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14話

次に目が覚めた時には、カーテンの向こうからの明るい光が部屋に差し込んでいた。

夜明けからは既にかなりの時間が過ぎているようで、時計は7時を表示している。


「あ、私……瀬尾さんと……」


勢いよく体を起こして、隣に視線を向けた。夜明け前目が覚めた時には私を抱きしめて眠っていた瀬尾さんの姿はなかった。

ただ、確かに瀬尾さんがそこにいたとわかるベッドに残されたくぼみを見て、夕べの熱さが体によみがえってくると同時に、ほっとした気持ちも感じる。

最初は瀬尾さんから求められて、戸惑いながらも応じただけの私だったけれど、体温が交じり合うとすぐに戸惑いは小さくなった。

瀬尾さんに感じる違和感と聞けずにいる不安がなくなったわけではないけれど、私の気持ちが瀬尾さんに向かっていると認めてしまえばもう堕ちるのは早かった。


瀬尾さんに負けないくらいに体を揺らして求め、瀬尾さんの背中に回した指先は彼の背中に赤い線を何本も残したと思う。ぐっと爪を立たせた記憶が生々しく残っている。


「何度、愛してくれたかな……」


気を失うほど抱かれた回数なんて覚えてないけれど、ふと口にしたその言葉に、自分で照れてしまう。


胸元から足にまでたくさん残されている赤い花の数を見る限り、瀬尾さんが何度も私を抱いてくれたんだとわかるけど。

久しぶりに交わした密な時間は、私の体に満足と疲労の両方を与えてくれた。


「満足だって……」


自分が考えたことに、自分で照れて、思わず手元の布団で顔を隠した。

照れたせいか、また体は熱くなって心臓の動きも倍速。

いい大人なのに、まるで成人前の女の子のような感情に包まれて、さらに恥ずかしい。


ひとしきり大きく息をして、気持ちが落ち着いたかなと思う頃、寝室のドアが開く音がした。


「あ、起きてた?なんだ、もう一回襲うつもりで来たのに」


「は?あ……おはよう……ございます」


とっくに起きていたらしい瀬尾さんは、紺色のスーツを着てさわやかに微笑んだ。

ゆっくりと近づいてくると、ベッドの端に軽く腰かけ、私の体をぐっと引き寄せた。

ほとんど瀬尾さんの膝の上に乗っている格好になった私の焦る顔を見ながら、もう一度『おはよう』とつぶやいて。

もう何度目かなんてわからないキスをしてくれた。


「あ、あの……起きたの早かったんですね……」


すぐ近くにある瀬尾さんの顔に照れてしまう。何を言っていいのかもよくわからない。

男の人と一晩過ごした朝って、どうすれば良かったっけ……。

この部屋に来るまでは意外に落ち着いていたけれど、実際に夜が明けてしまうとあたふたしてしまう。


「ああ、俺の腕の中で眠ってる花緒をずっと見ていたかったんだけどな」


瀬尾さんはそう話すと、小さくため息をついた。私の顎に指を差し入れて自分と顔を合わせて、さっきよりも少し長めのキスを落とす。

味わうように丁寧に優しさを与えてくれるキスに、目覚めたばかりの私の意識は一気に瀬尾さんへと向かう。


「ん……んふ……あの……瀬尾さん……」


瀬尾さんの唇が角度を変える瞬間に、大きく息をして瀬尾さんを呼ぶと


「夏弥。そう呼べって言っただろ?」


少し低い声が返ってきて、キスが次第に深くなっていく。

私の体を横抱きにして、まるで食べつくすように激しいキスを繰り返す夏弥さんに驚いたけれど、気付けば私からも思いを返していた。私の両手は夏弥さんの首に回されて、必死にしがみついて。


「な……夏弥さん」


無意識なのかどうか。そう呼べば彼が喜ぶとわかっていて、そう呼ぶと。


「ん、いい子だ。でも……」


私を抱きしめる腕の強さがさらに強いものになって、私と夏弥さんの距離がぐっとゼロに近づく気がする。

そんな事が嬉しくて、幸せに思えて、昨日とは違う自分の感情に心地良さすら覚えた。


「夏弥さん……」


そして、さらにそう呼ぶと。夏弥さんはゆっくりと顔を離してにやりと笑いながら


「夏弥。さん、はいらない」


額と額をくっつけて、くくくっと小さな声をもらした。


「夏弥……」


そう呼ぶ事が当たり前のような錯覚と、その権利が欲しいという気持ちが重なって、自然にそう口にできた。そして、彼の嬉しそうな顔を見て、ますます彼の虜にさせられた……。



    *  *  *



「え?仕事なの?」


「悪い。住宅の営業マンには土日の休みは少ないんだ」


「そうなんだ……だからスーツを着てるんだね」


「今日はお客さんの家に行って打ち合わせなんだ。お客さんの会社が休みの日にしか時間とってもらえないし、土日のほとんどはそんな感じだ」


小さなため息とともに肩をすくめると、夏弥さんは幾つかの書類をカバンにつめながらぶつぶつ文句を言っていた。いつも落ち着いて仕事に向かい合っているイメージの夏弥さんが子供のように不満を口にしている様子は妙にかわいくて、なんだかほっとする。


シャワーを浴びて、昨日と同じスーツに着替えていた私に寂しげな表情を向けると、


「もう行かなきゃいけないけど」


諦めたような声。


「花緒は、今日休みだよな?」


「あ、うん……私は完全に土日はお休みだから……あ、私も一緒に出なきゃいけないよね。

待ってて、えっと、私のカバンってどこに置いてたかな」


キッチンのテーブルに腰かけてコーヒーをゆっくりと飲んでいた私は、慌てて立ち上がってリビングへと急いで向かった。確か、ソファの上にカバンを放り出したような気がするんだけど。

リビングに入って、予想通りにカバンを見つけると、急いで手にとった。


夏弥さんが仕事なら、私も帰らないといけないよね。私にはせっかくの休日だから、もう少し一緒にいたいけど、そんな事言えない。言えないんだ、私の性格じゃ。仕事相手じゃ文句は言えない。


残念だなと、落ち込む気持ちを押しやるように笑顔を作って夏弥さんのもとに戻って。


「私もすぐに出られますよ。……すっぴんですけど……」


夏弥さんの部屋に急に泊まることになって、結局化粧道具も何も手元になくて。

浴室にあった石鹸で適当に顔を洗って化粧を落としただけ。

普段から薄化粧で助かったけど、それでもきっと肌には負担もかかってるに違いない。

今朝の私の顔、すっぴんで出歩くには恥ずかしすぎるけれど、これも仕方ない。

とりあえず、一緒に部屋を出なきゃ。

一緒にいたい気持ちを隠して笑いながら夏弥さんを見ると。


「一緒に出るのはいいんだけど……また、戻ってきてよ」


そう言って私の目の前に差し出されたのは。


「あ……これって、鍵?」


「そう、この部屋の鍵。花緒にあげるから、泊まる準備して戻ってきてよ。夜そんなに遅くはならないから、一緒に夕食食べにいこう」


「あげるって……鍵を、ですか?この部屋の?」


夏弥さんの手の平の上できらきらと輝いている鍵をじっと見ながらそう聞き返した。

私の声は震えていて、なんだかこの成り行きが信じられない。


「花緒がこの部屋にいてくれると、嬉しい。一緒に眠る幸せを夕べだけにしたくないんだ。

この先ずっと、一緒にいたいし、離したくないから、戻ってこい」


「……」


強気な声を落とされて、胸がいっぱいになる。目の前の鍵を受け取るってことは、私が夏弥さんと過ごす未来を受け入れるってこと。

この先夏弥さんが私から離れていくまでの時間を一緒に、その体温を感じながら過ごしていくって認めること。


「毎晩、花緒の赤い花に上書きしたい」


「……」


「休みがなかなか合わない分、夜は花緒を抱きしめて愛したいんだ」


「……」


「抱きしめるだけじゃなくて、抱きしめても欲しい」


「……」


「花緒の気持ちが壊れて入院するなんて事、二度とないから。安心しろ」


「え?入院って……」


甘い言葉が続く中、照れて何も言えなかった私にかけられた最後の言葉に、思わず反応してしまった。

はっと見上げて夏弥さんを見ると、少し眉を寄せて、口元を歪めている表情がそこにあった。


「花緒が入院してたのは、泣かされたっていう男のせい?違うか?」


更に私の言葉をなくすような驚く言葉に、一瞬にして体は強張って動けなくなる。

手にしていたカバンをぎゅっと握りなおして呼吸を整えた。


「どうして……。知ってるの?」


それだけ、その言葉だけをどうにか口にした。思い出したくもない過去の苦い思い出に心は痛い。

そんな私の様子に夏弥さんもつらそうに見える。


「知ってたのは入院してたってことだけだ。理由に気が付いたのは、弥生ちゃんだっけ?彼女が

『二度と花緒を泣かせるな』って脅かすように言ってきたからかな……」


「そんな……」


急にそんな事を言われても、過去の苦しさがよみがえってきて、ほかの事は何も考えられなくなる。

入院するほどに壊れた気持ちを抱えて、毎日灰色の時間を過ごして。

人生っていつ終わってもいいとそう諦めていたあの頃の痛みが体中に蘇ってきて悲しくてつらくて苦しくて。


涙が頬をつたう。


「……っ」


そんな私の体を抱き寄せて、ぐっと取り込んでくれた夏弥さんは私の首筋に顔をうずめてその吐息を何度も落とした。

抱きしめられる強さに少しずつ気持ちを落ち着かせて、今は、ちゃんと生きていると実感する。

あの頃の私じゃないんだと、夏弥さんの胸の中で理解……できた。


「俺は、泣かせない。花緒を大切にする」


その言葉を、信じられらたどんなにいいだろう。

この部屋の鍵を、素直に受け取れば、それが叶うんだろうか。

これまでずっと求めていたものを手にすることができるんだろうか。

悩み続け、痛む心に向き合いながら。

私を大切に思ってくれているに違いない温かい言葉を何度もかけてくれる夏弥さんの胸の中で、


「夏弥。夏弥……夏弥、夏弥、夏弥……」


呼び捨てで、そう何度も繰り返しながら、私の気持ちは大きく揺れていた。

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