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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
仙具考察録

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131/205

プール


 静岡県は太平洋に面している。ただ駿河家があるのは県の北部で海からは少し遠い。それでこの地域の人たちにとっては、海で遊ぶことよりも川やプールで遊ぶことのほうが身近だった。


「ウチの場合、木蓮がクラゲに刺されてギャン泣きしたことがあってねぇ」


「お兄様!」


「以来、一番安全そうなプール一択というわけさ」


 妹の恥ずかしげな抗議の声を聞き流し、正之はそう言ってカラカラと笑った。そんな兄妹の様子を、颯谷は車の後部座席から眺めて曖昧に笑う。三人は今、正之が運転する車でレジャープールへ向かっているのだ。


「颯谷君は、夏はよく海に行ったりしていたの?」


「海にはあまり行かなかったですね。家からは遠いので。川遊びはたまにしましたけど」


「川遊びか。涼しいって聞くけど?」


「涼しいっていうか、寒いですよ、水の中は。河原にいる時間の方が圧倒的に長いですから」


 颯谷がそう答えると、正之は顔をほころばせて笑った。そもそも川で泳ぐのは危険が多い。いきなり深くなったり、流れが速くなったりする場所があるからだ。幸い颯谷の周りに例はないが、毎年川の事故は後を絶たない。駿河家がプール一択なのはその辺のことも理由なのかもしれない、と颯谷は思った。


「その川は近くだったんですか?」


「そんなに遠いわけじゃないけど、行くなら車だった。大人も一緒だったから、どっちかって言うとバーベキューがメインだったよ」


 木蓮にそう答えて、颯谷は肉を焼きながらビールを飲んでいた大人たちの姿を思い出す。あれは、子供たちを遊ばせることをダシにして、自分たちが酒を飲みたかっただけではないのだろうか。まあ別にいいのだが。


「バーベキューと言えば、今日の夜はバーベキューだよ。場所はウチの庭だけど」


「へえ、楽しみです」


「ビールも出すけど、颯谷君も飲むかい?」


「お兄様。颯谷さんを悪の道に引き込まないでください」


「特権持ちだし、法的には問題ないよ」


「ははは。まあ、遠慮しときます」


「そうかい? じゃあ、肉をいっぱい食べてくれ」


 そんな話をしている間に、正之が運転する車は目的地であるホテルに到着した。そう、プールと聞いていたのにやってきたのはなぜかホテル。颯谷は思いっきり首をかしげたが、聞けばここはいわゆるスパリゾートなのだという。


「宿泊しなくても施設を使えてね。家族連れにも人気のスポットだよ」


 正之はそう説明した。彼の言葉を裏付けるかのように、今日は平日なのだが夏休み期間中だからなのか、駐車場はすでに七割以上が埋まっている。これからさらに利用客は増えるだろうと思われ、施設の盛況ぶりがうかがえた。


 車のトランクから荷物を取り出す。トランクの中には鍵のついた金属製の箱が置いてあり、実はその中には幾つかの武器が入っている。今日は颯谷の仙樹刀も入っていて、これはつまり出先で異界顕現災害に巻き込まれた時のための備えだった。


 颯谷が初めて異界顕現災害に巻き込まれたのは9歳の時で、家族と旅行中に高速道路を走行していた時のことだ。近くに剛ら能力者のグループもいて、彼らが中心になって征伐を行ったわけだが、その時に彼らが使った武器というのもこうしてあらかじめ車に備えておいたモノだ。


 常在戦場の心得、とでも言うべきか。能力者がこうして車の中にいざという時のための武器を備えておくのは、一般人が家に非常持ち出し袋を備えておく感覚に近いという。つまりごく自然なこと、というわけだ。だからだろうか。異界の外でもこういう備えを怠らないその姿勢は、用意周到というのを超えてある種生き方のように感じられた。


 まあそれはそれとして。施設に入り受付けを済ませると、三人は二手に分かれた。なんと正之はプールには入らないのだという。このホテルにはプール以外にもエリアがあるので、そちらでゆっくりするのだと言っていた。


「そうだ、お昼はどうする? プールサイドでも軽食は食べられるけど」


「せっかくですから、レストランで」


「分かった。じゃあお昼にまたここで待ち合わせよう」


 正之と木蓮が手慣れた様子で予定を決める。待ち合わせの時間を決めると、二人はそこで正之と別れてプールに向かった。そして更衣室でそれぞれ水着に着替えてから、プールサイドで合流。先に出てきたのは颯谷で、穿いている水着はトランクスタイプだった。


「おおう……」


 プールサイドに立った颯谷は、目の前のプールの規模に圧倒された。複数のウォータースライダーに水上アスレチック。予想をはるかに超える規模だ。しかもこのプールだけが施設のすべてではないというのだから恐れ入る。利用客の水着までおしゃれに見えてくるから不思議だ。


 彼が穿いているトランクスタイプの水着はネイビー一色で、良く言えばシンプルだが地味と言われても反論のしようはない。とはいえブーメランなんて穿く気はないし、そもそも男の水着に面白みを求めても仕方がないだろう、と彼は心の中で嘯いた。


「お待たせしました」


 颯谷がそんなことを考えていると、木蓮がプールサイドに現れた。そしてパタパタと走って彼に駆け寄る。しかし彼は咄嗟に声をかけることができなかった。彼女の水着姿に見とれてしまったのだ。


 木蓮の水着は白のビキニタイプ。ビキニとして見れば比較的大人しいデザインだが、しかしビキニらしく布面積は大きくない。大胆に露出された肌が艶めかしく見えて、颯谷は心臓の鼓動が早まるのを感じた。


「あの、颯谷さん?」


 恥ずかしさ八割、不安が二割。そんな表情で木蓮が颯谷の顔を覗き込む。その瞬間、彼の心臓はひときわ大きく拍動した。そしてその痛いほどの鼓動が彼を再起動させる。


「う、うん! に、似合ってるよ、木蓮」


「そ、そうですか」


 そう言って木蓮は視線を逸らして髪をいじる。不機嫌なわけではない。その証拠に頬を薄く染めた彼女は口元をほころばせている。それから木蓮は颯谷の手を取って駆けだした。


「行きましょう、颯谷さん! 何から遊びますか?」


「じゃ、じゃあウォータースライダー!」


「はい、それじゃああの大きいヤツにしましょう!」


 そう言って二人は一番大きなウォータースライダーへ向かった。ボートに乗って滑るタイプのウォータースライダーで、クルクル回りながら結構なスピードが出る。二人は歓声を上げながらそのアトラクションを楽しんだ。


 それを皮切りに、二人はこのスパリゾートのプールを満喫した。ウォータースライダーを幾つか滑ってから水上アスレチックにも挑戦。バランスを取りつつ進んでいたのだが、二人揃ってプールに落ちて歓声を上げた。


 そうやって遊んでいるうちに颯谷は木蓮の水着姿にも慣れていったが、アトラクションのボートで身体が密着したときにはやっぱりドギマギしてしまった。ただ木蓮のほうにそれを意識している様子はなく、颯谷もなるべく意識しないようにするのだった。


 さて、楽しい時間はあっという間に過ぎる。まだまだ遊びつくしたとは言えないのだが、お昼の時間になったので二人はプールから上がった。更衣室で着替えてから待ち合わせ場所に向かうと、そこにはすでに正之の姿が。彼は二人を見つけると小さく手を上げて合図をした。


「すみません、お待たせしました」


「いやいや。思ったより早かったよ。プールは楽しかったかい?」


「はい。こんなに大きなプールは初めてでした」


 笑顔を浮かべる二人の様子を見て、正之も顔をほころばせる。そして満足げに頷いてこう言った。


「楽しんでくれて良かったよ。……木蓮も、水着選びに三時間かけた甲斐があったね」


「お兄様っ!」


「ははは。じゃあお昼を食べに行こうか」


 抗議の声を上げる妹を華麗にいなして、正之はさっさと歩きだした。木蓮は「むむむ」という顔をしていたが、颯谷の視線に気づくと恥ずかしそうにサッと顔をそむけた。そして少しモジモジした様子を見せてから、颯谷の手を掴んで歩き出す。どうやら無かったことにするらしい。颯谷は小さく笑って誤魔化されておくことにした。


 さてスパリゾートの施設内には多数の飲食店がある。その中で三人が入ったのはピザのお店。カジュアルな雰囲気だが、石窯で焼く本格的なピザが人気なのだとか。確かにいい匂いが店の外まで漂ってきている。三人はそれぞれピザと飲み物を注文。お店の人に頼んで切り分けてもらい、互いのピザを交換して昼食を楽しんだ。


「駿河家は、よくここに来るんですか?」


「まあ、そうだね。分家も合わせれば子供は多いし、誘い合わせてくることは結構あったかな。海や川と比べれば安全だしね」


「それに夏のレジャーって言うと、やっぱりここが圧倒的に大きいですから」


 颯谷の質問に正之と木蓮がそう答える。武門と聞くと堅苦しいイメージだが、そうやって一門総出でスパリゾートに遊びに来ているところを想像すると、ちょっとおもしろい。というか、そういう旗振りも当主がやったりするのだろうか。颯谷はふとそう思ったのだが、正之は笑いながら首を横に振った。


「いや、さすがに当主が旗振りしたら気軽な遊びじゃなくなっちゃうから。あくまで有志がやってるって形だよ」


「あ、でも、話が大きくなっちゃうことは良くありますよ」


「あ~、あるねぇ。ウチの予定がなぜか漏れて、『せっかくだからウチも一緒に』みたいな感じで参加者がどんどん増えていってさ。結局観光バスを二台も手配したこともある」


「逆に、計画がダメになっちゃったこともありましたね。異界のせいで」


「一門の人たちが征伐隊に入ったってこと?」


「はい。そうなると、さすがにプールで遊んでいる雰囲気じゃなくなりますから」


「なんでよりにもよってこのタイミングなんだって呪詛吐いたね、あの時は」


 正之が肩をすくめながらそう語る。自然災害のためとはいえ、楽しみにしていた夏休みの一大イベントがオジャンになれば、子供ながらに呪詛の一つも吐きたくなるだろう。そういうのは武門あるあるの一つなのかもしれない。


 さてそんな話をしながらピザを食べ、三人はお会計を済ませて店を出た。次に向かったのはクレープの店で、彼らはそこで食後のデザートとしゃれこんだ。颯谷と木蓮は互いのクレープを一口ずつ食べ合いっこしたのだが、そんな二人の様子を正之が生暖かく見守っていた。


 昼食後は、施設内のプール以外の場所を見て回る。ショッピングエリアもあって、そういうところを見て回ったりした。何かを買ったりとかはしなかったが、いかにもリゾートっぽい雑貨が並んだお店は見ているだけでも楽しかった。


「こういうのって、なんか惹かれちゃうんだよなぁ。要らないって分かってるんだけど」


「ああ、分かります。なんか手に取っちゃうというか」


 南国風のなんだかよく分からない置き物を手に取りながら、颯谷と木蓮がそんなふうに話す。雰囲気と物欲に翻弄されつつも財布のひもは固くして、二人は施設内のいろいろなお店を見て回った。なおもう一人については、後ろで木蓮が目くじらを立てていた。


 スパリゾートで一日遊び、駿河邸に帰って来たのは午後五時半過ぎ。庭の方へ回ると、すでにバーベキューの準備が始まっていた。バーベキューコンロを中心にしてアウトドア用のイスが幾つか置かれている。火はまだついていないが、タレに付けこまれた肉が傍に置かれている。ちなみに多数の蚊取り線香はすでに火がついていた。


「おお、颯谷。楽しかったか?」


 作務衣を着て、いかにも休日という雰囲気の剛が颯谷に声をかける。颯谷は「はい」と答えてからバーベキューの準備を手伝った。こういうのは準備から参加した方が楽しいものだと颯谷は思っている。


 コンロに火が入り、まずは骨付きの大きな肉が網の上に載せられる。ジュウウ、と威勢のいい音が響くとバーベキューが始まった。木蓮の母である薫子は仕事があったようだが、バーベキューと聞いて早めに切り上げて途中参加。豪快にビールを飲み干していた。


「颯谷。少しいいか?」


 颯谷が切り分けたステーキ肉を食べていると、そこへ剛が現れて声をかけた。後ろに颯谷の知らない男を一人連れている。剛は彼を颯谷に紹介した。


「音無数馬君だ。株式会社駿河仙具の社長に就任してもらうつもりだ」


「そうですか。分かりました」


 あまりよく分かっていなさそうな颯谷がそう答える。剛は小さく苦笑を浮かべたが、ともかくこれで大株主の同意を得られた。こうして数馬の社長就任は確定したのである。会社の設立は九月一日を予定しており、あとで株式と仙甲シリーズのカタログを送ってくれるという話になった。


 午後の八時を過ぎても、バーベキューは続いていた。さすがにコンロの火は小さくなったが、まだ何かを焼いている。そんな様子を、颯谷は駿河邸の縁側に座って眺めていた。肉をたらふく食ったおかげで腹が重い。そんな彼の隣に木蓮が来て座った。


「飲みますか? グレープフルーツジュースですけど」


「飲む。ありがとう」


 木蓮から紙コップを受け取ると、颯谷はよく冷えたグレープフルーツジュースを口に運んだ。少し苦みのあるそれが、口の中をさっぱりとしてくれる。ジュースを半分ほど飲んでから、颯谷は木蓮にこう尋ねた。


「進路はもう決まった?」


「迷いましたけど、弁護士資格を目指そうと思っています。だから法学部ですね。颯谷さんはどうするんですか?」


「まだ迷ってるんだよなぁ。こう、何を学びたいのか、はっきりしなくてさ」


「無理に進学しなくても良いのでは?」


「まあ、そうなんだけど。でも、木蓮とのキャンパスライフは、ちょっと、捨てがたい」


 少し恥ずかしそうに颯谷がそう言うと、木蓮も顔を赤くする。どちらからともなく二人は視線を逸らしたが、その真ん中で指と指はしっかり絡み合っていた。


正之「馬に蹴られたくないからね。溺れちゃうよ」

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― 新着の感想 ―
ナガシマスパーランドが元ネタなのかな?
そうかっ! その手があったか! 妄想入ってニヨニヨしました。 (* ̄∇ ̄*)
政治家「大学に入ったら赤紙送ろう」 正之「おいおい赤兎馬の下に首置くとかあいつら正気かよ」
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