焼き入れ
剛がハンマーを振るって実験を行ったその翌週の週末。仁科刀剣では実験で作成した短刀の検証が行われていた。実験の主な目的は、これまで颯谷が行ってきた実験の再現性の確認。そして再現性は確かに認められた。
「ははは、これは凄い!」
子供の様に目を輝かせているのは、ごついおっさんである剛。彼は自分が打った短刀に氣を流しながら歓声を上げた。彼が今試しているのは一連の実験の中で最後に打った短刀。つまり「虹石で天鋼を加熱し、一級仙具のハンマーを使い、練氣法を応用して打った短刀」である。
「正直、準一級というのは半信半疑だったが、なるほど確かにこれはそのレベルだ……!」
天鋼製とは思えない、その氣の通り具合。剛は口角が上がるのを止められなかった。颯谷も妖狐の眼帯で確認しているが、仙樹刀よりも明らかに氣を滑らかに通すことができている。「準一級」というのは彼自身が言い出した単語だが、なるほど確かにそれが相応しいことを再確認できた。
「タケさん。コレと比較してみましょう」
そう言って颯谷が取り出したのは一振りの短刀。これも「虹石で天鋼を加熱し、一級仙具のハンマーを使い、練氣法を応用して打った短刀」である。役得として頂戴したブツだが、今日は剛が打った短刀と比較するために持参したのだ。
ただ比較と言っても準一級仙具として機能させることは打った本人にしかできない。だから颯谷の言う比較とはそういう意味ではない。それぞれがそれぞれの打った短刀に氣を流しながら、その様子を眼帯とモノクルで確認するのだ。
「ふぅむ……、これは、颯谷が打った短刀のほうが少し濃い、か……?」
「やっぱりそう視えますか。氣の流れとしては、タケさんのヤツの方が整って視えますけど」
颯谷がそう言うと、剛は興味深そうに顎先を撫でながら頷いた。この二振りの短刀は同じ条件で打たれたようでいて、実はそうではない。剛が打った短刀は颯谷のアドバイスのおかげで、いわば技術の精度が上がっている。これまでの実験の集大成と言っていいだろう。
一方で颯谷が打った短刀は、彼が全力で氣を叩き込んだ。そして桐島颯谷が有する氣の量はまさに恐竜レベル。これほどの氣を叩き込んで仙具が作られたのは、おそらく有史以来初めてなのではないか。そういうシロモノだ。
これまでの実験と考察を踏まえるなら、「可視化された氣の色が濃い」というのは「それだけ多くの氣を仙具に込めることができる」ことだと言える。つまり氣の許容量は颯谷が打った短刀の方が大きいわけだ。
一方で「氣の流れが整っている」というのは、「淀みや歪みが少なく、スムーズに氣が流れている」と理解できる。要するに「癖が少なくて使いやすい仙具」と言えるだろう。例えば伸閃なんかの技を使う時には、こういう仙具の方がやりやすいのではないか。颯谷はそう思った。
例えるなら、これは水路だ。水路は真っ直ぐなほど水が流れやすい。そして幅が同じでも深い水路のほうがより多くの水を流せる。水路を真っ直ぐにするには技術が必要で、水路を深くするには氣の量が必要になる、ということだろう。
ただし現状、この水路は個人認証付き。つまり打った本人しか準一級仙具の有用性を享受できない。となれば次の段階として万人が使える天鋼製準一級仙具の作成を考えるのは、至極当然のことだろう。
ただ、言葉にすれば簡単だが、実際にそれを実現するためには一体何が必要なのか。ちょっと考えてもすぐには出てこない。もちろん考えるための時間は必要なのだろうが、それはそうとして、「ここらで一度立ち止まってはどうか」という意見が出た。
「ここまででも一定の成果は出ている。まずはそれを整理する、というのは良いかも知れませんね」
「それは、確かに」
宏由の言葉に剛はそう応じた。使用者が限定されてしまうとはいえ、天鋼で一級に準じるほどの仙具を作ることができるようになったのだ。それ以外にも成果は出ており、一連の実験はそれなりに満足のいく結果を残したと言ってよい。
長らく停滞していた、天鋼製仙具の改良という分野を大きく前進させたのだ。その意義は大きい。それをまとめて一区切りにしよう、ということになった。
これらの成果が特許に結びつくのかはまだ分からない。レポートをまとめ、さらに技術に強い弁護士も交えて後日それを検討することになった。ただ、もし特許を取れるならそれは駿河仙具と仁科刀剣の連名で取る、ということになった。
「提携の、枠組みは残しておきましょう。また何か面白い実験を始めたら教えてください。内容次第ですが、資金提供を検討しますよ」
「はい、その時はよろしくお願いします」
さらなる改良の可能性を見越しての事だろう。そう言って剛と清嗣は握手を交わした。こうして剛は静岡に帰った。ちなみに自分が打った短刀、特に練氣法を応用した短刀を、彼はサンプルとして持ち帰っている。モノクルを使えば視覚的に見せることはできるので、説明する際に使うつもりらしい。
こうして実験は一区切りとなったわけだが、しかし颯谷のやりたいことはまだすべて終わっていない。剛の実験が入ったことで中断していた颯谷の実験。自身の集大成としていよいよそこに取り掛かろうと思い、彼はその日の夜に俊へメッセージを送った。
そして翌週の土曜日。テストが近くなってきて勉強もしなければならないのだが、「夜やるから」と自分に言い訳して、颯谷は玄道に送ってもらい仁科刀剣へ向かった。工房ではすでに準備が始まっていて、彼も頭にタオルを巻いて気合を入れた。
今日打つのは長刀を一振り。颯谷はサンプルとして持参した仙樹刀を清嗣に見せ、長さや反りについて彼と念入りに打ち合わせをした。そしていよいよ作業が始まる。ただ颯谷が手に取ったのはハンマーではなく火ばさみだった。
「あ、こっから先は部外秘でお願いしますね。良いですか?」
颯谷がそう念押しすると、清嗣と宏由が頷き、それを見て俊も慌てて首を縦に振った。まあ実際のところ、颯谷としてはすべてを説明するつもりはない。だから見たモノをそのまま話すくらいならそれほど困らないのだが。とはいえ好き勝手にうわさされても困るので口止めした次第だ。そして仁科家の面々に口止めしてから、彼は一つ頷いてこう言った。
「そんじゃまあ、ご照覧あれ、と」
火ばさみに虹石を挟み、そこに狐火を点火する。青白いその炎を颯谷が灯したとき、清嗣と宏由と俊と玄道の四人全員が息をのんだ。しかし彼は気にせず、狐火を纏って燃える虹石を炉へと投入する。炉の中ではすでに虹石が燃やされていて、炉の炎はたちまち青白く染まった。
そのまま、しばし待つ。投入した虹石がすべて燃え尽きたのだろう、炉の炎が再びオレンジ色になる。それを見て、颯谷は清嗣に一つ頷いた。清嗣も一つ頷きを返すと、炉の中から狐火で十分に熱せられた天鋼の地金を取り出す。そして金床の上に置いた。
「ふっ……!」
内氣功を滾らせ、鋭く呼気を吐きながら、颯谷はハンマーを振り下ろす。そして練氣法を応用しながら氣を込めた。妖狐の眼帯を装着しているので、流れていく氣の様子が良く視える。地金の向きにも気を付けながら、彼は全力でハンマーを振るい続けた。
長刀を打つのはコレが二度目。短刀と比べれば当然ハンマーを振るう回数は多くなるし、その分氣の消耗も多くなるが、いずれも颯谷にとっては問題のない範囲だ。それが分かっているだけでも気分的には楽で、彼は集中力を切らさないことだけ気を付けてハンマーを振るい続けた。
「よし。もういいだろう」
そう言って清嗣が颯谷を制止する。彼が「ふ~」と息を吐いている間に、清嗣はさらに何度か小槌を振るって最後の仕上げをした。
これまでの実験であれば、颯谷の仕事はこれで終わりだ。後の焼き入れや研ぎは仁科刀剣でやってもらっていた。だがここで清嗣が思いがけない提案をした。
「狐火、だったか。焼き入れをする際に、その狐火を使ってみないか」
その発想はなかった、と思い颯谷は軽く目を見開いた。狐火をいわば二重で使うことで、より強く影響を及ぼすことができるのはないか。そう考えたわけだ。それに加えて、颯谷はさらに別のことにも思い至る。
「それって、普通に虹石を使うだけでも効果があるんじゃ……」
颯谷がそう呟くと、同じ手法に思い至っていたのだろう、清嗣と宏由も口の端を小さく歪めながら頷いた。剛と話していた時にはもうアイディアは出尽くしたように感じたのだが、こんなふうにポロリと出てくるとは。分からないモノである。
ともかく「思いついたのだからやってみよう」という話になり、炉の中へまた虹石と天鋼の地金が投入される。検証用の短刀を打つためだ。地金が熱せられるのを待つ間、宏由がふと思いついたようにこう言った。
「しかし狐火もそうですが、虹石を使うとなると、焼き入れのタイミングを見極めるのが難しくなりそうですね」
「……仕方があるまい、放射温度計を使おう」
少々気に入らない様子で、清嗣はそう答えた。職人気質の彼からすれば、機械に頼ることには忸怩たる思いがあるのかもしれない。
さてそんな話をしている間に、天鋼の地金が真っ赤に仕上がった。清嗣が火ばさみで取り出したそれを、颯谷がハンマーを振るって鍛える。もちろん練氣法を使いながら。二人は慣れた手つきで、いつも通り三振りの短刀を打ち上げた。
「焼き入れだけならそれほど時間はかからないから」と言われ、颯谷は玄道に送ってもらい次の水曜日の放課後にまた仁科刀剣へ向かった。工房に向かうと準備はすでに整えられていて、彼が到着したことで早速焼き入れの作業が始まった。
炉に虹石が投入される。颯谷が妖狐の眼帯を使い、炉内に氣功的なエネルギーが充満したことを確認すると、清嗣が一つ頷いてからそこへ土を盛った短刀を突っ込んだ。放射温度計を使い、短刀の温度が上がっていくのを見守る。そして一定の温度になったところで清嗣は短刀を炉から取り出し、すぐさま水の中へ突っ込んだ。
ジュウゥゥ! と激しい音がして、同時に水蒸気が立ち込める。十分に冷やしたところで、清嗣はその短刀を宏由へ手渡した。そして虹石を補充してから、次の短刀をまた炉の中へ入れる。三振りの短刀を全て同じようにした。
颯谷は一連の様子を妖狐の眼帯でずっと観察していたのだが、何か大きな変化が起こっているようには見えなかった。本当に意味があったのか、ちょっと不安になる。そうしている間に三振りの短刀の焼き入れは終わり、いよいよ(颯谷的には)本命の長刀の番になった。
俊が手渡してくれた火ばさみで虹石を挟み、颯谷はそこへ狐火を点火する。その青白い炎を纏った虹石を、彼は炉の中へ放り込んだ。たちまち炉の中の炎が青白く染まる。すかさず清嗣が炉の中へ長刀を差し込んだ。
「……そう言えば、狐火の温度って、どんな感じなんですか?」
「ふむ……、普通の炎と比べれば少し高いな。ただ非常識に高いというほどではない」
清嗣が放射温度計から目をそらさずにそう答える。颯谷は「なるほど」と思い、後は黙って彼の作業を見守った。狐火を使っても、何か大きな変化が起こっているようには見えない。焼けた刀身が水の中に入れられ、たくさんの水蒸気が立ち込めて、焼き入れは終わった。
仕上げは仁科刀剣でやってもらい、検証はまた次の土曜日。ただその前に清嗣から電話があり、彼が試してみたその結果を聞くことができた。
まず三振りの短刀だが、清嗣が試してなんと二級相当の氣の通り具合を確認した。準一級から格が落ちているとはいえ、使い手を選ばないならばその需要は巨大だ。大発見、と言ってよいだろう。
一方で狐火を使った長刀だが、こちらは清嗣が氣を流そうとしてもうんともすんとも言わなかった。彼の氣を全く受け付けなかったのである。「まるで石のように硬い手応え」だそうで、彼は別の意味で驚いていた。
「それでな、駿河さんにもぜひ参加してもらいたいと思うのだが、どうだろう?」
「ああ、まあ、そうですねぇ……」
颯谷の返事は歯切れが悪い。三振りの短刀については、彼も否やがあるわけではない。だが長刀に関しては、狐火を使ってあれこれしている関係上、剛であってもあまり知られたくなかった。そもそも、あの長剣は彼の個人的な依頼品なのだ。
「桐島君の言いたいことは分かるつもりだ。それで、もしよければ、これから納品に伺おうと思うのだが、どうだろうか?」
「え、良いんですか? じゃあお願いします」
少し驚きつつ、颯谷はそう答えた。長刀を先に持ってきてくれるのなら、つまり剛に見せずに済むなら、彼としても問題は何もない。それで彼のほうから剛に連絡し、希望するならまた一緒に検証会をやることになった。
そして電話を切ってからおよそ三十分後。桐島家の呼び鈴がなった。返事をして玄関に出ると、そこには清嗣の姿が。颯谷は彼から布の袋に入った長刀を一振り受け取った。一緒に打った短刀と区別するために「長刀」と呼んできたが、颯谷が扱いやすいことを優先して作っているので、一般的な長刀よりは短い寸法になっている。
「少し、氣を通して見てくれないか」
やはり清嗣も気になるのだろう。彼にそう言われ、颯谷は一つ頷いて布の袋から長刀を取り出した。そして短く鯉口を切ってから、その刀に氣を通す。清嗣が試したときには「まるで石のように硬い手応え」で、ほぼまったく氣が流れなかったというが、果たして……。
「いや、これ、凄いですよ……!」
驚きで目を見開きながら、颯谷はそう答えた。手応えとしては準一級を超えている。つまり一級相当だ。そのことを清嗣に伝えると、彼は感慨深げにこう呟いた。
「なるほどなぁ……。では、桐島君の依頼はこれにて完了ということで良いかな?」
「はい。ありがとうございました」
そう言って颯谷が頭を下げると、清嗣は「いやいや」と言って笑みを浮かべる。そしてこう続けた。
「こちらとしても楽しい仕事だった。ではまた、土曜日に」
「あ、はい。タケさんが参加するか分かったら、また連絡します」
そう言って颯谷は清嗣を見送った。手にはしっかりとした重みのある天鋼製の長刀。正直、このまま色々と検証を始めたいのだが、辺りはもうすっかり暗くなっているし、かといって部屋の中で狐火を使うのは躊躇われる。また剛に電話もしなければならない。検証は明日やることにして、まずは電話をしてしまおうと思い、彼は二階の自分の部屋へ向かうのだった。
宏由「会議中にいいアイディアは出てこない、ってことですねぇ」




