会談2
茂信がセッティングし、十三と剛が顔を合わせた料亭の一室。仙樹の回収についての話がまとまり、それぞれが手酌で飲み始めたところで、十三が思い出したようにこう切り出した。
「それはそうと医療チームのことですが、アレは良いものですな。おかげでずいぶん損耗率が下がったと感じています。聞けば駿河殿が骨折って実現にこぎつけたのだとか。恩恵を受けたうちの一人として、感謝申し上げたい」
そう言って十三は深々と頭を下げた。茂信も彼に倣って頭を下げる。征伐中、茂信は何度か医療チームのお世話になった。十三が直接医療チームのお世話になることはなかったが、しかし指揮官として彼らの存在が心強かったことは言うまでもない。
「いえいえ、国防軍も乗り気でしたから。骨折ったというほどの苦労はありませんでした」
剛はやや恐縮した様子でそう答えた。国防軍も乗り気だったというのは本当だ。そしてその裏にあったのは、やはりあの提言書であろうと彼は思う。
あの提言書の中では選抜チーム構想について触れられていた。しかし現実問題、民間の能力者の中から選抜チームを結成するのは不可能に近い。そこで国防軍の参謀たちが考えたのが、先にチームを結成してそれを育成するというやり方だった。
ただ「育成」とは言うが、実際問題そんなに簡単な話ではない。異界の中に入らなければ氣功能力を覚醒させることはできず、また一度異界の中へ入れば征伐を完了するまで外へ出ることはできないのだ。それを考えれば、「現場で叩き上げる」と言った方が近いだろう。
その「現場での叩き上げ」を素人だけでやるのは、考えるまでもなく困難であると分かる。実際、和歌山県東部異界では失敗した。まあ、あの事例は素人だったから失敗したというわけではないが。しかしそうだとしても、困難であることに変わりはない。
また突入前から軋轢が起こっていた。征伐を担う者たちからすれば、レベリング目的で異界に突入する者たちは戦力として数えることができない。「将来的に必要」と言われても、歓迎はできないだろうし眉の一つもひそめたくなって当然だろう。
そういう民間の能力者たちの心情に敏感だったのは、むしろ国防軍の側だった。仮に国防軍の選抜チームが本格的に始動したとして、民間の能力者が不要になるわけではない。むしろ協力して征伐オペレーションに取り組むことになる。それなのに不協和音が響いていては実際の征伐に差し障る。
端的に言って、国防軍は困っていた。このままでは選抜チームの育成プロジェクト自体が立ち行かなくなる。そこへ持ち込まれたのが、剛の提案だったわけだ。彼の本命はあくまで医療チームの派遣だったが、その護衛として部隊を受け入れ、彼らの氣功能力の覚醒を保証する。国防軍にとっては渡りに船の提案だった、と言ってよい。
だから剛が言った通り、医療チーム派遣のために苦労して交渉した、ということは全くない。国防軍は乗り気で、話はとんとん拍子に進んだ。護衛部隊の人選もむしろ志願者多数で、実際現場での彼らの士気は高かった。そして能力も。彼らの活躍を思い出しながら、剛はさらにこう言った。
「国防軍の方々には色々と助けてもらいました。我々としても学ぶべきことがたくさんある。正直に言って、少々遅すぎたとも感じています」
「なるほど。いや、その通りですな。ただ……」
「ただ?」
「いやいや、大したことではないのです。ただ駿河殿がそう接したからこそ、国防軍の方々も高い士気を維持することができたのでしょう。そしてそういう前例は、間違いなく我々にとってもプラスとなりました」
十三はにこやかな笑みを浮かべながらそう言った。ただし眼光はやや鋭い。それを受け止め、剛もにやりと笑みを浮かべる。そんな二人の様子を見ながら、茂信は言葉の裏をこんなふうに推察した。
キーワードは「国防軍の面目」であろうと思う。国防軍がいわば民間におんぶにだっこで氣功能力を覚醒させてもらい、レベリングも助けてもらう。国防軍としては、それは避けたかったに違いない。邪魔者扱いされるのは確実で、そうなれば面目が立たないからだ。
そこで剛は医療チームの護衛という形で国防軍の部隊を引き受けた。そうやって身内の期待値を下げたのだ。その上で、いわば辞を低くして助言と協力を請い、国防軍にその能力を発揮させた。彼らに活躍の場を作ったのである。
別の言い方をすれば、国防軍のプライドをくすぐったのだ。活躍し、それを認められたことで、護衛部隊の兵士たちの自尊心は満たされた。そのおかげで彼らは不満を持たずにオペレーションの遂行に邁進したのである。
そしてそれが前例となった。すなわち「国防軍も民間の指揮官の下で戦う」という前例に。国防軍の部隊を引き受けても、征伐隊の指揮は民間人が執ったのだ。こういう前例ができたというのは、とてつもなく大きい。
異界征伐のオペレーションは、これまで民間の能力者が主導してきた。全体の段取りは国防軍がやっているとはいえ、主役は間違いなく民間だった。しかし今後は国防軍が関与を強めるだろう。そうなれば「異界の中での指揮も国防軍の軍人が」という意見が出てくるのは目に見えている。
だが十三や剛と言った、これまで指揮官の立場にいた者たちからすれば、「軍人だから」という理由でしゃしゃり出てこられてはたまったものではない。だからこそ「国防軍の部隊を受け入れつつも、指揮権までは委ねない」という前例が必要だったのだ。
実際、岩手県南部異界でも、その前例を踏襲することに違和感はなかった。そしてこのやり方でうまくいっているとなれば、国防軍としても形を崩すことは躊躇うだろう。民間の能力者たちはこれまで通りの裁量を保てる、というわけだ。
(『よくぞ指揮権を渡さなかった』と言ったところかな、これは……)
茂信は十三の言葉の裏をそんなふうに推察した。彼としては、こういう「主導権争い」に何も思わないわけではない。いや、それは十三や剛も同じだろう。だが民間の能力者たちにも意地や面目がある。彼らの立場でそれを無視することはできない。
仮に国防軍が単独で異界征伐を遂行できるだけの能力を身に着けたとして、しかしそれでも民間の能力者、つまり武門や流門といった存在はなくならない。なぜなら異界はどこに顕現するか分からず、ひとたび巻き込まれた場合、内部にいる者たちは自力で征伐を成し遂げなければ生き残れないからだ。一方、国防軍が全国津々浦々に異界征伐が可能な部隊を配備しておくことは不可能で、そこはどうしても武門や流門といった地元の存在に頼らざるを得ない。
国防軍が異界征伐を担おうが担うまいが、武門や流門すなわち民間の能力者は日本社会にとって必要不可欠な存在なのだ。そしてそうである以上、彼らの実力を一定以上の水準に保つ必要がある。では実際問題どうやってそれをかなえるのかと言えば、異界の中でレベル上げをするより他にない。要するに征伐隊を組織し、異界へ突入させるということだ。
(つまり……)
つまり征伐隊から民間人を排除することは不可能なのだ。そうである以上、選抜チームの軍人と民間の能力者は協力し合わなければならない。だが軍人が民間人の指揮下に入ったら国防軍の面子は丸つぶれだろうし、かといって軍人であっても経験の浅い素人が指揮棒を振るえば今度は民間の能力者たちが反発する。これでは協力などできない。
そこで剛は選抜チームをあくまで「医療チームの護衛」という立場にした。あらかじめ征伐のメインストーリーからは遠ざけたのだ。その一方で本隊に組み込むことで、緩やかにではあっても指揮下に置いた。これなら軍人たちも主導権を握れなくても不満は持たない。もともとそういう話だからだ。
そのうえで要請をしたり助言を請うたりすることで、剛は選抜チームとの関係を円滑ならしめた。当初考えていた以上に自分たちが活躍できたことで、選抜チームの自尊心は満たされたと言ってよい。ただし重要なのはそこではない。軋轢なく軍と民間の協力関係が構築され、それが前例となったこと。それこそが重要なのだ。
一方で征伐の主力となったのは、これまで通り民間の能力者たち。加えて全体を通して見てみれば、徹頭徹尾、剛が指揮官として振る舞っていたことは明白。「民間の力を見せつけた」とも言えるわけで、こういう前例がある限り、「軍人だから」と素人がしゃしゃり出てくることはないだろう。実際、岩手県南部異界の征伐でもそういう流れに沿ったものとなった。
(将来的に……)
将来的に、経験豊富で有能な軍人が征伐隊の指揮を執るということはあり得るだろう。何十年かしたら、それがスタンダードになっていくのかもしれない。だがそうだとしても、それは民間の能力者たちの納得を得た上でそうしていくべきだ。その「納得」のための時間を得るという意味でも、現時点で指揮権を渡さなかったことの意味は大きい。
(まあ、あくまで私の推測だがな)
茂信は内心でそう呟き苦笑した。深読みというか、妄想に近いことを考えたという自覚はある。剛の手腕は疑いないが、そもそも異界の中の様子は突入してみるまで分からないのだ。すべてが彼の思惑通り、と考えるのは現実的ではない。
それに、静岡県東部異界の征伐で医療チームや護衛部隊との間に軋轢がなかったのは、何も剛の手腕によるものだけではない。医療チームや護衛部隊もこの作戦の意義を理解していて協力的だったからこその成果だ。いわば軍人たちの側が一歩引いたのだ。結局のところ、「協力して異界を征伐する」という意志こそが一番大切なのだろう。
さて茂信がそんなことをつらつらと考えていた間にも、剛と十三の間では会話が続いていた。いま話題になっているのは仙具のこと。仙甲シリーズのことではなく、これまで使い道がないとされてきた仙具に関することだ。
「では楢木殿もいくつか持ち込まれましたか」
「はい。一門に声をかけて幾つか。他の武門や流門も、色々と持ち込んでいましたな」
「何か、気になるモノはありましたか?」
「一番人が集まっていたのは、やはり桐島君から借りた例の巻物ですな。駿河殿が色々と検証してくれていたので、我々としても使いやすくて助かりました」
十三はにこりと笑いながらそう答えた。ちなみに例の巻物を用いた今回の検証結果も総括報告書に記載される見通しだ。事例数が増えればモデルも作りやすくなり、今後何かしらの基準を設けることもできるようになるかもしれない。
「ただまあ、異界の中でしか使えないというのがネックですなぁ。それはそうと、いつまでも『例の巻物』では、少々不都合に思えます」
「確かに。ですが我々が勝手に決めるわけにもいかないでしょう」
十三の言葉に同意しつつも、剛は苦笑気味にそう答えた。巻物の仙具というのは、颯谷の巻物だけではない。区別するという意味でも、何かしら名前はあった方が便利だ。とはいえ剛の言うように、勝手に名前を付けるわけにもいかない。二人は頷き合うと、揃って茂信の方へ視線を向けた。
「分かりました。伝えておきます」
茂信は苦笑しながらそう答えた。二人は異口同音に「頼む」と言ってから、それぞれお酒や料理に手を伸ばす。お酒で喉を潤してから、剛はさらりとした口調でこう尋ねた。
「他にも、何か気になる仙具はありましたか?」
「そうですなぁ。逆にお聞きしますが、駿河殿はいかがでしたかな?」
「ははは。なるほど、では先に一つお話ししましょうか。我が家で保管していた壺の仙具ですが、水を張って仙樹の枝を挿しておいたところ、仙果の実るサイクルがおよそ一日になりました」
「ほう、それは興味深い。ですが実際問題、あまり意味はないようにも思えます」
「ここから先は、颯谷にも話していない情報になります。その挿しておいた仙樹の枝ですが、実は征伐後も三十分ほどは枯れずに実を付けていたと聞いています」
「なんと……」
十三は思わず目を見開いた。茂信も思わず箸を持つ手が止まる。剛の話はつまり、短い時間ではあっても仙果を異界の外へ持ち出せたということ。ではその仙果を食べれば、異界の外でも氣功能力を覚醒させることが出来るのではないか。
「例の壺に氣を込め続ければ、もう少し長い時間仙果を保たせることができるのではないかと考えています。一日は無理でも、一時間か二時間、保存ができれば……」
剛がそう言うと、十三も真剣な顔をして頷いた。それだけの時間があれば、未覚醒の誰かに仙果を食べさせることは十分に可能だろう。もちろんそれで本当に氣功能力が覚醒するのかは分からない。だが試してみる価値はある。
「たいへん興味深いお話ですな。では、これに釣り合うかは分かりませんが、私からも一つ。我が家に横笛の仙具がありましてな。コレを今回持って行ったわけです。それで一門の者に使わせてみたのですが、どうもモンスターがこの笛の音に反応しているようなのです」
「ほう、それはそれは……。具体的にはどのような反応だったのですか?」
「いや、それがですな、恥ずかしながら横笛が達者な者がおりませんでな。音を鳴らすのにも苦労する有様で、具体的な検証というところまではいかなかったのですよ」
十三は苦笑しながらそう答えた。剛は一つ頷きつつも思案げな顔をしている。たったこれだけの話でも、彼はその横笛が持つ可能性に気付いたのだ。
怪異が反応するとして、それは追い散らすか誘引するかのどちらかだろう。そしてそのどちらであっても有用と言ってよい。
(追い散らすのであれば拠点の安全性が上がる。誘引するのであればレベリングに最適……。笛、いや楽器か……)
駿河家にもあったような気がしないでもない。探してみなければ、と剛は思った。それはそうとしても、楽器は奏でられなければ意味がない。それで彼は十三にこう言った。
「では今後はどなたかに横笛の稽古も?」
「はい、そのつもりです。なにぶん、私がこの有様なもので」
そう言って十三は自分の隻腕を軽く撫でる。どうやら隻腕なのを良いことに、面倒な横笛の習得は誰か別の者にやらせる腹積もりのようだった。
剛「本当に取説が欲しいな。いや、切実に」




