かこつけて
日曜日。昨日に続いて颯谷と剛は仁科刀剣を訪れていた。今日はいよいよ本命の実験、つまり「一級仙具のハンマーと虹石を併用し、さらに練氣法を応用した作刀実験」を行う予定になっている。
工房では準備が始まっていた。炉には火が入り、清嗣と宏由があれこれと作業をしている。どうやら虹石もすでに炉にくべられているらしい。それを見て剛も準備を始めた。実験の回数を重ねてきたからか、お互いに言葉はいらない。阿吽の呼吸で準備は進んだ。
「完成形はコレくらいで、刃は向かって左側に。これを基本形で」
「分かりました」
実際の作刀作業に入る前、清嗣と剛は念入りな打ち合わせをした。これは昨日の実験を見学していた颯谷の指摘を踏まえてのことだ。そして一通りの打ち合わせが終わると、清嗣がこう言った。
「では、始めますか」
「はい、お願いします」
剛の言葉に一つ頷いてから、清嗣は炉から火ばさみで真っ赤に熱せられた天鋼の地金を取り出し、金床の上に置いた。そこへ剛がハンマーを振り下ろす。カンッ、と金属音が小気味よく響いた。
(さすが……。良く修正してる……)
その様子を、颯谷も妖狐の眼帯を装着して見守っている。氣の流れ方は、昨日と比べてスムーズだ。地金の向きを変えることで生じていた歪みや淀みも、事前の打ち合わせのおかげでかなり改善されている。これは結果が期待できそうだ、と彼は思った。
一振り目の作刀が終わり、そのまま二本目に移る。剛に疲弊した様子はない。彼がハンマーを振り下ろすと、颯谷は一振り目との違いに気が付いた。剛が込めている氣の量が一振り目より多い。どうやらいよいよ本気を出したらしかった。
これも颯谷のアドバイスだ。出力を上げることで天鋼へ込める氣の量を増やすのだ。ロスが多いし、本来なら効率を上げるのが一番良い。だが作業精度を上げるのは一朝一夕とはいかない。完成品の質を上げる手っ取り早い方法が出力を上げることなのだ。
「ふっ……!」
剛が鋭く息を吐きながらハンマーを振り下ろす。昨日の実験と先ほどの一振り目で、練氣法を応用するその勘所はだいたい押さえたらしい。出力を上げても、つまりより多くの氣を扱うようになっても、彼の氣の制御が乱れたようには見えない。剛の氣功能力者としてのスキルの高さがうかがえた。
「ふう……」
二振り目を打ち終えると、剛はさすがに少し疲れた様子で、一度大きく息を吐いた。清嗣が視線を向けると、彼は深呼吸してから頷きを返す。それを見て清嗣は三振り目の作刀に取り掛かった。
颯谷が見るかぎり、二振り目と三振り目で氣を込めていく様子に大きな差はないように思える。剛もテンポよくハンマーを振るっていて、作刀は順調に進んだ。ただ作業を終えると、剛は肩を上下させて荒い呼吸を繰り返している。汗も滝のように流れていて、かなり消耗したことが窺えた。
作業が終わると、五人は母屋で一服する。剛から作業中の、特に氣功操作のことを聞かれ、颯谷は自分が感じたことを正直に話す。丁寧に打ち合わせしたかいがあったことが分かり、剛は満足げに頷いた。そしてお茶を一口飲んでから、やや難しい顔をしてこう続ける。
「それにしても、もし今回の実験で再現性が確認されたら、ますますハンマーが問題になるなぁ」
「私としては、ハンマーより先に氣の量の問題が立ちはだかるように思いますが……」
清嗣はそう言ったが、それは彼が征伐隊に入ったことがないから、そういう意見になるのだろう。氣の量が問題になるなら増やせば良い。征伐隊に入る氣功能力者ならそう考えるはずだ。もちろん簡単なことではないだろう。しかし解決の方法が明確なのだから、そこで悩んだり迷ったりすることはないはずだ。
だから颯谷としても、この先多くの者が悩まされることになるのは、一級仙具のハンマーをどう用意するのか、という問題だと思う。これは個人の努力で解決できる問題ではない。有力武門駿河家の当主である剛ですら、結局目途が立たなかったのだ。いざやろうとして、ここがネックになる者は多いだろう。
「……タケさん。仙樹鋼でハンマー、作った方がいいんじゃないんですか?」
「やはり、そうなるか……」
「正直、このままだとオレんところに電話が殺到しそうで」
「一日十万くらいで貸し出したらどうだ?」
「死ぬまで手元に戻ってこないんじゃないですかね、それ」
生涯日給十万円はちょっと憧れるが、それはそれとして。問題は要するに需要が大きすぎるということ。ならば多少の妥協をしてでも供給量を増やすしか解決策はない。そしてその場合、二級相当で量産可能な仙樹鋼製のハンマーは有力な選択肢だ。
「まあ、どのみち武器にも手を出すつもりだったし、その場合はまず鈍器からとも考えていた。そう言う意味ではちょうどいい、か……」
そう呟き、剛は小さく頷いた。社長である数馬の仕事がまた増えたような気がしたが、きっと気のせいだ。その後、お昼が近くなってきたところで、剛と颯谷は仁科刀剣を後にした。二人が向かうのは桐島家、ではなく木蓮のマンション。せっかくだからということで、三人で外食しようという話になったのだ。
「……さて颯谷君。木蓮に店を探しておいてくれと頼んだわけだが、我が姪っ子の今日のチョイスは一体なんだと思う?」
「そうですねぇ……。じゃあトムヤンクンで」
「なら私は……、手打ち蕎麦だな」
「ちなみにイタリアンとかフレンチという線は……」
「無いな」
「ですよねぇ」
そう言って颯谷と剛は互いに苦笑を浮かべた。ちなみに「おしゃれなカフェでサンドイッチ」という線もないと二人は確信している。木蓮はそういうのが好きではない、ということではない。ただなんというか、彼女は自分からはそういうのは選ばない、という確信があった。
颯谷が事前に連絡しておいたので、木蓮はマンションの外に出て二人が来るのを待っていた。車が停車し、颯谷が助手席の窓を開けて手を振ると、木蓮はパッと顔を輝かせて手を振り返し、小走りになって後部座席に乗り込んだ。
「颯谷さん、あと叔父様も、こんにちは」
「こんにちは」
「おいおい、私はついでか?」
「今日はご馳走になりますね」
「まったく。……で、木蓮。どこに行くんだ?」
「あ、はい。ナビしますね」
そう言って木蓮はスマホを取り出し、地図アプリを開いて道案内を始めた。彼女の指示に従って車を走らせることをおよそ十五分。到着したのは和食っぽいお店だった。この時点でトムヤンクンはないと言ってよいだろう。手打ち蕎麦はありそうだが、果たして木蓮が選んだのは……。
「まさかのイカ飯……!」
「前に見つけて、ずっと食べてみたかったんですよ」
ニコニコしながらそう答え、木蓮はさっそくイカ飯に箸を伸ばした。そしてたちまち顔をほころばせる。颯谷はそんな彼女の様子を見て、次に剛と視線を交わし、それから小さく肩をすくめた。
「え、どうしたんですか、二人とも」
「いや、なんでもない。オレも食べよ、……いただきます」
そう言って颯谷は箸に手を伸ばした。ちなみに彼が頼んだのは海鮮丼。木蓮が「そっちも美味しそうだな~」という視線をチラチラ送って来るので、甘えびとイカ飯一切れを交換した。ちなみにイカ飯は結構おいしかった。
「悠斗ちゃんは元気ですか?」
ご飯を食べながら、木蓮は剛にそう尋ねた。「悠斗」というのはこの前生まれたばかりの剛の息子だ。駿河家にとっては正之以来、待望の男子である。
「ああ、元気だぞ。元気すぎて大人が疲弊しているな」
「まあ」
剛が冗談めかして答えると、木蓮はおかしそうにクスクスと笑った。とはいえ彼の言葉はあながち冗談でもないのだが。木蓮は末っ子だし颯谷も一人っ子で、つまり弟や妹の世話をしたことはない。それで赤ん坊の世話というのが具体的にどういうモノなのかは二人ともよく分かっていなかった。
まあ剛としてもそれをどうこう言うつもりはないのだが。彼は最近の子育てで大変だったことを幾つかチョイスし、冗談めかしながら二人に話した。もちろん食事中なので話すネタは厳選した。笑いが絶えなかったので、好評だったと言ってよいだろう。
「ウチによってお茶を飲んでいきませんか?」
デザートまで食べ終えて食事処を後にすると、木蓮が二人をそう誘ってくれた。ただ剛は新幹線の時間があるし、また颯谷を家に送らなければならない。それで彼女の部屋には寄らず、マンションの前で降ろして別れた。再び二人になった車内で、颯谷は木蓮がいた間は話しづらかった話題をこう切り出した。
「そういえばタケさん、印鑑証明、でしたっけ? まだ判子のモノが来てなくて、用意できてないんです。たぶん今回の実験の検証をやるときまでには用意できてると思うんですけど……」
それを聞き、剛はハンドルを握りながら一つ頷いた。そしてバックミラー越しに後部座席に座る颯谷へ視線を向けてこう答える。
「急がなくていいぞ。それより、実印の話をしたということは、身辺調査のこと、木蓮から聞いたのか?」
「ええ、まあ。……言いにくそうにしてましたよ」
「らしい話だ」
その時の姪っ子の様子を想像し、剛は小さく含み笑いを漏らす。それを聞いて、颯谷も少しばかり眉をひそめた。
「タケさんはもうちょっと悪びれても良いんじゃないんですかぁ?」
「なんだ、嫌だったのか?」
「そりゃ、『わーい、身辺調査してくれてありがとう』、とはならんでしょ」
「くっくっく……。まあ、そうだな」
口の端を歪ませながら、剛はそう答えた。それからしばらく、車内には沈黙の帳が降りる。とある交差点で赤信号につかまり、白線に車を停止させたところで、剛はおもむろにこう語り始めた。
「身辺調査は私がやったことだ。木蓮のことは嫌わないでやってくれ」
「それはもちろん。……ってか、なんで木蓮に教えたんですか? 黙っていれば、俺に知られることだってなかったでしょうに」
「知っておくべきだと思ったから、かな」
「それはオレが駿河仙具の大株主だから、ってことですか?」
「それもある。だがそれだけじゃなくて、何というかな……」
赤信号に視線を向けながら、剛は少し考え込んだ。そしてこう言葉を続ける。
「あの子は、たぶん颯谷が思うより強いし覚悟もある。だからもう少し、色々と分けてもいいんじゃないのか?」
「……そういうの、余計なお世話って言うんですよ、たぶん」
「はは、そうかもな」
悪びれた様子もなく剛は笑ってそう答えた。それから少し躊躇う様子を見せ、若干言いにくそうにしながら、さらにこう続ける。
「……あとは、まあなんだ、ずっと気になってはいたんだ」
「何がです?」
「……あの時の坊主はどうなったのか、とかな」
「それは……」
「だからまあ、かこつけて、という部分はあったかもしれん」
「…………」
「私がとやかく言うことではないんだろうが……、頑張ったな、颯谷」
颯谷は何も答えず、視線を窓の外へ逃がした。信号が赤から青へ変わり、そしてまた車が動き出す。
数馬「また仕事が!? せめて受注生産でお願いします!」




