手土産として1
静岡県東部異界の征伐は、およそ一か月半に及んだ。ただしこれは手間取ったという意味ではなく、むしろ意図的に長引かせた側面が強い。つまり征伐隊は異界の中でレベリングに励んでいたのだ。
『それ相応に成果はあった』
剛はそう話していた。ただ詳しい話はまだ聞いていない。「例の巻物のことも含めて話をしたい」と言われたので、お盆明けにまた駿河家へ遊びに行くことにしたのだ。詳しい話はその時にする予定である。
わざわざ会って話そうというのだ。きっと話すことがたくさんあるのだろう。颯谷にとっては教わることばかりに違いない。そうなると、手ぶらでお伺いするのは心苦しい。いや、手土産は持っていくつもりだが、彼としても何か提供できる話題がないかと思ったのだ。
(最近はいろいろやってるけど……)
最近はいろいろやってはいるが、あちこちに手を出しすぎてどれも中途半端になっている感じがする。知見は積み重なってきているが、まだどれも成果に結びついていないように思えるのだ。
(まずは……)
まずは何か一つ、成果を上げたい。話題にできるような結果を出して、それを手土産にして駿河家にお邪魔しよう。颯谷はそう決めた。
(何が良いかな……?)
頭の中で最近やった検証を並べ、その中から集中して取り組むモノを選ぶ。駿河家で話すのだから、やはり仙樹刀関連が良いだろう。氣の流れうんぬんの話はするとして、もう少し分かりやすい成果が欲しい。
「成果、成果、か……」
颯谷は天井を見上げながら「う~ん」と唸った。仙樹刀でやった検証と言えば、まず妖狐の眼帯で氣の流れの様子を観察した。そして理想的な氣の流れをイメージすることで、氣の流れを改善できることが分かった。
また氣で刃を形成した場合、刃の部分で氣が圧縮されているらしいことも分かった。これまで無意識にやっていたのだから、圧縮と言ってもそう大したモノではない。だが意識的にそれをやれば、より効果が出ることが期待できる。
さらに刃を形成した場合の氣の流れ方も、妖狐の眼帯を使って確認した。この場合、氣は刀身に対して垂直方向にちょっとずつ流れていた。刃の部分を山脈の峰に例えるなら、その両側を霧がスゥッと流れていくような感じである。
この流れを加速させることで、氣で形成した刃の鋭さを増すことができる。まだ実際に試してみたことはないが、ほぼ間違いないだろうと颯谷は思っている。ただ、実戦で使い物になるかは別問題。彼はそれもわきまえていた。
ここまでが、今までに検証した内容だ。ここまでで一区切りとして、「理想的な氣の流れをイメージして氣の通りを矯正する方法」と「氣を圧縮して密度を増すやり方」と「刃を形成している氣の動きを加速させて鋭さを増す方法」をまとめ、颯谷は「練氣法」と呼ぶことにしている。
正直この練氣法だけでも十分に話題になりそうな気がするが、せっかくなのでもう一歩か二歩、検証を前に進めたい。氣の流れというヤツは、恐らく仙具の形状にも影響を受けている。では氣で刃を形成しやすい形状というのは、どんな形状だろうか。
最初から刃が付いていれば、氣で刃を形成するのもやりやすい、というのは分かっている。だがこれは無しだ。この場合、メインになるのは元からある刃で、氣はあくまでその補助になるからだ。別の言い方をすると、刃の形成が甘くても必ずプラスの効果が出るのである。
それはとてもありがたいことなのだが、今回の検証の趣旨からは少し外れる。だから無しだ。方向性としては、刃の付いていない仙樹刀の使用を前提とする。完全に氣で刃を形成することを想定し、それが容易になる形状。それがテーマだ。
(まず……)
まず仙樹刀が前提であるから、そこから大きく形を変えるのは無しだ。そもそもそのためには一から素体を作り直す必要があり、颯谷の手には余る。ただそうなるとできるのは「ちょっとした工夫」の範疇に留まることになるが、今はそれでいいだろう。
で、その「ちょっとした工夫」として何ができるのか。いや、まずは目指すべきところをはっきりさせるべきか。ちょっとした工夫で目指すのは氣の流れを良くすること。もしくは氣を流しやすくすること。颯谷は妖狐の眼帯を付けたまま、もう一度仙樹刀に氣で刃を形成してみる。そしてその氣の流れの様子をつぶさに観察した。
(なんかちょっと、空気の流れに似ている、ような……?)
心の中でそう呟いた瞬間、颯谷の脳裏に浮かんだのは、地元の田園風景。青々とした稲の葉が、風に吹かれてなびく様子である。稲が一定の高さになった田んぼに風が吹くと、風にあおられた稲がなびいて、その結果風がどう吹いているかが目に見えるのだ。
その光景を思い出してみてわかるのは、まず風は常に一定の強さで吹いているわけではないということ。そしてまっすぐ吹いているわけではなく、基本的に蛇行しているということだ。
それを念頭に、颯谷はもう一度仙樹刀に氣で形成した刃の様子を観察する。田んぼに吹く風のように、あからさまなムラがあるわけではない。とはいえしっかりと整流されているわけでもない。だからこそイメージで氣の流れを矯正できるのだ。
そのイメージの部分を「ちょっとした工夫」、つまり何かしらの形状(加工)で代替できないだろうか。「氣の流れを整える形状」だ。だんだんと方向性が見えてきた。そして颯谷の頭に浮かんだのは、やはり空気の流れのことと、そして以前にテレビでみた新幹線とフクロウの風切り羽の話だった。
新幹線のパンタグラフには、フクロウの風切り羽を模した工夫が施されているという。これによって空気抵抗を減らし、騒音を軽減しているという話だった。それを応用できないだろうか。
颯谷は早速スマホで新幹線のパンタグラフの画像を探した。見つけた画像では、パンタグラフの側面に「ハ」の字を横にして並べたような、ギザギザの突起物が付いている。これを参考にして、颯谷は仙樹刀の両面にシャーペンで同じような模様を描く。それから改めて、彼は氣で刃を形成した。
(むぅ……)
しかし彼は妖狐の眼帯の下で眉間にシワを寄せた。何も変化がなかったのだ。やはりシャーペンで模様を描いただけではダメらしい。半ば予想はしていたのだが、それでも颯谷は頭を抱えたい気分だった。
模様を描くだけではダメということは、つまり実際に形状を変化させる必要があるということだろう。要するに何かしらの加工が必要ということだ。だが加工というのは不可逆的なもの。一度やったらもとには戻せない。
(成功すれば一番良い。変化なしもまぁ、オッケー。けど失敗したら……)
知見を得るという意味では、失敗もまた有意義だろう。だが失敗した、つまり氣の流れ方が悪くなってしまった仙樹刀は、実戦ではもう使えない可能性が高い。一方で手元にある刃の付いていない仙樹刀は二振りだけ。これが二十振りもあるなら、颯谷も躊躇なく実験しただろう。だが二振りだけでは、やっぱり躊躇いが大きくなる。
「一本。一本だけやろう。成功しても失敗しても、一本だけだ」
颯谷は声に出してそう呟いた。もともとは話のネタにしたくて始めたこと。成功するにしろ失敗するにしろ、話題にはなる。そしてこのやり方というか技術が有効だと思えば、あとは駿河家の方で試行錯誤するだろう。つまり丸投げだ。
(仙樹の杖も一本だけだったけど、結構使えたし。刃が付いたヤツもあるし、いざとなればもう一回注文しても良いし。大丈夫、大丈夫)
そう理論武装して、颯谷は自分を納得させた。そうと決まれば早速加工だが、彼はまたすぐに手を止めることになる。どういう加工をするのかは、まったく考えていなかったのだ。
一旦、妖狐の眼帯を外す。それから彼はスマホで見つけた新幹線のパンタグラフの画像に視線を向けた。その画像だと、突起物を出っ張らせた加工になっている。たぶんこれはプレスで加工したものと思われた。
だが仙樹刀の表面で同じように突起物を出っ張らせるのは無理だ。その方向でいくなら、仙樹刀を作る時点でそういうデザインにする必要があるだろう。となれば方向性としては逆、つまり突起物を出っ張らせるのではなく、表面をくぼませるしかないだろう。
彼は仙樹刀をまじまじと見る。仙樹由来のセルロースナノファイバー製のそれは、同じサイズの真剣と比べるとはるかに軽い。しかし強度は鉄の五倍あるとも言われている。つまり硬いのだ。削るにしろ彫るにしろ、人力で加工できるとはちょっと思えなかった。
「じゃあ、焼く……?」
颯谷は難しい顔をしながらそう呟いた。バーナーであぶろうというわけではない。彼の念頭にあるのは狐火だ。狐火ならある程度は制御可能なはずなのだ。
彼がそう考える根拠は、三尾の妖狐の最期だった。あの時、妖狐は狐火で自らを焼いた。だがすぐ近くにいた颯谷には何の害も及ぼさなかった。衣服さえ焦げていなかったのである。これは狐火を精密に制御していなければ不可能だ。
狐火は制御可能な炎だ。言い換えれば、術者がある程度操ることができる。それなら仙樹刀の加工にも使えるのではないか。彼はそう思ったのだ。
(どのみち……)
どのみち、彼自身が可能な範囲での加工法となると、他には思い浮かばない。もしもダメだった場合は諦めて大人に相談するとして、まずは狐火を使ってやってみることにした。ただしその前にやるべきことがある。
「狐火をちゃんと操れるようにならないとだな……」
そこからかよ、と思わないでもない。だが狐火を使って加工しようというのなら、まずはその制御について習熟する必要があるというのは当然だろう。また今後実戦で使うためにも、制御能力を上げておくことは無駄ではない。
(なんか……)
なんかヘンなことになってるな、と思いつつ颯谷は家の外に出た。まさか家の中で狐火の訓練をするわけにはいかないからだ。東北地方とはいえ、八月は暑い。せめて日陰でやろうと思い、颯谷は納屋の軒先へ向かった。
さて狐火の習熟訓練だが、それを始める前にまずは方向性を決めなければなるまい。つまりどういう訓練をするのか、ということだ。今回の目的は「狐火を使って仙樹刀を加工する」こと。ではそのためにはどんな訓練が必要だろうか。
「手数はいらないし、広範囲にばら撒くみたいなこともしなくていいし……」
範囲や手数は最小限で良いだろう。その代わりどうしても必要なのは、精密なコントロールだ。狐火は選択的に対象を燃やすことができる。だがその一方で氣を燃やすという性質もある。コントロールをミスして仙樹刀全体が燃え尽きてしまっては、知見も何もあったものではない。
「あとは、火力かな」
真っ直ぐ立てた右手の人差し指の先に小さな狐火を灯しながら、颯谷はそう呟いた。仙樹刀の耐火性能がどの程度なのかは分からないが、しかし生半可な火力では焼いてパターンを刻むことはできないだろう。それが可能なだけの火力が必要だ。
「それからサイズか」
指の先に灯した狐火を見ながら、颯谷はそう付け足す。先ほど仙樹刀の表面に描いた線は特別細かったわけではない。だが狐火がこのサイズでは大きすぎる。これでは線というより、塗りつぶしの刷毛みたいになってしまう。せめて「線」を描けるサイズまで小さくする必要がある。
(ということは……)
ということは、まずやるべき訓練はこの狐火の圧縮だろう。圧縮することで狐火のサイズを小さくしつつ、その一方で火力(温度)は上げるのだ。やることが決まり、颯谷は「よし」と呟いて大きく頷いた。
だが実際にやろうとすると、これは非常に難しかった。サイズを小さくすることと、火力(温度)を上げることの、どちらか一方なら比較的簡単なのだ。供給する氣の量を絞れば青白い炎は勝手に小さくなるし、逆に多くしてやれば火力は上がる。
だが氣の量を絞れば火力は低くなるし、逆に多くすればサイズが大きくなる。つまりこの二つを両立することが難しいのだ。火力を保ったままサイズを小さくしようとすると、途端に狐火が暴れ出して制御が効かなくなるのだ。
「ああ、くそっ……。上手くいかねぇ……!」
額を伝う汗を鬱陶しそうに拭いながら、颯谷は悪態を呟いた。そしてもう一度、指の先に狐火を灯す。それをじっと見つめながら、彼はその青白い炎をグッと圧縮するのをイメージする。狐火は少しサイズダウンし、それと同時に輝きを増す。だがまだサイズは大きい。
さらにサイズダウンしようとすると、しかし狐火のコントロールが効かなくなる。颯谷は険しい顔をしながら集中し、なんとか圧縮を続けようとするのだが、その努力も虚しくポンッと軽い破裂音がして狐火は元のサイズと輝きに戻った。
「はぁぁ……」
狐火を消し、颯谷は大きなため息を吐いた。かれこれ一時間ほどは経っただろうか。夏の暑さのせいもあって、彼は滝のような汗をかいている。そこへ成果の出ない虚しさも加わって、彼のテンションはダダ下がりだ。一度休もうと思い、彼は母屋に引き返した。
手と顔を洗い、水滴を抜いたタオルでついでに汗も拭う。そのタオルを洗濯カゴに突っ込んでから、彼は台所へ向かった。冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出し、まずは一杯。それを一気飲みしてから、二杯目をコップに注ぐ。そして冷凍庫からちょっとお高いカップアイスを取り出しておやつにした。
「どうしてこうなったのか……」
アイスを食べながら、颯谷はそう呟いた。最初は「最近あれこれと手を出した検証のうち、何か一つ成果を出したい」という話だったはず。それがなぜか、狐火の習熟訓練をすることになった。その経緯は理解しているし納得もしているが、それでも頭の片隅では「なんで?」という疑問が消えない。もっともそれは訓練が上手くいっていないことの裏返しでもある。
(もう少し……)
もう少し効率的なやり方はないモノか。颯谷はアイスを食べながらそれを考え始めた。
颯谷「妖狐さんに翻弄されている気がする……」




