悪夢再び
槇岡武雄は苛立っていた。「征伐は遊びでも政治ゲームでもないのだぞ」と何度口にしたのか分からない。
事の発端は和歌山県東部に異界が顕現したことだ。とはいえこれは仕方がない。異界の顕現は自然現象であり自然災害。人知と人力の及ぶところではないからだ。
武雄は近畿地方の能力者である。すでに五回の義務を果たし終えているから、優秀なベテランと言っていい。地元に異界が現れたということで、彼は今回征伐隊に志願。調整の結果、本隊のリーダーに内定したのである。
ここまではスムーズで、ストレスフリーだった。しかしここで思ってもみなかった「お客様」が現れる。トリスタンが率いるフランス軍の派遣部隊と、水瀬京香が指揮する選抜チームのひな型となる部隊だ。
トリスタン隊も水瀬隊も、隊員は訓練を受けた優秀な軍人たちなのだろう。だが武雄からすれば、両方とも素人の集まりである。要するに彼の主観においては、お荷物を押し付けられたと思ったのだ。
ただ、日本政府がフランス軍の派遣部隊を受け入れていることは武雄も知っているし、その意義は彼も理解している。また選抜チーム構想も基本的には賛成だ。それでお荷物であってもどうにか受け入れるための体制を整えるべく、彼は方々と調整を行っていたのである。
それなのに後で告げられたのは、トリスタン隊も水瀬隊も独自に動くという情報。それを聞いた時、武雄は怒るより先に呆れてしまった。「ナメてんのか」と思ったし、「そうでなければ全員自殺願望があるに違いない」とも思った。とはいえ常識的に考えればそんなことはないはずで、彼は伝手を使ってどうにか両者を説得できないかと手を尽くした。
『異界はそんなに甘いもんじゃない。本隊で受け入れるから、後方支援隊に混じって動いた方がいい』
武雄は心からそう思っていたし、この忠告も完全に善意からのもの。しかし両者は、武雄からすれば恩を仇で返すかのように、こう返答してきた。
『心配ご無用。我々は任務を完全に遂行できると確信している』
『本隊指揮下の後方支援隊では、我々の戦略目標を達成できない。提案はありがたいが遠慮させていただく』
武雄からすれば正気を疑う返答だ。氣功能力者の方が少ないような、そんな素人が集まった部隊でどんな任務を遂行できるというのか。それに異界に突入するからには征伐こそが戦略目標であるはず。本隊に入らずしてどうそれを達成するというのだ。
『そんなに死にたいなら勝手に死ねっ!』
武雄はそう吐き捨てた。そんな時に知らされたのが、あの桐島颯谷が今回征伐隊に加わるという話だ。それを聞いた時、彼は片眉毛を跳ね上げた。桐島颯谷は東北地方の能力者だったはず。その彼がなぜ近畿地方の異界征伐に首を突っ込むのか。だがすぐに彼は自分の勘違いに気付いた。
『いや、違う。赤紙か』
つまりまたしても国防省が彼を動員したということだ。「不憫な」と思う一方で武雄は内心不愉快だった。まだ征伐に失敗したわけでもないのに桐島颯谷が送り込まれるというのは、自分たちでは力不足だと言われているように思えたのだ。
『とはいえ桐島の責任ではない、か』
そう呟いて武雄は颯谷の受け入れの調整を行った。一人で来るのだし、本隊の所属でいいだろう。そして彼に力を振るってもらうのであれば、攻略隊以外にはあり得ない。武雄は同じ武門のパーティーに話をつけ、颯谷が一緒に戦う仲間を用意した。
そして迎えた全体ミーティング前日。武雄は午前中から基地に入った。これは各所との調整のためだが、同時に颯谷がいつ来ても良いようにするためだ。武雄は颯谷が基地に到着したら当然自分のところへ挨拶に来るものと思っていたのだが、しかしその気配はない。彼は眉をひそめた。
『やはりまだ子供か。礼儀を知らん』
事情はどうあれ、他所から一人で来たのだ。どこかのパーティーに入れてもらうためにも、征伐隊本隊のリーダーに挨拶をするのは至極当然のことだろう。颯谷は槇岡武雄が本隊のリーダーであることを知らないのかもしれないが、そんなことは関係者に聞けばすぐに分かる。
『仕方がない。こちらから出向くのも大人の責任か』
颯谷が食堂に行ったことを聞き、武雄はそう呟いて彼のところへ向かった。食堂に入ると、武雄は隅の席で一人食事をする少年の姿を見つける。年齢的に考えて彼が桐島颯谷で間違いない。
ただ彼には男女の先客がいた。二人とも軍服を着ているが、それぞれデザインが異なる。その二人に武雄は心当たりがあったし、用件の方もおのずと察しがつく。武雄は不愉快げに眉をひそめた。そして大股で近づきながら、こう口を挟む。
「そいつは本隊に入る。頭越しの引き抜きはやめてもらおうか」
「ムッシュ・マキオカ。それはキリシマ君がそういったのかな?」
割り込んできた武雄に、トリスタンがそう尋ねる。トリスタンとしては、颯谷が本隊に所属することはむしろ望ましい。しかしここで露骨に退いては、一億円出すとまで言ったその言葉を疑われる。なんとか話を軟着陸させるべく、彼は頭を回転させた。
「東北から一人で来たんだぞ。こっちに知り合いなんていないだろう。よって本隊で引き受ける」
「待ってください、槇岡さん。彼がそう明言していないのなら、彼の意志が優先されるべきです。……桐島君、選抜チーム構想が軌道に乗れば、必ずや君の利益にもつながるわ」
「それは国防軍が自らの力でやるべきことだ。だいたい、軍人が民間人にオモリを頼むなど、本末転倒ではないか」
京香の言葉に武雄が反論する。そこへまた京香が反論し、二人は颯谷の前で口論を繰り広げた。優勢なのは武雄だろう。だが彼の物言いに、颯谷は好感を持てない。
言っていることは正論なのだろうが、言葉の端々に棘があるのだ。相手を見下すというか、あしらうような気配もある。少なくともコミュニケーションの良い例には思えなかった。
ここまでの経緯をすべて把握していれば、それも仕方がないと思えたのかもしれない。だが颯谷は彼らの間に何があったのかなどまったく知らない。結果として、苛立ちを滲ませながら話すその姿が、武雄の第一印象となった。
(この人の指揮下で戦うのは、ちょっとなぁ……)
そう思わざるを得ない。しかしかといって京香の話にも共感はできない。「言っていることは分かるが巻き込まないでくれ」というのが正直なところだ。
トリスタンのほうへ視線を向ければ、彼は傍観の構えだ。熱心に勧誘しようという感じではない。ではさっき割り込んできたのは一体何だったのか。首をかしげざるを得ない。
何にしても、颯谷はだんだんウンザリしてきたし、なんならイライラもしてきた。メシくらい落ち着いて食わせろ、と思う。おろしハンバーグにはまだ手も付けていないのだ。
「あ~、じゃあ今回は一人でやります」
その声は、食堂のなかでやたらとはっきり響いた。口論を続けていた京香と武雄も唖然として颯谷の方を見ている。トリスタンも少し焦った様子だ。そんな彼らの顔を順番に眺め、颯谷は内心で「やっちまった」と思いつつも、重ねてこう言った。
「オレは一人でやります。それでこの話は終わりです」
「……そうか。ではキリシマ君の武運を祈ろう」
最初に答えたのはトリスタンで、彼はそう言って敬礼するとその場から離れた。その背中を見送ると、次に京香がため息を吐いてこう言った。
「あとで私たちのトランシーバーの周波数を教えるわ。あなたが合流を望むなら、私たちはいつでも歓迎する。……食事中に申し訳なかったわね」
最後に軍人らしく敬礼して、京香はその場を後にする。軍人二人が去り、残された武雄は盛大に顔をしかめ、大きなため息を吐いてから颯谷にこう言った。
「おい、本当に一人でやるつもりか? つまらん意地を張るもんじゃないぞ」
「意地でどうにかなるもんなんですか?」
「……なら勝手にしろ」
嘆息するようにそう呟いて、武雄は身を翻した。「まったくどいつもこいつも」と呟くのが颯谷の耳にも届く。だが内心で面白くないのは颯谷も同じだ。
こうして桐島颯谷争奪戦は四者四様に不本意な結果で終わった。京香は全員非能力者の部隊を率いて異界へ突入しなければならなくなったし、トリスタンとしては颯谷が単独行動することで征伐の成功率は下がったと判断せざるを得ない。
武雄は調整が全部パーになってまさに徒労。最強格の戦力を逃し、そのうえ本隊リーダーとしての面子も丸つぶれである。颯谷に至ってはやりたくもないソロ攻略再びだ。しかもそれが一番マシに思えるのだから終わっている。
(もう知らん!)
こうなったら他所の事情なんぞ知らん。速攻で終わらせてやる。内心でそう決意して、颯谷はおろしハンバーグに箸を入れた。
そして翌日。和歌山県東部異界征伐のための全体ミーティングが開かれた。颯谷は時間ギリギリ、最後に会場入りする。
会場の雰囲気は悪かった。京香の部隊とトリスタンの部隊はすでに揃って席についているが、民間の能力者たちが彼らに向ける視線は冷たいし刺々しい。そしてその視線は颯谷にも向けられた。
(…………っ)
プレッシャーを感じて、颯谷は軽くのけぞる。だがすぐに呑まれてなるものかと睨み返す。すると会場の中にいた能力者たちはバツが悪そうに視線を逸らした。颯谷は彼らを一瞥して小さく肩をすくめると、隅の席に腰を下ろした。
「で、では定刻になりましたので、全体ミーティングを始めさせていただきます。まず……」
全体ミーティングは粛々と進んだ。今回の征伐隊は全部で207名。歴代の中でもかなりの大所帯だ。ただしこのうちの80名弱は軍人で、それを除けばだいたいいつも通りの規模と言ってよい。
国防軍による資料の説明が終わると、つづけて仕切り役として武雄が登壇する。まずはグループ分けの確認。颯谷、京香、トリスタンらも手を上げる。ただ彼らを除くと、独自に動くグループは二つしかない。その分、本隊が多いわけで、これが武雄の手腕なら彼の本気度が垣間見えたように颯谷は思った。
次は報奨金の取り扱い。軍人たちは報奨金を受け取らないことが確認され、京香もトリスタンも無言のまま首肯する。さらに報奨金の10%を戦死者遺族へのお見舞金などとして取り分けることが承認された。
ただしこの際、武雄は特権持ちのことには言及しない。税金がかかろうとも自分たちでやるつもりのようだ。「まあ勝手にしてくれ」と颯谷は思った。
あとは基本的にグループの人数に応じた頭割りで、それをどう分配するかはグループごとに決めることになった。まあどのみち颯谷はボッチなので一人分だが。
それから一番槍の人選を行い、本隊から志願者が出て彼に決まると、グループごとの話し合いに移る。まず決めるべきは突入場所で、一時間でそれを決めてから全体で共有することになった。
それぞれのグループが話し合いを始める中、颯谷だけがぽつんと一人で座っている。突入場所はすでに決めてあるので、やることがないのだ。暇なのでスマホを取り出して時間を潰す。そんな彼の様子を見て幾人かが眉をひそめたが、わざわざ文句を言いに来る奴はいなかった。
そして一時間後、武雄が再び登壇すると、それぞれのグループが突入場所を発表し行動計画を説明していく。予想はしていたが、みなやはり道路のある地点からの突入だ。そして最後に颯谷の番になった。彼は張り出された地図のところへ行くと、異界の南東部分を指さしてこう言った。
「ここから突入し、まずは山頂を目指し、そこから異界の全容を確認します。次に登山道を通って下山。登山口は道路に面しているので、その道路を使って異界中心部へ向かい、征伐を目指します」
それだけ言って、颯谷は自分の席に戻った。すべてのグループの突入地点が分かったところで、武雄がもう一度登壇して「あとはそれぞれのグループでミーティングを続けてくれ」と〆る。彼が降壇しようとしたところで、トリスタンが挙手して発言を求めた。
「……どうぞ、トリスタン少佐」
「一つ提案がある。キリシマ君はまず高い位置から異界の全容を確認すると言っていた。その情報を、ぜひすべての部隊に共有してもらいたい」
トリスタンがそう求めると、会場の視線が颯谷に集まった。彼はマイクを受け取ると、立ち上がってこう答える。
「情報の共有は構いませんけど、具体的にはどうやりますか?」
「え~、国防軍で開発したポータブルの通信中継器があります。異界の全域に電波を届けるとなると外部電源が必要になりますが、それも長時間でなければポータブルバッテリーでどうにかなるでしょう」
颯谷の質問に答えたのは国防軍の軍人だった。つまり技術的には可能ということで、それならばやらない理由はない。突入の一時間後に、つまり異界のフィールドが群青色になったら、まず颯谷から通信を送ることになった。
武雄がさらに質問などないか確認し、手が上がらないのを見てから降壇する。それを見てから颯谷は立ち上がった。時間的には昼食だが、その前にやっておかなければならないことができた。彼はさきほど質問に答えてくれた軍人のところへ向かい、彼にこう頼んだ。
「中継器の使い方なんかを教えてください」
そいつはたぶん、棒切れを振り回すよりは難しいはずなのだ。
「ティラノサウルスに睨まれて縮こまる猟犬の群れ」の図。




