追試実験
一級仙具のハンマーと虹石を併用し、さらに練氣法を応用した作刀実験の再現性確認のための追試。言葉にすれば無用に長いし、他にもすることはあるのだが、ともかく剛が仁科刀剣で短刀を打つ日が来た。予定通り土曜日なのだが、剛は前入りせず、作業は午後からになった。
「忙しかったんですか?」
「まあ忙しいことは忙しいが……。最大の理由はやはりモノクルだな」
仁科刀剣の工房で宏由と俊が事前準備を行うのを見守りながら、颯谷と剛はそう言葉を交わす。武門駿河家当主としての仕事に、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの新会社駿河仙具の会長としての仕事。剛が多忙なのは間違いない。
だが今回前入りできなかったのは、それ以上にモノクルの使用計画の調整ができなかったからだという。いや、何とか調整してこの土日を空けさせたと言った方が正しい。要するにこれ以上の横やりは無理だったのだ。
「そうでなくともここ最近はコッチに来るたびにゴリ押ししていたからなぁ。もちろんそれだけの価値はあったと思っているが、まあ何度も重なればさすがに、な」
そう言って剛は苦笑を浮かべた。何のために一級仙具のモノクルが必要なのか、彼はちゃんと周囲に説明している。そして周囲もその意義は理解している。そもそもモノクルは駿河家本家の所有なのだ。分家には貸し出しているに過ぎない。だから剛が好きに使ったとして、それで文句を言われる筋合いなど本来はないのだ。
しかしそうは言っても、それで納得できるなら争いなど起こりはしない。納得できないからこそ不満が溜まるのだ。そして剛の立場からすればそういう不満を無視するわけにはいかない。当主として「あるべき論」を振りかざすのは楽だが、実際問題としてそれで人はついてこないのである。
それで方々根回しし、調整し、どうにか土日二日間の予定を空けた、ということらしい。当主というのはもっと絶対的な権力を持っているんじゃないかと颯谷などは思ったが、「戦国時代じゃないんだから」と言って剛はそれを否定した。
さて本日の予定だが、まずは剛の作刀実験を行う。そして二人が話している間に、作刀のための前準備が完了した。清嗣が小槌を持って剛に視線を向けると、彼は一つ頷いてから頭にタオルを巻いた。動きやすい格好をした今の彼は「土方のおっちゃん」という雰囲気だ。
(似合ってるなぁ)
ちょっと失礼かもと思いつつ、颯谷は内心でそう呟いた。今の剛を見て、何人が名門武門の当主だと見抜けるだろうか。本人もどことなくウキウキしているように見えるから、当主よりもこういうことをやっている方が楽しいのかも知れない。
颯谷がそんなことを考えている間に、いよいよ作刀作業が始まる。彼から借りた一級仙具のハンマーを、剛が高々と振り上げた。そして真っ赤に焼けた天鋼へと振り下ろす。“カンッ!”と小気味よい音が響き、小さな火の粉が飛び散った。
ハンマーを振るう剛の姿は、なかなかどうして板についていた。後で聞いた話だが、知り合いの工房で練習させてもらったらしい。もちろん一人で作刀できるわけではないが、初心者にありがちなぎこちなさがない。ときおり清嗣が合いの手を入れながら、作刀作業は軽快に進んだ。
「…………」
その様子を、颯谷は妖狐の眼帯を装着して観察している。今やっているのは、虹石で天鋼を熱する実験。練氣法はまだ使っていないが、氣功能力自体は当然使っているので、眼帯を使えばその様子がはっきりと視える。
(なるほど、こんな感じなのか……)
真っ赤に熱せられた天鋼の地金へハンマーが振り下ろされるたび、同時に氣が叩きつけられている。ただしその半分以上、もしかしたら大半が天鋼の地金に込められることなく、大気中へ霧散してしまっている。ロスが多いことは分かっていたが、第三者の視点で視てみるとそれがとても分かりやすかった。
(ロスを減らせれば、品質も上がるような気がするんだけど……)
つまり、現状五割以下の効率をせめて七割程度まで上げることができれば、それだけ多くの氣を天鋼に込めることになるのだから、完成品の品質も上がるだろう、ということだ。だがどうすればソレができるのか、具体的な方法は今のところ何も思いつかない。
ただ、結果的に「より多くの氣を込める」だけで良いのなら、方法はある。効率ではなく出力を上げるのだ。そうすればロスしてしまう分も増えるが、天鋼へ込める氣の量も増えるだろう。
(つまりオレのやり方で正しかったわけだな)
出力を上げるというやり方は、以前の実験で颯谷が使った手法。それで正解(より正しくは正解の一つ)だったことを再確認し、彼は小さく頷いた。そしてそうこうしている間に、剛が三振りの短刀を打ち上げた。
残る実験はあと二つ。一級仙具のハンマーを用い、練氣法を応用した作刀の実験(二つ目)とさらにそこに虹石を加えた実験(三つ目)である。最初の実験ですでに虹石を使っているので、ここは三番目の実験からやった方が作業としてはスムーズだ。
ただ三つ目の実験はいわば本命。「本命の前に練氣法を応用する感覚を掴んでおきたい」という剛の要望もあり、順番通り二つ目の実験から行うことになった。炉の中から虹石の効果が消えるのを待つ間、颯谷は剛にこう尋ねた。
「どうでしたか?」
「上出来だな。それなり以上にできたと思う。最初はハンマーが、こう氣が滑るような感じで、少し振り回されたがすぐに慣れたしな」
手応えを表情に滲ませながら、剛はそう答えた。聞けば、地元で練習したときには、結局普通のハンマーを使ったのだとか。それで氣を込めながら打つのはこれが初めてという話だった。
「氣を放つ、氣を込めるというのは、武芸の鍛錬では良くやるからな。ぶっつけ本番でもできるだろうという自信はあった。だが練氣法を応用するのはなぁ……」
難しげな顔をしつつ小さく首を傾げて、剛は懸念を表明する。要するにちょっと自信がない、ということ。それもあり、本命は後回しにしたかったというわけだ。
そんな話をしながら少し待っていると、炉の中から虹石の効果が完全に消えた。一級仙具のモノクルでそれを確認して、剛はそのことを清嗣に告げる。彼は一つ頷いて天鋼の地金を炉に放り込んだ。
「よし、やろう」
天鋼が十分に熱せられたところで、清嗣がそう言って火ばさみを手に取った。剛も一つ頷いてハンマーを手に取り、目元にはモノクルを装着する。こうしたほうが練氣法を応用しやすい、というのが颯谷のアドバイスだ。さらに彼が実際に短刀を打っていた時の様子を思い出しながら、剛はハンマーを振り上げた。
カンッ、とハンマーを赤く熱せられた天鋼の地金に叩きつける。その際に氣を込めるのは先ほどの実験と同じだが、今回はただ無造作に氣を叩きつけるわけではない。「理想的な氣の流れ」というヤツをイメージしながらハンマーを振るい氣を込める。それが今回の実験の胆である。
(なるほど、これは確かに、見えている方がいいな……!)
ハンマーを振るいながら、剛は内心でそう呟いた。目視することで実情を把握し、イメージへ近づけていくことができる。仮に天鋼製仙具の作成において練氣法の応用が普通になったとして、氣の可視化をするとしないとでは完成品の品質に大きな差が出るであろうことは容易に想像がつく。
つまりまたモノクルや眼鏡型の一級仙具の需要が増すということ。今でさえ予約待ちだというのに。どこかの異界に眼鏡の国でも現れないだろうか。一瞬頭をよぎったそんなバカな考えを、剛は作刀に集中することで頭の外へ追い出した。
そうやって一心不乱にハンマーを振るう剛の様子を、颯谷も妖狐の眼帯を装着して観察していた。こうして第三者視点で練氣法を応用した作刀の様子を見るのは彼も初めて。自身の作業中は結構いっぱいいっぱいだったこともあり、余裕のある状態で観察すると新たに気付くことが幾つかある。
まず前提として、作刀の際には一方向からのみ地金を叩くわけではない。適宜九十度ずつ向きを変えながら地金を叩き、少しずつ刀の形に成形していくわけだ。この時重要なのは向きが変わるということ。向きを変えたとき、一緒に頭の中のイメージも回転させなければ、両者の間にズレが生じることになる。
(あ、また歪んだ。いや、淀んだ……?)
どちらにしても理想的とは言い難い氣の流れを視て、颯谷は内心でそう呟いた。とはいえ彼自身も同じようにやっていたはずなので、剛のことは笑えない。改善点が見つかったとポジティブに考え、彼はさらに注意深く作業を見守った。
作業が進み、だんだんと短刀の形がはっきりしてくると、「理想的な氣の流れ」をイメージするのは容易になってくる。颯谷の目にも氣が刀身の範囲内にきっちりと収まるようになってきたのが視えた。
ただ逆に言えば、今までは収まっていなかったということでもある。形ができていないのだから当然と言えば当然ではあるが、颯谷の目にはそこも改善点であるように思えた。つまり小槌を握る側との、意思疎通の不足だ。
(最初から目指すところがちゃんと共有されていれば、もうちょっと効率上がるんじゃね、コレ)
妖狐の眼帯の下で険しい表情をしながら、颯谷は内心でそう呟いた。これまで大槌側に求められていたのは、「金床の真ん中へ正確に大槌を振り下ろすこと」ただそれだけだった。刀の造形などは一切小槌側に任されており、それで何の問題もなかった。
だが練氣法を応用するとなると話は違ってくる。「理想的な氣の流れ」をイメージする時、当然ながら刀身の形というのは重要な要素になってくるからだ。それなのに目指すべき刀身の造形が大槌側に共有されていない。これは大問題、であるように思える。
(実際のところ全然重要じゃない可能性もあるけど……)
要検証かな、と颯谷は内心で呟いた。それはそれとして作業は進み、剛は短刀を三振り打ち終えた。彼の消耗具合も考え、今日の実験はここまで。本命の実験は明日ということになり、五人は母屋のほうへ移動した。そして一服してから、颯谷が打った短刀の検証に移った。
「虹石で天鋼を加熱し、一級品のハンマーを使い、練氣法を応用して打った短刀、か。さてどんなものなのか……」
打った短刀は全部で三振り。清嗣と剛と颯谷がそれぞれ一振りずつ手に取り、そして氣を込めた。結果は予想通り。つまり清嗣と剛は氣の流れが悪く感じ、颯谷は良く感じた。そしてその手応えについて、颯谷はやや興奮気味にこう話す。
「いや、これたぶん二級より良いですよ。準一級って感じじゃないですかね……!」
「そんなに、か……!」
「颯谷、そのまま氣を込め続けてくれ。モノクルで確認する。……なるほど、これは確かに」
氣の流れ具合を確認した剛が感嘆交じりの唸り声を上げる。ちょうど一級仙具のハンマーもあるのでそれとも比較したが、やはり今回の短刀は一級に準じるレベルで氣が流れている。ちなみに颯谷が出力を上げて打った短刀の場合は、目算で一割程度の上振れが認められた。いずれにせよ天鋼製の仙具でこの結果は画期的だ。打った個人限定とはいえ、である。
「……、ところでタケさん、持ち帰った短刀はどうでしたか?」
静寂が降臨した仁科家の居間で、少し居心地悪そうにしながら、颯谷は剛にそう尋ねる。なにやら難しい顔をしていた剛は、颯谷に声をかけられて顔を上げ、それからこう答えた。
「ん……? ああ、あの短剣な。コッチで試したときと同じ結果になったぞ。試した奴はみんな怪訝な顔をしていたな。『こんなの作ってどうすんだ』って顔だ」
そう答えてから、剛は持ち帰った三振りの短刀をテーブルの上に並べた。それを手に取り、なんとく氣を流しながら、颯谷はこう答える。
「となるとやっぱり、練氣法を応用した場合は、練氣法を使った本人しか使えない、って感じですね、これは……」
それを聞いて、清嗣と剛も頷いた。万人が使える天鋼製の準一級仙具。そんな都合の良いものはなかなか作り出せないらしい。とはいえこの結果が大きな一歩であることに間違いはない。
「こうなると、明日の実験がますます楽しみだな……」
口元に笑みを浮かべながら、剛がそう呟く。その言葉に清嗣と颯谷も頷いて同意した。打った本人限定とはいえ、天鋼製準一級仙具の作成に再現性があるなら、それはこの業界に革命をもたらすだろう。そのための実験を明日、行うのだ。
「じゃ、お疲れさまでした」
検証を終え、明日の予定を確認してから、剛と颯谷は仁科刀剣を辞した。二人は剛が借りたレンタカーに乗って桐島家に向かう。ちなみに颯谷は、行きは玄道に送ってもらったのだが、帰りはこうする予定だったので、玄道はすでに帰宅している。
帰り際、颯谷は清嗣から練氣法を応用した短刀六振りを渡された。「自分たちが持っていても仕方ない」と彼は言っていた。すでに検証も終えたことだし、それなら少しでも使い道がありそうな颯谷が持っていた方が良い、とのことだった。
「それに颯谷君には完全な善意で一連の実験に参加してもらっているからな。手数料代わりというわけではないが、まあ役得とでも思って受け取ってくれ」
「完全な善意ってわけでもないんですが、まあそういうことなら。ありがとうございます」
「うむ。ただ、この先また改めて見せてもらうこともあるかもしれない。その時はよろしく頼む」
「分かりました」
そう言って颯谷は六振りの短刀を受け取った。コレを本当に実戦で使うのかは分からない。だが特に準一級ともなれば死蔵しておくには惜しい。「今度、実際のところの使い勝手も検証してみよう」と思う颯谷だった。
剛「まあ、当主よりは性に合っているかもしれん」




