駿河家の新年1
新年。木蓮は実家に帰ってきていた。実家の自分の部屋に戻ってくるとやはりホッとする。高校二年生の二学期には大きなイベントが二つもあった。文化祭と修学旅行だ。
まず文化祭だが、木蓮(と颯谷)のクラスはダーツ喫茶をやった。ダーツゲームをやる傍らコーヒーを飲めるお店で、店員とダーツで勝負して勝つと、コーヒーセットが割引になるという仕組みだ。
ダーツセットは颯谷が持っている物を使い、コーヒーの粉はクラスメイトが親の伝手を使い格安で仕入れてきた。木蓮的には「緑茶なら無料で提供できたのに」と思っているのだが、それは口に出していない。それに、緑茶(和風)にしてしまうと、去年と似た感じになってしまうので、それもどうかと思ったのだ。
コーヒーは教室で淹れた。ドリップ方式で、廊下までコーヒーの香りが漂い、図らずもそれが客引きに繋がった。ダーツではなくコーヒー目当てに来る客もいたくらいで、バリスタ役の生徒は大忙しだった。
(あの香りは、緑茶にはないですよねぇ)
木蓮は普段あまりコーヒーを飲まないのだが、あの香りは結構好きだと思う。ちなみに颯谷は家だとコーヒー派だというので、今度はコーヒーも用意しておこうと思った次第である。
コーヒーと一緒に提供したのはパウンドケーキとクッキー。すべて焼き菓子にしたのは保存を考えてのことだ。それでもテイクアウトは無しにした。木蓮は菓子作りの方をメインにして、接客のほうは時間を減らしてもらった。軽音部のステージに出るためである。
木蓮が軽音部のバンドで文化祭のステージに出るのは、これで二年連続だ。ただ去年はキーボードとして出た。だが彼女が普段部活で練習しているのはドラム。始めたのは高校に入ってからだが、今年はいよいよドラムでステージに出ることができた。
(緊張しました……)
いま思い出しても、まだ少し手が震える。最初のカウントダウンは、本当に心臓が口から飛び出るかと思った。それでも曲が始まってしまえば、あとは練習通りに叩けた。彼女がドラムを叩いたのは四曲中二曲だったが、そのどちらも大きな拍手を貰えた。
『良かった! なんか、凄かった!』
ステージを見た颯谷は、若干興奮した様子でそう言ってくれた。その場の雰囲気込みだとは思うが、それでも褒めてもらえればうれしい。高校二年生の文化祭は、木蓮にとって忘れられない思い出になった。
それからあまり間を開けずに行われたのが、高校生活の中でも一、二を争うビッグイベント、修学旅行である。行き先は沖縄。十二月で、東北はもうすっかり寒くなっていたのだが、沖縄は半袖でも過ごせる気温だった。
沖縄には独自の琉球文化があり、それを学ぶというのが修学旅行の大きなテーマの一つ。また沖縄には日米安保条約に基づいて米軍基地があり、その存在を通して平和や安全保障などについても学んだ。
修学旅行中は、残念ながらあまり颯谷とは一緒に行動できなかった。班行動が基本で、班はそのままホテルで同室にもなるので、同性だけでかたまる形になったからだ。それでも自由行動の時には予定を合わせて一緒に街歩きをすることができた。
『あ~、なんかゴメンね。ダシにしたみたいで』
『それを言うなら颯谷さんもされた側、でしょう?』
木蓮がそう答えると、颯谷は小さく苦笑を浮かべた。修学旅行という非日常の中、できるなら女子生徒とお近づきになりたいと願う男子生徒はそこそこいるらしい。そんな彼らが目を付けたのが颯谷であり木蓮だった。
颯谷と木蓮が付き合っているという話は、少なくとも二年生の間では結構知られている。よってこの二人にデートさせるという名目で、颯谷の班と木蓮の班が合流するように(男子サイドが)計画したのである。
合流後は「あとは若い二人で」方式で二人をフェードアウトさせれば、後に残ったのはそれぞれ付き合う相手のいない男子と女子(男子は確定、女子は推定)。修学旅行で開放的な気分になっているから、ここで距離を縮めればワンチャンあるかも、ということらしかった。
ともかくそんなわけで。修学旅行中に二人はデートまがいの街歩きをすることができたのである。米軍も駐留している基地があるためなのか、沖縄の繁華街は国際色豊かで、ブラブラと歩くだけでも目に楽しい。一緒にランチを食べたりお土産を買ったりして、二人は友達がお膳立てしてくれたデートを楽しんだのだった。
修学旅行から帰ってくると、木蓮を待っていたのは実家からの一報だった。義理の叔母、つまり剛の妻である美咲が子供を出産したという。生まれたのは男の子。生まれるまで性別はあえて聞かなかったということなので、男の子が生まれて現在駿河一門はお祭り騒ぎだった。
駿河家は静岡県北部に根を下ろす有力武門。しかしこれまで、その本家には男子が二人しかいなかった。当主である剛と、次期当主である正之だ。どちらも現役の能力者であり、つまりひとたび異界征伐へ赴けば生きて帰れるかは分からない。ともすれば本家に当主どころか男子不在という事態さえあり得る。
もちろんそうなったらなったで、養子を取るなり誰かが代理を務めるなり、駿河一門を武門として機能させる方策はある。ただそうだとはしても、そろそろ次世代の誕生が待ち遠しいと思っていた分家の人間は多い。武門が血筋を軸とした集団である以上、本家の直系が当主の座につくというのが一番しっくりくるのだ。
『こういうお話は、古臭いと思いますか?』
『うん、まあ、ちょっとは。でも駿河家の当主って、ただ単に征伐隊のまとめ役ってだけじゃなくて、財産とかそういうモノの管理もしなきゃなんでしょ? ちゃんとしたって言い方は変かもしれないけど、みんなが納得する跡継ぎがいないと困るっていうのは、なんとなく分かるよ』
颯谷がそう答えるのを聞いて、木蓮は不安げだった表情を緩めた。彼女自身、武門のこういう一面を時代錯誤だと感じることがある。まして武門とは縁も所縁もない場所で育った人間には「時代劇みたい」と思われても仕方がない。
とはいえ、だ。それで上手くいっているのも確かなのだ。もちろん問題がまったくないわけではない。跡継ぎに、婚姻に、血が薄いだの濃いだの、血筋を軸としているからこそ悩まされる問題もある。しかしそれでも、このやり方がそれなりの結果を出してきたこともまた確かなのだ。
特に武門のような組織、いやあり方は、一度壊してしまったら元に戻すのはほとんど不可能だろう。そうである以上、「古臭い」からと言って「新しく」すれば良いというものでもないと木蓮は思っている。
伝統だなんだと高尚なことを言うつもりはない。武門とはつまりシステムなのだ。アップデートするなら過去を無視するべきではない。「新しいシステム」の方が優れていると主張するのなら、それはまったく新規に立ち上げるほうが混乱は少ないだろう。真に優れているのなら、自然と置き換わっていくはずなのだから。
まあ、そんな組織論みたいなことを、木蓮は颯谷と戦わせたいわけではない。むしろ彼が武門のあり方に理解を示してくれたことが、木蓮は嬉しかった。
さて、前述したとおり美咲に男の子が生まれた。新しい命の誕生は喜ばしいことだ。木蓮はぜひ何かプレゼントを贈りたいと考え、颯谷にも相談し、二人でクリスマスの夜に色々考えてみようという話になった。
ちなみに二人は今年もプレゼントを交換した。木蓮が贈ったのは革の財布で、颯谷が贈ったのはアロマギフト。今年は残念ながら予定が合わず、デートがてら一緒に見て回ることができなかったので、プレゼントはそれぞれが自分で選んだ。
『二時間迷った』
『まあ』
苦笑というよりは少し恥ずかしそうにしながら話す颯谷に、木蓮は思わず頬が緩む。もちろんプレゼントも嬉しいが、それ以上に自分のことで真剣に悩んで迷い、考えてくれたことが嬉しかった。
さてプレゼント交換を終えたら、次は出産祝いのプレゼント選びである。彼らはスマホを手に気楽な気分で検索を始めたのだが、二人ともたちまちプレゼント選びの沼にはまることになった。要するに情報量が多すぎたのである。
まず単純に品目が多い。さらに子供向けにするのか、それとも母親向けにするのか、それも決めなければならない。それでも単純に消え物やタオルならそれほど悩まなかったのかもしれない。しかし「どうせなら」と少々凝ったモノを贈りたくなり、それが沼を深くすることに繋がった。
『カタログギフトが一番楽、なんて意見もあるけど……』
『いえ、さすがにそれはちょっと……』
『だよねぇ……』
プレゼント選びを始めてから二時間。二人はややぐったりとしながらそう言葉を交わした。ある調査によると、「貰って嬉しかった出産祝い」では「現金・商品券」が上位にランクインしている。もうこれで良いんじゃないかなとも思ったが、それはさすがに味気ないとも思うのだ。
結局三時間かけて選んだのは、木製のおもちゃセット。「知育にも良い」とかで、長く遊んでもらえるのではないかと思ったのだ。ただ悩みに悩み、迷走に迷走を重ねたせいか、実際にインターネットで注文を終えたときには、二人とも深々と息を吐きながらソファーに座りこんでしまったのだった。
なお、件のおもちゃセットは直接駿河家に配送してもらい、後日美咲から木蓮にお礼の電話があった。その際に体調も尋ねたりしたのだが、本人は「健康ですよ」と話していたし、声も元気そうだったので、木蓮としても一安心した。
そして肝心の赤ちゃんだが、帰省してきてようやく木蓮は会うことができた。生まれてまだ二か月も経っていなくて、まだ首も据わっていない。それでも母親の薫子に教えてもらいながら抱っこした赤ん坊は思った以上に重かった。
『かわいい……』
年の離れた従兄弟が眠る姿を見ながら、木蓮はそう呟いた。なお、この子が十五歳になるころには、自分は三十歳を超えている事実については全力で目を背ける。ただ幸せなその光景を見ながらも、胸に去来するのは幸せな未来だけではなかった。
(この子も……)
この子も、二十年もしたら征伐隊に志願するのだろうか。するのだろう。木蓮でさえ、小さい頃は征伐隊に入りたいと思っていたのだ。男の子であればなおのこと、そのように望むだろう。仮に本人がそれを望まなかったとしても、武門駿河家に男子として生まれたからには周囲は間違いなくそれを求める。
そして一度異界へ突入すれば、そこは死と隣りあわせの世界。生きて帰ってこられるかは分からない。そんなところへ我が子を送り出す母親は、胸の内に一体どんな想いを抱いているのだろう。
(そして、それは、たぶんわたしも……)
あくまでifの、仮にの話だが、将来的に木蓮が颯谷と結婚したとして、そして男の子が生まれたとして、その子が征伐隊に志願することになったとして。自分もそんな想いを抱えることになるのだろうか。
なるのだろう。いくら武門で生まれ育ったとはいえ、「立派になって。さあ征伐隊で活躍してくるのよ」と言って息子を送り出す自分の姿を、木蓮はイメージできない。きっと不安と心配が渦巻く内心を押し殺して無事を祈るのだろう。
(ああ、そうか……)
この時初めて、木蓮は母親である薫子の気持ちが理解できた気がした。長女である桜華が生まれたとき、彼女はもしかしたらホッとしたのかもしれない。しかしそれは誰にも言うことができなかっただろう。
正之が生まれたとき、駿河一門はきっと今回のように喜んだはずだ。だがその中で薫子は一人我が子の将来を案じていたのかもしれない。そしてそれはたぶん、今の美咲も同じ気持ちなのだろう。
赤ん坊を抱いたまま視線を上げれば、美咲に薫子が寄り添っている。二人の仲が良いことは前から知っていたが、今はまるで同志のようにも見える。そしてそれは、きっとあながち間違っていないのだろう。
さて、分家の挨拶も落ち着いた一月三日。その夜に木蓮は剛の書斎に呼ばれた。
木蓮「三十路……」




