正式リリース
九月一日、株式会社駿河仙具が設立された。狙ったのかはたまた偶然か、同日、学校から帰ってくると颯谷のもとに荷物が届いていた。入っていたのは、まず仙甲シリーズのカタログ。さらに株式も同封されて、それが入った封筒はひとまず机の上に置き、彼は早速カタログを開いた。ちなみにカタログは複数入っていた。
「あ、ヘルメットもあるんだ」
カタログをめくっていると、ラインナップにヘルメットがあることに気付いて、颯谷はそう呟いた。彼が試作品のテストをやっていたときには、ヘルメットはまだなかった。もしかしたら急遽ラインナップに加えたのかもしれない。
何にせよ、仙甲シリーズにヘルメットがあるのはありがたい。和歌山県東部異界でヘルメットを紛失して以来、まだ新しいのは買っていないのだ。またヘルメットは頭部を守るモノ。そこの防御力を上げられることは、生存率の向上に直結するだろう。
(それにしても……)
それにしても、古いヘルメットはどこにいってしまったのか。和歌山県東部異界で餓者髑髏の隠遁を破った時点では、間違いなくヘルメットは被っていた。餓者髑髏から攻撃され、岩に激突して意識を失い、そして気が付いたら異界は征伐されてヘルメットはどこかへ消えてしまっていたのである。
一番あり得る可能性としては、やはり餓者髑髏から攻撃されたタイミングだろう。その衝撃でヘルメットが外れ、どこかへ飛んで行ってしまったとすれば、一応辻褄は合う。ただその仮説に颯谷自身は懐疑的だった。
(あのとき……)
あのとき、彼は餓者髑髏に殴り飛ばされて岩に激突した。氣鎧で防御したとはいえ、岩に叩きつけられたダメージは大きく、しばらくは腰や背中が痛かった。湿布を張ってくれた玄道は「大きく内出血している」と言っていたから、やはりそれ相応のダメージである。
ただその一方で頭部に大きなダメージはなかった。出血はおろかコブすらできていなかったのだ。つまり頭部は保護されていたということで、ならばその時点ではまだヘルメットを被っていなければおかしい。
だとすれば、ヘルメットが外れたのはその後ということになる。だがそれなら、ヘルメットは近くにあってしかるべきではないか。あの後、颯谷は周囲を探したのだが、ヘルメットは影も形もなかった。見落としている可能性は否定できないが、何とも言えない不自然さを拭いきれない。
(不自然といえば……)
不自然と言えば、なぜあの時自分は立っていたのか。意識を取り戻したときのことである。あの時は異界のフィールドが解除されていることに驚いて深く考えなかったが、思い返してみれば不自然というか不思議な話である。意識を失っていたはずなのに、なぜ自分は立ち上がっていたのだろうか。
(無意識のうちに立ち上がって、歩いて、ヘルメットを脱ぎ捨てた……?)
夢遊病の例もあるし、あり得ないわけではないだろう。ヘルメットは斜面を転がって下へ落ちてしまったのだとすれば、探しても見つからなかったことには説明がつく。ただそれでは説明のつかないことがもう一つある。消し炭になってしまった仙樹の杖のことだ。
折れたわけではない。消し炭になったのだ。つまり餓者髑髏の攻撃や岩に激突したことが原因ではない。消し炭になったということは、それ相応に高温の熱源があったということ。そしてその熱源は仙樹の杖だけを焼いて、颯谷にはやけど一つ負わせなかったのだ。
「狐火かよ」
颯谷は思わずそう呟いた。思い出したのは三尾の妖狐の最期。あの時の狐火も、あれだけ近くだったにも関わらず颯谷には何のダメージも与えなかった。もしかしたら本当に狐火が仙樹の杖を消し炭にしたのではないか。颯谷は一瞬そう思ったが、しかしすぐに「ないな」と首を横に振る。その時点で妖狐はすでにいなくなっていたではないか。
(本当に……)
本当に何があったのか。考えれば考えるほど分からなくなる。「狐に化かされたみたいだ」と呟き、その瞬間に三尾の妖狐が悪戯っぽく笑うイメージが脳裏に浮かんで、颯谷は思わず頬を引きつらせるのだった。
ともかく分からないことを考え続けても仕方がない。「保留~」と呟いて颯谷は頭を切り替えた。送られてきたカタログは薄い。まだラインナップが充実していないからだ。取り揃えてある仙甲シリーズは、ヘルメット、胸当て、籠手、脛当て、肩当て、肘当て、膝当て、グローブの八種類。まずは一式買おう、と颯谷は決めた。
仙具だけあって、お値段は決して安くない。八種類の装備をバラバラに買うと合計金額は1560万円。ただ一式を一括購入すると360万円割り引かれて1200万円になるという。さらに今回は創業記念キャンペーン。八種類を二セット買うと、二セット目は半額になる。
荷物に同封されていた手紙によると、颯谷の場合はさらに株主優待が利く。一式一括購入の場合1000万円だそうだ。また創業記念キャンペーンとして二セット目はなんと無料だという。颯谷は大きく頷いて、一式を二セット注文することにした。
さらに手紙によると、颯谷の直接の知り合いなら、今回に限り一式1000万円にしてくれるという。創業記念キャンペーンもこの値段を基準にするので、二セット目は500万円で買えるそうだ。「千賀道場でセールスしておいてくれ」と書かれていて、颯谷は思わず苦笑した。
「だからカタログを何冊も入れたのか。ま、本命はセールスよりコッチなんだろうけど」
そう言って颯谷は手紙をさらに読み進める。それによると、今後ラインナップに加えて欲しい装備などを聞いておいて欲しいという。そういうヒアリングは駿河家や会社でもやるのだろうが、サンプル数は多い方が良いということなのだろう。
「あとは……」
そう言って颯谷が次に荷物から取り出したのは、二振りの仙樹刀だった。刃が付いているタイプと付いていないタイプが一振りずつだ。彼が狐火で加工した仙樹刀は試作品として駿河仙具に提供してしまったので、刃が付いていない方はその代わりである。
もう一振りの刃が付いている仙樹刀は、同様の加工を頼まれたその素体になる。刃の有無でどれくらい差が出るのかを検証してみたいのだそうだ。こちらは颯谷も興味があるので近いうちにやって、早めに送り返してやろうと思った。
「でも先に道場かなぁ」
颯谷はそう呟いた。買うにしろ買わないにしろ、千賀道場に通う能力者全員の注文を取りまとめるにはそれなりに時間がかかるだろう。早めにアナウンスした方が良いだろうと思い、颯谷は玄道に一言声をかけてからバイクで道場へ向かった。
「これが仙甲シリーズかぁ……」
「結構デザインが洗練されてるな。これなら一式欲しいかも……」
颯谷が道場にカタログを持ち込むと、先輩の門下生たちがワラワラと集まってきてカタログを取り囲んだ。カタログは何冊かあり、なんとか全員が見ることができている。以前から颯谷が使用感を話していたこともあり、反応は総じて好意的だった。加えて、今なら比較的安く買える、というのもその一因だったのかもしれない。
「おい、颯谷。ラインナップはコレだけなのか?」
「今はそうみたいです。でも今後増やすつもりはあるみたいで、リクエスト募集中みたいですよ」
「リクエストか……。欲しいのは、やっぱりまず武器だな」
「うん、武器欲しい」
「武器ですか……。まずは鈍器から、とは言ってましたけど。刃の付いた武器はちょっと時間がかかるかもしれませんねぇ」
剛から聞いた話を思い出しながら、颯谷はそう答えた。それから「要望は出しときます」と答え、それからさらにこう続けた。
「武器以外だと、何が欲しいですかね?」
「そうだな……。武器以外なら盾じゃないかな」
「いや、でも盾を使う流派ってあんまり多くないぞ」
「両手で使うような大盾なら、既存のヤツでも結構頑丈だし、わざわざ仙具にする必要があるかね?」
「無いから使わないってのもあるんじゃないのか、盾は。それに仙甲で作れば軽くなる。征伐中の移動のことを考えれば、需要はあると思うぞ」
そう言われて颯谷が思い出したのは、北海道北部異界のことだった。その征伐に加わり損耗扱いになった原田毅は千賀道場の門下生だった男で、彼はその経験を語ったときに「重い大盾が移動の足かせになった」という話をしていた。
それを踏まえれば、「大盾が軽くなるなら需要はある」という話は納得できる。それで颯谷は持参したメモ帳に「盾(大盾)」と要望を書き込んだ。そして先輩門下生たちにさらにこう尋ねる。
「ほかにも何かありませんか?」
「一つ聞きたいんだが、この布とか糸も仙樹由来なのか?」
「はい。大部分がそうだと聞いています」
「じゃあ、ロープあると良いなぁ。仙具のロープって、今は異界で手に入れるしかないから」
「ロープか。まあ、糸があるなら作れるか」
「でも等級で言えば二級くらいだろ?」
「それでも十分ありがたいって。必要と思ったら金で買えるんだぞ」
「そうだな。それに金で買えるなら、必要な備品として国防軍に用意してもらうってこともできるかもしれない」
「あ、それ良いですね。他人の財布なところが特に」
「お前は超絶金持ちだろうが」
先輩からのツッコミを聞き流しながら、颯谷はリクエストをメモする。その間に、また別の門下生かさらに別のリクエストを出してこう言った。
「ロープが作れるなら、網とかできないかな」
「網、ネットか。そんなの何に使うんだ?」
「それこそモンスターの足止めとか。ネットを絡ませて槍で突けば、結構効果的だと思うんだけど」
「なるほど……」
颯谷はそのアイディアもメモ帳に書き留めた。そこから話が「足止めなら」という方向に広がり、「鎖鎌みたくロープの先に重りを付けて振り回せるようにする」とか、「それなら鉤づめの方がいい」とか、色々と追加でアイディアが出た。それがひと段落すると、今度は別方面での要望が出てくる。
「コート、コートじゃなくてもいいんだけど、アウターとかあると良いなぁ」
「いや、普通に上から着ればいいだろ」
「アウター自体に防御力があれば、二重になるだろ」
「モコモコしていると動きにくいぞ」
「一応、要望に入れておきますね」
そう言って颯谷はメモ帳に要望を追加した。その後も、要望は色々と出てきた。「アレも欲しい、コレも欲しい」となって数は膨大になったが、もちろんその全てが商品化されるわけではない。そもそも既存の製品で十分間に合うモノもあった。そしてアイディアがほぼ出尽くしたかと思われたその時、ある門下生がポツリとこう言った。
「でも、たぶん本命は銃弾だよなぁ」
その声は決して大きかったわけではないが、道場の中に良く響いた。そして一拍の沈黙が舞い降りる。無責任な雑談の雰囲気は去り、ある種の緊張感を含んだ空気が道場の中にいきわたる。その中で門下生の一人が口を開いてこう言った。
「銃弾、銃弾か……。まあ国防軍としては何よりソレが欲しいんだろうが……」
「でもよう、効くのか? だって銃だろ……」
「弓矢だって効果はあるんだ。氣を込めればたぶん効くだろう」
「問題はどの程度効くのか、だな。ヌシやガーディアンにも有効なら、征伐のやり方を根底から変えるゲームチェンジャーになるかもしれない」
その言葉に颯谷を含めた幾人かが頷いた。ただし彼らを含め、誰も嬉しそうな顔はしていない。銃が征伐の主流になっても、征伐のために能力者は必要とされるだろう。だが銃が主流になるなら、刀剣類は廃れていくことになる。征伐の主役は民間の能力者から、再び国防軍に戻ることになるだろう。
それはつまり武門や流門が衰退していくことを意味している。明け透けに言ってしまえば、能力者たちは職を失うのだ。いや、失うのは職だけではない。地元からの敬意や尊敬も、徐々に薄れていくことになる。代わりに国防軍の存在感が増していくことになるだろう。
「止めといたほうが良いんじゃないのか……?」
「無駄だ。俺たちが思いついたということは、誰かが思いつくってことだ。氣を込められる銃弾ってのは、遠からず誕生する。それが主流になっていくっていうんなら、それが時代の流れってことだ」
比較的経験豊富なある門下生がそう言うと、道場の中は再びシンっとした。確かにそれが正論なのかもしれないが、「はい、そうですね」とすぐに受け入れるのはなかなか難しい。その空気を感じ取ったのか、その門下生はさらにこう続けた。
「まあ、使い物になると決まったわけじゃない。俺は使い物にならない方にシャンパンを十本賭けるぞ」
「まったく使い物にならないのも困るだろ」
「大鬼に効くくらいになると良いんだけどなぁ」
緊張していた空気が緩み、門下生たちはワイワイとまた好き勝手に言い始める。その様子を見て、颯谷は内心でホッと胸を撫で下ろすのだった。
~ 第五章 完 ~
ヘルメットさん「たとえ我が燃え尽きようとも、第二第三のヘルメットを購入するであろう……」




