辞任要求1
和歌山県東部異界を征伐したその翌日。颯谷は駿河家で朝食を食べてから、新幹線で帰路についた。自宅の最寄り駅についたのは午後二時前で、駅には玄道が迎えに来てくれていた。
「ソウ、良くやった! よく無事で帰って来たなぁ!」
「うん、じいちゃん。ただいま」
今回は征伐がごく短期間で終わったこともあり、玄道は上機嫌だった。彼の運転する軽トラに揺られ、颯谷は一度自宅へ向かう。マシロたちの出迎えはない。どうやら裏山で遊んでいるようだ。夕方になれば戻って来るだろうと思い、颯谷は家に荷物を置くと、また軽トラに乗り込んだ。道場へお土産を届けに行くのだ。
「なんで八つ橋なんだよ」
「お前が行ったのは和歌山だろうが。せめて和歌山銘菓買ってこいよ」
「だって駅に売ってたんですもん」
なんだかんだ言いつつも、千賀道場の門下生たちは颯谷の無事を喜び、それからそれぞれ思いおもいに八つ橋へ手を伸ばした。自然な流れとして、彼らは征伐の様子を聞きたがったが、颯谷は「また今度」と言ってそれを断る。そして師範である茂信にこう声をかけた。
「ちょっといいですか? お願いした、例の件なんですけど……」
「ああ、では別室で話そう」
「じいちゃんも一緒でいいですか?」
「もちろんだ」
茂信はそう答えると、二人を別室に招きお茶を淹れた。そして颯谷から頼まれていた、政府に釘をさす件について現在の進捗について説明する。それを聞き、颯谷は盛大に顔をひきつらせた。全国に広まったその規模と言い、「国防大臣の辞任を求める」という目標と言い、自分が考えていた範疇をはるかに超えて話が大きくなっていたからである。
「えっと、大丈夫なんですか、それ……」
「大丈夫だ。そもそもこれだけ賛同者が集まったのは、それだけ今回の一件がこの業界内で問題視されていることの裏返しだ。どこかのタイミングで声は上げなきゃならなかったんだ。皆さん、『ちょうどいい口実ができた』と言っていたよ」
不安げな顔をする颯谷に、茂信はそう答えた。実際、反響の大きさというのは彼が一番感じている。また釘をさすという意味でも、国防大臣の辞任を求めるのは適切だ。なぜなら赤紙を誰に出すのか、その最終的な決定権は国防大臣にあるのだから。下手なことをすれば自分の首が危ういと思えばこそ、国防大臣も慎重になるだろう。ただ玄道が別の視点からの懸念をこう口にする。
「ワシはよく分からんのですが、今の国防大臣は荒木さんですけれども、国防大臣にまでなったんですから、その、有力な議員ですよな。……ソウが逆恨みされることは、ありませんでしょうか?」
「ない、とは言い切れません」
玄道の疑問に、茂信は彼の目を見ながら真剣な表情でそう答えた。そしてさらにこう続ける。
「ただ、国防大臣のイスを追われたからと言って、議員バッジまで失ったわけではありません。『失うモノは何もない』と思えば逆恨みの報復を考えるかもしれませんが、失うモノがまだあるなら軽挙妄動は慎むでしょう」
「なるほど……」
「それに荒木大臣の地元は中国地方です。大臣職を失えば、東北地方への影響力などほとんどないでしょう。逆恨みの可能性がないとは言い切れませんが、深刻に心配するほどのことでもないと思います」
「……分かりました」
そう答え、玄道は大きく頷いた。それを見て茂信は視線を颯谷に移す。そして彼にこう尋ねた。
「では颯谷。実際に動き始めても良いか?」
「あ、はい。お願いします」
颯谷はあっさりとそう答えた。実のところ、彼は少々話についていけていない。話が大きくなりすぎていて、正直に言えばもう自分の手を離れてしまった感覚だった。とはいえ、当事者である彼がゴーサインを出したことで、計画は一挙に動き出すことになる。それを世間が知ることになるのは、数日後のことだった。
颯谷と玄道が家に帰って来たのは午後七時前のことだった。道場の帰りに寿司屋により、ささやかなお祝いをしてきたのである。颯谷が軽トラから降りると、マシロとユキとアラレの三匹が彼を出迎える。駆け寄ってきた彼女たちを、颯谷は順番に撫でまわした。
「元気にしてたか~、この薄情者どもめ~」
「くぅ~?」
「ワフッ、ワフッ」
「わんっ」
尻尾をぶんぶんと振り回し、三匹は三様に颯谷との再会を喜んだ。ただそれがひと段落すると、マシロがやや怪訝な顔をする。彼女は顔を険しくし、颯谷の胸元、服の向こうにしまわれたコアの欠片を睨んだ。
「どした、マシロ? ま、いいか。おやつだぞ~」
「ワフゥ~!?」
もっともすぐに満面の笑みに変わったが。飛び跳ねるようにじゃれ付く三匹を連れて、颯谷は納屋へ向かう。なにはともあれ、こうして彼は日常へ帰還したのだった。
§ § §
国防大臣・荒木哲晴が和歌山県東部異界の征伐完了の報告を受けたのは、征伐隊の一部が突入したと聞いた日の、2日後の朝のことだった。
正直この二日間、荒木は胃の痛い思いをしていた。征伐隊の突入は中止になったが、しかし桐島颯谷は異界へ突入してしまっていたからである。突入を止めたのは他ならぬ颯谷と経験豊富な能力者。この二人が揃って突入を止めたというのだから、今回の異界の征伐の難易度は相当に高いものと考えざるを得ない。
(桐島颯谷は、死ぬかもしれんな……)
荒木としても、そう考えざるを得なかった。法的な形式は整っているとはいえ、実際の制度運用を逸脱して赤紙を出した挙句、特権持ちとは言え年齢的には未成年である彼を死なせたとなれば、世間からの非難は免れまい。そして荒木は赤紙を出した責任を問われることになる。
(これは辞職もやむなし、か……?)
未成年者殺しなどとメディアやSNSからレッテルを張られる前に辞任してしまったほうが、イメージへのダメージは少ないだろう。政治家としての命脈を保つためにも引き際を誤ってはならない。そう覚悟を決めていたのだが。
国防省へ出勤する彼のもとへ飛び込んできたのは、「異界征伐」の一報。さきほど和歌山県東部異界が征伐されたという。詳しい情報はまだ何も分からないとのことだが、「そうか」と答える荒木は内心で大きな安堵を覚えていた。
二日前の報告によれば、異界に入ってしまったのはわずかに十一人。しかもバラバラに突入してしまっている。その状況で、そのうえこの短時間で異界を征伐できる戦力と言えば、それはもう一人しか心当たりがない。言うまでもなく桐島颯谷だ。
(やってくれたか……)
黒塗りの車の後部座席に深く身体を預け、荒木は万感の想いを込め心の中でそう呟いた。もちろん桐島颯谷は荒木のために異界を征伐したわけではない。そして彼が無事であるかもまだ定かではない。安心するのはまだ早いと自分を戒め、荒木は執務室へ向かった。
聞き取り調査が終わり、中間報告が荒木のもとへ来たのはその日の午後のこと。メールに添付されてきたPDFファイルを、彼はむさぼるようにして読んだ。その結果分かったのは、征伐は桐島颯谷が一人で(ほぼではなく完全に)成し遂げたこと、そして彼に大きなけがはないということだった。
「よしっ」
ノートパソコン前で、荒木は思わず歓声を上げた。一時はどうなることかと思ったが、考え得る限り最高の結果だ。征伐が困難と予想される異界を、しかし大きな損失を出すことなく、そのうえこんなにも早期に征伐できたのは、間違いなく桐島颯谷がいたから。つまり彼を動員した自分の判断は間違っていなかった。国会でこの件を追及されたならそのように答弁することができるだろう。
(これでどうやら……)
これでどうやら、国防大臣の職を辞する必要はなさそうだ。それどころかこの一件で次期首相の座が一気に近づいた。自分は賭けに勝ったのだ。この時の荒木はそう思っていた。しかしこの数日後、決してそうではないことを彼は突き付けられる。
『荒木さん、これは一体どういうことですか!?』
その日、荒木のスマホは朝から着信音が鳴りやまなかった。電話をかけてきているのは焦った様子の与党の議員たちで、話を聞けば地元の武門や流門から「このままではもう支持できない」と言われたのだという。彼らは当然その理由を尋ねた。そしてその返答を要約すると、だいたい次の通りだった。
『昨今、特別徴用制度の運用には大きな疑問を抱かざるを得ない。国防省との信頼関係はすでに崩れた。現在の国防大臣が辞職し、新たな国防大臣が信頼関係の再構築に努めない限り、我々は現政権をこれ以上支持できない』
つまり荒木に国防大臣を辞めろと要求してきたわけだ。しかも一地方だけでなく、全国の武門流門が一斉に同じ要求をしてきた。まず間違いなく、示し合わせてのことだろう。大変なことが起こっている、と荒木は理解せざるを得なかった。
ともかく、このままでは仕事にならない。彼はひとまず党本部へ向かい、この政局の全容を把握しようとした。全容がわからなければ動きようがない。そしてその党本部で、彼は新たな局面を知ることになる。
いわゆる征伐族と言われる議員たちが、総理に対して連名で国防大臣の更迭を求めたのだという。しかも受け入れられない場合には離党も辞さないという、強硬姿勢である。そのことを幹事長の長谷川修三から伝えられ、荒木は愕然とした。
そうこうしている間にも、党本部には次々と与党議員が集まってくる。皆騒ぎを聞きつけたり、また自分が当事者になったりして、こうして集まってきたのだ。中には荒木を見つけて詰め寄る者もいた。
「荒木さん、コレは一体どういうことですかっ!? 説明してくださいよ!」
「わ、わたしも何がなんだか……」
「はいはい、皆さん、少し落ち着きましょう」
騒然とする与党議員たちを鎮めたのは、幹事長たる長谷川の一言だった。そして彼は議席を危うくしている彼らにさらにこう告げる。
「まずは今回の一件の全容を把握しましょう。ひとまず報告は私へお願いします。荒木大臣は国防省へ戻られてはいかがですかな。執務を滞らせては大変です」
長谷川にそう言われ、荒木は国防省へ戻った。その車の中、地元の事務所からの連絡が入る。やはり彼の地元でも、武門や流門が揃って不支持を伝えてきたのだという。予想はしていたが、ズンッと胃の辺りが重くなる。彼は動揺が声に出ないようにしながら「分かった」とだけ答えた。
その日の午後、征伐族の議員たちが記者会見を開いた。多数のメディアが集まったその記者会見の冒頭で、彼らは総理に対して国防大臣の更迭を求めたことを発表。その理由について次のように説明した。
『昨今、国防省による特別徴用制度の恣意的な運用が行われています。個人のプライバシーにも関わりますので名前は出しませんが、ある特権持ちの方に対してこの一年間ですでに二度、召集令状が出されています。しかもそのどちらも、征伐と征伐の間は一年以上時間を置くという、制度運用上の慣例を無視して行われているのです。
『これは明らかに異常なことです。お役所が前例を覆した、というだけのことではないのです。国防省は制度を盾に特定の個人を酷使しているのです。赴かせている場所が死地であることを考えれば、殺そうとしていると言い換えてもいい。
『国防省はこれを法律の範疇内で行われた制度運用であると言うでしょう。また対価として報奨金も支払われているというかもしれない。しかしこれは断じてそのような問題ではないのです。
『征伐のオペレーションは、国と民間の能力者の信頼関係があってこそ成立してきました。しかしながら国防省の恣意的な制度運用のために、この信頼関係はすでに損なわれました。信頼関係を回復させるためには、新たな国防大臣のもとで適切な制度運用を行うことを約束していただくことが第一歩であると考えます。
『……無論、異界は征伐されなければなりません。その一点において、国家と民間の能力者方は同じ方向を向いていると、私は確信しています。私自身、かつて征伐隊に加わり征伐のために尽力しました。そしてそのことを今でも誇りに思っています。しかしだからこそ、今回の件を見て見ぬふりはできないのです!
『この通り私は片眼を失い、片手を失い、片足を失いました。しかし今でも私は戦っております。後輩たちが背中を心配することなく戦えるよう、国に働きかけること。それこそが私の戦いであり、私はそのために国会議員になったのです。
『改めて申し上げます。私は、いいえ我々は荒木国防大臣の辞任もしくは更迭を求めます。彼の責任の下で行われている制度運用は恣意的なものであると考えざるを得ないからです。そしてそのような制度運用が続けば、能力者方は不当に酷使され、我が国の異界征伐体制は崩壊するでしょう。それを防ぐためには国防大臣を交代させるより他にないのです』
そして記者会見は質疑応答へと移った。
マシロ「ヘンな気配が……、おやつ!?」




