餓者髑髏
時刻は午前七時前。颯谷はいよいよ例の空間の歪みのすぐ近くまで来ていた。
彼がこの辺りに来たのは、実は二時間ほど前のこと。ただボス戦があるかもしれないと思い、すぐには近づかずに一休みしたのだ。食事をし、睡眠をとり、身体を温めてから、彼はこの場に来ている。準備は万端だが、実のところ主にしろ守護者にしろ、ボスが現れるかは定かではない。まずは調査が必要である。
「よし」
颯谷は背嚢を下ろして懐中電灯をしまうと、妖狐の眼帯を装着した。眼帯を付けても目を閉じた状態だと空間の歪は認識できない。彼はゆっくりと目を開けた。そしてまずは少し離れた位置からその歪みをじっくりと観察する。
空間の歪みがあったのは、とある山の七合目くらい。山肌からは少し離れた位置に浮いていて、手を伸ばしても届かない距離だ。岩肌がむき出しの場所で、背の高い木々は生えておらず、ぽっかりとひらけた空間になっている。
さて肝心の歪みだが、直径は2mから3mくらい。大きいが、巨大という印象は受けない。円形に見えるが、どの角度からでも円形に見えるので、たぶん球形なのだろう。歪みは渦を巻いているように視えた。
颯谷はごくりと唾を飲み込むと、空間の歪みに向かって石を投げた。石は歪みを貫通し、何事もなく向う側へ抜けていく。弾かれたり軌道が曲がったりということは全くない。彼は歪みのいろんな部分を狙って石を投げたが、石が何かしらの影響を受けることはなかった。
(むう……)
あまりの無反応さに、颯谷も内心で唸る。正直、何か反応があった方が嬉しかった。とはいえ現実は直視しなければならない。石を投げても無反応ということは、たぶん物理的な干渉には意味がないのだろう。
電磁波などを使えば何か反応があるのかもしれないが、しかし彼は今そういう装備を持ち合わせていない。となればできる事はただ一つ。つまり氣功的な干渉である。腹を決めると、颯谷は慎重に空間の歪みへと近づいた。
むき出しの岩肌を登るようにして、颯谷は宙に浮かぶ空間の歪みへ近づいていく。近づけば何かプレッシャーのようなものを感じるかと思っていたのだが、そういうのも全くない。あまりに何もなくて、かえってそれが不気味だった。
彼は大岩の上に登り、その端まで進む。これ以上はもう進めない。ここが歪みに一番近い場所だ。だがここまで近づいてもやはり何も感じられない。妖狐の眼帯がなければ発見は不可能だっただろう。そんなモノが征伐と関係しているのか。颯谷はちょっと不安になった。
まだ何も起こっていない。引き返すという手もある。だが颯谷は内心で首を横に振った。今のところ、手がかりはコレしかないのだ。放置することはできない。違うなら違うとはっきりさせておくことが必要だ。そう思い、彼は宙に浮かぶ空間の歪みに向かって仙樹の杖を構えた。
「すぅぅぅ、ふぅぅぅ……」
深呼吸をして、集中力を高める。そして彼は氣を練り上げた。邪魔は入らない。彼は念入りにイメージを作り上げる。ここは異界の中。異界の中には氣功的な力が満ち溢れている。ならばこの空間の歪みも、何か氣功的な作用によるものだと考えるのは的外れではないだろう。ならば、いけるはずだ。
「はぁぁぁぁ、はぁっ!」
ゆっくりと振りかぶった仙樹の杖を、颯谷は鋭く振り下ろした。放つのは伸閃・朧斬り。氣功に由来するあらゆるモノを切り裂くことに特化したその斬撃は、宙に浮かぶ空間の歪みに対してもその威力を発揮。まるでベールを切り裂くかのように、そこに一筋の亀裂を刻んだ。そしてその亀裂を中心にさらに細かなヒビが入っていく。
(どうだっ……!?)
全神経を集中させて、颯谷はその様子を見守る。何が起こるのかは分からない。だが予想はできる。きっとこのまま空間の歪みは消えて、そこに隠されていた何かが出てくるのだろう。それが核なら一番良い。
彼の予想は当たった。ただし斜め上を突き抜ける形で。突如としてガラスが数百枚まとめて割れたかのような音が響き、それと同時に亀裂から骨の指が現れたのだ。巨大な指だ。その一本ですら、颯谷より大きいかもしれない。その指が空間の裂け目を掴む。そして左右へ広げるようにして、一気に引き裂いた。
「ギャァァァォォォォオオオオオ!!」
響いた咆哮が、衝撃波となって颯谷の身体を殴打する。向こう側から現れたのは超巨大なスケルトン。いや、「餓者髑髏」と言った方が日本人には分かりやすいかもしれない。ともかく山と比較できるようなサイズの骸骨人形が、空間の向こう側から身を乗り出してきたのである。
「…………っ」
顔を引きつらせながらも、颯谷は敵の姿を良く観察する。視えているのは上半身。骨の一本一本は、すべて大木のように太い。そして肋骨の奥にはコアがあった。
コアがあるということは、この餓者髑髏はガーディアンなのか。それともコアと一体化しているとみなしてヌシなのか。颯谷は現実逃避気味にそんなことを考えた。
さて咆哮を上げた餓者髑髏は、ギロリと視線を颯谷に向けた。その眼孔に目玉は入っていないが、強いプレッシャーが彼に「見られた」ことを分からせる。そして餓者髑髏が右腕を振りかぶる。
「……っ!」
反射的に、颯谷は氣を滾らせて身体に纏った。いわゆる氣鎧である。そして回避行動に移ろうとして、しかしすぐに動きを止める。ここは大岩の端。動ける範囲はごく狭い。すぐさま後退するべきだったと気付いたときにはもう遅く、餓者髑髏は握った骨の拳を彼に向けて放っていた。
両者ではサイズにあまりにも差がある。餓者髑髏にとっては拳でも、颯谷からすればそれは大岩だ。それを真正面からぶつけられ、彼は踏ん張ることもできずに殴り飛ばされた。そして後ろの岩肌に激突する。彼を中心に、岩肌にはヒビが入った。
「がぁ……!?」
颯谷は空気と一緒に血を吐き出した。そのままぐったりとうずくまって動かなくなる。意識を失ったのだ。そんな彼に興味を失ったのか、餓者髑髏は割れた空間に手をかけて異界の空を見上げた。そしてしゃれこうべの口を大きく開く。
「ゴォォォォオオオオオ……!」
それは先ほどの咆哮とは違う音だった。言うなれば集気音。つまり餓者髑髏は何かを吸い込んでいるのだ。では何を吸い込んでいるのか。それはすぐに明らかになった。
餓者髑髏の口の中へ、黒い霧のようなモノが吸い込まれていく。もしもすぐ近くで観察することができれば、それが怪異を倒した後のなれの果ての、あの黒い灰のような粒子とよく似ていることに気付いただろう。餓者髑髏はそれを猛烈な勢いで喰らっているのだ。
餓者髑髏がそれを喰らうにつれて、異界の中が徐々に明るくなっていく。そして餓者髑髏が異界の中に充満していた闇を喰らい尽くしたとき、ついに異界の中に朝が訪れた。群青色の空の下、餓者髑髏はついに空間の向こう側から身体を乗り出す。
「ガァァア!?」
しかし餓者髑髏が異界の中で立ち上がることはなかった。なんとそもそも、餓者髑髏には両脚がなかったのである。餓者髑髏には尾てい骨の辺りまでしか身体がない。それで空間の向こう側から身体を乗り出すと、そのまま下へ落ちて山の斜面へその巨体を激突させた。
地面が、異界の中がまとめて揺れた。異界の中で起こった地震は、異界の外へは影響を及ぼさない。だからなのだろうか、揺れは境界で内側へ跳ね返っているかのようで、弱い揺れが長く続いた。
餓者髑髏が落下した高さは、100m以上もあっただろう。しかしそれでも餓者髑髏が痛痒を覚えた様子はない。すぐに身体を起こすと、巨大な両腕を使い、身体を引きずるようにして山の斜面を登り始める。餓者髑髏が身体を引きずった後は、木々がなぎ倒され、岩はひっくり返り、まるで土砂崩れでも起こったかのようだった。
ほんの十数秒で、餓者髑髏はさきほど颯谷がいた辺りまで登って来た。そして突き出した大岩の上に人影を見つける。だが彼の姿はあまりにも異様だった。なぜなら彼は青白い炎を全身に纏っていたのである。
妖狐の眼帯で目元を隠した彼は、無言のまま餓者髑髏を見下ろしている。手に持っているのは仙樹の杖。颯谷であるはずなのだが、纏う雰囲気がいつもとは異なる。泰然自若にして尊大不遜。王の如くに彼はそこに立っていた。
「ギャァァァォォォォオオオオオ!!」
彼のその態度が気に入らなかったのか、餓者髑髏が咆哮を上げて威嚇する。それはまるで地獄から響く怨嗟の声のよう。しかし彼が臆した様子を見せないと、餓者髑髏は苛立ったように猛然と彼に迫った。
下からプレッシャーが迫ってくる。それを感じ取ったのか、彼はわずかに片足を引いて仙樹の杖を構えた。同時に彼が纏っていた青白い炎にも変化が現れる。
青白い炎はまるで和服のような形を取り、さらに背後には三本の尻尾が現れた。いつの間にかヘルメットは燃え尽き、顔は炎でできた狐の面に覆われる。
その姿はまるで、三尾の妖狐が彼に憑依したかのよう。そして炎は言うまでもなく狐火だ。その胸元では首から下げたコアの欠片が妖しい光を放っていた。
その彼の正面へ、ついに餓者髑髏が迫る。餓者髑髏は片腕で身体を支えつつ、もう一方の手を振り上げて彼を叩き潰そうとした。しかし彼も黙ってその攻撃を受けたりはしない。彼の戦意を現すかのように、仙樹の杖が狐火につつまれる。そして彼はその炎を一閃した。
青白い炎がぐんっと伸びる。伸閃と狐火を組み合わせたのだ。その一撃は餓者髑髏が振り上げた腕を両断、いや焼き斬った。そして斬り落とされた腕はたちまち青白い炎につつまれる。
「ギョォォォオオオオ!?」
驚いたのか、それとも臆したのか、餓者髑髏は身をよじる。その時、肋骨に覆われた心臓の位置に、コアの姿がはっきりと見えた。それを見逃さず、彼は鋭く踏み込むともう一度伸閃と狐火を組み合わせた一撃を放った。ただし、火力はさっきよりも桁違いに強い。
その一撃は餓者髑髏の肋骨と、残ったもう片方の腕をまとめて焼き斬った。さらに猛る青白い炎がたちまち餓者髑髏の身体を侵食していく。両腕を失い身体を支えられなくなった餓者髑髏は、青白い炎に包まれながらまた斜面を転がり落ちていった。
その餓者髑髏を、しかし彼はもう見ていなかった。彼はただ静かに群青色の空を見上げている。そしてコアもまた焼き尽くされたのか、群青色だった空はすぅっと解け、その向こうから本物の青い空が現れた。
その空を、彼は見上げた。泰然自若にして尊大不遜であったその雰囲気はすでになく、まるで約束の地をようやく遠くから眺めることができたかのように、その背中には哀愁が漂っている。彼は十秒ほども眺めていただろうか。やがて満足したのか、彼が纏っていた狐火がふっと消え失せる。そして妖狐の眼帯が外れて彼の足元に落ちた。
「んん……っ」
まるで眠りから覚める時のように小さなうめき声をあげてから、颯谷はゆっくりと目を開けた。そしてすぐに、眩しさのために目を細める。次の瞬間、彼はハッとした。
眩しいということは明るいのだ。異界の中は常闇ではなかったのか。颯谷は左右を見渡すが、そこに広がるのは雄大な山地の景色。それを覆い隠していたはずの闇は、もうどこにもない。
視線を上にあげれば、そこには青い空と白い雲。異界のフィールドはすでにない。餓者髑髏の姿もないし、ということは征伐が完了したのだ。しかし彼にその覚えはない。
「え、ええぇぇ……」
喜びよりも困惑が彼の頭を埋め尽くす。あの餓者髑髏がヌシだったことは間違いない。だが倒した覚えがないのだ。それなのにこうして実際に異界は征伐され、餓者髑髏も姿を消している。
「一体……」
一体何が起こったのか。腕時計に目をやれば、時刻はまだ午前七時半にもなっていない。つまり彼が意識を失っていたのはほんの短い時間ということ。その短い時間の間に一体何があったのか。考えても答えは出ない。そして彼はもう一つ、衝撃的な事実に気付いた。
ふと右手を見る。彼がその手に握っていたのは、真っ黒に炭化した木の棒。そして何やら見覚えのある長さ。彼は首をかしげたが、すぐにその正体に気付く。コイツは仙樹の杖だ。それに気付いた時、彼は思わずこう叫んだ。
「オレのメインウェポンが消し炭になってるぅぅ!?」
その叫びが止めになったのか、炭化した仙樹の杖はボロボロと崩れ落ちる。ともあれこうして、颯谷は常闇の異界を征伐したのだった。
~ 第四章 完 ~
???「ああ、本物の、蒼……」




