彼の進行方向から現れた。それもせっせと雪をかき分けながら。なら、その道を使わせてもらえばいい。


 颯谷は足を止め、仙樹の棒を構えて中鬼らが近づいてくるのを待つ。中鬼らは相変わらずいきり散らしているが、ゆっくりとしか近づいてこられないので、その様子はともすればコントのよう。だがそれでも颯谷は油断しない。


 足元が悪いのは彼も同じなのだ。これまでのように自由に動き回ることはできない。そしてこの雪の中では、身体の大きな中鬼のほうが、機動力の面でも有利だろう。今までのような戦い方はできないだろうし、逃げ切ることさえ難しいかもしれない。


(勝負は最初の一撃……!)


 颯谷は腹に力を入れた。仙樹の棒を構え、氣を入念に練り上げる。同時に、彼は慎重に間合いを計った。


(まだだ、まだ……!)


 中鬼が一歩また一歩と近づく。いつもより動きが遅いせいで、颯谷は焦れそうになった。だがそれでも彼は集中力を保つ。そして中鬼があと二歩ほどで彼に手が届くような距離で、彼は仙樹の棒を鋭く振りぬいた。


 振りぬくと同時に氣を放つ。それもさっきまでのように、雪を吹き飛ばすような仕方で、ではない。練り上げ、押し固め、鍛え上げたその氣はまるで日本刀の刃のよう。そしてその氣功の刃は中鬼の身体を斜めに大きく切り裂いた。


「ガァ……!」


 中鬼が傷を抑えて片膝をつく。だがモンスターは一体だけではない。足が止まってしまった中鬼の後ろから、三体の小鬼が現れて颯谷に襲い掛かった。


 ただ三体のうち、左右に分かれた二体はすぐ雪に足をとられて動きが大幅に鈍る。だが三体目の小鬼は中鬼の背によじ登り、その肩を踏み台にして颯谷に飛び掛かった。


「ギギィ!」


「……っ」


 颯谷はもう一度仙樹の棒を振りぬき、その小鬼を撃退する。刃を放つには準備が足りない。だが氣をしっかりとまとわせることはできた。そしてその氣を使って小鬼を斬り捨てる。小鬼は着地する前に黒い灰のようになって崩れ去った。


(あと三っ!)


 颯谷は素早く視線を走らせる。中鬼はこちらを睨んでいるが、どうやらまだ動けないようだ。左右に分かれた小鬼は、小さな身体で必死に雪をかき分けながら向かってくる。だがお互いを見ていない。そのせいで距離の詰め方にズレがあった。


 それを見て颯谷はゆっくりと後ろへ後ずさった。距離を広げてズレを大きくしてやるためだ。そしてまず左から飛び掛かってきた小鬼を片付け、続けてもう一体を斬り捨てる。これで小鬼はすべて倒した。あとは中鬼だ。


「グアァァァ!!」


 立ち上がった中鬼が雄たけびを上げながら突っ込んでくる。だがやはり雪のせいで速度が出ない。颯谷はもう一度刃を放って中鬼を仕留めた。


「ふう……」


 すべてのモンスターを片付けると、颯谷は大きく息を吐いた。そして中鬼が作ってくれた道、いやわだちというべきか、それを視線でなぞる。彼は一つ頷いてからその轍を歩き始めた。


 中鬼が作った轍は、やはりというか歩きにくかった。ただ何も除雪されていない場所と比べればはるかに歩きやすい。颯谷はときどき顔をしかめながらも、無駄に氣を消耗することなく目的の仙樹の近くまで行くことができた。


 そして仙樹のところへ到着すると、颯谷はすぐ貪るように仙果を食べ始めた。同時に温身法を使って身体を温め、外纏法で纏う氣の層を厚くする。それを維持する目的もかねて、彼は食べられるだけ仙果を食べた。


 お腹がいっぱいになると、颯谷は「さて」とつぶやいてから周囲を見渡す。ちょっと食べすぎた。いま動くとお腹が痛くなりそうなので、お腹が落ち着くまでの間に考えるべきことを考えておこうかと思う。


「考えるべきことと言えば……」


 それは「雪の中の移動をどうすればいいのか?」だろう。氣を放って除雪するやり方は、氣とエネルギーの消費が大きすぎる。とても多用はできない。モンスターが作った轍を利用するのはいいアイディアだったが、この方法だと自由にあちこち行くことはできない。やはり何か別の方法を考える必要があるだろう。


 雪の中の移動というと、すぐに思いつくのはかんじきやスキー、スノーモービルなどか。共通しているのは接地面積を増やして重さを分散させている点。その理屈で言えば、颯谷も接地面積を増やして体重を分散させれば、雪に沈み込むのを軽減できる、はず。


「どうやるよ……?」


 しかしものの最初から、颯谷は途方に暮れた。身一つしかないこの状況で、どうやって接地面積を増やすのか。というより、それが可能なら先人たちだってかんじきを必要とはしなかっただろう。


 とはいえ、それでも少しは考えてみる。四つん這い、匍匐ほふく前進、そこまで考えて「やっぱりダメだな」と、颯谷は肩をすくめた。ではほかにどんな方法があるだろうか。


 たぶんそれ用の道具を作るのが正攻法なのだろう。それこそかんじきのような。だが道具も知識もない彼にそれは難しい。時間さえかければそれなりのモノは作れるかもしれない。だが今の彼にはその時間こそが惜しいのだ。


「となると……」


 分かっていたことではあるが、手持ちのカードで何とかするしかない。颯谷は腕を組んで改めて考え込んだ。自分が持っているカードは何で、それはどう使えるのか。


「つっても、オレができることなんて……。あ、そういえばマシロがいたか……」


 マシロにソリでも引かせようかと考える。まあ冗談だが。とはいえ自力でとなると、使えそうなカードは一つしか思い浮かばない。つまり氣功能力だ。


「氣……、氣でどうするよ……?」


 やや途方に暮れながら、颯谷はそう呟いた。氣で雪をどうにかするだなんて、何も思い浮かばない。いや、思い浮かぶアイディアもあるのだが、どれもこれも消費が激しそうだ。つまり使い物になりそうにない。


「ホントに、どうしろってんだよ……」


 眉間にシワを寄せながら、やや苛立った声で颯谷はそう呟いた。そしてふと仙樹を見上げた。仙樹はすでに葉を落としている。だが実は以前と変わらずにつけている。今までは「そういうものだ」と思って気にしていなかったが、改めて考えてみれば不思議な光景だ。


(葉は光合成のためのモノ……。葉がないのに実が付くってのは、その分のエネルギーとか養分はどこから……?)


 普通に考えれば根だろうが、そもそも三日程度で実をつける時点で普通の植物とは言い難い。異界の外では枯れてしまうことも含め、かなり特殊な植物だと思った方がいいだろう。


(やっぱり……)


 やっぱり氣とか、そういうモノと関係があるのだろうか。颯谷はふとそんなふうに考えた。ある、と考えるのが妥当だろう。何しろ仙果を食べることで氣功能力が覚醒するのだから。以前、異界は氣功的には温室やビニールハウスのようなものなのかも、と考えたことがあるがその予感がさらに強くなる。


「……ってことは……」


 颯谷はそう呟き、目に氣を集中させて凝視法を使う。以前は日中に凝視法を使っても、植物の微量な氣を観測することはできなかった。しかし今は違う。氣の量が増えたことで、凝視法のいわば感度も上がっている。最近は日中、普通の樹木でもその微量な氣が見えるようになった。ならばきっと仙樹も見えるだろう。


 それで彼は凝視法で仙樹を見た。いまさら仙樹についてあれこれ調べたからと言って、雪の中で動くための良い方法がわかるわけではないだろう。颯谷もそれはわかっている。だからこれはちょっとした息抜きみたいなもの、のはずだった。


 しかしその無駄だったはずの行動が、ブレイクスルーを引き寄せる。目を開けた次の瞬間、颯谷は驚いた。ただしそれは仙樹に驚かされたわけではない。氣を視覚的にとらえたときに見える、蛍が放つ光に似たその明かりが、視界いっぱいに広がったのである。


「え、これ……、雪……?」


 目の前の光景に唖然としながら、彼はただそう呟いた。


マシロ「犬がインドア派で何が悪い!」

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― 新着の感想 ―
[一言] レディに寒さは大敵なのです。 なのでマシロのために颯谷は一面雪景色な外で活動頑張って!笑
[一言] 除雪鬼微笑ましい
[良い点] 東北地方の季節の移り変わりの描写が好き。 九州出身としては急速に寒くなっていくさまが興味深い。
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