天丼と聞き取り調査
「早すぎだ」
和歌山県東部異界を征伐したのち、颯谷は国防軍基地に戻って剛に電話を入れたのだが、彼は開口一番にそう文句を言った。聞けば、頼んでおいた「政府に釘を刺す」というあの件、ようやく根回しと準備が終わってこれから動き出そうという段階なのだとか。
「だからまだ何も成果は出ていない。今度こそ、征伐を終えた颯谷にいい話を聞かせてやれると思っていたんだがなぁ」
スマホの向こうで剛がそうぼやく。颯谷は「ははは」と苦笑するしかなかった。そんな彼に、剛は気を取り直してこう言葉をかける。
「それにしても、良くやったな、颯谷。そして無事で良かった」
「はい、ありがとうございます。それで、実はちょっとお願いがあるんですけど……」
「おお、なんだ、言ってみろ」
剛に促され、颯谷がお願い事を口にすると、彼は二つ返事でそれを承諾。帰り道にまた駿河家に寄ることになった。
剛との電話を終えると、颯谷は次に玄道に電話をかけて無事の報告をする。玄道も征伐のあまりの早さに驚いていたが、孫が大きな怪我もなく無事なことを聞いて大変喜んだ。そして最後に、今日は駿河家に泊まるかもしれないことを伝えてから、彼は電話を終えた。
忘れてはならないのが木蓮だ。また全力で「不機嫌ですアピール」をされてはたまらない。今度こそ胃が死ぬ。ただ彼女はいま学校だろう。それで電話はかけずに短いメッセージだけ送った。
「桐島君。そろそろいいかな?」
「あ、はい。大丈夫です」
彼がスマホをしまうのを見計らって声をかけた国防軍の担当官に、颯谷は小さく頭を下げながらそう答えた。これから事情聴取(聞き取り調査)なのだが、その前に各所へ連絡するのを待ってもらっていたのである。
ちなみに基地に戻ってきてから颯谷が最初にやったのは風呂に入ること。そしてさっぱりしてから各所へ連絡をし、それから聞き取り調査だ。なお聴取のお供は、風呂に入る前にリクエストしておいた天丼。その天丼を食べながら、彼は今回の征伐のことを語る。ただ語ろうにも語れないこともあった。
「餓者髑髏が現れてからのことは、ちょっと分からないんですよね。意識を失っていたので。気付いたら征伐が完了していたって感じです」
「うぅぅん……、一体何が……」
「それは、オレも知りたいです」
天丼を食べながら颯谷がそう答えると、担当官は苦笑を浮かべた。彼が分からないというのなら、真相はそれこそ闇の中だ。しかしそれでは報告書として役に立たない。せめて現地調査を綿密にやってもらおうと担当官は思うのだった。
「もしかしたらですけど……」
「ん、なんだい?」
困った様子の担当官を見かねたのか、颯谷がやや躊躇いがちに口を開く。言ってよいのか迷っている様子だったが、担当官に促されて彼はこう話した。
「本当にもしかしたらですけど、あの餓者髑髏は不完全だったのかもしれません」
「不完全?」
「はい。ヌシにしてはコアと一体化していなかったっていうか、コアが外から見えてましたし。それに隠れていたっていうことは、やっぱり完全な状態じゃなかったってことに思えるんですよね」
「ふぅむ、なるほど……」
思案げな顔をしながら、担当官はその話も調書に記録した。なお担当官から聞いた話によると、最初に山の頂上に置いてきた無線の中継器はすでに回収したとのこと。ただポータブルバッテリーについては場所がよく分からないため、そのまま捨ておくことになりそうだという。もったいないことをしちゃったな、と颯谷は思うのだった。
聞き取り調査が終わったのは午後の一時過ぎ。一泊するにはまだ早いので、颯谷は駿河家に向かうことにした。脇差を鍵付きのケースに入れ、基地の事務局に頼んで自宅まで郵送してもらう。それからタクシーで新幹線の駅へ向かった。ちなみに彼が駅で買ったお土産は生八つ橋だった。
新幹線に揺られ、さらに在来線に乗り換え、駿河家の最寄り駅に到着したのは午後七時前。途中で一度連絡しておいたので、駅には剛が車で迎えに来てくれていた。駿河家に到着すると、すでに夕食の用意が整っていて、颯谷はご相伴に預かった。ちなみに生八つ橋を渡したら苦笑いされた。
「そう言えば颯谷君。美咲さんが妊娠したのよ」
「え、そうなんですか。おめでとうございます」
食事中、木蓮の母である薫子が、剛の妻である美咲の妊娠を颯谷に告げる。彼は驚いたが、すぐにお祝いの言葉を述べる。剛と美咲はそれぞれ少し恥ずかしそうにしていたが、二人とも幸せそうだ。ただこの話題を引っ張られるのは勘弁と思ったのか、剛はすぐさま話題を変えてこう言った。
「ところで颯谷。今回の異界はどうだったんだ?」
「大変でした」
颯谷が率直に答えると、剛は大笑いし正之は苦笑を浮かべた。だが詳しく話を聞いていくうちに、二人とも表情が強張っていく。話を聞き終えると、剛は深刻な顔をしながらこう呟いた。
「極夜、常闇の異界か……。よく征伐できたな」
「ポータブルバッテリーを持って行ったのが幸運でしたね。それがなかったら、すぐに動けなくなっていたはず……」
「いや、本当にそうです」
颯谷は肩をすくめながら剛と正之の言葉に同意する。そういう意味では一人でやることにしたのは結果的に正しかったのかもしれない。いや、本隊に入っていたら、途中で突入が止まっていただろうか。何にしても、今更考えても仕方のないことだ。そう思い、颯谷は話題を変えてこう言った。
「征伐とは直接関係ないんですけど、今回、巻物を持って行ってみたんですよ」
「巻物?」
「はい。前回手に入れた仙具の巻物です。異界の中なら、何か使い道があるんじゃないかと思って」
「ほう。で、どうだったんだ?」
「氣を込めたら何か紋様みたいなのが出てきましたね。それにどういう意味があるのかは分かりませんけど」
「紋様……。颯谷、その巻物、ちょっと見せてもらえるか?」
「いいですけど、もう消えてると思いますよ」
そう前置きしてから、颯谷は背嚢から件の巻物を取り出してそれを剛に手渡した。剛は巻物を開いてみるが中は白紙。颯谷から手順を聞いてその通りにやってみても、やはり中は白紙のままだった。
「ふぅむ……。ということはやはり、異界の中でないと反応しないのか……?」
「そうだと思います。こういう実験は、駿河家ではやったことないんですか?」
「ウチではないな。他所でやったという話を伝え聞いたことはあるが、その時も意味のある結果ではなかったという話だし、そういうモンだと思っていたからなぁ」
巻きなおした巻物を颯谷に返してから、剛は苦笑気味にそうぼやいた。「役に立たない」という先入観があった、と言うべきか。いずれにしても、もしかしたらこれまでずっと大きな可能性を見過ごしてきたのかもしれない。剛はそんな気がしてならなかった。
「いやでも、今回のコレだって、結局何の役にも立たないかもしれませんよ?」
「そうかもしれない。だが検証してみる価値はある」
剛は真剣な顔でそう言った。正之も大きく頷いている。いつになるかは分からないが、駿河家でも検証してみるつもりだと剛は宣言する。そしてその時には颯谷の巻物も貸すことになった。「何かある」ことが分かっている物のほうがやりやすいのだとか。その代わり、駿河家で検証した結果は教えてもらえることになった。
異界の中でしか反応しないと言えば、妖狐の眼帯もそうだった。ただこちらは完全に反応しないわけではなく、能力が大幅に制限される格好である。眼帯の装着は可能だったし、視界もちゃんと確保されるのだが、視える範囲は普通の視界とほぼ同じ。あの、まるで千里眼のような認識範囲には遠く及ばない。今のところ、異界の外での使い道は思いつかなった。
(まあ、良いんだけどさ。普段使いするようなモノでもないし)
颯谷としてはそう思っているから、特段がっかりはしていない。異界の中で役に立ってくれればそれで十分だった。ちなみにそういう検証を彼は新幹線の中でやったのだが、そういう自分の姿が周りからどう見られていたのかに関して、彼は無頓着だった。
まあそれはそれとして。夕食が終わると、颯谷と剛と正之は駿河邸内の道場へ移動した。稽古をするわけではない。そこに置いてある木刀に用があるのだ。そしてこれは颯谷の「お願い」に関係のあることだった。
颯谷が剛にお願いしたこと、それは「仙樹のセルロースナノファイバーで木刀を作って欲しい」というものだった。これは当然、仙樹の杖が消し炭になってしまったからで、自分にぴったりのサイズの武器がすぐに必要だと思ったからだ。
質の良い武器という意味なら、颯谷はすでにいくつかの一級仙具を持っている。ただそのどれも、彼にとってはちょうど良いサイズとは言えない。太刀や剣は大きすぎるし、逆に脇差はメインウェポンとしてはやや小さい。長物にいたっては使ったことすらないし、鈍器を振り回すのは彼のスタイルではない。
そんなわけで颯谷は「すぐに使える自分にぴったりの武器」が必要だと思ったのだが、この「ぴったり」というのは何もサイズだけの話ではない。氣の通り具合も含んでいて、要するに三級仙具はイヤだった。
さらにもう一つ彼の頭にあったのは、「仙具は高価すぎる」ということ。いや高価なだけなら別に構わない。だが特に一級仙具の場合、替えがきかない。武器が消耗品であることは受け入れるとしても、一級仙具の場合同じもの(サイズ、重さ、氣の通りが同じ)を手に入れることはほぼ不可能と言ってよい。
よって一級仙具を失った場合、二つの問題に直面することになる。一つは代替の武器をどうするのかという問題。そしてもう一つは新しい武器に慣れなければならないという問題だ。そしてこの二つの問題は、今まさに颯谷が直面している問題だった。
この問題の解決策として颯谷が考え出したのが、「仙樹由来のセルロースナノファイバーを使った木刀」である。これならば、素材さえ確保できれば同じものを作るのは難しくない。そして同じ武器であれば改めて慣れる必要もない。
欠点があるとすれば、それは一級仙具と比べれば氣の通りで劣るということ。また鋼鉄製と比べればどうしても軽くなる。ただ重さに関しては欠点とは言い切れない。それに颯谷の場合、ずっと仙樹の杖をメインで使っていたので、それと比べれば変わらないとも言える。とはいえ今後、生産体制も含めて、新たな課題が出てくることは否定できない。
そういう欠点を、颯谷はきちんと認識しているわけではなかった。「人工的に作れて、仙樹由来ならイケるんじゃね?」ぐらいにしか考えていない。駿河家の面々の方がもう少し物事をよく考えていたが、彼らとしてもこの木刀を実験的に作ってみるのは悪くないと思っている。それでこの話に乗ったわけだった。
ともかくそんなわけでこの新たな木刀を作ることになったわけだが、まずはサイズを決めなければならない。颯谷は道場にある様々なサイズの木刀を振ってしっくりくるものを探した。ただどれもいまいちで、結局三級や二級の仙具も引っ張り出し、その中の一本を選んでようやく決着したのだった。
選んだのは三級の仙具で、刀身は颯谷の脇差より十センチほど長い。反りはあるが緩やかで、扱いやすい印象だった。ただ前述したとおり木刀だと軽くなるので、背面の峰を若干厚くして重さも近づけることになった。
「ところで、刃はつけるか?」
「え、付けられるんですか?」
「分からん。だが欲しいなら試してみることはできる」
剛がそう言うので、颯谷は少し考えてから「お願いします」と答えた。正直、あまり期待はしていない。だが成功すれば儲けモノだ。また刃を付けられなくても、日本刀を模した形になっていれば、氣で刃を形成するときにやりやすくなるかもしれない。
モデルにする仙具を選び終えると、他の木刀や仙具を手分けして片付ける。それから、そのまま道場で颯谷が使った仙甲シリーズの検証が行われた。実際の防具を見ながら、使用した感想や防御力などについて話していく。風呂に入るように言われて検証は途中で打ち切られたが、それでも剛も正之も満足そうだった。
風呂から上がり髪を乾かすと、布団の敷かれた客間に案内されて一人になる。颯谷は「ふう」と息を吐き、布団の上であぐらをかいた。それからスマホを取り出してメッセージを確認し、「げっ」と声を上げる。木蓮からのメッセージが十個くらい未読のままになっていた。
「あ、もしもし、木蓮さん? ええっとですね……」
慌てて颯谷は木蓮に電話をかける。そして布団の上で正座しながら、何とか彼女をなだめるのだった。
木蓮「まだ未読……」




