仙具考察1
昼食を食べ終えると、剛らは先ほどの応接室に戻った。今度は木蓮も一緒である。後片付けは美咲がやっておくと言ってくれたのだ。身重のはずなのだが、「主婦ですし、これくらいは何でもありませんよ」と朗らかに言っていた。
場所が応接室に移っても、話題は先ほどの続きだ。つまりレベリングと颯谷が貸し出した巻物について、である。まずレベリングだが、今回の異界では武装している怪異が多かった。それは要するに一級仙具を手に入れるチャンスが多いということで、自然と征伐隊の士気は高くなった。
ただ今回の異界の場合、一級仙具とはいえその八割は石器と青銅製。武器のランクとして言えば、決して高いとは言えない。確かに氣の通りは良いかもしれないが、それだけで武器としての性能が決まるわけではないからだ。よって仙具だけをモチベーションにした場合、征伐隊の士気は早い段階で低下していた可能性が高いと言える。
彼らとてレベリングをして氣の量を増やすのが重要であることは分かっている。だが一定の指標というか、目に見える成果がないとモチベーションはなかなか維持できないモノなのだ。さらに言えば異界とは魔境。さっさと征伐して家に帰りたいと思うようになるのも、無理からぬことだろう。
その「目に見える成果」の部分で貢献したのが、他でもない颯谷が貸し出した巻物だった。モンスターを倒してどれだけ氣の量が増えたか、つまりどれだけ成長したのかが分かれば、それはモチベーションの維持に役立つ。実際、征伐隊の隊員たちはこぞって巻物を使いたがったという。
「でも、そもそもどうやって巻物の能力を解明したんですか?」
「まずはいろんな奴に使わせてみた。浮かび上がってくる紋様の規模はそれぞれだったから、個人差があるということはすぐに分かった。ただ決定的だったのは選抜チームの、覚醒したての能力者がいたことだな」
つまり覚醒したての能力者の場合、浮かび上がってくる紋様の大きさに差はほとんどなかったのだ。そう言ってから、剛はスマホを取り出して写真を颯谷に見せる。そこには小さな紋様の浮かび上がった巻物が映っていた。
「これが覚醒したての、つまりまだモンスターを一体も倒していない能力者が巻物を使った場合の紋様だ。そして次が小鬼を一体倒した後の紋様」
そう言って剛は次の写真を見せる。あまり差はないように思えたが、よくよく見比べてみると、ほんのちょっと大きくなっているのが分かる。つまりこの分だけ氣の保有量が増えた、ということだ。
「これが小鬼を全部で三体倒した後の紋様」
次に見せてもらった写真だと、紋様の規模が大きくなっていることがはっきりと分かる。モンスターを倒すごとに紋様の規模は大きくなっていくわけで、それが何を意味しているのかと言えば、それは保有する氣の量だろう、というのが現在の解釈らしい。
「なるほど……」
「ただまあ、取説があるわけじゃないからな。氣の量と関係しているのは間違いないと思うんだが……」
「何かあるんですか?」
「どうもな、氣の保有量が増えれば増えるほど、浮かび上がってくる紋様の規模の差は小さくなっていくようなんだ。少なくとも直線的に比例しているわけではないらしい」
そう言って剛はまた別の写真を見せてくれた。一枚目の写真では、例の炎のような紋様が巻物の五割ほどを覆っている。二枚目は一回り弱小さくて、だいたい四割強と言ったところか。その二枚の写真を見せてから、剛は颯谷にこう尋ねた。
「一枚目と二枚目、氣の量が多いのは言うまでもなく一枚目だ。じゃあ一枚目と二枚目で、実際どれくらい差があると思う?」
「う~ん、そうですね……」
颯谷はそう呟いて考え込んだ。小鬼三体であれだけの差が出たのだから、大鬼で三体くらいだろうか。いや、先ほどの剛の話も勘案すれば、たぶんもっと大きいはず。それで颯谷はこう答えた。
「ヌシ一体分、くらいですか?」
「キャリアで五年。経験した異界の数で四つ分の差だ。ちなみにその四回っていうのは、攻略隊が二回、遊撃隊が二回だ」
それを聞いて颯谷は思わず目を見開いた。もちろん、経験した異界の数の差がイコールで氣の保有量の差に直結するわけではない。問題はどれだけのモンスターを倒したのか、だからだ。極端な話、後方支援隊でモンスターを一体も倒さなくても、異界を一つ経験したことにはなる。
ただこうして剛がサンプルとして見せたということは、一回ごとの征伐での活躍はだいたい同じくらいの二人を選んでいるのだろう。たぶん攻略隊が〇回、みたいな数え方をしているはず。そういう経験をいわば相殺して数えていって、残ったのが攻略隊二回と遊撃隊二回ということなのだろう。
まあそういう数え方はともかくとして。ともかく颯谷が思う以上に差は大きいらしい。正之は「対数的な変化の仕方なんじゃないかな」と言っていたが、颯谷は対数というのが良く分からない。簡単なグラフを書いてもらって、「なるほど、そうかも」と思った。
ちなみに一枚目の写真は剛のモノだという。二枚目の写真は駿河家の分家筋のとある能力者のもの。今回の征伐隊の中では、二人ともトップクラスに氣の量が多いという。それを話してから、剛は颯谷にこう尋ねた。
「颯谷が使ってみたときは、どんなだったんだ?」
「七割くらい埋まってましたね」
嘘をついても仕方がないので颯谷がそう答えると、剛と正之は何とも言えない顔になった。巻物の紋様の規模が仮に本当に対数的な変化をしているとして、颯谷と剛の差は一体どれほどなのか。剛は畏怖と呆れが混然となった息を吐きだした。
「まったくお前ってヤツは……。まあいい。それより一つ、頼みがあるんだが……」
「なんでしょうか?」
「この巻物、売ってくれないか?」
そう言って剛がテーブルの上に置いたのは、颯谷が貸し出した例の巻物である。これまで能力者が保有する氣の量というのは、結局のところそれぞれの主観でしか判断できなかった。しかしこの巻物があれば客観的に比べることができるようになるのだ。
「計測」と呼ぶには精度が足りないかもしれないが、しかしそれは一定の基準を作ることができるようになることを意味する。征伐隊でリーダーを務める立場の者としても、駿河家という武門を率いる立場の者としても、剛の要望は当然のことだろう。それは颯谷も分かる。だが彼は申し訳なさそうにしながらこう答えた。
「……ごめんなさい。お断りします」
「頭を上げてくれ。困らせたいわけじゃないんだ。ただ、理由だけ聞かせてくれないか」
「本当に氣の量が分かるなら、千賀道場の先輩たちも興味があると思うんです。それに師範にはあの件でもお世話になりましたし、ここで駿河家に売っちゃうのはちょっと不義理かなぁ、と……」
「なるほど。いや、もっともな理由だ」
剛はそう言って大きく頷いた。そしてテーブルの上に置いた巻物の隣に、さらに一通の封筒を添える。A4の用紙が折らずに入るサイズの封筒だ。彼はその両方を颯谷の方にやってこう言った。
「巻物を貸してくれたこと、感謝する。おかげで色々と興味深いことが分かった。封筒にはレポートを入れておいたから、参考にしてくれ。とは言っても、レポートは国防省が公開している総括報告書の抜粋だがな」
「ありがとうございます」
そう言って颯谷は巻物とレポートの入った封筒を受け取った。それを自分が座る座布団の隣に置いてから、彼は剛の方を向いてこう尋ねる。
「この巻物以外にも、使い道不明だった仙具の検証をやったって聞いてますけど、何かわかりましたか?」
「そちらもまあそれなりだな。効果や使い方が大体分かった物もあれば、さっぱり分からなかった物もあった」
効果が分かった例を挙げてみれば、まずは駿河家が持ち込んだとある壺。この壺に水を入れ、仙樹の枝を挿しておくと、なんと一日で仙果が実った。通常仙果は同一の枝にだいたい三日に一度のペースで実るので、これはその三倍のペースだ。
もっとも壺一つで供給できる仙果の量などたかが知れている。食料の補給という意味では、「だから何だ」という話ではある。とはいえ使い道が不明とされていた仙具にもこうして使い道があることを示したという意味では、実験の意義は大きいと言って良い。
別の例で言えば、メガネやモノクル。これは駿河家だけでなく他の武門や流門も所有していて、複数個が今回の征伐の際に持ち込まれた。参考にしたのは颯谷が手に入れた妖狐の眼帯。より正確に言えば、総括報告書に記されていたその使用法。
これまではただ単にそれらの眼鏡やモノクルに氣を流してみるだけだった。しかも異界の外でやっているので何の効果もなく、結果として何の使い道もない仙具だとされていたのだ。
しかし颯谷が凝視法との併用を提唱。つまり目に氣を集めた状態でそれらの仙具を使用する方法を発見した。さらに「異界の外では能力が低下する」という特性も合わせて示されたため、ならばと異界に持ち込んでの検証が行われたのだった。
結果から言えば、それら眼鏡やモノクルの仙具はすべて同じような能力を発揮した。つまり氣の可視化である。それもより精密な可視化だ。颯谷は妖狐の眼帯で氣の流れを確認したが、それと同じことができたのである。
ちなみに妖狐の眼帯と同じく、これら眼鏡やモノクルの仙具は異界の外でも使えた。ただし凝視法の要求強度が上がった。つまり凝視法で使うべき氣の量が増えた。これは単純に使用時間が短くなったことを示している。なお妖狐の眼帯も同じなのかもしれないが、今のところ唯一の使用者にとっては誤差の範疇なので、あまり気にしていなかった。
まあそれはそれとして。妖狐の眼帯で確認できた氣の流れを同じように確認できるということは、つまり颯谷がやったのと同様の検証を行えるということ。いや剛をはじめとして、颯谷よりはるかに長く氣功の鍛錬を行ってきた者は多い。彼らが行った検証はより深く、まるで一つの学問分野であるかのようにさえ感じられた。
例えば氣の刃を飛ばす技がある。飛燕や飛翔刃などと呼ばれるこの技は、これまでただ一つの刃を飛ばす技だった。これは刀の刃が一つしかなく、その斬撃を飛ばすというイメージが強かったからだ。
しかし氣の流れが可視化されたことで、氣の刃を飛ばすというイメージが補強された。刀と刃はあくまで器であり、氣というエネルギーこそが重要なのだと、より明確に理解できたのだ。そしてその意識の変化がブレイクスルーを起こした。
具体的に言うと、一度に複数の氣の刃を飛ばせるようになった者が現れた。そして最初の一人が「できる」ことを示せば、後の者は続きやすくなる。今では実に五十人以上の者が一度に二つ以上の氣の刃を飛ばせるようになっており、その人数は今後さらに増えることが確実だった。
「すごいですね……。そんなことまでできるようになったなんて……」
「まあな。これも大きな成果だと思っている。ただデメリットがないわけじゃない」
一度に飛ばす氣の刃が増えるということは、その分だけ氣の消費量も増えるということ。さらに精度はどうしても悪くなる。とはいえ「できる」と示したことは剛も言った通り大きな成果で、今後新たな技が開発されていくことになるかもしれない。
なお、こういう武技関連のアレコレは総括報告書には記載されていない。それぞれの武門や流門の秘技、という扱いになったからだ。だから本来部外者で、征伐にも参加していない颯谷が、こうして口頭とはいえ教えてもらっているのは破格と言ってよい。
ただ仙具関連の検証結果は総括報告書にも記されているので、同様の仙具さえあればそれぞれの武門や流門で独自に検証を行うことは可能だ。むしろそっちに誘導するのが目的で検証結果を記載したと言ってよい。あちこちから問い合わせが来るのはさすがに面倒、ということだ。
このように多くの仙具がいわば再発見されたが、その一方でやはり使い道の分からない仙具もあった。その一つは剛が持ち込んだよだれの付いた巻物。この巻物も異界の中で氣を込めたら反応があった、つまり何かしらの紋様が浮かび上がったのだが、それが何を意味するのか分からなかったのだ。
「個人差はなかったんですか?」
「なかった。むしろあれば仮説の一つも立てられたんだが……」
剛はやや悔しそうにそう答えた。駿河家の巻物は誰が氣を込めても同じ紋様が浮かび上がった。これは誰でも使える可能性を示唆している。だがその紋様が何を意味しているのかはさっぱり分からない。結局、他に検証するべきことも多いので深く掘り下げて考察することはされず、そのまま背嚢の底に仕舞われっぱなしだったという。
またそもそも試すことさえ躊躇われた仙具もある。その一例が仮面だ。恐ろしげな形相をした鬼や般若の仮面を検証しようとして、そのまま何か良くないモノに取り憑かれでもしたらたまったものではない。
「そんなオカルトチックな」と笑い飛ばすことは、颯谷にはできなかった。異界も氣功もモンスターも、それが現れる前の世界から見れば十分にオカルトチックだろう。であれば「あり得ない」と言い切れる話ではない。
「取説がないのがな、一番困る」
「ああ、それは分かります」
そう言って、二人はしみじみと頷き合うのだった。
剛「メーカー保証もないし、コールセンターもない」




