イレギュラー2
だいたい三十歩ほどの距離をあけて、颯谷と三尾の妖狐は向かい合っている。伸閃を使うとしても、まだ間合いは遠い。一方で妖狐が放つ青白い狐火は届く。だが妖狐は最初の三発以外には、足を止めた颯谷へ攻撃してこない。かといって一人と一体は静かに睨み合っているわけではなかった。
空気を読まないスケルトンどもが、颯谷と妖狐の双方へ群がるように襲い掛かっているのだ。颯谷も妖狐も、互いを気にしつつまずはスケルトンを処理していく。静かに緊張感だけが高まっていった。
颯谷としては、スケルトンはやはりウザい。ただスケルトンがいるといないでどちらが良いかと問われたら、僅差で「いる方が良い」と答える。その理由はやはりこの極夜だ。ポータブルバッテリーのLEDライトだけでは心もとない。妖狐の狐火によって燃え上がるスケルトンは、見方を変えれば貴重な照明であり、また照明のための燃料だった。
スケルトンを処理しながら、颯谷はじりじりと間合いを詰めていく。そして妖狐の顔の向きがこちらを外れたその一瞬を見計らい、鋭く踏み込んで一気に間合いを潰しにかかった。だが妖狐の対応も早い。すぐさま彼に向かって幾つかの狐火を放つ。颯谷はそれを今度は伸閃で斬り払った。
不可視の刃が狐火に触れるたび、一瞬だけその軌跡が青白く浮かび上がる。伸閃を構成している氣が狐火によって燃えているのだ。見ようによっては、伸閃と狐火が対消滅しているようにも見える。ともかく仙樹の杖までは燃やされずにすんだ。これで何とか戦う目途が立ったと思い、颯谷は内心で一つ頷いた。
颯谷は一気に踏み込んだ。そして伸閃で妖狐に斬りかかる。妖狐はその攻撃を狐火で防いだ。つまり狐火を伸閃にぶつけ、その不可視の刃を燃やしてしまうことで無力化したのだ。狐火を防御的に使うとは思ってもみなくて、颯谷は内心で驚いた。だが足は止めない。さらに間合いを詰め、今度は仙樹の杖で斬りかかった。
だが弾かれる。しかも思いのほか強い手応えだ。颯谷の上体が泳いだその隙を見逃さず、今度は妖狐が一歩踏み込む。そして右手に持った何かを横に振るった。颯谷は上体をのけぞらせてそれを避ける。その際に妖狐の得物を見たのだが、その手に持っていたのは扇子だった。
もちろんただの扇子ではないだろう。さっきの手応えからして金属製、鉄扇というヤツだ。妖狐がその鉄扇を優雅に振るうと、四方八方へ狐火が放たれる。その青白い炎は同じ数のスケルトンに直撃し、そして篝火に変えた。
青白い篝火の真ん中で、三尾の妖狐は妖艶に笑う。颯谷は一旦距離を取り、群がってくるスケルトンを手早く倒してから、その妖狐の姿を見つめた。美しいと思う。だが同時に恐ろしい。背中が粟立つ。呑まれそうになる自分を、颯谷は声を出して鼓舞した。
「ああああああ!!」
颯谷は妖狐に伸閃で仕掛けた。だがやはり防がれる。その刃は不可視のはずなのだが、まるで見えているかのように的確だ。しかしそれで構わない。
彼にとって一番イヤなのは距離を取って狐火で一方的に攻撃されること。伸閃はそれを避けるための牽制だ。彼は手と一緒に足も動かして間合いを詰める。そして仙樹の杖で斬りかかった。
仙樹の杖と鉄扇が何度もぶつかり合う。得物の間合いで言えば、颯谷の方が広い。さらに彼は両手で仙樹の杖を振るっているが、妖狐の鉄扇は片手だ。まともにぶつかり合えば颯谷の方が有利で、妖狐はじりじりと後退を余儀なくされた。
「……っ」
妖狐の口元が忌々し気に歪む。妖狐の左手が翻り、颯谷に向かって狐火が放たれた。彼は内氣功を全開にしてそれを回避する。その際、身体を一回転させて伸閃を放ち、群がってきていたスケルトンを薙ぎ払う。それからまた妖狐に斬りかかろうとしたのだが、金属製の眼帯をつけた顔が思いのほか近くにあって、彼は思わず声を上げた。
「あっ!?」
間合いを詰められた、とすぐに理解する。懐に入り込まれたのだ。こうなると仙樹の杖を自由に使えない。彼は反射的に後ろへ跳んだ。同時に何とかして仙樹の杖を振り下ろす。だがその苦し紛れの一撃より速く、妖狐の鉄扇が彼の右手に叩き込まれた。
「ぐっ……!」
打たれたのは籠手の上から。だがその衝撃は容易く内側へ抜けた。重い衝撃に、颯谷は思わず顔を歪めて仙樹の杖を手放してしまう。しまったと思うが、拾えばさらに大きな隙をさらすだろう。
彼は咄嗟に左手を突き出した。そこに外氣功で真っ赤な炎を生み出す。そしてその炎を妖狐に向けて放った。いや、放ったというよりは目の前に置いたというべきか。とはいえ妖狐はその炎に驚いたのか一旦後ろへ下がる。
妖狐としては、すぐに追撃したかったのかもしれない。だが下がった妖狐へ多数のスケルトンが襲い掛かる。妖狐は不快気に口元を歪めた。舌打ちの一つでもしたのかもしれない。そして扇子を一扇ぎしてそれらのスケルトンを篝火に変えた。
その間に颯谷は脇差を抜く。そして顔をしかめた。妖狐に打たれた右手がひどく痛い。たぶん骨は無事だと思うが、ほとんど力が入らなかった。脇差を両手で構えてはいるが、右手はほとんど添えるだけだ。
(……っ)
顔をしかめながら、颯谷は伸閃を放つ。妖狐はそれをやはり狐火で防いだ。その間に颯谷は間合いを詰め、脇差で斬りかかる。妖狐は力の入っていないその一撃を鉄扇でやすやすと弾くと、さらに間合いを詰めて颯谷の懐に入り込む。だがそれは彼の誘いだった。
脇差の鋭い切っ先が、妖狐の端正な顔目掛けて走る。突きだ。妖狐は咄嗟に下がるが、颯谷は両腕をコンパクトにまとめて連続で突きを放った。実のところこの突きは軽い。だが速い。妖狐も容易くはかいくぐれず、仕切り直しと言わんばかりに距離を取ろうとする。そこへ颯谷は伸閃を放った。
「……っ!」
その一撃を、妖狐は鉄扇で防ぐ。狐火を使う余裕がなかったのだ。颯谷は一気に前に出た。脇差を腰の高さで水平に構えて妖狐に肉薄する。それを見て妖狐は三本の尻尾をぶわりと膨らませ、鉄扇を開いて大きく扇いだ。その扇は青白い炎の壁を生み出した。
「あああああっ!」
その狐火の壁へ、颯谷は真正面から突っ込んだ。突き抜けてきた彼は全身火だるまだったが、しかし次の瞬間その炎は消え失せる。それを見て妖狐は驚愕した。金属製の眼帯で両目を隠していても分かる驚愕っぷりだ。してやったりと思い、颯谷は獰猛な笑みを浮かべた。
彼はもちろん何の対策もなしに突っ込んだわけではなかった。まず自分の身体と武器を氣で覆う。その状態で狐火の壁へ突入すると、当然ながら彼の氣に青白い炎が着火する。そのままであれば、彼はスケルトンと同じく篝火の一つになっていただろう。
だが青白い炎の壁を抜けるとすぐ、彼は一瞬だけ身体の外へ放出する氣をゼロにした。つまり隠形状態になったのだ。すると燃料がなくなった狐火はそのまま鎮火。颯谷は無傷で狐火の壁を強行突破したのである。
こういう迅速で精密な氣の制御ができたのは、鍛錬のたまものである。毎日地道に流転法を行い氣の制御能力を鍛えてきたその成果が、この土壇場で発揮されたのだ。そして彼は驚愕する妖狐へ脇差の切っ先を繰り出した。
しかし敵もさるもの。妖狐はその一撃を開いた鉄扇で受け止める。いや受け止めきれずに突き抜けたのだが、その瞬間妖狐は扇を閉じて脇差の刃を止めた。言うなれば、鉄扇を使った白刃取りである。
「ぐぅぅぅ……!」
「……………っ!」
力比べになった。颯谷は内氣功を全開にして脇差をねじ込もうとするが、妖狐も守護者クラスと言われるその能力を駆使して対抗する。脇差と鉄扇がこすれて耳障りな金属音がした。
負けたのは颯谷のほう。右手が痛んで力を籠められなくなったのだ。途端にやり込められるが、彼もただでは負けない。相手の力に逆らわず、むしろ利用して脇差を投げ捨てる。それに引っ張られる形で妖狐も鉄扇を失った。さらに上体が泳いでいる。チャンスと思い、颯谷はさらに踏み込んだ。
「はぁぁああああ!!」
指もそろえ、左手を真っ直ぐに伸ばす。イメージするのは槍。久しぶりに使った貫手は、しかし以前よりも鋭くて、妖狐の胸元を貫いた。
「…………っ!?」
自分の胸元を貫く颯谷の左手。その手を妖狐は唖然とした顔で見下ろした。そして顔を上げると、金属製の眼帯の向こうから視線を合わせ、次いで優艶に微笑んだ。その微笑みがあまりにも綺麗で、そして優しげだったので、思わず颯谷は見とれてしまう。だからこそ彼は反応できなかった。
「…………!」
三尾の妖狐はそっと両手で颯谷の顔を包む。そしてそのまま、優しく口付けした。颯谷は驚いて目を見開く。だが次の瞬間、彼はさらに驚いた。なんと妖狐の身体が青白い炎につつまれて燃え上がったのである。
颯谷は反射的に逃げようとしたが、しかし妖狐は彼の顔を掴んで離さない。彼は焦ったが、しかしあることに気付く。目の前の青白い炎が、なんと少しも熱くないのである。彼の身体はもちろん、服さえ少しも燃えていない。そして最後にその青白い炎はひときわ大きく渦巻き、周囲のスケルトンをまとめて篝火に変えた。
青白い炎のかたまりが消えてなくなると、颯谷の腕の中にもう妖狐の姿はなかった。妖狐が身に着けていた金属製の眼帯が、一瞬宙に浮いて下へ落ちる。颯谷は慌ててそれをキャッチした。
(一体……)
一体さっきのは何だったのか。その疑問が颯谷の頭に浮かぶが、しかしそれを塗りつぶすようにしてひどい虚脱感が襲ってくる。彼は思わず、その場で片膝をついた。そして荒い呼吸を繰り返しているうちにその原因に思い至る。これは恐らく、氣を消耗しすぎたのだ。
「……っ」
小さく舌打ちしながら周囲に目をやると、スケルトンを燃やした篝火が徐々に小さくなっていく。あと一分もしないうちに完全に消えるだろう。そうなるとこの辺りはかなり暗くなる。
颯谷は眼帯をひとまず胸のポケットに入れた。そして脇差を拾って鞘に納める。脇差は鉄扇を貫いたままになっていたので、鉄扇も回収した。さらに仙樹の杖を拾ってから、彼は駆け足でポータブルバッテリーのところへ戻った。
「……っ疲れたぁぁ!」
舗装された道路の上に座り込み、颯谷はぼやくようにそう吐き出した。このまま倒れ込んでしまいたいが、さすがにそれはしない。代わりに背嚢からスティック状のチョコレートブラウニーを取り出し、それを貪るように食べた。そして水筒の水を飲みながら、一体何が起こったのかを考える。
「モンスターにキスされた……」
颯谷は最初にそう呟き、すぐさま「そうじゃない」と自分にツッコミを入れた。イレギュラーモンスターと戦ったのはこれが初めてだが、なるほど確かにイレギュラーだ。気になることがたくさんあって考えがとっ散らかる。ただその中でも一番重大なのはやはり最後だろう。
「モンスターにキスされた……」
だからそうじゃない、ともう一度自分に突っ込む。重大なのはその後だ。起こったことを思い出し、事実だけを繋ぎ合わせていくと、颯谷はある可能性に思い至った。
まず青白い炎、つまり狐火を使っていたのは間違いなくあの三尾の妖狐だ。なぜなら颯谷は狐火なんて使っていないからだ。そうするとその狐火が彼を焼かなかったのは、妖狐がそのように制御していたからということになる。
だがだとすると、妖狐は自分の狐火で自分を焼いたことになる。言ってみれば焼身自殺。だがモンスターが自殺というのは、強烈な違和感を覚える。そんなこと、あり得るのか。それともあり得るからイレギュラーなのか。
(これは、これ以上考えても分からねぇな……)
颯谷はそこでいったん考えるのを止めた。そして再び事実にだけ目を向ける。三尾の妖狐が消えると、彼は大量の氣を失っていた。だが彼にそんなに大量の氣を使った覚えはない。そしてあの時、妖狐は最後に最大級の火力で狐火を放った。
「あの妖狐が、オレの氣を使って、狐火を放っていた……?」
いやいやまさかそんなバカな。颯谷は笑って自分の推測を否定しようとするが、しかしそう考えると辻褄があってしまう。颯谷は難しい顔をして考え込んだ。だがいくら考えても答えは分からない。いやそもそも答えがあるのかさえ不明だ。堂々巡りになった思考を、彼はため息一つで切り上げた。
異界の真っ暗な空を見上げていると、脳裏に浮かんでくるのは妖狐が最後に浮かべたあの優艶な笑み。今になって颯谷は彼女の唇の柔らかさと体温の温かさを思い出した。途端に顔が熱くなる。彼は頭を抱えながらこう呟いた。
「ファーストキスじゃなくて良かった……」
妖狐さん「ベロチューは勘弁してやろう」




