仙樹刀
七月の末。夏休みが始まった。能登半島異界が現れた一方で、静岡県東部異界はいまだ群青色のままである。
ネットの住民の中には「住み着いているんじゃね?」なんて言うヤツまでいるが、成功するにせよ失敗するにせよ、確かに通常の征伐オペレーションと比べるとかなりの長丁場になっている。ちなみに国内最長記録保持者は「そうなのか」くらいにしか思わなかったが。
ともかく異界が群青色ということは、内部にまだ生きている人間がいるということ。事前の計画でも長丁場になるかもしれないという話だったし、ということは結構順調なのだろう。順調にレベリングに励んでいるはずだ。颯谷はそう思うことにした。
ともかく、夏休みである。木蓮は「冷蔵庫の中身を始末しないといけないので」とか言って、夏休みが始まってから三日後に実家へ帰った。そのうちの一日は一緒に宿題をして、もう一日はデートをした。約束していたあの滝のところにも行き、また展望台でアイスを食べ、そこからさらに足を伸ばして木蓮が見つけたお店で冷やし中華を食べた。大満足である。
「良かったら、駿河家にも遊びに来てください」
そう言って、木蓮は実家へ帰った。社交辞令というわけではないだろう。ただそれでも、実際に遊びに行くかは微妙である。剛が無事に帰ってこないと、のこのこ遊びに行くのはなんだか憚られた。
さて、木蓮と入れ違いになる形で、駿河家から荷物が届いた。颯谷が頼んでおいた、仙樹由来のセルロースナノファイバーで作った木刀である。ちなみに彼はこの木刀のことをひとまず「仙樹刀」と呼ぶことにした。送られてきたのは予備を含めて三本で、一緒に請求書も入っていた。
「20万か……」
たぶん安い、はず。そもそも仙樹刀はこれまで世になかった品なので、相場などあってないようなもの。それにこれは言ってみれば試作品で、正式な商品ではない。駿河家もまだこれで利益を出そうとは思っていないはず。おそらくだが実費と手数料だけの身内価格なのではないか。颯谷はなんとなくそう思った。
まあそれはともかくとして。荷物の中には手書きの取説も入っていて、それを見ると刃を付けたのは三本のうち一本だけだという。その刃も叩いて鍛えたわけではなく、削って薄くしたモノ。「ペーパーナイフよりは切れる」と書かれているが、同時に「実際に刀としてどの程度実用性があるかは不明」とのことだった。
それを読んでから荷物のほうに目をやれば、一本だけ布にくるまれている仙樹刀がある。多分これが刃を付けた仙樹刀なのだろう。残りの二本は、普通の木刀よりはずっと薄くなっているが、しかし刃はついていない。
颯谷は刃がついていない仙樹刀の一本を手に取った。普通の木刀と比べると少し重い。だが同じサイズの日本刀と比べればかなり軽い。天鋼製の刀と比べてもまだ軽いだろう。とはいえこれまでずっと使っていた仙樹はさらに軽かったので、この軽さに不満はない。
そしていよいよ、仙樹刀に氣を通してみる。まずは少しずつ、ゆっくりだ。ストレスになるような通りの悪さは感じない。ただずっと使っていた仙樹の杖と比べると、少し引っかかりのようなものがある。当然、一級仙具と比べた場合、その差は歴然だ。
ただこれは最初から覚悟していたこと。颯谷も不満はない。それにこの仙樹刀はいわばまだまっさらな状態。仙樹の杖のときのように、これから使い込んでいわば馴染ませていけば、氣の通りももう少し良くなる、かもしれない。
ニマニマしながらそんなことを考えつつ、颯谷は手に持った仙樹刀を一旦ケースに戻す。そして布にくるまれた三本目を手に取った。布をはいで中身を取り出す。これには刃が付いているという話だったが、なるほどそう言われてみれば、他の二本と比べて確かに刃の部分が鋭いような気がする。
三本目の仙樹刀にも氣を通してみる。氣の通り具合は先ほどの仙樹刀とほとんど変わらない。深く集中すれば「ちょっと良いかな?」ぐらいの差は感じるが、これが刃を付けたからなのか、それとも単なる個体差なのか、それは分からない。そもそも気のせいで片付いてしまうほどの小さな差だ。「気にしないことにしよう」と颯谷は思った。
こうして簡単なチェックを済ませると、颯谷はちょっとウズウズしてきた。これらの仙樹刀なら、まず問題なく仙樹の杖の代わりになるだろう。なんなら武器としてはこちらの方が優れているかもしれない。いや、きっとそうだ。そうでなければ困る。となれば実際にどの程度のモノなのか、試してみたい。それも今すぐに。
「じいちゃん。ちょっと裏山行ってくる」
「おお、気をつけてな」
居間にいた玄道に声をかけてから、颯谷は裏山へ向かった。これからやるのはいわば刃物を振り回すようなこと。家の中ではできないし、なんならあまり人にも見られたくない。それに山の中なら、試し切りのブツには困らないだろう。
手に二本の仙樹刀(刃の付いているヤツと付いてないヤツ)を持ち、颯谷は裏山へ向かった。山に入って少しすると、近くで遊んでいたのか、マシロたちが現れて彼の足元にじゃれ付く。彼女たちの頭を順番に撫でてから、颯谷はさらに山の奥へ向かった。
(今なら……)
またここで異界顕現災害に巻き込まれても、今ならあの時と比べてかなり余裕を持って対処できるだろう。颯谷はふとそんなことを考えた。氣功能力は充実しており、手には武器があり、さらに予備まであり、相棒たちも一緒にいる。今なら「困った、困った」と言いつつも、絶望なんてしないで征伐に乗り出すだろう。
「ま、そんなことは起こらないわけなんだけど」
颯谷は苦笑しながらそう呟いた。足元を歩いていたユキが「どうしたの?」と言わんばかりに彼を見上げる。「何でもないよ」と答えてから、彼は視線を前に戻した。
さて十分ほども山道を歩いただろうか。颯谷たちは少しひらけた場所に出た。六畳ほどの広さの比較的平らな場所で、周囲に木々が生えているから木陰ができてなかなか涼しい。何年か前に玄道と「ここでキャンプしよう」なんて話をして、結局今に至るまでやっていない場所である。
ここなら仙樹刀を振り回しても、何かを壊したり誰かを傷つけたりする心配はない。そして誰にも見られないで検証ができる。いや別に後ろ暗いことをするわけではないし、見られても良いのだが。そこは何となくである。
「少し離れてろ」
そう言ってマシロたちから距離を取り、颯谷は広場の真ん中に立った。まず試してみるのは刃の付いていない仙樹刀。彼はそれを正面に構える。そして仙樹の杖でやっていたのと同じように、まず内側に氣を通し、それから外側を氣で覆って刃を形成する。ここまでで特に違和感は覚えない。
一つ頷いてから、颯谷は足元に落ちていた枯れ枝を拾い、それを頭上へ軽く放った。そして落ちてきたそれを仙樹刀で斬る。手ごたえは軽い。枯れ枝は二つに分かれて地面に落ちた。その断面を見て、彼はもう一度頷いた。
次は伸閃だ。視線を上げ、立木の適当な枝をターゲットにする。仙樹刀を振り上げ、慎重に狙いを定めて振り下ろす。放たれた伸閃は、狙った木の枝をあっけなく斬り落とした。それを見て颯谷はもう一度頷いた。
「いいな。うん、いい」
若干興奮した様子で、颯谷はそう呟いた。結論から言えば、刃が付いていない仙樹刀でも立派に仙樹の杖の代わりになる。あまりにも当然の結論だが、こうして確認したことには意味がある。実際、代わりどころか上位互換だ。テンションが上がってしまい、颯谷はその場で仙樹刀を振り回して幾つかの型をなぞった。
「ふう……。よし、じゃあ、次は……」
身体を動かして興奮を発散させると、颯谷は仙樹刀を持ち替えた。次はいよいよ刃の付いた仙樹刀だ。颯谷は仙樹刀を正面に構え、まずは普通に氣を通す。氣の通り方に違和感はない。
その状態、つまり氣で刃を形成することはせず、颯谷は枯れ枝を放り投げて試し切りをした。細い枯れ枝は容易く両断される。断面も滑らかだ。それを見て彼は一つ頷き、こう呟いた。
「いいな。楽だ」
この仙樹刀はもともと刃が付いている。だからこれまでのように得物の外側を氣で覆い、その氣で刃を形成する必要がない。それはつまりその分の工程、もしくは手間を省くことができるということだ。剣術を扱う一般の能力者が、もともと刃の付いている武器を使うのも道理だろう。
ただ必要がないというのは、決して「できない」とか「無意味」という意味ではない。やろうと思えばできるし、やればやった分だけ効果はある、はず。颯谷はそう思い、次に仙樹刀の刀身を氣で覆い、その氣で刃を形成した。
(お……)
颯谷は内心でそう声を上げた。仙樹の杖やさきほどの仙樹刀と比べ、刃の形成がやりやすい。そう思ったのだ。やはりもともと刃が付いているからなのだろう。こういう部分でも道具の差が出ることが分かり、颯谷は検証のやりがいを感じた。
ただその一方で、鋭さや切れ味についてはあまり差がないように感じた。伸閃にいたってはほとんど差がない。つまり刃が付いていると色々と扱いやすくはなるが、攻撃力それ自体はあまり変わらないということになる。颯谷はちょっとがっかりした。
もっとも、扱いやすいというのは大きな利点である。その分だけ負担が減るからだ。ただ実際にモンスター相手に使う場合、颯谷は今まで通り二重に氣を使うつもりでいる。武器の消耗を避けるためだ。
となれば実戦で使うのは刃の付いていない仙樹刀の方が良いかもしれない。颯谷は何となくそう思った。それに刃の付いている方は鞘がない。つまり抜身で持ち歩くことになる。刃物としての性能はあまり良くない感じだが、さすがにそれはどうかとも思ったのだ。
「ま、いいや。保留」
今すぐに決める必要もないと思い、颯谷は結論を先送りにした。それから彼はしばらく二本の仙樹刀を代わるがわる試し、じっとりと汗をかいたところで裏山から引き揚げた。マシロたちはもう少し遊んでくるらしい。夕方になれば帰って来るだろう。
昼食にざるそばを食べ、颯谷はそれから正之宛に仙樹刀の使用感をメッセージアプリで書き始めた。スマホを操作しながらふと彼の頭にある疑問が浮かんだ。「氣の通りが良い、悪いというのは、実際のところどういう状態のことを言うのだろうか?」という疑問だ。
(氣の通りが良い悪いっていうのは……)
颯谷は文字を打つ手を止めて考え込んだが、しかし答えはなかなか出てこない。氣の通りの良し悪しの、感覚ならばよく分かる。今までにそれを体感したことがあるからだ。けれどもそれは結局のところ、どこまでいっても感覚の話でしかない。つまり主観である。
音の大きさと強さみたいな話である。ある音が大きいと感じるか小さいと感じるかは人それぞれ。つまり主観だ。だが音の強さは機械的に測定できる。人の主観が入り込む余地はなく、その数字は客観的と言える。では氣の通りの良し悪しについても同じように、何か客観的に判別できる方法はないのだろうか。
(測定は……、無理だよなぁ……)
心の中でそう呟いて、颯谷は苦笑を浮かべた。例えば氣の流れる量を測定できる機械があったとして、そんな便利な物があるなら駿河家にも千賀道場にもすでに導入されているはず。なのに無いということは、そういう機械はまだ存在していないのだ。となれば機械的な測定もまた不可能ということになる。
(う~ん……)
文字を打つ手を完全に止め、颯谷は宙を睨んで考え込んだ。彼としては別に論文を書くつもりなどないから、完全に客観的と言えるデータが欲しいわけではない。ついでに言うなら客観的である必要もない。極端なことを言えば、彼自身が納得できればそれで良いのだ。要するに感覚以外の、もうちょっと分かりやすい指標はないのか、ということである。
「あっ」
ふと、颯谷はアイディアを思いついた。氣の流れを可視化できれば、色々判別がつくのではないかと思ったのだ。さっそく試してみようと思うが、その前に打ちかけのメッセージが目に入る。颯谷はまずメッセージを送ってしまうことにした。
メッセージを送信してスマホを机の上に置くと、颯谷は刃が付いていない方の仙樹刀を手に持った。そしてそこへ氣を流し込む。同時に凝視法を使ってその様子を観察する。しっかりとその様子を確認してから、次に彼は一級仙具である脇差を取り出して同じようにした。
「むう……」
しかし彼の表情は険しい。仙樹刀にしろ脇差にしろ、凝視法を使えば氣が込められていることは分かる。ただそれ以上の差はないように思えた。込める氣の量を増やせばそれは凝視法で確認できたが、しかし今知りたいのはそう言うことではない。
「やっぱり使わないとか」
そう呟いて颯谷が取り出したのは妖狐の眼帯。これは視ることに特化した仙具だから、凝視法以上に何かが視えることが期待できる。本当なら、能力者なら誰でも使える凝視法で何かが分かれば一番良かったのだが、まあ仕方がない。
妖狐の眼帯を装着し、颯谷はその下で凝視法も使う。その状態で彼はもう一度仙樹刀に氣を通した。すると今度は氣が流れていく様子がはっきりと視えた。彼は「おお」と感嘆の声を上げた。
これはなかなか画期的なことではないだろうか。そう思いながら、颯谷は次に脇差も同じようにする。左右の手にそれぞれ仙樹刀と脇差を持ちながら、彼は両者の氣の流れ方を見比べた。
感覚的に氣の通りが良いのは脇差の方。妖狐の眼帯で可視化した氣の流れを見比べてみると、確かに仙樹刀の方には小さな淀みのようなモノが所々にある。そのせいで氣の流れが全体的に均一でない。脇差のほうも完全に均一というわけではないが、仙樹刀よりは整っている。
つまりこの氣の流れの淀みこそが、「氣の通りが悪い」ことの原因なのだろう。だから淀みが少なく、全体にすっきりと均一に氣が流れると「氣の通りが良い」と感じるわけだ。「なるほど」と呟いた颯谷の頭に、次なる疑問が浮かぶ。
天鋼製の三級仙具だと、氣の流れはどんな感じに視えるのだろうか。ただそれを確かめたくても、手元に天鋼製の刀がない。彼は「よし」と呟いて立ち上がる。そして千賀道場へ向かうことにした。
颯谷「夏休みの自由研究にどうだろう!?」




