95.ようこそアトリエ・ルヴィアリーラに、なのですわ!(終)
パラケルススをルヴィアリーラたちが討ち果たしてから、実に数日が経過していた。
王認勇者たちは、「夜天の軛」を率いていた、魔族の王を名乗るノスフェラトゥを討ち果たすも、封鎖大陸イーヴィルから戻ることはなかったという。
それはただ二人だけ、「風鳴りの羽」を使って帰還してきたパルシファルと聖女アリサが物語っていた。
王認勇者リーヴェたちがどこにいったのかは、彼女たちが魔王と戦っている間、殿として近衛の魔族たちと戦っていたパルシファルたちにもわからない。
だが、恐らく光輝神ジュエリウスに導かれて、ヴァルハラへと至ったのだろうと、そしてきっと、神々の戦いを終わらせるために旅立って行ったのだろうと、聖女アリサは国民に向けてそう演説した。
そして、誰かがその惜別を悲しみ、誰かが平和を謳歌する中で、ルヴィアリーラたちが何をしていたのかといえば、いつものように、アトリエへ篭っていたのだった。
「とりあえず、これで理論上は行けますわね!」
ぼこぼこと泡立つ錬金釜を見て、ルヴィアリーラは額に浮かぶ汗を拭いながら言った。
「お姉様、これは一体……?」
「以前、陛下に啖呵を切ってしまいましたもの。わたくしが勲功を挙げるならば、それは錬金術で、と……だから、今から『賢者の石』を作るのでしてよ!」
ルヴィアリーラはリリアの問いに、あーっはっは、と、いつもの高笑いを上げて答えると、手にしていた材料を一息に釜の中へと放り込み、リィから新たに買い付けていた鉄の棒でその中身をかき回していく。
ルヴィアリーラが投入した材料の内訳は、「星鍵アルゴス」が灰になったものをかき集めた袋とエーテライト溶液、そして。
「これ……ポーション、ですか?」
「ええ、ポーション……錬金術の基本にして、最初の一歩ですわ」
最高の品質にまで仕上げたポーションを投入することによって、いかなる傷をも癒し穢れを跳ね除ける万能のエリキシル、そして全ての錬金術師が憧れてやまない「賢者の石」は出来上がる。
厳密には、「星鍵アルゴス」が砕けた灰ではなく、何か四元素を合一させた上で、あえて失敗作となった灰を材料とすることが条件なのだが、ルヴィアリーラの作り方でも問題がないのは、光を放つ釜が物語っている。
それでもクラリーチェが後世に向けて「星鍵アルゴス」を遺したのは、自らが辿り着いた「グランマテリア」の境地に、正しく人々を導くためだったのではないかと、ルヴィアリーラはそう考える。
だからこそ、アルゴナウツ。
アルゴスというグランマテリアを夢見る船に乗り合わせる船員に例えてみせた、そんなところなのだろう。
順調にぼこぼこと泡立つ水面の中で、四元素がエーテライト溶液を介することで全て平等に溶け合って、ポーションを溶媒として、一つの形を成していく。
それは「錬金術体系全著」の最後のページ……背表紙の裏にひっそりと記されていた、そしてきっと、「理解」と「分解」の深智に立たなければ解禁されることのなかったレシピだった。
ごくり、と固唾を呑んで錬金術の行く末を見守るリリアの期待に応えるかのように、ルヴィアリーラはお茶目に片目を瞑ってみせて、最後の仕上げにかかる。
賢者の石とは、グランマテリアとは、到達する人間によってその色を大きく異にするという。
一般の錬金術師たちには、賢者の石はクラリーチェの瞳の色である翡翠色であるというのが一種の共通認識となっているが、ルヴィアリーラが創る賢者の石は、その魔力反応は彼女の瞳と同じような、燃え盛る深紅だ。
最初はか細かった光が次第にその輝きを増し、柱となって爆ぜるのを、リリアはすっかり慣れた様子で見届ける。
そして、ふわりとルヴィアリーラの掌に着地したその物体、真紅の結晶体、あるいはそういう色をした水晶の原石にしか見えないものこそが。
「これこそがグランマテリア……賢者の石の完成なのでしてよ!」
「わぁ……! やりましたね、お姉様……!」
「ええ、感謝しましてよリリア。以前にも言ったかもしれませんけれど、わたくし、貴女と出会わなければ……きっとここまで来れませんでしたわ!」
自分が無鉄砲で向こう見ずで、基本的に脳筋一直線であることはルヴィアリーラも理解している。
だが、そういう話ではなく、支え合う相手としてのリリアが、義妹がいなければきっとここに到達するより先に心がへし折れていたのだろうと、そう思うのだ。
実際、放逐されたばかりの頃はほとんど強がりで自分の心を保っていたようなものだ。
そんな、格好悪いことを自信満々に大声で宣いながら高笑いを上げる義姉のことを、リリアは決して格好悪いと思わない。
「わたしだって同じです……ルヴィアお姉様」
今、リリアは真っ直ぐにルヴィアリーラの瞳を見据えているが、最初はそれだって満足にできなかったし、外に出るには顔を隠すための、虹の瞳を他人に見せないためのフードが手放せなかった。
それでも今は、聖衣ホワイトリリーにフードがないからとはいえ、コンプレックスだった虹の瞳を隠すことなく表通りを歩けるほどになれたのは、ルヴィアリーラがいてくれたかに他ならない。
「……る、ルヴィアお姉様……確かに最初にわたくしそう言いましたけど、なんだか照れくさいですわね」
「そうですか?」
「こ、こほん! とにかく王城に向かいますわよ! そろそろわたくしの首が飛びかねませんわ!」
照れ隠しに苦笑したルヴィアリーラを揶揄うように微笑むリリアから目を逸らして、「賢者の石」を手土産に、ルヴィアリーラは王城へと駆け出していく。
その頬が桜色に染まっていることは、言わない方がいいだろう。
リリアは心の引き出しに、そんな貴重な義姉の姿をそっとしまい込むと、飛び出したルヴィアリーラへと追い縋るように、ぱたぱたと走り出すのだった。
◇◆◇
「して、其方が持参したこれが錬金術の到達点……『賢者の石』であると申すか」
謁見の間で、例によって自身の御前に跪くルヴィアリーラたちへと、手にした「賢者の石」を弄びながら、ディアマンテは問いかける。
確かにこれがただの石ころでないことは、掌に載せただけで感じられる尋常ではない魔力の反応からすぐにわかることだ。
だが、そもそも「賢者の石」とやらがなんなのか、そしてどれほどの価値を持つのか、という点でディアマンテは疑問を抱いていたのだ。
「はっ、陛下。それは……等価交換の原則を無視して、石ころを金に変えることも、そしていかなる病をも跳ね除けることも可能です」
「……なんと、それはまことか」
「このルヴィアリーラの身命に、そして光輝神ジュエリウスに誓って」
ルヴィアリーラの言葉に嘘はない。
極端な話、賢者の石を触媒にすれば、創造できないものなどこの世に存在しないのだろう。
だからこそ、多くの錬金術師が夢見て、追いかけ続けているのだ。
「して、ルヴィアリーラ。其方はこれをどう使うのだ?」
願えば、巨万の富も手に入るのだろう。
どこか挑発的に、そして試すかのように、ディアマンテはあえて冷徹な目を向けてルヴィアリーラへと問いかける。
確かに、この賢者の石があれば極端な話、あのパラケルススがやろうとしていたようにこの国を滅ぼすことも可能だろう。
逆に何もかもを作り上げて、自分たちだけに都合のいい楽園を創造することだって同様だ。
そんな世界を変えかねない力を手にした英雄に対して刃を向けるような自体はディアマンテも望んでいないが、可能性としては十分に考えられる。
だが、ルヴィアリーラは、待ってましたとばかりにその問いに対して答えを返す。
「まずは、指輪を二つ作りたいと思います」
「……指輪、とな?」
「はい、ここに控えるリリアとわたくしが、姉妹の契りを結んだ証、そして記念として」
「では、その次はどうする」
「……何も考えておりませんわ、ですが! アトリエと同様、人々の為に役立てることを誓いますわ!」
何も考えていない。
そんな、予想の斜め上を突き抜ける返答に、とうとう堪えきれなくなったディアマンテは、腹を抱えて笑い出した。
「ははははは! 其方、よもや錬金術の極みに至っても、何も考えておらんのか! は、ははははは!」
「……お恥ずかしながら、わたくしには学がありません。統治や君主としての役目は陛下のようなお方にこそ相応しい以上、これを使って国を興そうなどと、大層な考えになど至れないのですわ」
「……ははは! いや、気に入った。そうだな、其方は……否、貴公はそういう女であったな、ルヴィアリーラ・エル・グランマテリア!」
「……は?」
突如として飛び出してきた聴き慣れないその名前に、今度はルヴィアリーラが困惑する番だった。
ルヴィアリーラまではわかる。自分の名前だから当たり前だ。
だが、その後に続く、エル・グランマテリアなる大層な名前についてはまるで心当たりがない、というより、クラリーチェ・グランマテリアと同じそれを自分が頂こうとしているという現実に、脳の処理が追いついていないといったところだった。
目をぐるぐるとさせて、今にも頭から黒煙を噴き出しそうなルヴィアリーラと、そして困惑にぽかんと口を開けているリリアへ、してやったりとばかりに、不敵な笑みを浮かべながらディアマンテは宣言する。
「貴公が以前言っていたではないか、勲功を挙げるのならば、それは錬金術によるものが良いと……そして今、実際に貴公は『賢者の石』を持ってきてくれたではないか!」
「神王陛下……」
「うむ! よろしい。ここに救国の錬金術師ルヴィアリーラ・エル・グランマテリアと、大賢者リリア・エル・グランマテリアにおける姉妹の契りと、そしてウェスタリア神聖勲章を授けることを、この神王ディアマンテの名において宣言しよう!」
グランマテリア。
憧れていたその名前を継ぐのに、自分が相応しいのかどうかはまだわからない。
だが、こうして神王ディアマンテが最後の厚意として用意してくれた贈り物なのだ。
それを拒むことなど許されないし、なによりも拒む理由などどこにもない。
それでもまだ、自分が入り口に立ったばかりだというのは、ルヴィアリーラも自覚していた。
神王自ら胸に授けてくれた、この国のシンボルを象った白金の勲章を一瞥して、ルヴィアリーラはここがゴールではないことを意識する。
そうだ。確かに錬金術師としての夢は叶ったかもしれない。
だけど、もう一つの目標は、夢は叶っていないのだから。
◇◆◇
貴族としての爵位を受け取っても、グランマテリアの名前を継いでも、ルヴィアリーラたちの生活は変わらなかった。
アトリエで人々やギルドから回ってきた仕事を受けて、それによって生計を立てる──と、行きたいところなのだが、現実はそう上手くいくものではない。
だが、救国の英雄という肩書が恐れ多いのか、それとも何か他に理由があるのか、アトリエ・ルヴィアリーラを訪れる客足はまだまだ少ないのが現状だった。
一応、一生遊んで暮らせるとまではいかなくとも、今回の一件でそれなり以上の蓄えはあるためにその日のご飯に困る、ということはない。
だが、ワーカーホリック気味なルヴィアリーラにとって、客が来ないというのはパラケルススがどうのこうのよりも、よっぽど由々しき問題だった。
「ぐぬぬ……まずはビラ配りから……?」
「落ち着いてください、ルヴィアお姉様……わたしたち、変に目立っちゃいましたから……」
「ですわよねぇ……貴族の位とか特にいらない……といったら不敬で首が飛びますわね、にしても、もっと気軽に利用していただくためにはどうすればいいのか、これがわからないのですわ」
こうなってしまえば、素直にお手上げするしかない。
ならば、今日も魔物を討伐することでその日の依頼を達成したことにしようかと、ルヴィアリーラが椅子の背もたれに体重を預けて、半ば投げやりに嘆息した瞬間だった。
「ご、ごめんください! ここって、アトリエ・ルヴィアリーラですか!?」
幼い、鈴を鳴らしたような声がアトリエの扉ごしにルヴィアリーラとリリアの耳朶に触れる。
椅子からひっくり返ったルヴィアリーラに代わって、リリアがアトリエの扉を開くと、そこには、くたくたになったうさぎのぬいぐるみを抱えた少年と、そしてその後ろで涙目になっている少女が二人の計三人が立っていた。
リリアはしゃがみ込んで少年に視線を合わせると、慌てて立ち上がろうとするルヴィアリーラの姿に苦笑しながら問いかける。
「はい。ここはアトリエ・ルヴィアリーラです。わたしは妹のリリアですけど……どのような御用ですか?」
「えっと……その、このぬいぐるみ、マリーとローズのなんだけど、一つしかないから喧嘩しちゃって……二つ作ることって、できますか?」
後ろで泣いている、マリーとローズという顔立ちから背格好から、何から何までそっくりな二人の少女は恐らく双子の姉妹で、そしてこの少年は二人の兄なのだろう。
少し待っててくださいね、とリリアは少年に言い聞かせて、ようやく立ち上がったルヴィアリーラを連れて戻ってくる。
「お待たせしましたわね! アトリエ・ルヴィアリーラにようこそですわ! そしてわたくしが店主のルヴィアリーラでしてよ! して、ご用件というのは……」
「このぬいぐるみを増やせないか、だそうですよ、ルヴィアお姉様」
「全く、リリアはいつからそんな性格になったのでして? まあいいですわ。この錬金術師ルヴィアリーラにとって、そのぐらいどうってことありませんわ! むむむ……『素成複製』!」
ルヴィアリーラは、少年からうさぎのぬいぐるみを受け取ると、自身の魔力を対価の天秤に捧げて、汚れ具合から何から何まで同じなぬいぐるみを、もう「二つ」作り出す。
「あれ? 一個多いですよ?」
「そのぬいぐるみ、元は貴方のだったのでしょう? なら、それはサービスですわ」
「ルヴィアリーラさん……あ、ありがとうございます! これ、少ないですけれど、足りるかわからないですけど、お礼のお金です!」
「ひーふーみー……ええ、確かに適正金額、受け取りましたわ! 何か困ったことがあれば、また来るといいのでしてよ!」
──あーっはっは。
ルヴィアリーラは、仲良く手を繋いで帰っていく兄妹を見送ると、「素成複製」を使ったのとはとても釣り合わない、銅貨三枚という報酬を大事そうに握りしめて、いつものように、王都のメインストリートに響き渡る高笑いを上げるのだった。
これにてこの物語は完結となります。読んでいただいて本当にありがとうございます。




