炎上! 小さな飛行機が、文字通り火を噴いた!
しばらく経っても、私たちは放心状態だった。
ぼんやりとした私たちを尻目に、飛行機が次々と滑走路上空を通過してゆく。一位争いから置いてけぼりを食らったからだろう。彼らのエンジン音は、どことなくしょんぼりとしていた。
何機目かが、コントロールラインを通過した頃合いだ。ひときわ元気のないエンジン音が、私の鼓膜を震わせた。元気がない、というよりは病的、と表現すべきだろう。喘鳴めいたノイズであった。
音は最終コーナーから近付いてくる。私がそちらへ目を向けると、飛行機が一機、着陸態勢に入っていた。
着陸しようとしている飛行機は、両翼にエンジンをぶら下げた双発機だった。右エンジンが死んでいるようだ。プロペラはぴくりとも動いていないし、機体の姿勢は首を寝違えた人みたいに、右に傾いていた。
観客が総立ちになって、双発機を見守った。彼らは、二派に大別できるだろう。あの双発機を心から心配している優しい人と、クラッシュを期待する悪魔のような人間――、この二つだ。
双発機は優しい人たちの思いに応えた。推進力の半分を失いながらも、飛行機はスムースに着陸した。拍手が自然と湧き上がった。
ただ、あの飛行機がおかれていた状況は、見た目よりもずっと深刻であったみたいだ。飛行機をエプロンまで移動させるや否や、パイロットが慌てた様子でコックピットから飛び降りた。すると次の瞬間、オレンジ色の炎が右エンジンからぬるりと現れた。
「……そうだ! クローイ!」
クローイだって問題を抱えている! もしかしたら、あの飛行機みたいに炎を吹くかもしれない!
私は慌てて空を見上げた。飛行場直上では、コントロールラインを通過した飛行機が、ゆったりと旋回していた。獲物を狙うトビのようだ。滑走路がクリアになるまで、レースを終えた飛行機はああやって待機するのだ。
クローイはすぐに見つかった。彼女は、ホワイトスモークをまだ引き連れている。
「……煙が増えている」
今度のスモークはしつこくて、消え失せる気配が一向になかった。それどころか、煙はどんどんと濃くなってゆく。
「お、俺っ。管制塔に行ってくる! 最初に着陸するよう掛け合ってくる!」
バタバタと騒がしい足音を立てながら、おじいちゃんが管制塔へと駆けていった。
着陸する順番は、原則、コントロールラインを通過した順となっている。が、今回のように、ほとんど同着だと、エントリー番号が若い順に着陸する決まりとなっていた。
私たちの番号よりも、カートライト工房の方が若い。順当に考えるならば、エルドレッドが一番に着陸する。
だが緊急時は話が別だ。事故防止の観点から、まず不調機から着陸させるのだ。
おじいちゃんは思ったよりもはやく帰ってきた。主催者側も、クローイを心配しているようだ。おじいちゃんが言うには、二つ返事で着陸を許可したらしい。
ただし、即時着陸の許可は下りなかった。まだレースを終えていない飛行機がいるのだ。このままクローイを降下させると、彼らと空中衝突を起こしかねない――と、主催者は考えたようだ。
かくしてクローイは、最下位がチェッカーを受けるまで着陸できなかった。その間にも症状はみるみる悪化していった。
はじめスモークは、縮流で生じた雲のようにか細いものだった。だが、今はどうだろう。今や煙は、緩慢に活動する火山さながらの量になっていた。
不安に駆られた私が、即時着陸を求める抗議をしようか、と思った頃合い、ようやく最下位の飛行機が滑走路上空に戻ってきた。クローイは、すぐさま着陸準備に取りかかった。
クローイがゆったりと降下する。さきほどの双発機同様、二種の視線がクローイに注がれた。
降下中であっても、症状は激しさを増していった。煙の量はもちろん、とうとう色にまで不穏な影がちらつきはじめた。黒色まじりになったのだ。
黒い煙は、石油製品が燃えていることを意味している。私は、がつん、と、頭を殴られたような衝撃を覚えた。
「消火隊の準備! 済んでる!?」
そう叫びつつ、私はピットロードの先へと目を向けた。そこには、消火隊の待機所がある。舌を打つ。なんて間が悪いのだろう。消火隊の人数は、片手で数え切れるくらいだった。準備が整っていない!
「マズい! 双発機の消火に人を割かれすぎている! こりゃあ、処理に手間取る――って、ターラ!?」
居ても経ってもいられなくなった私は、消火隊の待機場へと駆けだしていた。
「ちょっと、あんた! ここは消火隊以外立ち入り禁止だよ!」
私の接近に気がついた消火隊が、私の前に立ち塞がった。私は、またしても舌を打った。
「邪魔! どいて!」
「どいてって……わあ!」
私は通せんぼした消火隊員を突き飛ばす。消火隊員は目玉をまんまるにしながら、尻餅をついた。
私は消火隊員を突き飛ばした勢いそのままに、立ち入り禁止区域へと進入する。消火隊の待機場といっても、私たちに宛がわれたガレージと大差ない。違いといったら、コンクリートの穴蔵の前に、消火ポンプやら、消火器やらが無造作に置かれているだけだった。
「ちょっとあんた! なにを――」
私に突き飛ばされた消火隊員が、追いすがり、私の肩を掴んだ。が、大人しくするつもりはない。私は彼の手を振り払い、消火器の一つを引っつかんだ。
「借りるよ!」
「借りるって……! おい! あんた! どこに行くんだ!?」
「決まっているでしょ!?」
言い切る前に、私は走り出す。
「エプロンだよ! 一秒でもはやく! クローイの火事を止めてあげないと!」
私の叫びが、例の消火隊員に届いたかはわからない。が、そんな些細なことなんて、どうでもよかった。私のつま先は、エプロンへと向けられていた。
道中、私はスクーターを見つけた。マーシャルが、この広い飛行場内を移動するために使うスクーターだった。
「借ります! いいですよね!? OK!? ありがとう!」
よく整備されたマシンらしい。私がキックスターターを蹴ると、エンジンは気持ちよく応えてくれた。エンジンの規則的な振動をお尻で感じながら、私は滑走路を横断した。パルクフェルメとして活用するエプロンは、ピットの反対側にあるのだ。
滑走路を横断しているさなか、主催者が私を場内アナウンスで注意した。当然だ。レース中に滑走路を横断するなんて、自殺行為に等しい。ましてや、クローイは着陸態勢を整えているのだ。横断を許す道理がなかった。
が、私は注意を丁寧に無視した。無事に横断しきると、私はバイクを乗り捨て、ピットウォールの影に身を隠した。
パルクフェルメには異臭が漂っていた。オイルと燃料、そして配線のビニール皮膜が溶けた嫌なにおいである。今更言及する必要もないけれど、それは例の双発機が焼けたにおいであった。
幸い、双発機の火災は、大したことなかったようだ。火は消し止められており、消化剤で真っ白になった双発機が横たわっていた。
だが、消火体制が整っているとは言い難い。後片付けをする消火隊の手つきは、とても浮き足立っていた。彼らが、次の火災に対応できるとは思えなかった。
飛行機の死骸、そして泡を食う消火隊員たち。この二つを順繰りに眺めた私の心には、ぴりりとした緊張感が走った。
「私が。火を消し止めないと」
消火隊が信用できない以上、私がどうにかするしかあるまい。私は消火器のホースをぎりりと握り締めた。
真っ黒な煙を引き連れたクローイが、タッチダウンした。タイヤが甲高い悲鳴を上げていた。




