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癇癪! 限界エンジニアの八つ当たり!

 私の直感は正しかった。工房のみんなをかき集めて行った始動実験は、これまでの苦労が嘘であったかのように、あっさりと成功したのだ。


 お父さんの飛行機に使われていたエンジンは、スピードウェイ博物館で見たあのマシンと同じく、冷間始動性が著しく悪かったのだ。


 プロジェクト停滞の原因がなくなったのだ。エンジンが息を吹き返したときの私たちは、それこそレースで優勝したかのように喜んだ。


 当然、歓喜の輪には私も含まれていた。これならレースに出られる。これなら借金を返せるかもしれない。希望ある未来の後ろ姿が、ぼんやりながらも見えた気がした。


 かくして工房は、掃除の後片付けからエンジンのマウント作業にスイッチングした。作業は恙なく進行し、日が暮れるころには、エンジンと飛行機はとうとうひとつになった。


 エンジンカウルが被されたとき、ターナー工房に歓喜の絶頂が再び訪れた。その歓声の音量たるや、大ハンガーの壁や天井を打ち破ってしまうのか、と思うくらいだった。奴隷労働に匹敵するつらい日々が、ついに報われたのだ。破壊力を伴う喜びを抱いて当然であった。


 しかしながら、私は、二回目の歓喜に加わらなかった。大きな問題は解決した。だが、その大きすぎる問題に隠れていた伏兵が、私に飛びかかってきたのである。


 私は大きなため息を吐いた。日はすでに沈んでいる。水銀灯のわざとらしい白色光が詰まっている大ハンガーに残っているのは、私だけであった。飛行機の完成に大喜びした工員たちは、祝杯を挙げに街に繰り出していた。


 立場で言えば、私もその席に加わるべきだろう。だが、新しく浮上した問題のせいで、私は居残る羽目となったのだ。


 エンジンを暖めれば、始動するのはわかった。だが、余熱の仕方がわからない。隠れていた問題とはこれであった。


 博物館に収蔵されていたマシンのように、ラジエーターの配管に熱水を流す手段は使えそうになかった。エンジンの隅から隅まで解体したからわかる。冷却経路に割り込めるような配管は存在しなかった。


 万が一に備えて、私は設計図も見返した。だが、無駄な行いだった。熱水を循環させるようなラインは見当たらなかった。


 製図板の前に腰を下ろした私は、椅子に深くもたれた。天井を仰ぎ見る。日中掃除をした恩恵か。いつもは粉雪のように舞い散るホコリが、いくら目をこらせども見当たらなかった。


「……いっそのこと。動かないままの方が。気楽だったのに」


 自嘲の吐息と一緒に、気弱な言葉がこぼれ出た。


 始動実験を行う前、工房は諦観に支配されていた。どうせエンジンは動かないんだ、どうしようもないんだ。頑張れるだけ頑張ったんだ。レース参加できなくとも、俺たちを責める者は居ないだろう――。工員たちは、いやもしかしたら私でさえも、こんな自己弁護を胸に秘めていたのかもしれない。


 だが、今は違う。言い訳がましい諦めムードは、綺麗さっぱり吹き飛んだ。みんな力を合わせて、レースに参加しよう――。こんなポジティブな見解が主流になってしまった。


 だからこそ私はプレッシャーを感じるのだ。みんな興奮している。期待もしている。そんな彼らに、エンジンの温め方がわかりませんでした、なんて言えるわけがない。


 いや、がっかりするだけだったらまだいい。血の気が盛んな人ならば、暴れるかもしれない。このポンコツ、などと罵りながら、お父さんの飛行機を破壊するかもしれない。


 それは嫌だった。みんなの期待を裏切ることも、お父さんの遺作をただのスクラップに変えてしまうのも、絶対に嫌だった。だから私は、のんびりしてみろ、という館長さんの助言を無視して、ハンガーに籠もっているのだけれども――。


「……お父さん。こんなエンジンを載っけるのならさあ。注意書きを遺しておいても良かったじゃない。おかげで遺族は大迷惑だよう。まったく」


 いくら考えても、余熱の仕方がちっともわからなかった。出口が一切見えない。あまりにも手がかりがないものだから、私は亡き父への悪態を吐いてしまった。


 私の悪態が、かなりの無茶であるのは承知している。お父さんは不慮の事故で亡くなったのだ。当時の彼はまだまだ若かったし、自分が死ぬとは考えていなかったはずだ。遺書を書く理由なんて、どこにもないだろう。


 私は目を閉じた。水銀灯の力強い白色光が、まぶた越しに網膜を刺激する。視界は赤みの強いオレンジ色に染まっていた。これは恐らくまぶたの裏の色なのだろう。


 私は目を閉ざすと、どういうわけか身体の感覚が鋭敏になる傾向にある。手指先が、ちょっぴり冷えているのに気がついた。この工房は荒野に面しているせいで、昼夜の寒暖差が激しいのだ。


 言うまでもなく、飛行機工は手指が命だ。血行が悪くなると、指の動きも悪くなって仕事に支障を来す。


 目を開いた私は、手指の運動をすることにした。運動といっても、大した動きをするわけではない。手を握ったり、開いたり、握ったり、開いたり。これをひたすらに続けるだけだ。地味な運動だけれども、案外効果てきめんだったりする。


 私は椅子に座したまま、両の手を製図板に向けて突き出した。あとは手のひらに力を込めるだけ――。その頃合い、開けっぱなしになったハンガーのゲートから、足音が聞こえた。私以外の誰かが、工房に残っていたようだ。私は両腕を下ろして、ゲートを見た。


 クローイだった。


 彼女は私を見つけると後手を組み、のんびりとした足取りでこちらへ歩み寄った。彼女の機嫌は悪くなさそうだ。後ろ手に組むポーズといい、ゆったりとした歩調といい、その姿は、公園で散歩を楽しむレディそのものであった。


「クローイ。宴会には行かなかったの?」

「行かないよ。私、騒がしいのは好きじゃないんだ。うるさくても許せるのは、飛行機のエンジン音くらい」

「へえ。じゃあ、このあいだの博物館は耐えがたかったんじゃない?」

「訂正。乗り物のエンジンだったら大丈夫。そういった意味では、始動に使ったポンプのエンジンは不快だったかも」

「ええ? いい音だったじゃない。良く整備されているのがうかがえてさ」

「パワーを感じられないエンジン音はイライラするんだ。あいつは非力でムカついた」

「なにそれ」


 クローイの顔に皺が刻まれた。焙煎されたコーヒー豆を、口にがぶりと含んだかのようだ。私は一連のやりとりをジョークだと思ったけれど、この表情を見る限り、クローイはどうにも本気らしい。私は吹き出してしまった。


「そう言うターラも宴会に行かなかったんだね」

「一難去ってまた一難なもんでね」

「どういう意味?」

「エンジンにまた新たな問題が発覚した」

「また?」


 クローイの苦い顔がますますひどくなった。当然の反応だろう。彼女の顔を見ていた私もまた、さきほどまで抱いていた煩悶を思い出した。ケミカルな苦味が口の中に広がった。


「そう。またなんだよ。まったく。ワガママなエンジンだよね」

「今度はどんな問題なの?」

「どうやってエンジンを暖めたらいいのかがわからない。少なくとも、博物館みたいな方法じゃダメみたい」

「ふうん。大変だね」

「うん。かなり大変。どうしようかと焦っているんだけれど……解決策が見つからなくて」

「落ち込むことじゃないよ。きっとどうにかなる」


 クローイの返事は気のないものだった。彼女の態度を見た私は、少しむっとした。彼女は、この問題を他人事として捉えているようだ。


 私は苛立ちをクローイにぶつけそうになったけれど、それをぐっと堪えた。彼女の態度が気に入らないのはたしかだけれど、ここで激情をぶつけても事態は好転しない。


「……このままじゃ。レースに出られないかも」

「ターラは心配性だなあ」


 クローイはけらけらと笑った。ちっともシリアスじゃない笑い声だ。ただでさえ、私は彼女の他人事な態度に苛立っていたのだ。とうとう我慢できなくなった。


「心配性なんかじゃない!」


 私の声が、人がすっかりと消え失せた大ハンガーに、わんわんと反響した。

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