岩手県南部異界征伐に関して1
剛が仁科刀剣を訪れた、その後の週明け。颯谷が午後の授業の休み時間にスマホを開くと、新着メッセージが入っていた。千賀道場の先輩からである。「まさか」と思いメッセージを確認すると、そこにはこうあった。
【岩手県南部異界の征伐が完了した。道場のメンバーはみんな無事だ】
「よしっ」
颯谷は思わずそう叫んだ。その声に驚いたクラスメイトの視線が彼に集中し、颯谷は方々に小さく頭を下げた。それでも頬が緩むのは止められない。そんな彼に木蓮が近づいてこう尋ねた。
「颯谷さん、どうしたんですか?」
「岩手県南部異界の征伐が完了したんだって」
颯谷がそう答えると、木蓮は「それは良かったですね!」と言って喜んでくれた。彼女が喜んでくれることが颯谷も嬉しい。彼は大きく頷きながら返信のメッセージを打ち込む。今日は道場に顔を出そう、と彼は思った。
征伐隊が岩手県南部異界に突入したのは十月の半ばだった。それからおよそ三週間での征伐である。実際の征伐の様子が分からないので、これが長いのか短いのかは分からない。ただ本格的な冬が来る前に征伐を完了させたのだから、ある程度計画通りと思って良いのではないか。颯谷はそう思った。
さて学校が終わると、颯谷はすぐに帰宅。私服に着替えてバイクで道場へ向かった。道場には数人の門下生が来ていたが、茂信や征伐隊に加わった門下生たちはまだ帰ってきていない。征伐後の聞き取り調査中と思われた。
とはいえそれは承知の上。それでも道場に来たのは、もう少し詳しい話を聞けるのではないかと思ったから。同じように考えた門下生は他にもいたようで、彼らは稽古そっちのけで話し込んでいた。そのうちの一人が颯谷に気付いてこう声をかける。
「お、颯谷も来たか」
「はい。みんな無事とは聞いたんですけど。他にも詳しい事って分かってたりします?」
「今も話していたんだが、詳しいことはまだ分からん。道場のメンバーから死亡者は出なかったが、損耗扱いは危ういのがいるらしい。復帰できるかは五分だ、と言っていたな」
「それは……」
思いがけず厳しい話を聞き、颯谷は表情を曇らせた。死亡者が出なかったことはもちろん喜ばしい。そういう意味では確かに「みんな無事」と言っていいだろう。ただ損耗扱いになるかもしれないということは、相当な大怪我をしたということ。容体が心配された。
「医療チームが同行していたはずだよな?」
「そのはずだけど……、処置が間に合わなかったのか、それとも……」
「いや、処置が間に合ったからこそ、五分のラインを維持できたのかもしれん」
「まあ、医療チームだって万能じゃないよなぁ」
「ともかく全員命に別状はないんだ。今はそれを喜ぼう」
比較的年長の門下生がそう言い、他の者たちはそれぞれ頷いた。さてそんなことを話していると、また別の人物が道場にやって来る。司だ。学校から帰ってきたばかりなのかまだ制服姿で、そんな彼女に門下生の一人がこう声をかけた。
「お嬢、早いな。部活じゃないのか」
「一応出たんだけど、なんか集中しきれなくって。危ないから、今日はもう上がらせてもらった」
少しバツが悪そうにしながら、司はそう答えた。それから彼女は真剣な表情をして門下生たちにこう尋ねた。
「それで、みんなは?」
「みんな、命に別状はないそうだ。師範は大きな怪我もなく、ピンピンしてるって言っていたぞ」
「そっかぁ、良かったぁ……」
司は大きく安堵の息を吐いた。その後、門下生の中にも重傷者がいるという話を聞いて表情を曇らせたが、命に別状はないのだ。そこまで深刻にはならなかった。そして一通りの話を聞き終えると、彼女はすっきりとした表情でこう言った。
「うん、良かった。本当に、良かった」
そんな彼女の様子を、門下生たちは温かく見守っている。「あとで師範はからかわれるかもしれない」と颯谷は思った。
さて、懸念事項が解消したことで、司はいつもの調子を取り戻した。さらに部活を早めに切り上げてきたことで、今日の彼女は体力が有り余っている。そのリビドーの発散先を見つけると、彼女はネコ科の肉食獣のような笑みを浮かべてこう言った。
「颯谷さん。話は終わったし、せっかく来たんだから、稽古していくよね?」
「え~、実は持病の癪が……」
「稽古をすれば治るよ。ほらほら、早く道着に着替えて」
そう言って司はさっさと自分の準備を始めた。颯谷は他の門下生たちに視線を送るが、彼らはそれぞれ動き始めていて、つまり誰も彼と目を合わせようとしない。その連携に呆れつつ、颯谷は肩をすくめてから道着に着替えるのだった。
さてその三日後。颯谷はまた放課後に千賀道場へ来ていた。道場へ上がると、他の門下生たちも大勢来ている。ただ稽古をするような様子ではない。それどころか座布団を並べ、さらにお茶とお菓子まで用意されている。
いつもなら大目玉を喰らうところだが、今日はコレで正解だ。今日のメインイベントは茂信らから征伐の様子について話を聞くこと。これは鍛錬と同じくらい大切なことなのだ。茂信が道場に現れる。お茶で喉を湿らせてから、彼はこう話し始めた。
「さて、まずは基礎情報だが、今回異界が顕現したのは岩手県の南部。直径は11.2kmの中規模異界。地図上で見るかぎり大部分が山地で、実際の内部もほぼ山地だった。つまり内部の変異は少なかった」
出現する怪異は「四眼狼」。四つの目を持つ、オオカミに似た四つ足の獣だ。そしてオオカミらしく、群れ単位で動く性質を持つ。スタンピードで確認されたのは中型と大型で、中型は80kg未満、大型は80kg以上と分類された。小型の分類は、今回は無し。もちろん一体一体計れるわけがないので、全て推定体重での分類だ。また異界内にはいわゆる超大型の四眼狼もいるものと推測された。
ではそのようなモンスターたちと征伐隊はどのように戦ったのか。通常であればまず拠点を定め、遊撃隊が拠点周辺のモンスターを狩り、攻略隊が中心部へのルートを切り開く、という流れになる。だが今回のフィールドは傾斜と障害物の多い山地がメイン。そんな場所で俊敏に、かつ統率されて動く四眼狼と遭遇戦を繰り広げる? 御冗談を。征伐隊に自殺志望者は一人もいないのだ。
「十三さんが参考にしたのは北海道北部異界。つまり遊撃を捨てた防御重視の征伐だ」
もちろん、北海道北部異界の征伐をそのままなぞったわけではない。今回の征伐には医療チームとその護衛として国防軍の部隊が同行している。このうち十三がまず目を付けたのは護衛部隊が運用するドローンだった。
「十三さんがまず指示したのは、ドローンによる徹底的な探索。地図情報と照らし合わせつつ、ドローンでしっかりと情報収集をしてから、攻略隊を送り込んでルートを切り開いたんだ」
「ドローンがあるならごく普通のやり方に思えるが……。違うのか?」
「何が普通かはよく分からんが、個人的な感想としては堅苦しかったなぁ。ひたすらオペレーターの護衛をしなくっちゃでさぁ」
そう答えたのは茂信とは別の門下生だった。軍用だけあってドローンは高性能だったが、しかしだからこそドローンには限りがあり、オペレーターにも限りがある。可能な限り失うわけにはいかなかったのだ。
「実際の戦闘はどうだった?」
「滅茶苦茶やりづらかった。征伐が終わったあとだから言える結果論だが、十三さんは正しかったな」
征伐に参加した門下生の一人が肩をすくめながらそう答えた。まず前提として、能力者は武芸を修めるのが一般的だが、武芸というのは普通人間、幅を広くしても人型相手が前提である。だから四つ足の獣というのはそもそも不慣れなのだ。まずこれが苦戦した理由の一つ目である。
それでも本能のまま遮二無二に襲い掛かってくるだけなら、それほど苦戦することはなかっただろう。だが四眼狼は群れで動く。つまりボスがいて配下が連携して襲い掛かってくるのだ。これが征伐隊を苦しめた。
群れを相手にするならまずはボスを叩く。セオリーとしてはそうだろう。だが四眼狼相手の場合、それも容易ではない。なぜなら四眼狼の群れのボスとはつまり大型であり、ジャガーやヒョウのような大きさだからだ。つまり強い。
ただしこれは征伐隊にとってつけ入るスキにもなった。群れのボスが一目で分かるからだ。もっとも分かるからといって倒せるかは別問題。「ボスを倒して群れを混乱させる」という戦術は成立しないことが多かった。大型の四眼狼が最後まで残るパターンがほとんどだったし、複数の大型がいる場合には一体倒してもすぐに指揮系統が再構築されて群れは混乱しなかったのだ。
では具体的にどう戦ったのか。これも北海道北部異界が参考にされた。つまり大盾を持った壁役を中心にした、防御重視の戦術である。俊敏な四眼狼を追いかけまわすのは合理的ではない。盾を中心にしてどっしりと構え、襲い掛かってきたところを反撃する。基本的にはそういう戦い方になった。
「というか、そういう戦い方をするつもりだったから遊撃を捨てて、人力での探索も大幅に減らした、っていうのが正解かなぁ」
「足が重い、ってことか」
「そうそう。重い大盾持ったヤツに足を合わせることになるからな。遊撃も探索も、まあどだい無理な話だ」
まあそんなわけで。征伐のやり方それ自体も、かなり防御偏重となった。つまり拠点で防御を固めてモンスターを迎え撃つのだ。そのために柵や網、鉤縄などが多用された。四眼狼の機動力をそぐためである。仙具ではないモノが大多数で、そのため使い捨てるような場面が多々あったが、そこは持ち込んだ大量の備蓄でなんとか保たせた。
またこの拠点防衛で役に立ったのが対物ライフルだった。四眼狼は機動力が高い代わりに防御力が低いらしく、中型だけでなく大型にも対物ライフルが効いたのだ。決して倒せたわけではないが、それでも脚に一発撃ち込めば動きはかなり鈍る。その後の討伐が容易になったのは言うまでもない。
ただし大変なのは当てる事。ただでさえ、動いている相手を狙撃するのは難しいのだ。相手が機動力に優れた四眼狼ともなればなおのこと。まずは動きを止めることが重視され、前述の柵や網などがここで活躍した。
とはいえ、征伐隊の戦い方は基本的に受け身。戦闘の主導権は敵の側にある。さらに異界征伐のためには中心部まで戦力を送り込む必要があり、そのために十三が選んだのは「拠点ごとの移動」という方法。つまり拠点を何度も移動させるのだ。これが非常に労力のいる作業であることは言うまでもない。
拠点に閉じこもって四眼狼の攻撃を退け、ドローンを飛ばしながら情報を集め、その情報をもとに拠点を移動させる。今回の征伐はこの繰り返しだった。時間のかかる作戦で、今回比較的長期間になったのは、レベリングをしていたからではなくこの作戦のためである。
またこれは忍耐力を要する作戦と言っていい。さらに昼夜を問わずに四眼狼の遠吠えが響く。これが地味に人間たちを苦しめた。つまり非常にストレスが溜まるのだ。そしてある時、そのストレスはついに爆発した。
『十三さんっ、打って出ましょう! 打って出るべきですっ!』
『征伐は遅々として進んでいないじゃないですかっ。征伐のためなら多少の犠牲はやむなしですよっ!』
『我々は獣如きに遅れは取りません!』
本部で指揮を執る十三にそう詰め寄ったのは、比較的若い民間の能力者たちだった。彼らは一隊を組織して一挙に中心部を突くことを主張。名目は威力偵察だったが、あわよくばそのまま征伐を達成してやろうという野心が透けて見えた。むろんそれを許可するような十三ではない。
『騒ぐな、小童ども』
低い、ドスの効いた声でそう答えつつ、十三は直談判に来た若者らを睨みつけた。その際、氣功能力も一緒に使って威圧する。彼は片腕を失ったとはいえ、氣の量が減ったわけではない。現役の氣功能力者として30年以上のキャリアを誇る漢、楢木十三の威圧をぶつけられ、押しかけた若者たちはたちまち怯んだ。ケツの青い小童どもに冷や水をぶっかけてから、十三はさらにこう続けた。
『この程度で怯んでいるようでは、とてもではないが強行偵察など許可できんな。出直してこい』
十三はそう言って彼らを追い返した。この一件以降、あえて十三の方針に盾つく者はいなくなった。ただしストレスを感じなくなったわけではない。それでこの征伐は精神的にも辛い戦いとなった。
「若いヤツは堪え性がなくっていけねぇよな」
「自分が若くないって白状してるようなモンですよ、それ」
「なんだとぉ!?」
「ところで、そういうストレス下で、国防軍はどうだったんですか?」
「ああ、アイツらなぁ……。さすがだったよ」
「精鋭を集めた部隊だと聞いていたが、まさにその通りだったな。『待て』と言われれば待つ。『耐えろ』と言われれば耐える。それができるからこその精鋭なのだと、思い知らされたな」
茂信は口元に苦笑を浮かべながらそう語った。しかも彼らはこれが初めての異界なのだ。それなのに、能力者でも参ってしまうストレス下で、しかし彼らは泣き言ひとつ言わずに任務を遂行したのだ。その強靭な精神力たるや、歴戦の能力者に勝るとも劣らない。
「恐らく、今後は国防軍と共同で征伐オペレーションにあたることが増えるだろう。だがああいう連中が来てくれるのなら、心強い限りだな」
茂信はそう言って小さく頷くのだった。
颯谷「ところで癪ってなんだ?」
司「知らないよ……」




