新会社
一般に武門というのは、血縁を軸とした能力者を中心とする集団のことである。駿河家は静岡県北部に根を張る有力な武門で、それ相応の分家を束ねている。その分家の一つに、音無家という家があった。
その音無家に数馬という男がいる。長男で歳は二十八。高校卒業後に征伐隊へと志願したのだが、三回目の征伐で股関節を負傷。走れなくなり、歩くにも杖が必要で、損耗扱いになって引退した。颯谷とあれこれ話した翌日、剛はその音無数馬を本家である駿河家に呼び出した。
「ご無沙汰しています、剛さん」
「おお、来たか、数馬。座って楽にしてくれ」
数馬が通されたのは、いつも使う応接室ではなく別の客間だった。そこは洋間でソファーが置いてあり、股関節を悪くした数馬には座布団よりもそちらの方が良いだろうという配慮だった。
「大学はどうだ?」
「楽しんでますよ。同級生や先輩がみんな年下なのは、やっぱりちょっと慣れませんが」
数馬がそう答えると、剛は声を上げて笑った。彼は若くして能力者としては引退を余儀なくされたわけだが、しかし人生としてはこれからの時間の方が長い。その全てを余生として過ごすのもどうかと思い、彼は勉強し直して大学に入ったのだ。
「それで剛さん。今日はどんな用件でしょうか?」
美咲が運んできた冷たい緑茶を一口飲んでから、数馬は剛にそう尋ねた。剛は腕を組んで「ふむ」と呟くと、まずはこう切り出した。
「仙甲シリーズを正式に売り出そうとしているのは知っているだろう?」
「はい。お手伝いしていましたし」
数馬はそう答えた。仙甲シリーズのプロジェクトはこれまで剛が中心になって進めてきた。ただ彼一人で進めていたわけではなく、正之など一門から他にも数名関わっている。その中でも数馬は剛が最初期に声をかけたメンバーだった。
「それで、正式リリースに伴って会社を立ち上げるわけだが、数馬、社長をやってくれないか?」
「…………は?」
数馬は少々間の抜けた声を上げた。何を言われたのか分からなかったわけではない。むしろ理解しているからこそ困惑しているのだ。
「私が、社長? 何の冗談ですか、それは」
「冗談を言ったつもりはないぞ」
そう言った剛のふてぶてしい笑みを見て、数馬は思わず眉間にシワを寄せた。そんな彼に剛はさらにこう語る。
「もちろん株式はウチで持つ。だが私も正之もまだ現役だ。つまりいつ死ぬか分からん。薫子さんは不動産業で手一杯だし、美咲も本家の切り盛りで忙しい。かといって木蓮にやらせるわけにもいかん。だから数馬にやってもらいたい」
「いやそう言われても。確かにお手伝い程度に関わっては来ましたが、私は今まで会社勤めもしたことはないし、大学だって工学部です。いきなり社長をやれと言われても……。それこそ、ウチの姉なんてどうです? そこそこ大きめの商社に勤めてますし、私よりは適任だと思います」
そう言って数馬は何の躊躇いもなく姉を売ろうとしたのだが、剛は苦笑を浮かべながら小さく首を横に振った。ちなみに彼の姉は現在三十二歳で、すでに別の分家の男性と結婚している。
「普通の、というよりは一般向けの事業なら、それでも良かった。だが今回扱おうとしているのは仙具だ。社長が一般人というのは、まあ悪くはないと思うんだが、セールスする相手がどう感じるかと思ってな……」
「能力者でもないのに仙具の良し悪しが分かるのか、とそんな風に言われるかもしれませんね……」
「まあ、そう言うことだ」
そう言って剛は大きく頷いた。数馬としても納得できる話ではあるが、しかしだからと言って「はい、そうですか」と簡単に頷ける話ではない。会社の経営というのは、彼にとってはまったく未知の世界。正直に言って自分に務まるとは思えなかった。そんな数馬に剛はさらにこう告げる。
「あまり心配するな。経営のことはおいおい覚えれば良いし、私も会長として名前は置いておく。面倒な相手は私に投げろ。それにどうせしばらくは既存の商品を売るだけだ」
「それなら、なおさら私でなくても良いのではありませんか?」
「いやいや。君は手伝い程度というが、ここまでの全体の流れはちゃんと把握しているだろう? そんなメンバーは正之を別にすれば君しかいない」
「ですが……」
「それとな、数馬を選んだのは先を見てのことだ」
「……先、というと?」
「この先、この事業が上手くいけばいくほど、同業他社が現れるだろう。不動産と違って輸入も輸出も可能な商品だからな。将来的には価格競争を余儀なくされるだろう」
「そうかもしれません」
剛の言葉に数馬も頷く。セルロースナノファイバーの技術はすでに広く知られているモノだし、仙樹だってそう珍しいものではない。つまり作ろうと思えば同種の商品は作れてしまうのだ。そして剛の言うとおり、それは近い将来に現れるものと思われた。
「私としてはこの事業を、不動産業と並ぶウチの柱にしたいと思っている。長く続けたいと思っているわけだが、そのために必要なモノは何だと思う?」
「……よく、分かりません。剛さんは、何だと思っているんですか?」
「私はブランド力と提案力じゃないかと思っている」
ブランド力というのはつまり知名度のこと。これは最初に仙甲シリーズを売り出してこの業界のフロントランナーになれば自然と付いてくるだろう。問題は提案力だ。
「先駆者というのは、本来有利なはずなんだ。だが実際には追い付かれ追い越される者が多々いる。その理由はなんだと思う?」
「努力しなくなるから、じゃないんですか。成功体験に安住するというか」
「それもあるだろうな。それに加えて、二の矢、三の矢が出ないからじゃないかと、私は思う」
つまり最初のアイディアを大当たりさせてフロントランナーの地位を築きはしたものの、そこから事業を発展させることができずに潰れていく、というパターンだ。優れたアイディアは起爆剤にはなる。だが最初のワンアイディアで事業を継続し、発展させていくことは難しい。そのためにはやはり二つ目、三つ目のアイディアが必要なのだ。
「それが提案力ですか……」
「まあ、そうだ」
剛は大きく頷いた。今回の新事業について言えば、「仙樹由来のセルロースナノファイバーを用いた人工仙具」というのは優れたアイディアだと言える。革命的で、征伐の様相を一変させるゲームチェンジャーになるのではないかとさえ思う。
ただその一方で、「先がない」とも剛は感じている。防具を作り、武器を作り、ではその先はどうするのかという話だ。先がなければ、いずれ需要は頭打ちになる。そして始まるのは価格競争だ。
「数馬を社長に抜擢しようと思ったのもそれが理由だ。防具に武器に、そこまでは誰でも思いつくだろう。問題はその先だ。その先を君に考えてもらいたい」
「なぜ、私なんですか……?」
「君は今、大学で何をやっている?」
「AI、人工知能を用いた情報解析、です」
「つまり今までとは全く異なる分野だ。そういう異なる分野から得たインスピレーションがブレイクスルーを起こすというのは良くある。それを期待している」
「……過大評価ですよ。私はそんな……」
「そうか? 勉強しなおして、大学に入って、そこでまた勉強して。今回のプロジェクトでも良く働いてくれたし、なかなかできる事じゃない」
「…………」
「能力者としての視点と、研究者としての視点。この二つを持つ人材はなかなか稀有だ。引き受けてくれないか」
「能力者としてはすでに引退で、研究者としてはヒヨコ以前の卵ですよ、私は」
「つまり成長の余地が大きいということだな。期待しているぞ」
穏やかながらも決してひかない剛の構えを見て、数馬はついに苦笑を浮かべた。それに本音を言えば、もうちょっと深入りしてみたい気持ちはあったのだ。そういう意味では渡りに船ではある。いきなり「社長をやれ」と言われたせいで尻込みしただけで。「ふう」と一つ息を吐いてから、彼は意を決してこう答えた。
「分かりました。お引き受けします」
「そうか。やってくれるか」
「はい。……大学は休学します」
「いや、その必要はない。さっきも言ったが、異なる分野の視点というのはこの先重要になってくるだろう。しっかり学んでくれ」
「ありがとうございます」
そう答えて、数馬は軽く頭を下げた。それからふと気になることを思い出す。聞いた時はさして気に留めなかったことだが、社長になるとなればそうも言ってはいられない。彼はそのことをこう尋ねた。
「ところで剛さん。新会社のことですが、確か桐島颯谷君にいくらか株式を渡すという話をしていましたよね?」
「ああ、そうだな」
「どのくらい渡すんですか?」
「四割だ」
「結構多いですね……。多くても二割程度かと思っていたんですが……」
やや難しい顔をして数馬はそう呟いた。そもそも「仙樹を使う」というアイディア自体が颯谷の発案だし、また試作品を作るために使った仙樹の大部分は颯谷が用意してくれたもの。そのおかげでスケジュールが足踏みすることなく開発できたことを思えば、二割程度は仕方がないと思っていたのだ。だが実際にはそれを大きく超える四割だという。その理由について剛はこう話した。
「私も最初はそれくらいにしようと思っていたんだがな。こんなモノを見せられては、な」
そう言って剛が数馬に見せたのは、颯谷が持ってきた仙樹由来のセルロースナノファイバーで作った木刀、仙樹刀だ。数馬はそれを受け取ると、表面の「ハ」の字を並べたような加工を見て首を傾げた。
「なんですか、コレは?」
首をかしげる数馬に、剛はまず試してみるように勧める。彼の言うとおりに試してみた数馬は、その手応えに驚いた。驚く数馬に、剛はさらにこう告げる。
「仙具の眼鏡を使って氣の流れも確認した。少しずつだが、確かに流れている」
「自動的に、ですか……」
「そうだ。氣で刃を形成してやると、もっとはっきり分かる」
数馬は感嘆のため息を漏らした。大発見と言っていいだろう。見たところ表面の加工は簡単なものだ。しかしその簡単な加工で今までにない効果が表れている。であればより複雑な加工をした場合どんな効果が現れるのか。可能性のかたまりに思えた。
「この技術を会社に譲ってもらった。この木刀と幾つかのアイディアも提供してもらっている。代わりに株式を四割だ」
「……なるほど。妥当だと思います」
国防軍が仙甲シリーズの武器を求めていることは、数馬も知っている。そうであれば、この技術は巨万の富を生む可能性を秘めている。その権利を完全に押さえられるのは大きい。経営に関しては素人の彼にもそれは分かった。
「まあ四割は確かに大きいが、六割握っておけば経営権はこちらのモノだ。最低限そこだけ確保しておけば、大きな問題はない」
「横やりを入れられるかもしれない、と?」
「……株式というのは財産だからな。会社の命運次第ではあるが、その効力は人の寿命より長く続く。そして将来の全てを正確に予見することなど、神ならざる人の身だ、誰にもできんよ」
「まあ、確かに」
数馬は小さく頷いて剛の話に理解を示した。そして話題を変えてこう尋ねる。
「それはそうと、会社の名前はどうするんですか?」
「株式会社駿河仙具、でどうだ?」
「分かりやすくて良いと思いますよ」
「よし。じゃあ決まりだ」
そう言って剛は大きく頷いた。そしてこの年の九月一日、株式会社駿河仙具が設立された。
剛「㈱駿河仙具にするか、駿河仙具㈱にするのか、それが問題だ」




