仁科刀剣1
颯谷にとって高校二年生の二学期が始まっておよそ三週間後、岩手県と宮城県の県境にまたがる形で異界が顕現。中心が岩手県側にあったので岩手県南部異界と呼称されることになった。
直径は11.2kmの中規模異界で、主に山間部がその範囲に含まれた。もう少し東へズレていたら港町を巻き込んでいた可能性があり、そうならなかったことに胸を撫で下ろした者は多い。ただしそれでも、顕現当初異界のフィールドは群青色だった。
ともかく異界が顕現したことで、東北の能力者社会は慌ただしくなった。赤紙が来る前から楢木十三が志願を表明。その武門からはさらに多数の能力者が志願した。千賀道場も師範の千賀茂信が志願し、多数の門下生を引き連れて道場として征伐隊に加わることになった。
「颯谷は志願するなよ」
複雑そうな顔をする颯谷に、茂信はそう言った。顔を上げて不思議そうな顔をする颯谷に、彼はさらにこう告げる。
「地元に異界が現れて落ち着かないのは分かる。だがお前は、和歌山の異界から戻って来たばかりだ。休みなさい」
「そうそう。俺たちに任せておけって」
「それにお前が一年経たないで出張ると、それが前例になりかねないからな。今回は遠慮しとけ」
先輩門下生たちからもそう言われ、颯谷はぎこちなく頷いた。実際問題、今回も征伐隊へ参加しなければならないのだとしたら、彼はかなりの不満を覚えただろう。しかしその一方で参加しないとなると、そのことに罪悪感を覚えたりもする。彼はそんな自分が面倒くさかった。
「ところで颯谷。一つ頼みがあるのだが」
颯谷に釘刺しという名のフォローをしてから、茂信は話題を変える。颯谷が「はい、なんでしょう?」と答えると、彼はこう続けた。
「例の巻物を貸してもらいたい」
「例の巻物」というのは、颯谷が剛に貸した巻物のことである。この巻物は要するに氣の量を測定できる仙具で、その能力には多くの氣功能力者が興味を持っている。茂信が今回の異界でぜひ試してみたいと思うのは自然なことだろう。
「良いですよ。じゃあ、明日にでも持ってきます」
颯谷はそう答えた。もともとそのつもりだったから、貸し渋るなんてこともしない。さっさと話を決めてから、彼はふとこんなことを尋ねた。
「今回の異界でも、レベリングに重点を置くんですかね?」
国防省からの提言もあり、氣の量を増やすレベリングが最近のトレンドになっている。その観点で言えば、自身の氣の量を測定できるというのは、つまり成果が目に見えて分かるということで、モチベーションアップに繋がると言っていい。実際、静岡県東部異界ではそれがプラスに作用した面がある。だが茂信は首をかしげてこう答えた。
「さて、どうかな。レベリング向きの異界ならそれも十分あり得るんだろうが……」
茂信の言葉に颯谷も頷く。現れる怪異如何によっては、レベリングに向かないこともあるだろう。また常闇だった和歌山県東部異界のように、レベリングするつもりでいても内部の環境がそれに向かないこともある。
結局のところ、レベリングするかどうかは突入してみなければ判断できない。それを視野に入れて準備する、というのが現実的な対応だろう。加えて東北という地域の季節的な問題もある。つまり冬の到来だ。
例えば十月の上旬に異界へ突入したとして、二か月たったら十二月の上旬だ。雪が降るかはともかくとして、今と比べてかなり寒くなっているだろう。異界内部に大きな環境の変異がなかったとしても、しかしこれから徐々に環境は厳しくなっていくのだ。
その中でレベリングを行うのは大変だろう。それを考えれば、レベリングに適した異界であっても早期に征伐を完了させる方向で行くことは十分に考えられる。厳しい環境の中で征伐を断行し、そのせいで被害が拡大しては本末転倒なのだから。
「まあ、雪が積もったらかえってレベリングしやすいって説もありますけどね。ちなみにソースはオレ」
「レベリング以前の問題だろ」
「再現性がなさすぎるわっ」
「仮にレベリングが成立したとしても、それはつまり機動力とトレードオフなんだから、今度は春まで征伐が完了しないってことになりかねない。さすがにそいつは御免だよ」
その、否定的というよりは呆れ果てた先輩たちの反応に、颯谷はケタケタと笑った。ただ冬の、寒さの脅威というのは現実的だ。そしてそのことに思い至ったのだろう。茂信をはじめ征伐隊に参加するつもりの者たちは、改めて颯谷から温身法と外纏法について教えてもらうのだった。
さて顕現の四日後に異界のフィールドは黒色へ変化した。中に閉じ込められていた人たちが全員死亡したのだ。異界の外ではその痛ましい事実に黙祷を捧げ、そしてそのすぐ後から征伐に向けた対応が始まる。赤紙が発送され、志願者の正式な受付が始まった。
十三もインターネットから国防省のホームページにアクセスして志願を行ったのだが、まるでそれを待っていたかのように国防軍から彼に連絡が入る。その用件は次のようなモノだった。
曰く「国防軍は今回の征伐隊に医療チームを派遣する用意がある。ついては、護衛の部隊ともども受け入れが可能か検討してもらいたい」
これが静岡県東部異界での例を念頭に置いた要請であることは言うまでもない。つまり国防軍としては岩手県南部異界にもいわゆる選抜チームを送り込み、彼らの氣功能力を覚醒させたいと思っているのだ。よしんば多少なりともレベリングができれば、言うことはないに違いない。
十三としても医療チームの派遣はむしろ頼もうと思っていたことだった。静岡県東部異界では医療チームのおかげで損耗率が、それも特に死亡率が大きく下がった。征伐がおよそ一か月半に及ぶ長丁場であったことを考えると、これは驚くべきこと。ならばその先例に倣うのはむしろ当然だろう。
また十三は護衛部隊の活躍にも期待していた。静岡県東部異界の征伐では護衛として派遣された国防軍の部隊のサポート能力が高く評価されている。今回は異界内の大部分が山地だ。例えばドローンを用いた探査や索敵は大いに有効であるに違いない。十三はそう考えていた。
そのようなわけで、十三はすぐさま征伐隊に加わる主だった能力者らに根回しを行い、医療チームと護衛部隊の受け入れについて了解を取り付けた。そして国防軍に「受け入れ可能」と返事をしたのである。また彼は医療チームをテコにして戦力を本隊に一本化することを提案。最終的にどうなるかは事前ミーティングに持ち越されたが、それでも八割弱の戦力を本隊に集める事に成功したのだった。
さて、このように水面下での動きが活発になるなか、ついに氾濫が起こった。スタンピードでどのようなモンスターが現れるのかは、征伐オペレーションとその準備にも大きな影響を与える重大事項。十三も強い関心を持っていた。
現れたのはオオカミに似たモンスターだった。「オオカミの」ではなく「似た」と形容されているのは、そのモンスターが普通のオオカミとは明らかに違っていたから。そのモンスターには目が四つあったのだ。そしてこの特徴からこのモンスターは「四眼狼」と呼称されることになった。
さてこの四眼狼だが、スタンピードの際には大きく分けて二種類が確認されている。中型サイズと大型サイズだ。ただここで言う「中型」とは、つまり「イヌ科としてあり得るサイズ」という意味なので一般的な意味での超大型犬サイズ、つまり「体重40kg以上の犬」も含まれている。
一方で大型だが、これは「イヌ科としてあり得ないサイズ」と思えばよい。スタンピードの際に確認された大型サイズの四眼狼の推定体重は80~100kgとされ、分かりやすく言うとこれはジャガーやヒョウと同じくらいの体重だった。
さて、二種類の四眼狼が確認されたということで、当然ながらその役割もそれぞれで異なっていた。簡単に言うと中型の四眼狼は兵士であり、大型の四眼狼は指揮官である。そう四眼狼は個々のモンスターが好き勝手に暴れるのではなく、ボスに統率された群れ単位で動くモンスターだったのである。
自然界でもオオカミは群れを作り、連携して獲物を狩る。ではその牙が人間に向けられたらどうなるのか。それが現実となったのが今回のスタンピードだった。しかも四眼狼はモンスター。きわめて獰猛で、負傷はおろか死ぬことさえ埒外のような暴れ方をする。そのうえ四つ足の獣らしく、その動きは非常に素早いのだ。
結果として被害は拡大した。何人もの一般人が犠牲になり、国防軍の兵士からも多数の死傷者が出た。その報告を聞いて十三は表情を険しくする。異界の中で四眼狼と戦うのは彼らなのだ。しかも異界の中では銃器の効力が下がり、より強力なモンスターもいる。
「今回は厳しい戦いになりそうだな……」
十三はため息とともにそう呟いた。そしてすぐに苦笑を浮かべる。「今回は」ではない。「今回も」である。厳しい戦いになるのはいつものことだ。ならばいつも通りにやるしかない、と彼は開き直るのだった。
そして十月の半ば、征伐隊は岩手県南部異界に突入した。颯谷はこの突入に間に合うよう仙甲シリーズの手配を頼み、株式会社駿河仙具の社長である音無数馬の尽力もあって装備を間に合わせることができた。
言ってみれば、東北における仙甲シリーズのお目見えである。揃いの防具を身に着けた千賀道場の面々は征伐隊の中でも異彩を放っており、東北でも仙甲シリーズに注目が集まるそのきっかけとなった。そしてこのことが、颯谷のもとへとある来客に繋がる。
「あの桐島先輩。少し良いでしょうか……?」
征伐隊が岩手県南部異界に突入したその数日後。お昼休みに教室で弁当を食べていた颯谷は、不意にそう話しかけられた。ちなみにこの日、木蓮は「部活の友達と約束がある」と言って教室にはおらず、颯谷は友人の木戸鉄平と雑談しながらの昼食だった。
まあそれはそれとして。声をかけてきたのは見知らぬ男子生徒。「先輩」とつけたということは、一年生なのだろう。少し気の弱そうな雰囲気だが、体格は結構しっかりとしている。鉄平に視線を向けても「さあ?」と言わんばかりに首をかしげるだけなので、颯谷はともかくこの男子生徒にこう尋ねた。
「えっと、どちらさん?」
「あ、はい、一年の仁科俊と言います。その、先輩と少し話したいことがあるんですけど……」
「なんだ、告白か?」
ニヤニヤしながらからかうようにそう言ったのは鉄平だった。そんな彼の脛を、颯谷は机の下で思い切り蹴とばす。「痛って!?」と悲鳴を上げて脛をさする鉄平を無視して、颯谷は俊にこう尋ねた。
「話したいことってのは?」
「あ、はい、その、……仙具のことで、少し」
「仙具? 仙具って言うと、仙甲シリーズのことか?」
「あ、いやそうじゃなくて……、ああでも、無関係じゃないっていうか……」
「ふうん? まあ、とりあえず座りなよ」
そう言って颯谷は近くのイスを引き寄せ、それを俊に進めた。彼は「ありがとうございます」と言ってそこに座る。だがすぐには話し始めない。何から話せばよいのか迷っているようだったので、颯谷のほうからこう水を向けてみる。
「仁科は、氣功能力者なのか?」
「あ、いえ、違います」
「能力者じゃないなら、なんで仙具のことなんて気にするんだ?」
「それは、ウチが仙具を作っているからです」
俊がそう答えると、弁当を食べていた颯谷の手が止まる。彼が首を捻って視線を向けると、俊はやや緊張した面持ちでさらにこう言った。
「ウチは仁科刀剣っていう、小さい工房をやってるんです」
現在の日本における刀剣類というのは、主に二種類に分類される。実用品と美術品だ。まず美術品としての刀剣類だが、これは分かりやすい。つまり飾っておくための刀剣だ。そして異界が現れる以前から、特に日本刀と言えば海外でも人気の美術品だった。
状況が変わったのは1914年、つまり異界が現れてからである。前提として日本では厳しい銃規制が敷かれており、現在に至るまで一般人の銃の所持や使用は原則禁止されている。その一方でこの国では一般人であってもモンスターの脅威が身近だった。
異界が現れても日本では銃規制は緩和されなかった。しかしモンスターの脅威を目の前にして、国民に「丸腰でいろ」とは政府も言えない。何より一度異界顕現災害に巻き込まれれば、征伐するよりほかに生き残る道はないのだ。そして征伐のためには武器がいる。
そこで刀剣類については規制が緩和され、今では護身用として刀剣類を備えておく者も少なくなかった。要するにこれが実用品である。
さて上記ではあえて「美術品」と区分したものの、美術品だからと言って見てくれだけのナマクラというわけでない。むしろ刀剣類としての品質で言えば、実用品より美術品の方が高い場合が多かった。
なぜなら実用品とはあくまでも護身用。モンスター対策の矢面に立つのはまず国防軍で、使用されるのは主に銃火器である。異界顕現災害に巻き込まれたとして、実際に征伐を担うのは能力者。一般人に求められているのはその間自分の身を守ることで、彼らが刀剣類を振り回して征伐に乗り出す事態は、当人たちでさえ想定していない。
つまり一般人が持つ刀剣類は言ってみればお守りのようなモノなのだ。そこに何十万円も使う者は稀だろう。せいぜい一本数万円が相場で、それでも高いと感じる者は多い。そもそも高い刀剣類を持っていれば、それで命が助かるわけではないのだ。
そんなわけで腕の良い刀鍛冶こそ、美術品としての刀剣類を鍛える傾向がある。腕の良い刀鍛冶が鍛えるのだから品質も良くなる、というわけだ。ただし実用品だからこそ腕の良い刀鍛冶に作ってもらわなければならない場合もある。それが仙具だ。
刀剣類の仙具は実用品である。異界の中で実際に戦うことを想定している。よって、仙具としての等級は如何ともしがたいが、武器としてナマクラであっては困る。また価格帯としても100万円以上はザラで、つまり腕さえよければそれなりに稼げるのだ。
需要と供給が一致したというべきか。ともかく腕の良い刀鍛冶ほど、美術品と仙具の両方を鍛えることが多かった。そして仁科刀剣もそういう工房だった。
作者「刀剣類どころか木の枝振り回して異界征伐したヤツがいるそうですよw」




