カルチャーショックとファーストアイディア
「へえ、そんなことになっていたんですねぇ」
週明けの月曜日。この日の昼食は木蓮と食べながら、颯谷は週末に仁科刀剣で行ったアレコレについて彼女に話した。剛からは何も聞いていないようだったが、木蓮は彼の話を興味深そうに聞いてくれる。あと、木蓮の方が鍛造による作刀には詳しくて、にわか知識を披露してしまった颯谷はちょっと恥ずかしい思いをした。
「うん。オレはハンマーで叩いてただけなんだけど、氣は全力で込めたし、使ったハンマーも一級品だから、どんな結果になるかちょっと楽しみ」
「わたしも興味があります。武門、というか征伐隊に関わる立場なら、天鋼製の三級仙具の改良っていうのは、一度は耳にする話ですから」
「タケさんもそんなことは言ってた気がするけど、やっぱり結構ありふれた話なんだ?」
「ありふれているかは分かりませんけど……。でもまあまあ聞く話ですね」
「だけど成果なし、と。それでも定期的に改良の話が出るって言うのは、みんなやっぱり三級仙具には不満があるんだろうなぁ」
「はい。そうだろうと思います。だからこそ仙甲シリーズが注目されているって言うのはあると思いますし。でも颯谷さんのお話を聞いて、ここからちょっと流れが変わるんじゃないかなって思いました」
「へえ、どんなところで?」
「眼帯の仙具のところですね。氣の可視化っていうんでしょうか? 見える事で分かる事はたくさんあると思いますし、何か分かればそれをベースにして次のアイディアが浮かぶってこともあると思いますから」
木蓮の話を聞いて、颯谷は「確かに」と思った。実際、今回の一件も妖狐の眼帯を使って氣の流れ方を詳細に調べたことが出発点になっている。今までに試したアレコレについて、どういう意味があったのかをより詳しく調べられるようになったのだ。
そして妖狐の眼帯でなくとも、例えば眼鏡やモノクルの仙具を使えば、同じように氣の詳細な可視化が可能なことはすでに分かっているのだ。だからこの先、これまでの改良策が見直され、新たな突破口が開かれる可能性は十分にある。
「なるほど……。じゃあ、ここまでのことは話した方が良いかなぁ。タケさんにはまだ、何も伝えてないんだけど……」
「どうでしょう……。昨日の実験の結果が出てからでもいいんじゃないですか」
「う~ん、そんな気はするんだけど……」
成果というか、結果が出たわけではないのだ。剛だって暇ではないだろうし、途中経過を聞かされても困るのではないだろうか。颯谷はそう思ったのだが、その一方で某異界で「報・連・相をちゃんとしろ」とさんざん言われたことは、忘れたくても忘れられない。
「まあ、そんなに長くなる話でもないし、今夜にでもちょっと話してみるよ。もしかしたら出資に繋がるかもしれないしね」
「まあ」
颯谷の冗談めかした言葉に木蓮がコロコロと笑う。颯谷も一緒になって笑ってから、彼は話題を変えて木蓮にこう尋ねた。
「話は変わるけど、部活の方はどう?」
「そうそう、聞いてください、颯谷さん!」
「え、なに、どうしたの?」
「文化祭のライブ、出られることになったんです! それもドラムで!」
「え、すごい。やったじゃん」
颯谷は素直に驚いてそう言った。木蓮は軽音部の所属でドラムをやっているが、彼女がドラムを始めたのは高校に入ってから。練習はもっぱら部活だけで、その部活も勉強などもあって毎日出ているわけではなかった。決して多くはないその練習時間で大舞台を任されるまでになったのだから、きっと彼女は真剣に打ち込んだに違いない。
「えへへ。まあ、四曲中の二曲なんですけどね。でもいよいよ皆さんの前でドラムを叩けます」
木蓮はそう言ってはにかんだ。彼女がライブを楽しみにしているのが伝わってきて、颯谷も自然と笑顔になる。そしてこう言った。
「文化祭のライブ、見に行くよ」
「はい、是非。そう言えば、クラスの出し物はどうするんでしょうね?」
「あ~、どうするんだろ……。話はまだ全然出てないけど。でもそろそろ決めるんじゃないかな」
「時期的にそのはずですよね。……颯谷さんは何がやりたいですか?」
「コレがどうしてもやりたいってのは特にないかなぁ。木蓮はどう?」
「わたしですか? そうですねぇ、去年やった和風喫茶は結構楽しかったですよ」
「ああ、メイド喫茶のなれの果ての……。でも今年はそういうカワイイ系は無理だろうなぁ」
颯谷が苦笑気味にそう言うと、木蓮もやや躊躇いつつ頷く。二人がいるのは理系クラスで、男子生徒の方が圧倒的に多い。仮に可愛い系を売りにするのなら、数少ない女子生徒の負担が大きくなりすぎてしまうだろう。だったらいっそのことねじり鉢巻きをして豚汁でも売った方が良いのではないか。颯谷としてはそんな風にも思う。
「去年の颯谷さんのクラスはダーツでしたよね。ダーツ盤は今どうしているんですか?」
「家に取ってあるよ。たまに遊んでる。今年も使いたいっていうなら、オレは構わないけど」
「じゃあ、どうしてもいい案が出なかったら、ダーツって言うのもアリかもしれませんね」
木蓮の言葉に颯谷も頷く。ダーツなら事前の準備などもそれほど面倒ではない。手軽に済むのなら、颯谷としては歓迎だ。もっとも「がっつりと企画して文化祭を楽しみたい」と思っているクラスメイトもいるかもしれない。それで彼としてはあまり自分の意見を主張するつもりはなかった。
さて、この日の夜、颯谷は剛に電話をかけた。用件は木蓮とも話した、仁科刀剣とやっている三級仙具改良実験の途中経過である。「結果はまだ出てないんですけど」と前置きしてから、颯谷は主に妖狐の眼帯を使って確認した事柄を話した。
その話を剛は言葉少なく聞く。彼の反応が薄いので「つまらない話をしちゃったかな」と颯谷はちょっと心配になったのだが、話を聞き終えると剛は大きく息を吐いてからこう言った。
「なるほど……。それはとても興味深いな……」
「えっと、本当にまだ何も結果は出てないんですけど……」
「いやいや、『仙具を使って氣の流れ具合を確認した』というだけで大きな成果だよ」
若干面白がるような口調で剛はそう言った。眼鏡やモノクルと言った、目に装着するタイプの仙具を用いれば氣をより詳しく可視化できることは、すでに確認されている。そして異界の外でもそれが可能なことも。つまり全く新しい手段もしくは要素が加わったのである。そのことは能力者業界に大きなブレイクスルーをもたらしていた。
ただしそれはこれまで氣功能力の鍛錬や新しい武技の開発という分野に限られていた。仙具を持っているのは主に武門や流門であり、彼らの第一の関心事がそちらだったから、というのが大きな理由の一つだろう。あるいはまだ日が浅いので、「その分野だけで手一杯だった」というのもあるかもしれない。
なんにしても、新たに使い道が判明したそれらの仙具と天鋼製の三級仙具はこれまで結びつけられてこなかった。経験豊富な能力者ほど、三級仙具の作成に直接関わることがないというのが、そちらに意識が向かなかった大きな要因だろう。それで、それを最初にやったのが今回の一件だったわけである。
剛も以前に言っていた通り、天鋼製の仙具の改良というのは、これまでに数多くの工房と鍛冶師たちが挑戦してきた。それでもめぼしい成果は出ていなかったわけだが、実際には重要な知見が見逃されてきた可能性が出てきたのだ。
それをきちんと再発見して評価・考察できれば、この分野でもブレイクスルーが起きるかもしれない。仁科刀剣のように、また新たな試作品の作成に乗り出す工房も現れるだろう。そうすればこの先、いよいよ何かしらの成果が上がるかもしれない。
「もしかして駿河家の知り合いの工房でも、三級仙具の改良ってやったことがあるんですか?」
「そりゃ、あるさ。天鋼製の武具をやっているなら、どこの工房でも一度や二度はやったことがあるだろう。そういう試作品の再評価もやらないとだな……」
これまでほぼ不可能と思われていた三級仙具の改良。その突破口が見つかるかもしれないのだ。やらない理由はない。ただ、言われてみれば当然の使い方なのに、自分たちはそれを思いつけなかったことが、剛は少々悔しかった。
(しかしこうなってみると……)
こうなると思っていたわけではないが、しかしこうなってみると、仁科刀剣と例の契約書を交わしておいたのは世紀のファインプレーだったのではないだろうか。剛はそう思う。これで駿河家は他所よりも一歩先んじることができる。
そう駿河家の場合、この一件は他の武門や流門よりも大きな意味を持つ。駿河仙具という、仙具を取り扱う会社を起業したばかりだからだ。今のところは天鋼製の三級仙具の取り扱いはないが、将来的には分からない。出資の話も真剣に考える必要がありそうだ。
それに眼鏡やモノクルといった仙具の新たな使い道を教えてもらっただけでもインパクトは大きい。この先、仙甲シリーズの改良や新たなブランドシリーズの立ち上げなどにも、そういう仙具を用いていくことになるだろう。そして大きく寄与してくれるに違いない。
「これからは鍛冶師界隈も騒がしくなりそうだな。今でさえ、仙具の使用は順番待ちの状態だというのに……」
「数、足りてないんですか?」
「まったく足りていないな」
やや憂鬱そうに、剛はそう答えた。今まで眼鏡やモノクルは言ってみればネタ枠で、どう好意的に評価してもコレクションの類でしかなかった。だから一つや二つあれば、それ以上を確保する必要性は低く、他の武門の希望者に譲ってしまったこともあるのだとか。
それが今になって比類のない実用品であることが判明したのだ。「後悔先に立たず」の状態であり、一体幾つの武門と流門で何人の関係者が頭を抱えているのか。想像すると乾いた笑いしか出てこない。しかもその数はこの後増えることはあっても減ることはまずないだろう。
「でもこういう時って、歴史のある武門や流門って有利ですよね」
これまで使い道がないと思われていた仙具にも、しかし何かしらの用途があると分かったのだ。つまりそういう仙具の価値や重要性が上がったと言える。多数のコレクションを所有する武門や流門というのは、相対的にその力を増したと言っていい。
一つや二つしかないとしても、しかし一つや二つならあるのだ。それは何十年という時間の中で少しずつコレクションを増やしてきたからに他ならない。これがまったく新興の武門や流門だと、そもそもコレクションのストックがないので、その時点でスタートラインが大きく後退することになる。
「まあ確かにその通りなのかもしれないが、颯谷が言うとなんだかタチの悪いジョークに聞こえるな」
颯谷の話を聞いて、剛は苦笑を浮かべながらそう言った。これまで見過ごされてきた仙具の有効活用というのは、その発端となっているのは間違いなく颯谷だ。そして彼は今のところどこの武門や流門にも所属(その一員として核心的な利益を共有するということ)しておらず、言ってみれば新興の武門そのものにほかならない。
その颯谷が「歴史のある武門や流門のほうが有利」というのだから、「歴史ある武門」の長としてはなんとも微妙な心境にならざるを得ない。確かに彼のアイディアを形にして利益を得てきたのは事実だし、それができたのはこれまでの積み重ねがあったから。だがだからこそ、きっかけとなる「最初のアイディア」が出てこないのは痛恨事だ。
(硬直しているな)
組織が、体制が、考え方が、文化が、硬直してしまっている。剛にはそう思えてならない。とはいえまだ手遅れではないだろう。最近は立て続けにカルチャーショックを受けているが、それが良い具合に刺激になっている。剛個人だけではなく、武門駿河家にとっても。そう言う意味でも、颯谷や今回の件に期待する気持ちは強い。いや、強くなった。
「また何か面白いことが分かったら教えてくれ」
「了解です。とりあえず、実験の結果が出たらまた電話しますね」
そう言って、颯谷は電話を終えた。そしてその週の水曜日。俊からのメッセージが颯谷のスマホに入った。夜に来たので、たぶん彼が家に帰ってからいろいろと話を聞かされたのだろう。まあそれはともかくメッセージだ。
【短刀が完成しました】
【氣の流れ具合は、今までとそれほど変わらないそうです】
【先輩に目視で確認してほしい、とじいちゃんが言っています】
一連のメッセージを見て、颯谷は小さく顔をしかめる。そう簡単な話ではないと覚悟はしていた。だが氣の流れ具合がこれまでと変わらないというのは、正直残念な結果だ。とはいえ何も差がないかはちゃんと確認して見なければ分からない。
【分かった。じゃあ明日の放課後にでも】
颯谷はそう返信するのだった。
木蓮「男の娘メイド喫茶……」
颯谷「やめろください」




