手土産として2
某企業曰く「アイスを食べるならアルミのスプーンが良い」という。アルミは熱伝導率が高く、手の熱が伝わってアイスを溶かし、食べやすくしてくれるのだとか。
もっとも今は真夏。アルミのスプーンなんて使わなくても、カップアイスは容器の端から溶けていく。そんなアイスをステンレスのスプーンで食べながら、颯谷は狐火の習熟訓練についてあれこれ考えを巡らせた。
彼がやろうとしているのは、狐火の圧縮。圧縮することでサイズダウンと火力アップの両方を一挙に実現しようというわけだ。だが一挙両得を実現するための技術的なハードルはいつの世も高いモノらしい。要するに習熟訓練はまったくうまくいっていなかった。
訓練自体は始めてまだ一時間ほど。たった一時間で成果を求めるのは間違っているような気もするが、しかし颯谷の感覚で言わせてもらえば、このままでは一〇〇時間やっても一〇〇〇時間やっても成果は出そうにない。
(まあ、一万時間くらいやればできるようになるかもしれないけど……)
アイスを一匙口に運びながら、颯谷は胸中でそう呟いた。アイスは甘いが、しかし口元には苦笑が浮かぶ。今ここで「よし、一万時間やるか」とはさすがに決断できない。何かもうちょっと効率的な方法はないだろうかと、彼は考えを巡らせる。
(狐火、狐火……、狐火、なんだけど……)
唯一お手本になりそうなのは三尾の妖狐だが、あの妖狐も狐火を圧縮するような使い方はしていなかった。もしかしたら狐火は圧縮に向かないのではないか。そんな考えさえ浮かんだ。
(いっそ狐火じゃなくても良いんじゃ……?)
そもそも論で言えば、狐火に着目したのは仙樹刀を加工するためである。つまり仙樹刀を加工できるなら、狐火である必要はない。通常の炎で同じことはできないだろうか。
いやそれ以前の話として、「炎を圧縮する」という発想に無理があったのではないか。思考は迷走気味で考えがまとまらない。
「う~ん……」
口に運んだスプーンをそのまま咥えながら、颯谷は悩ましげに唸った。一般論として、何かしらの技術を習得する場合、まずは簡単なことから始めたり補助を付けたりする。そして補助というのは補助者か補助具のことだ。
狐火の制御技術について言えば、補助者となりえる存在はいない。では補助具はどうだろうか。補助具として可能性があるのは二つ。妖狐の眼帯と鉄扇だ。ただしこれは「強いて言えば」の話で、颯谷も可能性としては低いだろうと思っている。
とはいえ、可能性があるなら試してみたい。一万時間と比べれば、ずっとハードルは低いのだから。カップアイスを食べ終え、麦茶を飲み干すと、後始末をしてから颯谷は二階に向かった。そして眼帯と鉄扇を手に、もう一度外に出る。
納屋の軒先の日陰で特訓を再開しようとして、ふと颯谷は動きを止めた。補助具の候補として持ってきた妖狐の眼帯と鉄扇だが、では補助具としてどう使えば良いのだろうか。眼帯も鉄扇も、それ自体で狐火を使えるわけではないのだ。
ひとまず妖狐の眼帯を装着し、休憩前と同じように狐火の圧縮を試みる。氣が流れていく様子は良く視えたが、手応えや難易度は大きく変わらない。「まあそうだよな」と思いつつ、颯谷は次に鉄扇を手に取った。
さてこの鉄扇をどう使えば良いのか。颯谷は首をひねった。単純に氣を通すだけでは意味がないことはすでに分かっている。しかしではどうすれば良いのか。すぐに思いつくアイディアはない。そこで彼は発想を変えることにした。
(どういう条件を満たせば、補助具として成立するのか)
それを考えてみる。まず持っていることで使いやすくなるなら、それは補助具と言ってよいだろう。しかし試してみてもそんなふうにはならない。ということはコレは駄目だ。
次に鉄扇に氣を通してみる。しかしこの状態では狐火が使えない。颯谷は少し悩んでから、鉄扇を左手に持ち替え、一度鉄扇を経由させた氣を使って右手の指の先に狐火を灯してみる。だがこれも難易度が下がったようには思われない。むしろ余計なことをしているせいで手間がかかっている。
(ダメか……)
やや落胆して、颯谷は内心でそう呟いた。「う~ん」と唸る彼の脳裏に浮かぶのは、狐火を自在に操る三尾の妖狐の姿。三尾の妖狐は確かに鉄扇を振るいながら狐火を操っていた。単なるパフォーマンスの可能性もあるが、しかし補助具として可能性があるならそれはやっぱり鉄扇であるように思う。
鉄扇を広げて、もう一度同じように試してみる。しかしこれも失敗。「穴を開けたせいで駄目になっちゃったかなぁ」と颯谷は弱った口調で呟いた。そして何となく鉄扇で扇ぎながら、また「う~ん」と唸って考えを巡らせる。
狐火と同じく怪異から学習した技としては、他に土偶の衝撃波がある。衝撃波を覚えたときにもアレコレと検証したが、その中に「道具を介しては放てない」という検証結果があった。つまり仙樹の杖からは衝撃波を放てなかったのだ。
ではなぜ「放てない」と判断したのか。それは衝撃波を放つためのあの回路のようなモノが、仙樹の杖までは伸びなかったからだ。しかしそれはそのまま狐火にも当てはまるのだろうか。
「…………」
開いたままの鉄扇を、妖狐の眼帯越しに視る。それから颯谷は狐火を灯すための、あの渦巻く流水のような回路を、鉄扇に向かって伸ばした。衝撃波と仙樹の杖で試したときには、まるで分厚い壁でもあるかのように伸ばすことができなかった。しかし今回、狐火の回路はスルスルと鉄扇を伝っていく。
(……っ、良しっ!)
颯谷は心の中で喝采を上げた。そして集中力を切らさないようにしながら、回路を鉄扇全体に広げていく。だが途中で彼の表情は険しくなった。真ん中に開いた破れ目のせいで、思うように広がらないのだ。
「ああ、クソ、誰だこの穴開けた奴! ……オレだ!」
分かってはいても言わずにはいられなかったことを叫び、それから颯谷は妖狐の眼帯の下で眉間にシワを寄せる。修理はできないし、ここで諦めることもできない。ではどうすればいいのか。
(どうする、どうする、どうする……?)
せっかく見つけた糸口を無駄にしないよう、颯谷は懸命に頭を捻った。「回路が大きい」ということはたぶん、「狐火を大規模に使う」ということなのだろう。三尾の妖狐の使い方もそうだった、気がする。
しかし今、颯谷は狐火を大規模に使いたいわけではない。小規模で良いから精密に使いたいのだ。となれば回路は小さくて良いはず。そう考え、彼は鉄扇を閉じた。その状態でもう一度、鉄扇へ狐火の回路を伸ばす。
狐火の回路は閉じた鉄扇をゆっくりと伝っていく。そして妨げられることなく先端まで達した。颯谷は無言のまま笑みを浮かべ、しかしすぐに表情を引き締める。まだ喜んでいる場合じゃない。問題はここからだ。
颯谷はその渦巻く流水のような回路へ氣を流していく。すると閉じた鉄扇の先端に小さな狐火が灯った。ここまでだと、鉄扇を使うことの優位性みたいなのは感じない。颯谷はさらに集中力を高める。そして狐火の圧縮を始めた。
二つの事がほぼ同時に起こった。まず鉄扇を伝っていた渦巻く流水のような回路が複雑さを増した。そして狐火がスッとサイズダウンして輝きが増した。今までの苦労は一体何だったのかと思うくらいあっさりと、狐火の圧縮が成功したのである。
「よしっ!」
颯谷は歓声を上げた。どうやらこの鉄扇は、本当に狐火を扱うための補助具だったらしい。そしてその鉄扇を使うことで、狐火を圧縮できた。ただ仙樹刀の加工のためにはまだ炎が大きい。彼はさらなる圧縮を試みた。
結論から言うと、さらなる圧縮はできた。ただし難易度はやはり高かった。圧縮状態を維持できたのはおよそ一分弱。それ以上はなんというか「息」が続かなかった。とはいえこれは大きな成果である。
二段目の圧縮を施した狐火は、サインペンのペン先くらいの大きさまでサイズダウンしていた。これくらいの大きさなら、仙樹刀の表面を加工するのに十分だろう。ネックは維持できる時間だが、これは今後の習熟訓練で延びる可能性がある。それに一度で加工を終わらせる必要などない。時間が足りないなら、何度かに分ければ良いのだ。
ただし訓練をする時にも実際に加工する時にも、妖狐の眼帯は恐らく必須である。なぜなら圧縮された狐火の放つ光が強すぎるからだ。裸眼で見たら失明しかねない。眼帯をしていれば、光を光として認識するだけなので、「眩しすぎる」ということはないのだ。
(眼帯も鉄扇も、狐火のためにあるような仙具だな……)
颯谷はふとそう思った。どちらも狐火を使う妖狐がドロップした仙具なのだから、それはある意味当然なのかもしれない。
こうなると妖狐の眼帯の表面に描かれた流水の図柄と狐火を使うための回路が酷似しているのは、やはり何かしらの繋がりを暗示しているのだろうか。颯谷はそちらにも興味をひかれたが、「今は加工が優先」と思い直して棚上げした。
ともかく手ごたえを感じた颯谷は、そのまま習熟訓練を続けた。さらなる圧縮は必要ない。持続時間の積み増しとより自在に操作できるようになること。それが訓練の目的だ。
彼はまた汗だくになるまで訓練を続けたが、持続時間のほうはあまり延びなかった。一方で操作のほうはかなり自在に操れるようになっている。流転法を地道に続けてきた成果かもしれない。颯谷はそう思った。
「あ、クソ、蚊がうるさいな……!」
夕方になって涼しくなると、今度は蚊が飛び始める。刺されてはたまらないと思い、颯谷は特訓を切り上げた。蚊を侮ってはいけない。奴らは氣鎧まで突破してくるのだ。一体どうなっているんだと思いつつ、彼は母屋に戻った。
そして翌日。颯谷の姿は再び納屋の軒先にあった。まずやるのは昨日の復習。昨日やったことがちゃんとできるかの確認だ。それを終えてから、彼は一度納屋の中に入る。そして農業用コンテナを幾つか持ち出し、それを逆さにして重ねた。最後にベニヤ板をてっぺんに置くと、簡易作業台の完成だ。その作業台の上に、彼は仙樹刀を置いた。
「よし……」
颯谷はそう呟いてから一つ頷く。仙樹刀の表面には「ハ」の字を横にしたようなパターンが描かれている。コレに沿って圧縮した狐火で仙樹刀に彫りこみを入れるのが今日の目標だ。妖狐の眼帯を装着して鉄扇を右手に持つ。最後に大きく深呼吸してから、彼は作業を始めた。
まず鉄扇の先端に狐火を浮かべて圧縮する。そしてサインペンのペン先ほどの大きさになった狐火を操作して仙樹刀の表面に触れさせた。「ジュッ!」という音がして煙が上がる。颯谷は集中しながら圧縮した狐火をゆっくりと動かし、最初の線を仙樹刀に刻んだ。
その後、何度か休憩を挟みつつ、颯谷は仙樹刀の裏と表にすべての線を刻み終えた。焼いて加工したせいで線は黒くなってしまっているが、なかなかの出来ではないだろうかと彼は自画自賛する。妖狐の眼帯と鉄扇を簡易作業台の上に置いて、彼は早速加工を施した仙樹刀を手に取った。
重さに大きな変化はない。軽く素振りもしてみたが、重心の位置が変わっているということもなかった。颯谷は一度ごくりと唾を飲み込んでから、いよいよ加工した仙樹刀に氣を流し込んだ。
まずは普通に通すだけ。加工前と比べて大きな変化は感じられない。颯谷は内心で安堵の息を吐いた。どうやら改悪にはならずにすんだようだ。だが本命はここから。彼はいよいよ仙樹刀を氣で覆った。
(お……?)
手ごたえがいつもとは違うような気がして、颯谷は内心で声を出した。妖狐の眼帯で氣の様子を観察しても、まだ刃は形成されていない。見た目の上で、まだ仙樹刀を氣で覆っただけだ。だがいつもとちょっと違う、ような気がする。
(流れたがっている、ような……?)
そんな感じがするのだ。もちろん気のせいということもある。結果が欲しいがために、都合の良い錯覚を起こしているのかもしれない。だからまだ喜ばない。自分を抑えながら、颯谷は少しずつ仙樹刀を覆う氣の量を増やしていく。するとある時点で、突然その変化は訪れた。
「……!!」
妖狐の眼帯の下で、颯谷は目を見張った。彼は何もしていないのに、仙樹刀を覆う氣が少しずつ流れ始めたのだ。彼は手応えとしてもそれをはっきりと感じ取った。
さらに彼は次に意識して刃を形成する。すると手ごたえはさらに強くなった。これまでと比べて、明らかに氣の流れが良かったのだ。よどみなく氣が流れていくその感覚が心地よい。当然、刃もこれまでより形成しやすかった。
もちろん「劇的な変化」ではない。颯谷の体感だが、改善率は一割弱だろう。だがこれははっきりと分かる差だ。錯覚などではない。仙樹刀に施した加工には、確かに効果があったのだ。
「っしゃあ!」
颯谷は歓声を上げて拳を握った。渾身のガッツポーズだ。これまでアレコレと考えてきた事柄は正しかったのだ。ただの仮説、いや妄想でしかなかったモノが、立派な知識へ華麗に化けたのだ。それはまさにメタモルフォーゼ、さなぎから蝶への劇的な変身である。
なにはともあれ、望んでいた成果である。それを手に持ちながら、しかし颯谷はもう次のことを考えていた。いろいろとアイディアが湧き上がってくる。居ても立ってもいられなくなり、彼はダッシュで自分の部屋に戻る。そして頭に浮かんでくるアイディアを余すところなくルーズリーフに書きなぐるのだった。
颯谷「つまりこれは変・態!」




