傷病の転売ヤー。~負傷しないと戦えない残酷なジョブでも、お前を守るためならクラスメートとも敵対する~
相対するはコボルトの群れ。
出口まではまだ距離もある。
とても逃げ切れない。
誰かが時間を稼ぐ必要がある。
そしてそれができる可能性があるのは……俺だ。
俺は落ちていた手斧を拾い上げ、自らの足首めがけて刃を叩きつける。
「うぐ! あああああああああああぁ!」
頭まで痺れるような激痛が走った。
しかしすぐさまその傷を先頭のコボルトへ”売りつけ”ると、俺の足首は一瞬で無傷の状態に戻り、先頭のコボルトはぎゃあとさけび不自然に転倒した。
その獣のごとき足首には、叩ききられた健。
これを繰り返せば、コボルトの群れを止められる。
心が折れるような道のりだが、七瀬を守るためなら耐えられる。
襲い掛かってくる人型の怪犬の群れ。
腹を刺され、耳を切り飛ばされ、腕を食いちぎられ。
その度に傷をコボルトに”売りつけ”るが、感じた痛みまでは消えず、徐々に俺の意識は真っ赤に染まっていく。
しかし、一匹たりとも通すわけにはいかない。
通せるわけがない。
この先には、命をかけても守るべき女がいるのだから。
「来いよ犬畜生ども、腕でも足でも持っていけ! ただし、在庫はおめえらで補充しろ!」
◆
異世界転移。
それは、男子なら一度は憧れる夢のシチュエーション。
最強のクラスやスキルを手に入れ、陰ながら無双し、一緒に転移したクラスのアイドルなんかと恋に落ちる。
いや、現地の美少女と出会うなんてのも定番だ。
しかし現実はそう上手くはいかない。
俺が異世界で手に入れた能力。
それは……、
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ジョブ:苦痛の転売ヤー (ユニーク)
ジョブレベル:Lv.1
レベルアップまでの必要経験値:100/100
ジョブスキル:
Lv.1「仕入れ」
任意の生物が負っている傷病を削除し、その傷病を自身に引き受ける。ただし、その傷病の存在部位に該当する部位が自身にない場合、スキルは発動しない。
経験値獲得方法:
スキル「仕入れ」を使用する。仕入れた傷病が重症であるほど、獲得経験値が増加する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
圧倒的ゴミスキル!
転移直後、神官のような男の指示でステータスを確認した俺は、思わず心中で毒づいた。
苦痛の転売ヤー?
それってジョブか?
苦痛のトレードって、それ利益出てんの? 食べていける⁉
その謎の職種に疑問は尽きないが、一応ユニークジョブ……この世界でただ一人しか持てないジョブではあるらしい。
現段階では、他人のけがや病気を自分の体に移すことができるようだ。
例えば友人の腕の骨折に「仕入れ」を使うと、その腕が復元される代わりに俺の腕が折れる……と、そんな能力だろう。
いや、ヒーラーの劣化じゃん。
ヒーラーがスキルでパーッと十数人の傷を治してる横で、俺はいちいち血を流しながら数人の傷病をこの身に引き受け、結局は自分もヒーラーの厄介にならねばならない。
はっきり言って無駄なワンクッションを踏むだけのスキル。
その上ジョブが転売ヤーとは……皮肉がきいている。
どこの世界でも、この手の輩は本職の足を引っ張ってるんだろうな。
俺は片目を閉じた状態で、はぁと深くため息をつく。
片目だけ閉じているのは、こうすることで自分のステータスが確認できるからだ。
ステータスはホログラムのように自分の視界に映し出されるが、基本的に他人からは見えないらしい。
つまり、定番の鑑定スキルでもない限り、自分のジョブは隠ぺいが効く。
「嵯城。君はどんなジョブだったんだい?」
そんなことを考えていた時、俺の肩にポンと手が置かれ、一人の男子が話しかけてきた。
こいつの名前は高原守。
王子様を彷彿とさせるような、爽やかで整った顔立ちとさらさらの髪。
漫画ならバラに囲まれていそうな、いかにもといった美少年だ。
俺たち高校のクラスメート全員は一緒に転移に巻き込まれたのだが、こいつはクラスの委員長であり、甘い容姿と絵にかいたような正義心から人気は高い。
見ると、そんな高原の後ろにはクラスのほぼ全員が連れだっていた。
どうやら皆のステータスを確認している最中だったようで、俺が最後の一人らしい。
おいおい。クラスメート全員の前でジョブ公開かよ。
恥ずかしいって。
「正直すげ~微妙なスキルだったから、あんま言いたくねえんだけど……」
俺は苦虫をかみつぶしたような表情を見せて、高原の質問にやんわりと拒否の姿勢をとる。
こんな地雷スキル、進んで話したいと誰が思う?
転移して早々にお荷物のレッテルを貼られたくないが?
しかし、正義の王子さまは輪を乱す行動を許してはくれない。
「そんなことを言っていられる状況じゃないんだ。僕たちは悪しき魔族という存在と戦い、この世界の人間族を救わないといけない。皆で協力して立ち向かうために、ジョブやスキルの把握は必要だ。それに、召喚者には必ずユニークジョブが付与されるという話だから、未知のスキルが暴発することの無いよう皆で考察したほうがいい。そうだろう?」
問題児に言って聞かせるようなその口調に少しイラっと来るが、その言は概ね真っ当だ。
だがその正しさは、俺たちを召喚した神官たちの言い分が丸ごと真実だという前提の話。
今もその神官や騎士らしき男たちは、広間の前方で俺たちの相談を注意深く監視している。
見張るように、値踏みするように。
何も知らない異世界で、簡単に他人を信用するのは危険だろう。
魔族というのは本当に悪しき存在なのか?
それらと命がけで戦った後、本当に元の世界に帰してくれるのか?
俺たちは十把一絡げの兵士として、いいように使い倒されるだけじゃないのか?
そもそも高原は、なぜ何の疑いもなく人間族を守るべきと言い切るんだ?
疑いは数多ある。納得できないことも多い。
しかし現状、協力的に振る舞う以外の選択肢がないのもまた事実だ。
とりあえず何か答えておかなければ……。
「じゃあ、先に高原のジョブを教えてくれよ。それを基準に俺も説明するから」
「分かった。僕のユニークジョブは”裁定の勇者”、スキルは”聖剣召喚”で、その内容はあらゆる聖剣を召喚……」
「あ、もういい大体把握した……」
はい俺ゴミスキル確定!
なんだよ勇者って、なんだよ聖剣召喚って!
明らかに最強スキルじゃん!
あらゆる聖剣を召喚? 一つのスキルで可能性無限大じゃねえか。
何だこの格差は!
いや、妬んでもスキルは変わらない。
とりあえず、デメリットの大きい俺のジョブについては適当にごまかそう。
「俺のジョブは”傷病の研究者”。スキルは”軽傷手当”。名前の通り、擦り傷とか切り傷みたいな、本当に軽傷を治すだけのスキルらしい。どうだ? 把握するまでもないゴミスキルだろ?」
俺は少し考えて、今後もある程度のごまかしが効くような嘘を選んだ。
これからスキルの訓練もあるだろうし、その時何の能力も見せないというわけにもいかないだろう。
かといって、大けがを治せるなんて言ってしまったら俺が死ぬ。
さらにこれはメタ読みだが、過去にも少なからずいた転移者の数に対応できるほどユニークジョブの種類があるということは、ゲームのようなジョブの種類では足りない。だから名称を”〇〇の〇〇”のようにカテゴリが細分化されて、数が稼がれているように思える。
高原のジョブが”勇者”ではなく”裁定の勇者”となっているのがその根拠だ。
「そっか……。確かに、現段階では貢献しづらいスキルに感じるね。でも大丈夫。きっと大器晩成型のジョブなんだよ。訓練してスキルを増やせば、きっと強いジョブになるさ」
神官が言うには、ジョブレベルが上がるごとにスキルが増えていくらしい。
俺の場合、苦痛の”転売ヤー”なのだから、他人Aの傷を他人Bに移すスキル……とかだろうか。
そんなんがあれば、確かに化ける可能性はあるな。
「それに、治療ということだったら愛華がすごいスキルを取得したから、心配しなくていいよ」
そう言って、高原は自分の後ろに立っていたクラスメートのうち、一人の女子を手招きして隣に呼んだ。
彼女は七瀬愛華。
神秘的なまでに白い肌に、肩まですらりと伸びるストレートヘア。
黒く大きな瞳には長いまつげが映え、お世辞にも高くない身長と細い手足のために、俺たちよりかなり幼く見える。
“お人形さんのような”を体現したような、まさにそんな美少女だ。
「愛華、君のジョブを嵯城に教えてくれないか」
「ん……。私のジョブは……”従愛の天使”。スキルは、”天の癒し”。任意の生物の傷病を癒す。ただ、治癒が間に合わない場合は発動しない……って、書いてある」
「へえ……」
七瀬は片目を手で覆って自分のステータスを確認しながら、抑揚の乏しい声音でステータスを読み上げてくれる。
彼女が無表情なのは今だけの話ではなく、普段から感情の変化をほとんど見せない。
そのためか七瀬は妙に神秘的な雰囲気を纏っており、そんな彼女のジョブが天使だというのも実に解釈一致なセレクトだと感じた。
にしても、”天の癒し”……か。
「明らかに上級治癒スキルじゃないか。やっぱり俺には立つ瀬がないな……」
「ちょっと嵯城! なまけて愛華ばかりに負担かけないで、あんたもちゃんと治療すんのよ!」
俺が自虐気味に失笑していると、七瀬の横から別の女子が遮ってきた。
彼女は橘祥子。
いつも七瀬の横にべったりと張り付き、彼女の露払いを進んで買って出ている奴だ。
いったい、どんな立場のつもりなのか……。
「いや、俺だってできることはやるつもりだぞ」
「そんなんじゃ足りないのよ! ここは異世界! 何があるかわからない! 愛華は辛くても我慢しちゃう子なんだから、あんたがしっかりしないといけないの!」
「ちょっと……祥子やめて」
特に男子に対する当たりは非常に強く、七瀬と話をしようものならほぼ必ず噛みついてくる。
主人以外には吠えまくる小型犬のようだ。
例外は、高原くらいか。
「さっき神官さんも言っていたんだけど、過去の天使系ジョブのスキルは全てが強力なものだったらしい。きっと愛華の治癒スキルも、皆の命を守ってくれるはずだ。頼りにしてるよ」
「やって……みる」
高原の言葉に、相変わらず無表情でこくんと頷く七瀬。
その発言に対して橘は何も言わない。
そんなやり取りをしていた時である。
バタンッ!!
突然広間の大扉が外側から勢いよく開かれ、若い男が倒れこむように入ってきた。
全力で走ってきたのか肩で息をしながら、ひどく慌てた様子で声を張り上げる。
「報告します! 地下迷宮を探索中の騎士団が、魔物の大群に襲われ撤退中! 重傷者多数! 至急、救援部隊の派遣をお願いします!」
「なんだと!」
男の報告を聞いて、広間の前方で控えていた神官や、鎧を身に着けた騎士のような男が驚きの声を上げる。
すぐにその若い男を中心に集合し、そのまま緊急会議に移行した。
転移直後の俺たちをほっぽり出すほどの、明らかな緊急事態らしい。
「魔物って……、マジでいるのかよ」
「ねえ、やっぱり私たち戦わなきゃいけないのかな……」
そんな鬼気迫る雰囲気に充てられて、必死に押し殺してきた不安がクラスメートたちに伝播し始めた。
異世界だ異世界だと興奮していた男子たちも、ラノベを読むだけでは分からない現実的な危機感に緊張している。
「みんな大丈夫だ! 皆で力を合わせれば、きっとどんな敵にも勝てる!」
高原はそんなクラスメートの動揺を取り除くために、拳を握り声を大にして呼びかけた。
しかしそれだけで平静になれるわけもなく、パニックとまではいかないまでも、皆ざわざわと心配の言が止まらない。
橘も青ざめた表情で、落ち着きなく視線をおろおろとさまよわせている。
まあ無理もないだろうな。
結局のところ、異世界だろうがこれは現実。
無双できる主人公より、その他大勢となる人間のほうが多いんだ。
「ねえ」
そんな中、俺に小声で話しかけてくる声があった。
雀が鳴くような、小さく、しかし耳に響く涼やかな声。
見ると、いつの間にか七瀬が俺の隣に立っており、じっと俺の顔を見上げている。
今なら橘も見ていないし、話をしても噛みつかれないか。
「どうした?」
「嵯城は……この世界の人達のために、命を懸けられる?」
それを聞いて、正直俺は驚いた。
七瀬がそんな疑問を持っていたこと……ではなく、それを”俺に尋ねた”ことだ。
七瀬が積極的に誰かに話しかけているところを、俺はあまり見たことがない。
まして、俺との会話が比較的多かったわけでもないし、俺に興味を持っていたとも思えない。
状況が状況だと言えばそれまでなのだが、その上でもやはり、俺には意外なことだった。
とはいえ、その質問自体への回答は……明確に決まっている。
「俺が命を懸けるのは、惚れた女と母親を守る時だけだよ」
そうこれは、異世界だろうが元の世界だろうが関係なく抱いている俺の中のルール。
たとえこの世界の人間が滅びようが、クラスメートが危険に晒されようが、命までは懸けない。
「惚れた女って、このクラスに……」
「皆さん、少しよろしいか」
俺の答えを聞いて七瀬が何か言いかけたその時、突然神官たちが俺たちに話しかけてきた。
相談が終わったのだろうか。
妙に改まった様子なのが、少し気になる。
ちなみに、異世界でも言語が通じるのは仕様。
「事情は聞こえていたかと思いますが、現在地下迷宮にて我が国の騎士団が撤退戦を強いられている状況です。けが人も多く、このままでは犠牲が出てしまう」
神官の顔には暗く影がかかり、その深刻さを表している。
確かに一刻を争う状況のようだ。
しかしこの事情を俺たちに話すというのは、つまり……、
「そこで、勇者タカハラ殿、天使ナナセ殿。申し訳ないがお二人には、これから派遣する救援部隊に同行して頂きたい」
……やっぱり、そういうことだ。
「なっ! ちょっと待ってください! 危険すぎます!」
いち早く声を上げたのは、当人たちではなく橘。
高原はご自慢の正義執行のために引き受ける可能性があるし、七瀬も声を大にして断れるタイプじゃない。
しかしこれは俺も止めるに賛成だ。
不本意だがここは、橘に乗っておこう。
「同感です。俺たちはまだ自分のスキルの試し打ちすらできていません。いきなり実戦なんて失敗する可能性の方が高いし、そうなれば余計な足手まといが増えるだけですよ」
俺は一歩進み出て、できる限りデメリットを強調して主張する。
橘が勢いで押すなら、俺は論理的に攻めよう。
「ちょっと嵯城! あんた愛華が足手まといって言いたいの⁉」
「お前ちょっと黙ってろや」
これだから橘と組むのは嫌だ。
条件反射で噛みついてくんなよ。
お前にとって最優先は七瀬を守ることじゃないのか?
「ふむ、確かに一理ある」
ほら、俺の主張に神官さんも頷いてるじゃん。
俺は神官がひとまず話の通じそうな人間でホッとする。
しかし直後、その神官は信じられない行動に出た。
「ならば、こうしてみましょう」
そう言いながら神官が取り出したのは、装飾が施された小ぶりのナイフ。
そしてそのナイフで、迷うことなく自分の二の腕を切り裂いた。
「なっ、何をしているんですか!」
高原が驚きの声を上げる。
神官の白く上等そうな法衣の袖には、赤くじんわりと染みが広がっていき、神官が袖をまくると、そこには浅くない切り傷が鮮血を吐き出していた。
「ナナセ殿、あなたのスキルでこの傷を治してみてください」
そしてその腕を七瀬に向かって差し出す。
なるほど、上手いことを考える。
ここで七瀬の治療スキルをデモンストレーションすることで、その強力なスキルの有用性をアピールする気だ。
かと言って無視することもできない。
あの傷は、すぐに治療しないと大事にいたるだろう。
だが……、
「できないふりしたっていいんだぞ」
俺は隣の七瀬にだけ聞こえるように、小声でそう口にした。
七瀬が治療できなくとも、どうせ他の回復スキル持ちが控えているに違いない。
もしかしたら、神官自身がその可能性もある。
とにかく、七瀬があの神官を治癒しなければ死んでしまうということはまずありえない。
だから口車に乗ってやる必要はない。
しかし……、
「ありがとう。でも、やる」
七瀬そう言うと俺から視線を外し、一歩進み出てこくりと神官に頷いた。
七瀬はバカじゃない。
俺が伝えたかった事は理解しているはずだ。
ならどうして、自ら危険な道を選ぶ……。
「スキルは、それを使用する意思を頭で念じるだけで発動します。さあ、やってみてください」
「はい」
言われるがまま、七瀬は両手を神官の傷口にかざす。
すると、
ポウゥ……。
突然白い球状の光が現れ、傷口を包み込んだ。
人工的な光とはまるで違う、太陽光を真っ白にしたような神秘的で温かな光。
その光の中で、裂けた肉はみるみる繋がっていき、肌は閉じ、そして、瞬く間に傷は完治してしまった。
「すげえ……」
「本当に治ってる……」
現実離れした光景に、不安も忘れて魅入るクラスメートたち。
すごい。
確かにこれは、絶大な力だ。
「七瀬七瀬! 俺もさっきスキル試してて火傷しちゃってさ! 治してくれよ!」
そこにある男子生徒が割り込んできて、自分の右の掌を差し出してそういった。
あいつは確か……斎藤だったな。
確かに小さな火傷ができている。
炎系のスキルでも試していたのだろうか。
あれくらいならちょうどいい。俺も自分のスキルを試してみよう。
少し離れているが、まあいけるだろ。
俺は頭の中で”仕入れ”スキルの発動をイメージする。
すると七瀬と同じように、しかし今度は紫の光の球が火傷部分を包んだ。
違ったのは色だけでなく、その速度。
光の球は一瞬で消え、そこには火傷が綺麗に消え去った手のひらだけが残っていた。
端から段階的に正常な肌が戻っていく様子とは全く違う、火傷そのものがポンとなくなったな感じ。
やはり、傷病の”治癒”ではなく”削除”と表記されていただけあって、その特性は根本的に違うらしい。
ともかく、スキルは成功だ。
「すげえ! サンキュー七瀬!」
「さっきより断然早い。もうコツを掴んだんだね」
「そりゃうちの愛華だから、当然よ!」
皆は七瀬が治癒したと思い込んでおり、彼女を囲んでわいわいとはやし立てている。
しかし等の本人は、
「いや、今のは私じゃない……」
っと少し戸惑っていた。
といっても、表情はあまり変わらないから憶測だが。
そして俺は、自分の右手の掌を見る。
熱い……。
そこには、先ほどまでは無かった火傷があった。
これが……”仕入れ”か。
斎藤の手にあったのと、同じ大きさ、同じ程度のやけど。
しかし、仕入れる前に比べて明らかに火傷跡が新しい。
このスキルはおそらく、傷病の今の状態を移すのではなく、その傷病を受けたという事実を移すのだ。
ほぼ完治した傷跡を仕入れた場合でも、俺に移った瞬間に出来立てほやほや血ドバドバの大怪我に復元されてしまう。
こりゃ、なかなかに使いどころが難しいスキルだな……あ、そうだ。
試しに俺は、片目をつむってステータスを確認してみる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
レベルアップまでの必要経験値:99/100
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
うわーお。
1しか経験値入ってないじゃん。
こりゃ、腕の一本くらい失わないと一気にレベル上げは無理だな。
「お見事ですミカミ殿。確かに、練度によって有用性の変わるスキルは存在します。しかし中には、”使用できるだけ”で絶大な効果を発揮できるものもあるのです。そして今、その力で助かる命があるのです。ナナセ殿、タカハラ殿、どうか力を貸してほしい」
デモンストレーションが成功に終わった神官は、ダメ押しとばかりに頭を下げて情に訴えてくる。
こうなったらもうダメだ。
“奴”が反応する。
「もちろん行きます。困っている人を放ってはおけません!」
高原だ。
この主人公野郎……。
きちんと考えてイエスって言ってるんだろうか。
「大丈夫。愛華のことは僕が必ず守る。だからみんな、安心して待っててくれ」
おまけに七瀬がついていくことも前提にしやがった。
お前が勝手に首を突っ込むことはまだいいが、他の奴を巻き込むなよ。
「嵯城……」
っと、いつの間にか七瀬がまた俺の隣に戻ってきて、ぽそりと小声で話しかけてきた。
なんだ? どうして今日は、こんなに俺にかまってくるんだ?
「私……行ってくる」
そう言う七瀬の目には、見間違えようのない決意の光がともっていた。
表情は相変わらず無だが、揺らぐことのない意思がそこにある。
「すごいな。七瀬は他人のために、命かけられるのか」
「違う……私の理由も、嵯城と同じ」
そして七瀬は俺と目を合わせると、かすかに、しかし確かに微笑んでこう言った。
「惚れた男を、守るためだから」
そう言い残した七瀬は、俺の隣を離れ高原のそばへ行くと、自分も同行する旨を伝える。
あぁ……そうか。そういうことか。
七瀬は、高原のことが好きなんだ。
確かに七瀬ほどの美少女に釣り合うのは高原くらいしかいないのかもしれない。
周りの人間からもお似合いに見えるだろう。
そして七瀬が惚れたというなら、そこはもう二人の世界だ。
しかしそれはそれ。
俺には俺で、守るべきルールがある。
「すんません。俺も連れてってください」
俺はすたすたと前に出ると、神官に向かってそう言い放つ。
ぎょっと驚く高原たち。
だがためらいなどない。
こうなった以上、俺に行かない選択肢などない。
「嵯城……だめだ。君のスキルじゃ戦えない!」
「そうです、サジョー……殿。あなたのスキルは、軽傷の回復でしたかな? 残念ながらそれでは、特に意味ある活躍はできないでしょう」
「そうよ! 勝手な行動で愛華の足を引っ張らないで!」
案の定高原や神官、おまけに橘までもが止めてくる。
そして二人が言うことは最もだ。
俺だって向こうの立場ならそう思う。
だが俺とて、引き下がるわけにはいかない。
「だからこそですよ。俺みたいな”ハズレ”を口減らしするいい機会かもしれませんよ? 危険にさらされても、俺のことは庇わなくていい。見殺してくれて構わない」
俺はかつてないほど真剣に、神官に訴えかける。
「だめ、嵯城」
七瀬も小さな声で止めてきたが、構うものか。
最悪、俺のスキルの詳細を話してでも……、
「本気ですかな?」
しかしここで、神官が流れを変えてきた。
俺の真意を確かめるような、蒼く深いまなざし。
……喰いついた。
俺は心中でほくそ笑むが、まだ表情には出さない。
「あぁ。囮にでも斥候にでも使ってください」
「そこまで言うなら仕方ありませんな…………スリープ」
「なっ!」
神官が不穏な単語を唱えた直後、急に視界がぐにゃりと歪み体の力が抜け、ばたりとその場に倒れこむ。
倒れた際に顎を打ちつけたはずだが、不思議と痛みを感じない。
いや、全ての感覚が鈍化している。
催眠スキルの類か……。
「申し訳ないが、事は一刻を争う。ここでおとなしくしておいてください。どんなジョブでも、強力なスキルを覚える可能性はありますから、無駄死にさせるわけにはいかんのです」
くそったれが! 眠るな! 意識を手放すな!
必死にあがくが、落ちる瞼を止めることができない。
視界が狭まり、そして完全に消える。
「嵯城……行ってくる」
その声を聞いた直後、俺は意識を失った。
◆
……今何時だ!!!!
意識を取り戻した俺は、ガバリと身を起こす。
ちくしょう眠らされた!
ここはどこだ⁉ 神官は⁉ あいつらはどこに行った⁉
状況を確認するために、急いで周りを見回す。
俺が横たわっているのは小さな部屋の中央に置かれたベッドの上。
転移者に与えられた個室だろうか。
日は完全に落ち切り、二つの月がうっすらと部屋を照らしている。
この世界に来たときは真昼だった。
元居た世界と同じ基準なら、眠らされてから半日近く経っている。
月が二つある時点で、どうにも怪しいものではあるが。
にしても、目を覚ました直後にしてはやけに頭がクリアだ。
睡眠薬とは違う、これがスキルというやつの効果か。
まあそんなことはどうでもいい。
「探さねえと……」
時間的に、もう戻ってきていてもおかしくない。
俺はふらふらとベッドを降り、靴を履いて部屋の外に出る。
扉には鍵がかかっていたが容易に開けられた。
多少簡易ではあるが、仕組みは元居た世界のもとさほど変わらないらしい。
部屋を出ると、暗く長い廊下に点々と設置されているランプ。
そしてそれに沿ってたくさんの扉が並んでいた。
これらすべて、俺たちクラスメートの個室なのだろうか。
そんなことを考えながら、とにかく人を探して歩き出す。
そして五分ほどうす暗い廊下を走り回ったころだろうか、ついに見つけた。
ある一室から一人のメイドが出てきたのだ。
その姿がランプの光の下に差し掛かり、手になにかを抱えていることに気づく。
そしてその正体が分かった瞬間、背筋が凍った。
セーラー服だ。それも、血に染まった。
まさか……まさかまさかまさか!
俺が眠っている間に、取り返しのつかないことになってしまった⁉
いや違う! まだそうと決まったわけではない!
焦る気持ちを押さえてメイドの姿が廊下の角に消えるまで待ち、次の瞬間に彼女が出てきた部屋の扉に駆け寄る。
そして、ノブを回した。
ガチャッ!
その部屋は、俺のより少し広い個室。
ランプでうすぼんやりと照らされるベッド。
そしてその上に、体を起こして座っている七瀬の姿があった。
「え……嵯城?」
「……あぁ」
その姿と声を確認できただけで、俺は幾ばくか安心する。
ひとまず命は無事だったようだ。
しかし、今七瀬が身に着けているのは半袖のネグリジェ。
セーラー服ではない。
そして、その左袖から伸びるはずの腕が、見当たらなかった。
「おい、その腕……」
「うん。魔物……コボルト? ……に、食べられた」
「……」
嫌な予感はしていた。
やはり、あの場で暴れてでも阻止するべきだった。
頭を打ち付けてでも眠気を払うべきだった。
ちくしょう!
高原はいったい何をしていたんだ……いや、あいつを責めても仕方がない。
何もできていないのは俺だ。
「治癒スキルは?」
「私のスキルで手当はできたけど……なくなった腕を生やす程のスキルは、今まで無かったって」
「つまり、その腕はもう取り戻せないってことか……」
「…………うん」
七瀬は右手で左肩をかき抱くと、いつにもましてか細い声で肯定する。
しかしすぐに顔を上げると、俺に向かって精一杯微笑んで見せた。
「でも、守れた。私はそれで満足」
「……高原か」
「え? いやちがう……」
「愛華!!!!」
七瀬が何か言いかけたその時、部屋の扉がバタンと荒々しく開けられ、何者かが飛び込んできた。
橘だ。
入り口付近に立っていた俺の脇を駆け抜け、七瀬の側に膝まづく。
そして、その左腕に気付いた。
「いやああああああ!」
響く叫び声。七瀬の体に縋りつく橘。
七瀬は僅かに目を伏せたまま、そんな橘の肩をただポンポンと撫でていた。
ランプに照らされる二人は、なぜか絵画のように儚く見えて。
いっそ、絵画のように切り離し閉じ込めて、これは夢だったと言ってほしくて。
しかしこれは現実、夢でも絵画でもない。
橘はすぐ立ち上がり、ガバリと振り返ると、俺に人差し指を突きつけて叫んだ。
「あんたのせいだ! あんたがもっと強力な治癒スキルを持っていれば、こんなことにはならなかった!」
「ちょっと、やめて祥子」
荒ぶる橘。
七瀬はその腕を掴んで必死に止めようとするが、やはり片腕では力が足りない。
単純な力だけではなく、片腕がないことで体のバランスも取りづらくなっているのだろう。
橘はすぐに振りほどくと、俺に詰め寄ってくる。
「あんたが無能だから、愛華がこんなことになったのよ!」
「……そうだな。だがどんな治癒スキルでも、なくなった腕は治せないそうだ」
「うるさい! よくもそんなひどいことが言えるわね! 愛華がどれだけ苦しんでるかも分からないくせに! 愛華の痛みも分からないくせに!」
“愛華の痛みも分からないくせに”……ね。
なら、お前には分かるのかよ。
お前だって、八つ当たりしかできないじゃないか。
……もういい。こんなやつは放っておこう。
お前は絵画の世界で、他人に同情する自分に酔っていればいい。
俺は橘の肩を押しのけると、すたすたと七瀬に歩み寄る。
後ろでギャーギャー騒ぐ声が聞こえるが、無視をして七瀬の前に立つ。
「……嵯城?」
「ごめんな、七瀬。俺にはこれしかできない」
そして、念じる。
スキルの発動、ただ一つの解決方法を。
不可逆でこれきりの、最後の手段を。
直後、七瀬の左腕を紫の光の球が包み、そして消えた。
そこには、今までなかったことが嘘のように、七瀬の失われた腕が袖から伸びている。
「……え?」
「うそ……」
いきなり復元された腕を曲げ伸ばししながら、静かに驚く七瀬。
そして同じく驚愕していた橘は、しかしすぐに、それが俺のスキルの影響であることに気が付いた。
「嵯城あんた、こんな治癒スキル持ってるんだったらもっと早く使いなさい……」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
痛みは遅れてやってきた。
俺のスキルは、対象の傷病を自身に移動させるもの。
つまり、俺の左腕は今まさに、七瀬の魔物に喰われた”事実”を再現したのだ。
バタタッ!
大量の血塊が木の床に叩きつけられ、着ているYシャツも瞬く間に真紅に染まる。
肩先は熱湯に漬けたように熱く、痺れは全身に渡り、もはやどこが痛いのかすらわからないほどの痛みが感覚を押しつぶしていく。
痛い痛い痛い痛い痛い!!!!
それでも俺は懸命に意識にかじりつき、歯を食いしばり、あふれ出る呻き声を必死に止める。
男だろ! 女の前では精一杯強がって見せろ!
「なな……せ。腕の調子は……どうだ?」
「そんなことどうだっていい! はやく、はやく嵯城の腕を!」
普段からは想像もつかないほど慌てた声で、七瀬は俺の左腕に治癒スキルを施そうと手を伸ばす。
しかし俺は一歩距離をとって、言外にそれを拒んだ。
「嵯城……?」
「わから……ねえよ……」
「え?」
治療を断られ、動揺する七瀬。
俺はそれを無視して、声を絞りだす。
しかしその言葉を向けた先は、七瀬ではない
「七瀬の痛みなんて……分からねえよ。なあ? たちばなあ?」
痛みを紛らわすために目を限界まで見開いて、橘を見やる。
橘は「ひっ!」と小さく叫び、身を引こうと後ずさりするが、そこは既に壁。
逃げ場などない。
「嵯城……」
「俺がわかるのは、今、自分の腕が痛ぇってだけだ! 当たり前だ! 神経は他人と繋がってねえんだから! でもな……」
そして俺は、千切れた左腕を橘につきつける。
傷口が、よく見えるように。
あふれ出るその血とともに、橘の頭に流し込む。
「八つ当たりしかしないおまえに! ”これで満足だ”って笑う七瀬の気持ちが分かるとは思えねえ!」
もちろん、俺にだって分からない。
だって七瀬は、俺よりずっと強いから。
俺だったら、あんな風に微笑えないから。
「お願い嵯城、治療させて。このままじゃ、死んじゃう」
ハイになって橘に詰めよる俺を止めようと、七瀬がしがみついて来た。
せっかくの綺麗なネグリジェが、俺の血で染まるのも構わずに。
「お願いだから、お願いだから手当させて! 嵯城が死んだら、私……」
あの七瀬が、半泣きになって俺に抱きついてくる。
確かに、自分のせいで誰かが死んでしまったら寝覚めが悪いだろうな。
そろそろ治療してもらおう。
もう俺の腕は戻ってこないけれど、俺はこれで満足だ。
そう思った瞬間、体から力ががっくりと抜け、その場にがくりと膝をついた。
七瀬が支えてくれなければ倒れていただろう。
「なんで、なんでこんなこと……」
必死に治癒を施しながら、七瀬はかすれた声で尋ねる。
答えを求めているのか、ただ疑問が口に出ただけなのか。
分からないが、混濁しつつある意識の中で、力をふり絞って言葉をかける。
「言った……だろ。惚れた女のためなら、命だって、かける」
「私だって、私だって同じだった! 私が行けば、嵯城は魔物と戦わなくて済むって!」
なんだ……? 七瀬がなにか言っている?
もう、意識が飛びそうだ。音は聞こえるが、内容が理解できない。
「愛華! 叫び声がしたけど大丈夫かい?」
「何かあったのか⁉」
「も~うるさいよ~」
………………?
薄れゆく意識の中、様々な声が聞こえる。
しかしそれを理解する間もなく、俺は本日二度目の眠りについた。
◆
嵯城茜。
同じクラスになったころから、不思議な人だとは思っていた。
周りに流されないというか、確固たる自分を持っているような……そんな人。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
はっきり言う。
これはしない、これは譲れない。
きっぱり断る。
それは特段珍しいことでは無いのかもしれないけど、自分を表現するのが苦手な私にとって、それはすごく憧れる、強い姿だった。
それを強く感じたのは、二か月前。
体育祭の後、打上げの相談をしていたときだ。
「皆、今日は優勝おめでとう! 打ち上げなんだけど、今日の放課後でいいかな?」
教壇に立つ高原が、みんなにそう聞いた。
別におかしな提案じゃない。
体育祭の熱が冷めないその日のうちに、みんなで労い合うんだ。
優勝したというのもあって、皆の興奮は絶好調。
そんな中……、
「悪い、今日は祖母の命日なんだ。墓参りに行くから、不参加で頼む」
嵯城は、そうはっきりと断った。
クラスのムードに水を差しかねない、悪く言えば、輪を乱すような行動。
「はあ? 明日でいいでしょ明日で?」
「確かにお墓参りも大事なことだけど、出来ればみんなで喜びを分かち合いたい。嵯城のおばあさんも、それは許してくれるんじゃないのかな?」
「ばあちゃんが許すかどうかは、聞けないから分からん。でも俺は許せん」
でもその堂々とした姿をみて、かっこいいと思った。
普段はもちろん、進んでグループの輪を乱すような人じゃない。
クラスでのイベントも、今までだって参加していた。
きっと、自分の中の絶対的なルールがあるんだ。
その線引きを守っているからこそ、行動に迷いがない。
私はいつしか、そんな嵯城を目で追うようになっていた。その人柄に惹かれていった。
私にはない、強さを持っている人。
……だからこそ今、こんなことになっている。
私は、自分の膝の上で浅い呼吸をする嵯城の顔を見る。
何とか血は止まった。
傷口もふさがった。
でも失血がひどいのか、顔は真っ青。
「愛華の腕が治ってる……何があったんだい?」
高原が歩み寄ってきて、私に聞いてきた。
大騒ぎしたせいか、クラスみんなが集まってきたみたいだ。
「えっと、これ……」
人前だと、私はいつも言葉が出ない。
だから今も、上手く伝わることを願って嵯城の右の掌を開いてみんなに見せた。
そこにあったのは……、
「それ、俺の火傷……」
そう、さっき斎藤が私に治してほしいと言ってきた火傷だ。
あの時私はスキルを使っていなかったのに、それは消えた。
嵯城がこっそり引き受けていたんだ。
「もしかして嵯城のスキルって、怪我の治療じゃなくて、自分の体に移す力だったのか」
「それで嵯城は、愛華の怪我を引き受けた……」
「……うん」
クラスの回復スキル持ちは、今のところ私と嵯城だけ。
だから救援部隊に私が加われば、嵯城は連れていかれないで済むと思った。
そして実際その通りになった。
けど、嵯城のスキルは治癒じゃなかった。
治らない怪我に、使うべきじゃないはずなのに……。
◆
「んん……」
瞼を持ち上げると、見知らぬ天井が視界に入った。
まだぼやける目をこすろうと手を持っていくが、空振りする。
何度やっても結果は同じで、顔に気持ちのいい圧力がかかることはない。
そこで、ようやく気付く。
ああそうか、左腕なくなったんだっけか。
どうやらあの後、また気を失ってしまったらしい。
恰好悪いことだ。
「嵯城……」
その時、控えめに俺の名を呼ぶ声がした。
頭を傾けてそちらを向くと、七瀬が心配そうに覗きこんでいる。
七瀬だけではない。
見回すと、部屋にはクラスメートや神官、騎士まで揃っていた。
寝かされているのは治療部屋のベッドなのだろうか。
「これはこれは、随分とお揃いで」
俺は軽口を叩きながら、腹に力を入れて身を起こそうとする。
が、体重を支えようと伸ばした左手がまたも空を押し、意外と上手くいかない。
頭では理解しているが、どうしても両腕がある前提で体が動いてしまう。
結局、七瀬に支えられてやっと起き上がることができた。
起きたことで自分の腕がよく見えるようになる。
傷口には綺麗に包帯が巻かれており、痛みはない。
治療スキルを施してもらったのだろう。
「どのくらい寝てた?」
俺の問いかけに対して、七瀬は答えようとゆっくり口を開くが、そこから声が出るより早く別の人間から回答が返ってきた。
「一時間半程でございます。転売ヤー、サジョー殿」
見ると、答えたのは例の神官出会った。
彼は歩み寄ってきて七瀬の隣に立ち、「目が覚めて安心しました」と声をかけてくる。
いや、今はそんなことはどうだっていい。
「転売ヤーって……」
「失礼とは存じますが、あなた様が眠っている間に”鑑定”スキルを使わせていただきました。いやはや、ジョブについて虚偽の報告は困りますな」
やっぱりあったか鑑定スキル。
まあいい。どのみち隠しきれる状況はとうに過ぎている。
「能力が能力だけに、慎重にならざるを得なかったことは、理解してほしいんですが」
「ええ、そうでしょうとも。自分の体がある限り、他人のどんな傷病も完治させることができるスキル。強力ですが……簡単に取り返しがつかなくなってしまう。しかしそれも、レベルアップする前の話です。今のあなた様には、無用の心配でしょう」
「レベルアップ……まさか」
俺は、言われてすぐに片目を閉じてステータスを確認する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ジョブ:苦痛の転売ヤー (ユニーク)
ジョブレベル:Lv.2
レベルアップまでの必要経験値:1000/1000
ジョブスキル:
Lv.1「仕入れ」
任意の生物が負っている傷病を削除し、その傷病を自身に引き受ける。ただし、その傷病の存在部位に該当する部位が自身にない場合、スキルは失敗する。
Lv.2「売りつけ」
自身が負っている傷病を削除し、任意の生物に引き渡す。ただし、その傷病の存在部位に該当する部位が対象にない場合、スキルは失敗する。
経験値獲得方法:
スキル「売りつけ」を使用する。売りつけた傷病が重症であるほど、獲得経験値が増加する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
やはりレベルが上がって新しいスキルを獲得している。
なるほど、”仕入れ”の真逆のスキルだ。
確かにこれなら、俺の腕は元に戻るかもしれない。
検証は必要だが、この説明を見る限り、ゴブリンやオークなど人間と体の構造が近い魔物なら通用するはずだ。
「なるほど、これはラッキーだ。早速ですが……」
「ええ。既に地下ダンジョン低階層への探索部隊を用意しております。サジョー殿以外にも、ご自分のスキルを確認したいという転移者様は、ご同行頂いてかまいませんよ」
おっと。随分と用意がいいな。
まあ、向こうとしては転移者のスキル把握は早めにやっておきたいのだろう。
俺だってさっさと隻腕とはおさらばしたい。
「じゃあ、準備できたら行きましょう」
◆
地下ダンジョンは、端的に言って洞窟だった。
今歩いてるエリアは天井も数メートル程でさほど高くはない。
岩盤に囲まれた、アリの巣のように複雑で煩雑なラビリンス。
よくゲームであるようなダンジョンと同じように、深部へ行けば行くほど現れる魔物も強力になるらしい。
比較的安全な低階層はかなり人の手が入っているようだが、そもそもこの世界の文明レベルはせいぜい中世あたりであるため、ランプの設置と床が多少ならされている程度だ。
今のところ魔物には遭遇していないが、明らかに元居た世界とは異なる生物の気配を感じる。
だが、不思議と恐怖はない。
「つか、なんで七瀬までついてきてんだよ」
俺は、自分の隣にぴったりくっついて歩く七瀬に声をかけた。
「スキルの確認って目的なら、お前はもう充分だろ?」
「嵯城は、まだ本調子じゃない。貧血にもなってるかもしれない」
「それは治療してもらったから全然大丈夫だって。それに、例えそうだとしてもお前がついてくる理由にはならんだろ」
「だめ。嵯城のことは、私が見てる」
うぅむ。よくわからん。
腕の事について、責任を感じているのだろうか。
俺としては安全な場所で待っていてほしいのだが。
「やあ愛華。怖くないかい?」
そこへ、高原が声をかけてきた。
ダンジョン探索へはクラスの三分の一ほどが参加しており、高原もその参加者の一人だ。
「昨日あんなことがあったんだ。残っていてもよかったんだよ?」
「…………へーき」
高原の問いに対して、ぽつりと返す七瀬。
さらに、俺の体の陰に隠れるように立ち位置をずらす。
うさぎが身を隠すようで、正直かなり……可愛い。
「そうか。じゃあせめて、嵯城とは少し離れておいた方がいい。二人は数少ないヒーラーなんだから、もし二人同時に襲われたりなんかしたら大変だ。そうだな……愛華は僕の近くにいてくれるかい? そうすれば、守ってあげられるから」
そんなことには気付きもせず、高原は勝手なことをペラペラとのたまい始める。
一体どこまで真剣に言っているのか……。
正論と判断できなくもないが、しかし、どうしようもなく頭に来るのは俺の常識がおかしいのか?
「守ってあげられるだと? 昨日だってお前がついていながら、七瀬は大怪我を負ったんだろうが」
「それは、僕もスキルの扱い方がよく分かっていなかったから……」
「なら今だって変わらんだろう……ん?」
その時である。
洞窟の奥から、不自然な音が反響してきた。
バタバタという足音と、ワーワー何かを叫ぶような声。
祭りのような、緊急避難の騒ぎのような。
ダンジョンならこれは普通なのか? それとも、何かあったのだろうか。
「全員警戒!」
正解は後者だった。
引率で先頭を歩いてきた騎士が、正面を向いたまま警告を飛ばす。
それをうけて、後方やサイドを固めていた騎士も同様に緊張を走らせた。
「おいおい、まだ第一層だよな?」
「ああ。ここじゃほとんど魔物は出ないって聞いたけど」
クラスメートにも若干の動揺が走るが、あまり危機感は抱いていないらしい。
騎士が守ってくれると思っているのだろうか。
だが……なんだろう。嫌な予感がする。
「七瀬、すぐ走れる用意しとけ。高原は聖剣出しとけ」
「ああ、分かっているよ」
言われて高原は、「聖剣召喚!」とわざわざ声に出してスキルを使用。
すると、足元の地面が光を発し、そこから生えるように諸刃の剣がせりあがってきた。
ジャニ〇ズみたいに。
その柄を高原は両手でつかみ、抜き放つ。
それは、豪奢な装飾が施されたツーハンドソード。
いかにも勇者然とした……大剣だ。
「って、でかすぎんだろ!」
明らかに重量級の、取り回しの悪そうな武器。
見た目の割に軽く小回りがきくのかとも思ったが、剣の重量に体が揺らされている様子を見て、少なくともそれなりの重さはあるらしい。
そんなものをむやみに振り回されたら、周りに立つ俺たちまでぶった切られそうだ。
「聖剣って一種類じゃないんだろ? もっと取り回しのいいやつに変えろよ」
「数分は再召喚できないんだ。それに、これが一番強力なんだよ」
“強力”って、一体何基準だよ。
くそっ。地雷臭がぷんぷんする。
そんなことをしている間にも、騒音は近づいてくる。
音の反響は夏のセミのように頭を埋め尽くし、バタバタという振動はつり橋を揺らすかの如く。
護衛についていた騎士四名全員は既に前方に固まっており、盾を構えて備えていた。
……きた。
ぼんやりと暗い道の先に、ついにその姿が見える。
犬のような頭部に、体毛におおわれた巨躯。
その獣のような見た目とは裏腹に、人間のように二足歩行をして、手にはおのおの武器を携えている。
コボルト。
人型の、犬の魔物だ。
そのコボルトが何十匹と群れを成して、こちらへと迫ってきていた。
血走った目。
牙が剝き出しの巨口からは涎が滴り落ち、明らかに人間を食料としか見ていないことが本能で分かった。
「コボルトの群れだと!? どうしてこんなところに!」
「我々でここを抑える! 逃げろ!」
騎士たちは僅かに動揺の色を見せるも、俺たちにすぐさま撤退を命じた。
コボルトの群れ……。
昨日騎士団や七瀬たちを襲ったのも、コボルトの大群だったと聞いた。
もしかして、下の階層にいたこいつらを引き連れて上に上がってきてしまったんじゃないか?
だからこんな低階層に、いるはずのない魔物がいるのではないか。
いや、今はそんなことどうでもいい。
「うわあああ!」
「逃げろ逃げろ逃げろ!」
生まれて初めて目にする魔物に、クラスメートたちは本能的恐怖にかられ、すぐさま出口に向かって走り出す。
しかし、お世辞にも平面とは言い難い足場に躓く者も多く、皆思うように走ることができない。
ウオオオオオオ!!!!
背後ではコボルトたちが吠え、ガシャガシャと騎士たちの盾にかじりついた。
騎士たちは何らかのスキルで身を固めているのか、噛みつかれてもダメージは負っていないように見える。
しかし、いくら洞窟とはいえ四人でふさぎきれるほど狭い空間でもない。
コボルトの先頭集団のうち何匹かは盾のバリケードをすぐさま突破し、明らかに喰いやすそうな俺たちに向かってきた。
コボルトの広い足裏は凹凸のある地面にもしっかりと力を伝え、俺たちのとの距離はどんどんと縮まっていく。
まずい、追いつかれる。
出口まではまだ距離もある。
とても逃げ切れない。
誰かが時間を稼ぐ必要がある。
そしてそれができる可能性があるのは……俺だ。
俺は走る速度を落とし、背後を走っていたクラスメートに追い抜かせると、ズザッとブレーキをかけて立ち止まった。
「嵯城⁉」
「行け!」
俺が止まったことに気付いた七瀬が叫ぶが、俺は振り返らずそう怒鳴りつける。
そして、先頭を走ってきたコボルトに向かって、スキルの発動を念じた。
“売りつけ”
直後、コボルトが持っていた手斧が、その左腕ごと吹き飛び、俺の足元にガシャンンと落ちる。
ギャア!
そのコボルトは叫び、怯み立ち止まった。
そして同時に、俺の左腕が綺麗に復活。
成功だ。
やはり、人型のコボルトに対して俺のスキルは有効だ。
多勢相手でも戦える。
俺の意識が、保つ限り。
きっと、俺は地獄を見るのだろう。
傷つかなければ、俺は戦えない。
傷つかなければ守れない。
途方もない苦痛を受け、それをそのまま与える力。
俺は足元に転がったコボルトの手斧を拾い上げる。
あまり質の良くない、ガタつきこぼれた刃。
唇を噛みしめ、覚悟を決める。
裾を少しだけまくり、自分の右足首を露出させる。
そして俺は目いっぱい、その健めがけて手斧を叩きつけた。
ごりゅっ!
鈍い音、飛び散る鮮血。
骨に当たって刃が滑ったのか、予想以上に肉がえぐれた。
我ながら、よくもまあここまで思いきり振ったものだ。
「うぐっ! ああああああぁ!」
遅れてやってきた、しびれるような痛み。
しかしそれにかまけている暇はない。
接近しつつある二体目のコボルトに”売りつけ”を発動すると、そのコボルトは突然体制を崩し鼻先を地面に叩きつけた。
俺の足は元通りに復活し、代わりにコボルトの健が切れたのだ。
これを繰り返せばコボルトの群れを止められる。
心が折れるような道のりだが、七瀬を守るためなら耐えられる。
惚れた女だけは、命に変えても守り抜く。
しかしながら、傷が消えたからと言ってしびれるような痛みは消えない。
脳が理解していないのだ。
失った腕が、いつまでも幻痛に苛まれるように。
「嵯城! 何をっ……!」
「行けって言ってんだろぉ!!」
再度七瀬が叫ぶが、反射的に突き放す。
悪いが余裕など微塵もない。もう次が来ているのだ。
今度は、二体。
ナイフを持ったコボルトと、こん棒を持ったコボルト。
優先するべきは、失神させられる可能性の高いこん棒だ。
俺は再度手斧で健を叩き切る。
手加減はできない。
少しでも浅くなれば、有効な傷を”売りつけ”られない。
「うぐっ!」
足首がえぐれるが、すぐにその傷をコボルトに移す。
先ほどと同様、こん棒のコボルトが地面に転がった。
しかし二体目が間に合わない。
「グラアッ!」
「やばっ」
二体目のコボルトが俺に迫り、その短剣を力任せに俺の腹に突き刺した。
「ぐっ! ああああ!」
「ぐるるる」
ズチュッ、ズチュッ。
コボルトは短剣で俺の腹の中を乱暴にかき乱す。
肉が裂け、内臓が傷つくのがわかった。
口内に血の味が広がる。
「くそがあああぁ!!」
しかし火事場の馬鹿力というやつだろうか。
俺は自分でも信じられない力でコボルトを蹴とばすと、腹に残った短剣を荒々しく引き抜き、その傷を転がったコボルトに売りつける。
飛び散る獣の血。
これで三体。
まだ奥には多くのコボルトが控えている。
不思議な感覚だ。
痛みで全身が裂けそうなのに、頭は妙に冴えている。
アドレナリンが出て、ハイになっているのだろう。
好都合だ。この意識がある限り、俺は無敵なのだから。
「来いよ犬畜生ども、腕でも足でも持っていけ! ただし、在庫はおめえらで補充しろ!」
そこから先は……ひどかった。
何度血を流したか、何度死にかけたか分からない。
時にコボルトの攻撃で、時に自分で傷をつけ、相手に”売りつけ”る。
その繰り返し。
何度も、何度も、何度もなんどもなんどもなんども。
腕を喰いちぎられ、耳を切り落とされ、骨の砕ける音は聞き飽きた。
無限とも思われる地獄の時間。
しかしついに終わりは訪れ……気が付けばコボルトは、残り一体を残すのみとなっていた。
今の俺の体に負傷はない。
適当に腕でも切り落として、それを売りつければ、やっと終わりだ。
俺はふらふらと必死に体を支えながら、落ちていた鉈のような刃物を拾い上げる。
その時、
「嵯城、後は僕がやる! はっ! ムーンセイバー!」
「……あ?」
後ろから高原の声がしたのと同時に、俺の真横を光が通り抜けた。
いや、三日月形の光の刃だ。
その刃はコボルトと腰に命中し、いとも容易くすぱりと胴を両断する。
通り過ぎざま、俺の右腕を切り落としつつ。
ボトッ。
見惚れるほど綺麗に腕は落ち、鈍い音を立てる。
「あっ……」
それに気づいたのか、高原の間抜けな声が聞こえた。
振り返ると、剣を振りぬいたままの姿勢で固まっている高原。
あの聖剣から、光刃を飛ばしたのだろう。
“あっ”じゃねえよ。
こいつ、やりやがった。
周りを見ても、もう息のあるコボルトはいない。
負傷を売りつけられる相手が…………いない。
「嵯城!」
七瀬が走り寄ってきた。
俺の隣にたち、すぐさま治療を施してくれる。
結局逃げなかったのか。
見ると、探索に来ていたクラスメートのうち、七瀬や高原の他にも数人がこの場に残っている。
皆恐怖に顔を歪めており、腰を抜かして座り込んでいる奴もいる。
蛮勇のために残ったのは、きっと七瀬と高原だけ。
その他は足がすくんでしまったのだろう。
そう分析する俺も、いつの間にか片膝をついていた。
立ち上がろうにも体に力が入らない。
アドレナリンが切れたのだろうか。
腕は……不思議とそこまで痛くない。
綺麗にすっぱり切れているからか、聖剣の特性か。
「嵯城、大丈夫かい?」
七瀬の治療を受ける俺に、心配するように声をかけてくる高原。
「大丈夫じゃ……ねえよ。とどめ刺したのは、てめえだけどな」
痛みで上手く息が吸えない。それでも全力で高原をにらみつける。
人の腕を切り落としておいて、謝罪の一言もない。
こいつ、これで悪気がないのだから驚きだ。
今の俺にとって、高原は無垢なる邪悪。
そもそも最後の一体になって手を出してくるとは……遅すぎる。
「おいしいとこだけかっさらって……ごほっ。ついでにフレンドリーファイアとは、さぞ気分がいいんだろうな?」
「ごめん、ちょっと意味が分からない……。とにかく君は治療を受けるんだ。それを待って、ダンジョンを出よう」
なんだろう……。
”お前の治療が終わるまで動けない”と言っているように聞こえるのは、性悪説に吞まれすぎだろうか。
「た、助かった……のか」
「よかった、よかったよお」
先ほどまでとは打って変わり、静寂に包まれるダンジョン。
そこに、危機が去ったとようやく実感が沸いたのか、安堵するクラスメートたちのい声が響く。
泣き始める女子もいた。肩を組む男子もいた。
俺への労いの言葉は……特にない。
まあ仕方ないだろう。随分と野蛮な戦い方をしていた自覚はある。
「嵯城……ありがとう。それと、ごめん」
唯一七瀬だけは、俺の治療をしながらそう言ってくれた。
まあ、そもそも七瀬を守るためにやったことだ。
その他大勢の評価など、別にどうでもいいではないか。
「君たち……無事だったか」
そこに、前方でコボルトと戦っていた騎士の一人が合流してきた。
顔や鎧には返り血がべっとりとついており、盾も剣もぼろぼろになっている。
「騎士さん……」
「他の三人は?」
「やられた……。生き残った護衛は、私一人だ。それと……すまない」
そこまで言って騎士は、おもむろに腕に抱えていたものを俺たちに差し出す。
いや、”もの”ではない……人だ。
首元を喰いちぎられ、ヒューヒューと細い呼吸を繰り返す……クラスメートだ。
昨日、掌を火傷して、七瀬に治療を求めていた男子……斎藤だ。
「斎藤!」
他のクラスメートの一人が、騎士が抱える斎藤に駆け寄る。
「どうやら、逃げ遅れたようだ」
「そんな! ああ! どうすれば!」
「山本、落ち着いて!」
興奮して斎藤に縋る山本。
過呼吸のように浅い息をしながら、その血を止めようと傷口に手をあてがう。
高原はそんな山本の肩に手を置きなだめつつ、
「愛華、頼む」
七瀬を振り返って、治療を要請した。
「でも、まだ嵯城の傷が……」
「血は止まってるから充分だ。いざとなったら高原に売りつけるから、あいつを見てやってくれ」
正直、かなりキツイ。
血が足りていないのがわかる。
視界は今にもブラックアウトしてしまいそうだ。
それでも、流石に緊急を要するのは斎藤だ。
俺の言葉に、七瀬はこくんと小さく頷くと、トトトと斎藤の元に駆け寄った。
斎藤はまだかろうじて息があるが、肺まで空気が届いているのか怪しいほどに、ごぽごぽと異常な呼吸音が鳴っている。
目は開いており、その瞳は七瀬と山本とを交互に追っていた。
何か言おうとしているのか、時折口をパクパクと開くが、ごぽぽと水が流れるような音がするのみで声は出ない。
喉に血が流れ込んでいるのだろう。
今にも止まってしまいそうな呼吸。
そんな斎藤に、七瀬はスキルを使おうと手をかざす。
しかし、その首が光に包まれる事はなかった。
「ごめん……でき、ない……」
「え……」
「私のスキルは、間に合わないとき……発動……しない」
間に合わない……それは、事実上の死の宣告。
異世界に来て初めて直面した、最大級の恐怖。
「そんな……」
山本もそれを理解したのか、その表情は絶望という言葉を煮詰めて塗りつけたように黒く染まる。
そんな山本に、七瀬は今まで見たこともないほど崩れた顔で、涙を流し、「ごめんなさい……ごめんなさい……」と蚊の鳴くような声で謝り始めた。
「愛華……もういいよ……」
崩れ落ちる七瀬。
その肩にいつの間にか戻って来ていた橘が手を置き、そっと抱き寄せる。
七瀬は橘の胸に顔を埋めて尚、「ごめんなさい」と壊れたように謝っていた。
その時、
「そうだ、嵯城……」
山本が、顔を上げた。
その絶望にまみれた相形のなかで、瞳に……僅かな光が灯っている。
そして開いた口からは、信じられない言葉が飛び出した。
「嵯城なら……治せるよな……」
「………………は?」
何を……言っているんだ?
「なあ、頼むよ、嵯城……」
俺に、何を頼んでいるんだ?
「こいつ、良い奴なんだよ。ちょっとお調子者だけど、本当に、友達思いでさ……」
こいつ、まさか…………。
「なあ、頼むよ。齋藤の傷、引き受けてくれ」
この場にはもう、傷を押し付けられる相手は残っていない。
俺が斎藤の負傷を仕入れても、治療は間に合わない。
それは、つまり……、
「俺に……死ねと言ってるのか?」
「ちがう……ちがうんだ……なあ、頼むよ」
もう言葉が通じていない。
山本は立ち上がれない俺に近寄ると、肩を掴んできて、更に懇願する。
「そもそもこの探索だって、お前の腕を治すために……なあ、頼むよ。頼むよおおおおぉ!!」
俺の体を、ガクガクと揺さぶってくる。
頭が、揺れる。視界が、揺れる。
やばい、意識が……。
「だめ!」
俺が気を失いかけたその時、ガバッと山本の手が振り払われた。
体の揺れが止まっても尚、視界は揺らぎ続ける。
それでも、その不安定な世界の中でも、俺の前に立つ背中の正体は分かった。
七瀬……。
その小さな背は、山本から、俺を守るように。
「嵯城は死なせない!」
七瀬……なんでお前、俺にそこまでするんだ。
疑問はある。
納得はできない。
だが、正直庇ってくれて助かった。
あのまま揺さぶられてたら、失神どころか命にかかわっていたかもしれない。
実際そのせいで、せっかく塞がっていた右腕の傷からまた血がにじんでいる。
「愛華、もういい……もういいから」
「そうだよ愛華、君はもう充分頑張ったじゃないか」
おい待てよ。橘、高原。
今止めるべきは、七瀬じゃなく山本だろう?
いや、二人だけじゃない。なんで七瀬以外誰も止めてくれないんだ?
どうしてみんな、そんな表情で俺を見ているんだ?
まさか本当に……俺が犠牲になるべきだと思ってるのか?
どうしてだ?
確かに俺は、人当たりが特別にいいかと言えばそうではない。
時には輪を外れて行動することもある。
そして斎藤はクラスのムードメーカーといえるほど、皆と親しくしていた。
だが、俺だって基本的には普通に過ごしていたはずだ。
譲れないものをキッパリ線引きしてるだけで、誘われれば遊びにだって行くし、クラスのイベントにも参加していたのに……、
いや……何も変わりはしない。
俺が七瀬を優先するように、七瀬が俺を優先するように、皆は斎藤を選んでいるだけなんだ。
「みんな、もうやめなさい」
そこで、ずっと斎藤を抱えていた騎士がそう呼びかけた。
低く、よく通る声で。
「もう、亡くなっている……」
悲しく、謝意の滲む声で。
「すまない……」
その瞳はもう、動くことはなく。
◆
あれからすぐに、私たちはダンジョンを出るために歩き出した。
嵯城は何とか意識を保って、しかも自力で歩いている。
高原や他のクラスメートが肩を貸すといっても、絶対に嫌だと断って。
仕方ないと思う。
みんなに裏切られたようなものだから。
本当に悪いのは、斎藤を治療できなかった私なのに。
結局、騎士さんと男子で亡くなった人たちを運び、嵯城には私が隣について歩いている。
私と嵯城の身長差で肩を貸すのは難しいから、ふらついたときに支える程度だけれど。
「あ~くそ、血が足りねえ。まじで高原の野郎許さねぇかんな」
嵯城はそう言って額を抑えながら、割と元気そうな口調でぼやいている。
でも、きっとカラ元気。
敢えて苦しいという言葉を選ぶことで、余裕があることをアピールしている、そんな感じだ。
そもそも平気なわけがない。
いくら傷は相手に押し付けられると言っても、それによって感じた痛みがリセットされるわけじゃない。
だって、嵯城に腕の傷を引き受けてもらった後でも、感じた痛みが記憶からなくなったわけじゃないから。
今だって、思い出すだけでうずくまって腕を抱えたくなってしまう。
自分が傷つかないと戦えない、残酷な力。辛い力。
嵯城はこれからも、こんな戦いを続けなければいけないんだろうか。
「あ、ごめん。高原のこと悪く言っちまったな」
私が黙ってうつむいていると、なぜか嵯城が謝ってきた。
どうして、そんなことを言うのだろう。
悪く言うも何も、高原は間違いなく悪いことをしたのに。
「高原、結局嵯城に一言も謝らなかった。それに、少しでもずれていたら、腕だけじゃすまなかった。嵯城は……もっと怒っていい」
「いや、そりゃもちろん頭には来ているけど……七瀬は高原を庇わないのか?」
「なんでそんなこと、するの? 高原はずるい。言葉と行動が矛盾してる。皆を守るって言いながら……危ないことは他人任せ。もう大丈夫ってなったとたんに手を出して、都合の悪いことは全部棚上げ」
「…………でもまあ、高原に限らず人間ってのは結局そんなもんなのかもな。特に、命の危険が迫った時には」
「でも、嵯城は違う!」
あきらめるような嵯城の言葉を否定したくて、私は精一杯の声を出す。
だってこれは、私が嵯城に憧れる理由だから。私が嵯城に惹かれる理由だから。
「嵯城はどんなときだって自分が決めたことから逃げない! 負けない! 誰もそのことに気付かなくても、私はそのことを知ってる!」
「七瀬……」
不思議だ。
嵯城の前だと、いつもよりすらすらと言葉が出てくる。
伝えたいことが出てきてくれる。
そんな私に嵯城は一瞬、ひるんだように、驚くように、目をまん丸に開く。
でもその表情は、すぐに自嘲気味の微笑に変わった。
「それは……お前の前だから、かっこつけてるだけだよ」
「え……」
今度は、私が驚く。
そう言えば、嵯城は言っていた。
自分が命を懸けるのは、惚れた女と母親を守る時だ……と。
さっき嵯城は、間違いなく命懸けの戦いをしていた。
ここに、嵯城のお母さんはいない。
そして嵯城は、私の腕の傷を引き取ってくれた。
あれだって、命に関わる大怪我だ。
それって、つまり……。
私は一度、目を閉じる。
息を大きく吸って、全部吐く。
そして、目を開ける。
「嵯城は……」
「ん?」
「嵯城茜は、さいっこうにかっこいい男だ!」
私は左手を突き出し、全力のサムズアップを贈る。
嵯城にもらった、この左手で。
そう、嵯城はいつだってかっこいい。
私だけは、そのことを知っている。
◆
あれから二か月がたった。
俺たちは今、召喚された場所である王都ロームを離れ、少し離れた都市ライラにいる。
なぜか?
それは、逃げてきたからだ。
愛華と、二人で。
二か月前。ダンジョンを出た直後。
事情を聞いた神官は、俺の負傷の”売りつけ”先として、捕獲している人型の魔物の場所へ案内するといった。
しかしそれは罠だった。
そのまま付いて行った俺は捕らえられ、監禁され、連れてこられる重傷者、障害者、重病患者の傷病を仕入れては罪人に売りつけるという地獄の所業を強いられたのだ。
辛いなどという次元ではない。
痛みの感覚は鈍化することなく、仕入れを行う度に新鮮な苦痛が俺を襲う。
傍に治癒師が控えていたため、自害もできず、夜は逃げられないよう足を折られて隔離される。
クラスメートには一切会えない。もちろん、愛華にも。
そんな日々が二週間ほど続いたある夜、愛華が俺の牢に現れたのだ。
“一緒にこの王都から逃げよう”、と言って。
「愛華。お待たせ」
俺は露店の立ち並ぶ通りから路地に入ると、置かれた木箱に座って待っている愛華に声をかけた。
俺と同じ灰色のローブに身を包んだ愛華。
パンなどの食料が詰まった袋を持った俺に気付くと、愛華はそのフードをおろす。
「ごめん。ありがとう」
「いいんだよ。いつも二人だと足がつくし、愛華は値切るのが下手だからな」
「……できるよ」
「いやいや、こないだぼられてたじゃん」
「む……」
俺の意地悪な発言に、少し頬を膨らませむくれる愛華。
この二か月で、彼女の表情を随分読み取れるようになったと思う。
いや、俺の前では感情表現が豊かになったとも言える。
それだけ多くの時間を一緒に過ごしている証拠だ。
こんな状況ではあるが、そのこと自体はうれしく感じつつ、俺もかぶっていたフードを右手でおろした。
そこには二か月前とは違う、毛先まで真っ白に変わり果てた髪。
王都で重傷者の傷病を仕入れている中、頭皮を燃やされた男のやけどを仕入れたことがあり、それを罪人に売りつけた直後、俺の髪は全白髪に変わってしまった。
いくら傷病は押し付けられても、ストレスはどうにもならないらしい。
「やっぱりその髪……慣れないね」
「銀髪と思えばそんなに悪くないさ」
とはいいつつも、この年で真っ白とは……いささか悲しい。
染めることも考えたが、こんな中世レベルの技術での髪染めなど、怖くてできたもんじゃない。
禿げたりなんてしたら本末転倒だ。
だから、おしゃれ銀髪だと思い込むことにしている。
「それより、高原たちは?」
「そうだった……もう隣町まで来てる」
「くそっ、意外と早いな。さっさと逃げないと、また”話し合えば分かる”とか言ってくるぞ」
「高原はややこしくしてるだけ」
今の俺たちは追われている身。
俺は逃亡兵者という名目で、愛華は俺に連れ去られた被害者という名目で、騎士団から指名手配されているのだ。
追っ手はクラスメート。
リーダーは高原。
正義の名のもとに、逃亡した俺をしつこく追ってくる。
こないだ遭遇した時は、何と言っていたっけな。
「斎藤を死なせたからって、君が抱え込む必要はない。これからみんなを守れるくらい、強くなればいいんだ」
……だったか。
ふざけるなよ。
そもそも、どうしてコボルトの群れを倒したのは高原だってことになっている?
なんで、死にかけた俺を高原が助けたってことになっている?
なんで、俺が斎藤を見殺しにしたことになっている?
愛華に逃亡を持ちかけられた時は、悩んだ。
王都の闇は垣間見たが、それでもこの世界で唯一の後ろ盾。
俺がどうなろうと、愛華を元の世界に戻すためには、頼らざるを得ないのではないか……と。
しかし、クラスメートももはや信用できないと分かり、考えが変わった。
転移者を使い潰しの道具としか見ていない王都に、ナチュラルサイコ野郎が率いるクラスメート。
それらを敵に回して、戦う道を選んだのだ。
二人で、元の世界に帰るために。
「ここも離れないといけないな。本当はもう少し金を稼ぎたかったんだが」
「節約しよ。今日から、宿は一部屋」
「ば~か」
俺と愛華は軽く笑いあうと、灰色のフードを深くかぶり、手を繋ぐ。
この先、例え何があろうと、愛華だけは守り通す。
「行こ」
「ああ。必ず、帰ろう」
世界は残酷だが、二人なら悪くない。




