お泊り
「なんか、本当にすみません……」
桐島家の台所に立ちながら、木蓮は消え入りそうな声で隣の颯谷に謝った。剛が彼女を連れて戻ってきたのはついさきほどの事。彼が出発してからだいたい九十分後のことである。玄関に現れた木蓮は恐縮した様子だった。
『えっと、おじゃまします……』
『ああ、うん。いらっしゃい』
出迎えた颯谷も苦笑気味である。どうしてこうなったのか、未だによく分からない。だが玄道と剛は細かいことなど気にしない様子で、そんな二人を見ていると自分たちのほうが適応能力がないんじゃないかと思えてくる。
(ああ、うん、もういいや)
心の中でそう呟き、颯谷はもう開き直ることにした。だいたい、剛も木蓮ももう来てしまったのだ。宿泊の準備もしてある。今更「帰れ」というつもりはない。だったらいつまでも困惑していないで、このイベントを楽しんだほうが良いだろう。そう思いつつ、颯谷は木蓮を家に上げたのだった。
さて剛は木蓮を迎えに行くついでに寿司を買ってくるという話だったが、彼はさらに鶏の唐揚げとポテトサラダも一緒に買ってきてくれた。これだけでも夕食として十分に思えたが、彩りと栄養バランスを考えて颯谷はキャベツの千切りとカボチャの煮物を作ることにした。
『あ、お手伝いします』
木蓮がそう言ってくれたので、二人は仲良く連れ立って台所に並ぶことになった。まずは硬いカボチャを颯谷が出刃包丁で押し切り、適当な大きさに切っていく。そのカボチャを木蓮が鍋に並べ、醤油や砂糖などの調味料を入れてからガスコンロの火をつける。それと並行して颯谷はスライサーでキャベツを千切りにした。木蓮が陳謝の言葉を口にしたのは、そんな時だ。
「その、わたしまでいきなり押しかけてしまって……」
「いや、まあ、驚いたけどね。でも一人も二人も大して変わらないから。気にしなくていいよ」
「いえ、でも、……すみません」
小さな声で、木蓮はもう一度謝った。彼女自身、迷惑だろうという自覚はあるのだ。よく考えてみるまでもない。突然「今日泊まるから」と言われたら、誰だって驚くし「準備してない!」と言いたくなるだろう。
(でも……)
そう、でも。でも叔父の剛だけが颯谷の家に泊まるなんて、木蓮はなんか嫌だったのだ。そのせいで非常識だなんだとお小言を言っていたら、「じゃあ木蓮も一緒に泊めてもらうか?」なんて聞かれ、気付いたら「はい、そうします」と答えてしまっていた。本当に、どうしてそんなことになったのか。
剛がこちらに来たのは仕事である。急な話で、ホテルの予約もしないで来たのだとか。それでいて関係各所への手土産だけはしっかり用意しているのだから、マメというかなんというか。まあこの辺りは観光地でもないし、飛込みでもホテルには泊まれると思ったのだろう。
(最悪ホテルが満室でも、ウチに泊まればいいですしね)
木蓮のマンションにはゲストルームがあるから、親族が突然泊まりに来ても対応できる。いや完全アポなしで来られるとさすがに困るが。せめて半日前には連絡が欲しい。ともかくどう転んでも剛には宿泊場所のアテがあったわけだ。しかし一体全体話がどう転がったのか、剛は桐島家に泊まることになった。
「だいたい、叔父様も叔父様ですっ。誘われても遠慮するべきではありませんか!」
プンスカ起こりながら、木蓮はそう語気を強めた。颯谷も同じことを思わなかったわけではない。だが誘ったのは玄道だし、彼は家主だ。家主が「いい」と言っているのに、颯谷がグダグダと文句を言っていたら、結局は客人に気まずい思いをさせてしまうだけだろう。そう考え、彼は木蓮にこう言った。
「まあ、大丈夫だよ。そもそも誘ったのはじいちゃんだろうし。それにウチは二人しかいないから、普段は使っていない部屋もあるから」
「急な話で、本当に申し訳ないです……。それにわたしまで来ちゃって……」
「本当に大丈夫だよ。食事の支度なんていつもよりラクなくらいだしね」
スライサーで作ったキャベツの千切りをお皿に盛りつけながら、颯谷は冗談めかしてそう話す。すると木蓮は「それは良かったです」と言って、ようやく肩の力を抜いて小さな笑みを浮かべた。
カボチャの煮物が出来上がると、四人は食卓を囲んで夕飯を食べ始めた。玄道と剛は早速一杯やっている。ちなみに飲んでいるのは剛が持ってきた日本酒だ。颯谷と木蓮は普通のお茶にした。
「桐島家はここへ移住してきたわけですか」
「そうなりますな。とはいってももう、100年近く前の話です」
日本酒をスズの酒器で飲みながら、玄道は懐かしさを覚えながらそう剛に答えた。1914年に初めて異界が顕現し、その後も各地に顕現し続けたことで、政府は都市部の人口密集を問題視するようになった。人口密度の高い地域が異界顕現災害に巻き込まれれば、その被害は甚大なものになるだろう。
下手をしたらたった一つの異界のために国が傾きかねない。そのために当時の日本政府が始めたのが人口分散政策。これは要するに大都市から人口過疎地への移住を促すというもの。そして桐島家のご先祖様はこの政策に乗っかってこのあたりへ来たのだ。ちなみにこの政策の基本方針は現在に至るまで踏襲されている。
「ウチの先祖はもともと仙台のほうで暮らしていたのですが、政府の人口分散政策が始まった時に、こっちへ越して来たと聞いています」
「なるほど。ではこの辺りに入植して開墾されたわけですか」
「入植というよりかは、もともと小さな集落があったとかで、そこを広げたのだとか。まあ、今でこそ畑になってますが、当時は荒地だったはず。入植も開墾も、似たようなことはいくらでもあったでしょうなぁ」
玄道はそう聞いた話のように語ったが、年齢的に言えば彼も開墾に類する作業で汗を流したことがあるに違いない。剛はちゃんとそのことを察していたが、深く頷いただけでわざわざ指摘はしない。代わりに彼は駿河家のことをこう話し始めた。
「ウチも似たところがありますなぁ」
武門駿河家の開祖は、もともと軍人だった。インドネシアで異界征伐に従事した経験があり、帰国して除隊したのち、静岡県の北部で土地を買って農業を始めた。これも政府が推し進めた人口分散政策の一環で、農地を格安で手に入れられたのだ。
転機が訪れたのは第二次世界大戦の終わり頃。アメリカに要請され、日本がヨーロッパ戦線への派兵を決めたことにより、国内における異界征伐のための戦力が不足。そこで除隊した元軍人らを対象に、志願者を募ることになった。
報酬が良かったこともあって彼は志願を決め、そして幾つかの異界で征伐のために尽力した。そうやって得た資金を使って彼はさらに農地を拡大。こうして広げた農地が、後の不動産業の礎となったのである。ちなみに家宝の「凩丸・雷鳴」を手に入れたのもこの時期だ。
その後、異界征伐オペレーションは徐々に民間へと移行されていく。その流れのなかで駿河家は武門としての地位を確たるものにしていった。さらに自身も巻き込まれた異界を多大な犠牲を払いながらも征伐したことで、駿河家は地元からの敬意と尊敬を獲得。武門として盤石の地盤を得るに至ったのである。
「すごいですね、その人……」
剛の話を聞き、颯谷は素直に感嘆した。当時は異界そのものはもちろんとして、氣功能力に対する理解もまだまだ浅かったはず。それなのに駿河家の開祖は多数の異界征伐に加わり、そして生き残ったのだ。現在の颯谷からしてみても、ちょっと信じられない話である。
「ああ、開祖の逸話は多くてな。負傷者を二人肩に抱えて山を越えたとか、大鬼と取っ組み合いをして勝ったとか、イレギュラーモンスターの馬を乗りこなしただとか、まあウソかホントか分からないような話も多い」
「破天荒な人だったんですね」
「ああ。とはいえ颯谷には負けるだろうが」
「いやいや、まさか」
「そうか? 単独での異界征伐が一回、実質単独での征伐が一回、単独でのコア破壊が一回、同じく単独でのヌシ撃破が一回。……ああ、天守閣を真っ二つにしたなんてのもあったか。君に比べたらウチの開祖はまだまだ大人しいと思うぞ」
ニヤニヤと笑う剛から、颯谷はスッと目を逸らす。その様子を見て木蓮がクスクスと笑った。夕食は終始そんな和やかな雰囲気で、用意した料理の八割方がなくなったところで一旦食卓を片付ける。それから颯谷は全員に熱いお茶を出した。
お茶を飲み、少しゆっくりしてから、颯谷は風呂のスイッチを入れた。風呂が沸くのを待つ間に、颯谷は食器を洗ってしまう。木蓮が手伝ってくれたので、いつもよりも早く終わった。
風呂が沸いたら剛と木蓮から順番に入ってもらうことにして、颯谷は一旦自分の部屋に戻る。イスに座って数秒ぼんやりしてから、彼は机に向かってノートを広げた。今日の復習と来週の予習である。
そうやってしばらく勉強していると、部屋の出入り口のほうから「コンコン」と控えめなノックの音が響く。勉強に集中していた颯谷は顔も上げずに「じいちゃん?」と声に出したが、返ってきた声は玄道のものではなかった。
「えっと、わたしです」
遠慮がちな木蓮の声に、颯谷は思わず手を止めて顔を上げた。彼は慌てて立ち上がり、部屋の扉を開ける。そこには風呂上りの木蓮の姿があった。
「ど、どうしたの?」
「えっと、その……、入っても、良いですか?」
「い、良いけど……」
颯谷は緊張した面持ちで木蓮を部屋に入れた。木蓮は部屋の中を見渡し、「ここが颯谷さんの部屋……」と呟く。彼女が自分の部屋にいるという状況に、颯谷は訳も分からずドギマギした。
とにかく立ちっぱなしというわけにはいかない。だが颯谷の部屋にイスは一つしかないし、ベッドもないので座る場所がない。仕方がないので、イスは木蓮に譲り、颯谷はイスの上のクッションを座布団代わりにして座った。
「それで、どうかしたの?」
「えっと、あ、勉強してたんですね。邪魔してしまって、ごめんなさい」
「いや、別にいいよ。そう言えば今更だけど、電話したときって、もしかしてまだ学校だった?」
「部活中でしたね。結構うるさかったんですけど、着信音が聞こえて良かったです」
「そっか。いや、そうかなとは思ったんだけど。やっぱり教えた方が良いかなと思ってさ」
「はい。教えてもらえて良かったです。なんかわたしまで泊めていただくことになっちゃいましたけど……」
木蓮は苦笑しながらそう答えた。軽音部の練習中に颯谷からの電話をもらった彼女は、「親族が突然来たみたいだ」と言って慌てて家に帰った。そして家で私服に着替えてから、迎えに来た剛の運転する車に乗り、スーパー経由で桐島家に来たのだ。ちなみに寿司だけ買えば良いと思っていた剛に、唐揚げとポテトサラダを追加で購入させたのは木蓮である。
「この家にお客さんが泊まるのは本当に久しぶりだからなぁ。じいちゃんも楽しそうだったし、またおいでよ」
「良いんですか?」
「もちろん。じいちゃんも喜ぶし」
「じゃあその時は、また何か作りますね」
「そうしてもらえると助かるなぁ。今日のカボチャの煮物も美味しかった」
「ふふ、ありがとうございます。カボチャの煮物は白だしを使ってもいいんですよ。醤油を使うと、どうしても色が茶色っぽくなりますから」
「白だしか。じゃあ今度買っておこうかなぁ」
颯谷がそう言うと、木蓮は少し得意げに微笑んで「おススメです」と言った。それからしばらく、二人は料理の話で盛り上がった。もっとも料理のスキルで言えば木蓮の方が圧倒的に上なので、颯谷はもっぱら教えてもらう側。ただそれが嬉しいのか、木蓮は楽しそうにあれこれと話す。そして料理の話が一段落すると、彼女は颯谷にこう尋ねた。
「話は変わりますけど、颯谷さんは進学先をもう決めましたか?」
「工学部にしようかな、とは思ってる。具体的にどの大学でどの学科とかは、まだ全然だけど。あ、でもどうせなら木蓮と同じ大学がいいかな」
「うふふ、そうなったら楽しそうですね。でもどうして工学部を? 例えばですけど、氣功能力の研究なら、一般的には自然物理学だったと思うんですけど」
「例の加工をした時に、パンタグラフとかいろいろ調べてさ、それで結構面白そうだと思ったんだよね。ああ、でも、そうか。氣功能力の研究をしているところもあるのか……」
「まあこれは例えばの話ですから。結局は、自分の学びたい分野に進むのが一番ですよ」
「うん、そうだね。もうちょっと考えてみるよ」
「はい。でも颯谷さんの場合、仮に工学部に進んでも、それとはまた別口で氣功能力の研究にも関わることになる気がします」
「それは……、勉強量が二倍になるってことなのか、それとも同じ授業料で二倍学べるってことなのか……」
「卒業論文も二本書くことになるんでしょうか?」
木蓮がそう言うと、颯谷は「うげぇ」という顔をする。そんな二人のお喋りは、風呂から上がった玄道が孫に声をかけるまで続くのだった。
木蓮「どうしてこうなったんでしょう……」
作者「どうしてこうなったんだろう……」




