冬支度2
日がやや陰ってきた頃、颯谷は中間保管しておいた薪を寝床の洞窟へ運び始めた。蔓草で縛った薪の束を、両手で下から抱えるように持つ。怪異と遭遇したときには放り出さなければならなかったが、バラけなかったので良しとする。
そうやって寝床の洞窟の近くまで来たとき、不意に颯谷は足を止めた。彼の顔が険しくなる。洞窟のなかに気配を感じたのだ。この「気配」というのは要するに氣功の気配なのだが、しかし感じたのはモンスターのソレではない。では一体何なのか。颯谷はそっと薪を下ろしてから洞窟の中をのぞき込んだ。
「……おい、ふざけんなよ……!」
颯谷の口調に怒りが滲む。洞窟の中にいたのは一匹の野犬。全身真っ白で、以前にテレビで見たアラスカのオオカミに似ている。ただ日本のオオカミは絶滅しているはず。血が混ざったオオカミ犬かもしれない。
だが颯谷にそんなことを考えている余裕はない。彼にとってこの野犬は寝床に無断で入り込んだ不法侵入者(犬?)で、自分のテリトリーを侵す侵略者(犬?)だった。心にわき起こったのは怒りで、頭に浮かんだのは「奪われる」という危機感。その二つに突き動かされて、颯谷は怒鳴った。
「出てけっ! オラ、出てけってば!」
「ウ~、ワウ、ワウ!」
白い野犬も吠えて颯谷を威嚇する。だが彼もいまさら犬に吠えられたくらいでビクビクしたりしない。それどころか全身に氣を滾らせて威嚇しかえす。気圧されたのは野犬の方で、野犬は彼の脇をすり抜けて洞窟の外へ逃げていった。
「ふぅ、ふぅ、ふ~」
興奮した荒い呼吸を整え、颯谷は大きく息を吐いた。野犬がいることは知っていたが、まさかこの洞窟に入り込むとは思わなかった。それから彼はクマもいることを思い出す。クマは冬眠すると言うが、そのための寝床としてこの洞窟はきっと都合が良いだろう。さっきのヤツと同じかどうかは別としても、野犬だってまた入り込むかも知れない。
「…………っ」
颯谷は顔をしかめた。帰ってきたら獣とご対面なんて遠慮したい。ではどうしたら良いか。扉を付けるのが一番確実なのだろうが、もちろんそんなことはできそうにない。実行可能な範囲内でアレコレと考え、それから彼はポツリとこう呟いた。
「……とりあえず、ションベンひっかけておくか」
発想が獣レベルである。文明から切り離されたら人間も獣に過ぎないということなのか。とはいえ獣対策だからあながち間違ってはいないのかも知れない。
まあそれはそれとして。白い野犬を洞窟から追い出すと、颯谷は薪運びを再開した。薪を抱えて歩きながら考えてしまうのは、やっぱりさっきの野犬のこと。あの野犬からは氣功の気配がした。ということはあの野犬は氣功を身につけた氣功能力者(犬?)ということになる。
「あり得ない、わけじゃない、か……」
颯谷はそう呟いた。氣功能力者として覚醒するための方法は二つ。仙果を食べるか、モンスターを倒すか、である。野犬が仙果を食べたとは考えづらいが、小鬼くらいなら倒すことはできるだろう。群れで連係すれば中鬼もいけるかもしれない。
だから野犬が氣功能力に目覚めていたとしても、それはあり得ないことではないだろう。だが颯谷にとってはありがたくない。彼にとっては野犬もモンスターも等しく「敵」だ。その敵が氣功能力に目覚めればその分だけ厄介になる。しかもこの先、あの野犬はさらに小鬼を狩って能力者(犬?)として成長していくかも知れないのだ。
「殺しておくべきだったかなぁ……」
ぼやき気味に颯谷はそう呟いた。失敗したかも知れない。ただまあ、畜生は氣功能力を鍛えたりしないだろう。それならやっぱり人間サマのほうに分がある、はず。颯谷はそう思うことにした。
さて何往復かして、今日集めた分の薪は全て運び込むことができた。ただ、洞窟の空きスペースがもうあまりない。思ったより洞窟が狭かったのだ。明日明後日はともかく、近いうちに中間保管場所にそのまま置いておくことになりそうだ。
洞窟の中に詰め込まれた薪を見て、颯谷は満足感を覚えながら一つ頷く。それから彼はもう一度洞窟の外へ出た。木々の影を見れば、かなり伸びてきている。
空は相変わらず群青色で、太陽の姿はないはずなのだが、差し込む光は赤っぽくなってきているし、こうして影も時々刻々と変化する。不思議だとは思うが、颯谷は深く考えないようにしている。
薪を運び終えても彼が外へ出た理由。それは食料だった。薪集めをした辺りまで足を運び、新たに見つけた仙果を食べる。いつもならお腹を満たしたところで帰るのだが、今日はさらに仙果の房が幾つかついた枝を二つ切り落とし、それを持って洞窟へ帰った。要するに夜食である。
今まで用意してこなかった夜食を、どうして今日は用意しているのか。その理由はいうまでもなく今夜も冷えるだろうからだ。すると氣功で身体を温める必要があるが、氣の量はまだ十分ではないだろう。体温を維持するためには相応のカロリーが必要になる。それを確保するための夜食である。
「にしても、いつまでも『氣功で身体を温める方法』だとちょっと格好がつかないよなぁ……」
仙果の実った枝を両手に持ちながら、颯谷はそう呟いた。いや格好付ける相手もここにはいないわけだが。とはいえ少々間延び的なのは否めない。それで颯谷はコレに名前を付けることにした。
「……温身法でいっか」
颯谷は簡単にそう決めた。もしかしたらちゃんとした名前があるのかもしれないが、ここでは確かめようもない。外に出るまでの間、それと分かれば良いのである。
温身法は冬を越すためにどうしても必要だろう。だが燃費が悪い。しかもこの先、さらに寒くなればもっとカロリーを必要とするだろう。一度使ってそれがよく分かった。どうしたらその燃費を改善できるのか。洞窟に戻ってたき火の炎を眺めながら、颯谷はそのことを考えた。
たき火をしているのは寒さ対策だが、同時に温身法によるカロリー消費を抑えるためでもある。薪の消費は気になるが、脂肪の備蓄も少なくなっているのだ。後者はなかなか増やせそうにないので、こうしてたき火をしているわけだった。
もっともたき火だけでは足りないので温身法も使っている。確保しておいた仙果を食べながら、颯谷は温身法の燃費を上げる方法について考える。リソースは限られている。それを上手く使わなければ冬は越せない。
「高燃費……。ハイブリッド車……」
ただの連想ゲームだが、まず颯谷の頭に浮かんだのはハイブリッド自動車。エンジンとモーター、ガソリンとバッテリーのハイブリッド。だがいろいろと思い出してみても、それらの知識は温身法の改良策と上手く結びつかない。ならば、と発想を変える。そもそも現状、温身法の燃費が悪いのはなぜか。
「……熱が逃げるから、とか?」
颯谷はそう呟いた。毛布が暖かいのは、毛布自体が発熱しているからではない。毛布が熱を閉じ込めて逃がさないようにしているからだ。つまり断熱、いや保温である。
現在ほぼ上半身裸の颯谷は、この保温がまったくできていない。だから常に熱を発し続けなければならなくなっているのだ。
逆を言えば保温がちゃんとできれば、温身法の出力は下げられるはず。ファンヒーターやエアコンだって設定温度になれば出力が下がるのだから。
そこまで考え、颯谷はふと洞窟の出入り口を見る。そしてそこを、これまでに集めた薪の束で塞いだ。もちろん完全には塞げないが、これで熱の流出は少しは減るだろうし、中でたき火をしていることを考えれば、風が通った方が都合はいいだろう。
たき火の前に座り直し、仙果を少し食べてから、颯谷は改めて考える。どうすれば身体の保温ができるのか。一番簡単なのは何かを着ることだが、今はそれができない。氣功を使って何とかできないかと考え、颯谷の頭に浮かんだのは手刀と貫手だった。
手刀と貫手は手や腕の表面を氣で覆うことで成立している。その範囲を広げて上半身を、可能なら全身を氣で覆うのだ。だがそれだけでは足りない。手刀は氣で刃を形成することで完成している。身体を保温するためには、氣をそれ用に変質させる必要がある。
「保温材……、いや断熱材……?」
いまいち上手くイメージできない。それで颯谷はもっと別のモノをイメージすることにした。ダウンジャケットである。去年の冬、玄道から通学用に買ってもらったのだ。アレは暖かかった。颯谷は目を薄くつぶり、そのことを思い出しながらイメージを練る。
しばらくすると、颯谷は身体が温まってきたのを感じた。むしろちょっと暑い。颯谷は温身法の出力を下げる。彼は手応えを感じて拳をグッと握った。この、氣を纏うやり方なら、温身法で使うエネルギー(カロリー)の消費を抑えることができる。
ただ、実際にどれくらい抑えられるのかは、朝になってみないと分からない。朝になって、どれくらい腹が減っているか、それで判断するしかないのだ。そして正確な判断をえるためにも、条件はなるべく同じ方がいい。つまりここからは夜食抜きだ。
「…………」
颯谷がやや悲しげに仙果の残りを見つめる。明日の朝、食べれば良い。また腹が減って死にそうになっているかも知れないのだ。そのための備えと思えば良いだろう。そう考えながら、颯谷は目をつぶった。日中は動き通し。眠気はすぐにやって来た。
(そうだ……。コレにも名前付けておかないと……)
眠りに落ちるまでの短い時間、颯谷はそんなことを考える。保温のためのコレは、氣を纏うことで成立している。それがすぐに分かる名前が良いだろう。
(纏い……、いや、外纏法とか……?)
それ以上悩むのも面倒になり、颯谷は「それでいいや」と決めた。「外纏法」、それで決まりだ。
それにしても外纏法はいろいろと応用が利きそうである。今回はダウンジャケットをイメージしたが、例えばプロテクターのようなものをイメージすれば、防御力を上げるのにも使えるかも知れない。そんなことを考えながら、颯谷は眠りについた。
それで肝心の燃費だが、翌朝目覚めた時のお腹の減り具合で言えば、省エネには成功していた。前日のような強烈な飢餓感はなかったわけだ。ただこの後、颯谷が食べる仙果の量、つまり摂取カロリーは増え続けていくことになる。
「紅葉か……」
ある日、颯谷は山の木々の葉が紅葉し始めていることに気付いた。いよいよ秋だ。そして秋は足早に通り過ぎていく。その次にやってくるのは落葉と冬、そして雪である。
とはいえ冬になる前から気温はぐっと下がる。特に朝晩。群青色のフィールドをどう通過してきているのかは謎だが、日差しが入れば日中は気温が上がる。だが朝晩の冷え込みは日に日に強くなっていった。颯谷の体感だが、最低気温は連日10℃を下回っているように思う。
その寒さに耐えるためには、温身法の出力を上げるしかなかった。当然、外纏法も使う。温身法と外纏法はほぼ使いっぱなしになった。だがそれでも寒いものは寒い。外纏法で纏う氣の層を厚くしたら保温効果は高まったが、やはりエネルギー消費量も増える。
薪をストックし、仙果を見つけては腹を満たし、モンスターを見つけては逃さず狩る。颯谷は冬に備えてできる事をひたすら行った。だが心の中には恐怖と焦りを常に抱えている。これでいいのか、これで足りるのか、他にやるべき事はないのか。そんな疑問が常に頭の中をよぎるのだ。
迷いはない。迷うほどの選択肢がないからだ。徐々に、徐々に、追い詰められている。出口を、突破口を見つけられず、狭まるケージの中をグルグルと回っているモルモット。自分の姿にそれを重ねて不安になる。
その不安は大きくなったり小さくなったりしながら、颯谷の心の中に居座っている。ときに泣いたり叫んだりしたくなるが、そんなことをしても状況は変わらない。自分にそう言い聞かせて颯谷は冬への備えを続けた。
幸いというか、あれから大鬼には遭遇していない。そして中鬼までなら颯谷は対処可能だった。一度、中鬼2体に遭遇したが、1体を奇襲で仕留め、もう1体は最初に足を潰して押し切った。
このように、短期的に見れば颯谷は躓くことなく異界に順応している。だが長期的に見たとき、これで良いのか。答えの出ない不安が消えることはない。
いっそのこと大きく躓けば、それがブレイクスルーに繋がるかも知れない。そんなふうにも思うのだが、その一方でやっぱり躓くのは怖い。何かを変えたとして、そのせいで全てが破綻するかも知れないのだ。
とはいえ試練はいつも突然やって来る。
秋も深まったある日の事。颯谷は風邪をひいた。
白い野犬さん「だって表札も出てなかったし! 人間のにおいじゃなかったし!」




