18話
しばらくソファで触れ合ったあと、夏弥さんと私は交代でシャワーを浴びた。
一緒にシャワーを浴びようとする夏弥さんをかわすのに一苦労したけど、それすら悩んでいた時間を補うにあまりある甘い時間に思える。
夏弥さんの濡れたままの髪が顔にかかって、普段よりも色気と艶のある雰囲気が漂う。
それはまるで女の子を惹きつけるためにそうしてるのかと。
思わずため息。何人の女の子がこんなけだるそうな夏弥さんを目にしてくらくらとなったんだろう。
きっと、その姿に目が釘付けになり、言葉を失った女の子は私だけじゃないはず。
色あせたジーンズとグレーのトレーナーを着ているだけなのに、見入るくらいにいい男だ……。
「そんなに見なくても、逃げないけど?」
くすくすと笑いながら、テーブルの上に並べたお惣菜たちを箸でつついている。
おばあちゃんに持たされたものは、全て夏弥さんの好物らしくその目は嬉しそう。
何度か我が家で食事をしたことがあると言っていたけど、こうして幾つもの好物を用意できるくらいだから、かなりの回数だと思う。
おばあちゃんが瀬尾さんと知り合ったのは七年前だから、それ以来ずっとなのかな。
「このマカロニサラダが大好きなんだよな。俺好みにコーンをたくさん入れてくれてるのも嬉しいよな。
あ、花緒も覚えておいて。で、鯖の煮つけ。生姜が効いてて抜群なんだよ……これも、今度作ってよ」
明るい声を上げながら箸をすすめる夏弥さんにお茶を淹れて、私も食べようかと座った時。
リビングの大きなテレビから聞き慣れた音楽が流れてきた。
「あ、おれの会社のCMだな」
夏弥さんが勤務する会社は、業界一位の住宅会社というだけあって、CMが流れる回数も結構多い。
二人で画面を見ていると、真っ青な大空の下に建っている家が何棟か映し出され、それは一つの街という設定のようで、色々なタイプの家族が順番に映し出された。
二世帯同居の家族や両親と子供二人の家族、そして新婚を思わせる若い夫婦。
「あ……」
思わず声が出た。
「あ、梓……美月 梓……」
画面から視線が動かせなくなった。まるでモデルルームのように綺麗な家、そしてそのリビングで犬と戯れている新婚夫婦らしき二人。奥さんは、美月 梓。
薄手のピンクのセーターと真っ白なスラックスをはいて笑う彼女はとても綺麗で、明るい陽射しが差し込むリビングに馴染んでいる。
「そう言えば、彼女……夏弥さんの会社のCMに何年も出てるね」
思い出したようにそう呟くと、夏弥さんが軽く頷いてくれた。
「5年くらいになるな……。宣伝部が彼女を気に入ってるから毎年かなりの契約金払って継続してる」
CMが終わって、画面は違うCMを映し出しているけれど、何となく目が離せなくて、そのままでいると。
隣に座っている夏弥さんが私の顔をぐっと自分の方に向けた。
突然、力任せに顔を掴まれた私は態勢を崩してしまって、思わず夏弥さんの胸に手をついた。
「ちょっと、何、突然……」
あまりの強引さにちょっと首も痛い、一瞬顔を歪めた私に構うことなく、夏弥さんはじっと私の顔を覗き込んだ。
その目は少し面白がっているように細められていて、まるで子供がいたずらをしかけるような、そんな色が見える。
「あのCMのせいで、俺の会社生活は乱されたんだ」
「え?乱されたって……。どういう……」
「モデルとして人気が出かかっていた美月梓をうちのCMに使いたいって宣伝部が動き出した時から、俺の意思とは関係なく、会社の方針に振り回され始めたんだ」
何か隠しているような、そしてそれを楽しんでいるような声で話し出した夏弥さんだけど、ゆっくりとしたスピードで思い返すように吐き出される言葉には慎重さも感じられる。
彼の表情と声音だけでは判断できない何かがあるように思えて、なんだか静かに聞かなきゃって思える。
リビングのカーペットに並んで座って、ほんの少し見上げながら話を聞こうとしていると、不意に夏弥さんの手が私の肩を引き寄せた。
抵抗しようとする間もなく、すとんと彼の胸に収まって、耳に聞こえるのは夏弥さんの鼓動。
ほんの少し速いような気がするけど……。それは、これから話してくれようとしてくれている内容によるものなのかな。
そう思い浮かんで、私の鼓動も速くなった。やっぱり、何を話してくれるにしても、梓さんに関係ある事のようだから、緊張するし不安もある。
「柏木って覚えてるだろ?店で会った気の強い女の子。……まあ、気の強さは仕事にはいい感じで出てるから彼女の長所でもあるんだけど」
「もちろん覚えてるよ。……夏弥さ……夏弥の事が好きだって、言ってたから忘れられないよ」
夏弥さんではなく、夏弥と呼び捨てにしたことに気付いたのか、にやりと笑ったあと、夏弥の腕は一層強く私の肩を抱いてくれた。私の不安定な気持ちをどうにかして欲しくて、わざと呼び捨てにした私の予想通りの行動。
私も心の中でにやりと笑った。
こうして強く抱き寄せてくれるなら、不安になる度にいっぱいその名前を呼び捨てで呼んでしまいそうだな。
「で、柏木は、美月梓の従妹なんだ。たまたま美月梓の実家が建て替えを考えていて、従妹の柏木と上司の俺が担当で打ち合わせに出かけたりしていた時期に宣伝部もCMに出てくれないかと美月梓の事務所に打診してたんだな、偶然」
「従妹?」
思いがけない言葉に思わず高い声を上げてしまった。
確かに柏木さんも綺麗な容姿をしていて、モデルとしても通用しそうだった。
気の強そうな雰囲気も美月梓に似ているかも。
「で、美月梓がCMに出る条件を出してきたんだ。なんだと思う?」
額と額をくっつけるような近さで顔を寄せてきた夏弥は、私の背中に両腕を回すと、ぐっと引き寄せた。
軽々と持ち上げられた私の体は、気付けば夏弥の膝の上に横抱きにされていた。
一瞬驚いたけれど、慣れというのは恐ろしいもので、この甘い夏弥の行動にいちいち驚かなくなってきた。
ほんの少し口を歪めて、反抗する気持ちを見せたけれど、やっぱり夏弥は意に介せず。
何事もなかったかのように私の答えを待っていた。
「条件って言われても、CM業界の事なんてわかんないし……」
ちっとも浮かばない。CMに出る条件って、結局はギャラじゃないのかな?事務所が言う金額との折り合いがつけば出てくれるんじゃないのかな。
そんな事しか浮かばないけど。
「ギャラじゃない」
私の顔に、ギャラという言葉が出ていたのか、あっさり否定された。
「じゃ、わからない。条件って一体何?そんな大変なことだったの?」
拗ねたように問い返すと、夏弥は肩をすくめて苦笑いをした。
そして、嫌な事を思い出すように口元を歪めると。
「俺が宣伝部に異動して、CMの製作に携わること。それも密に」
低い声で吐き出した。
「……宣伝部に異動……」
「そうだ。たまたま改築の相談で美月梓の実家に出入りしていた俺を気に入った彼女が出した条件がそれ。
俺を手に入れようとあれこれ画策し始めたのもその頃」
嘘みたいな話に驚いて何も言えないでいる私をぎゅっと抱きしめて。
「ほんと、俺の意思なんて関係なく、気付けば営業から宣伝部に異動させられてたな
くそっ。今思い出しても腹が立つ」
その荒々しい言葉を聞きながら、私は力いっぱい夏弥に抱きしめられていた。




