94.その因縁を終わらせるのですわ!
ルヴィアリーラが立てた予想通りに、パラケルススは恐らく錬金術で複製したのであろう劫火竜の眷属を伴って、王都ウェスタリアを襲撃していた。
だが、事前の予想もあったおかげで、街中に配置された王都防衛騎士団はスタークとアースティアナの指揮もあって奮闘し、市民も解放された王城に予め避難させておくことで、その被害は最小限に留まっている。
『クケケ……キヒヒ……ケーッヒョッヒョ!』
「怯むな! いいか、絶対に三対一の構図を崩すのではないぞ!」
劫火竜の眷属が振り下ろす爪を、剣の腹で受け止めながらスタークは、市街地に陣取る騎士や冒険者たちに指示を下す。
劫火竜の眷属は確かに手強い相手には違いない。
燃える剛爪は建物や屋根といった王都に副次的な被害を出すだけでなく、魔法師が唱える水流障壁の魔法がなければ、肉が焦げ、骨が灼けるほどの威力を持っている。
だが、あらかじめ来るのがわかっていれば、そして支援があれば、正騎士やBランク冒険者といった実力者たちが徒党を組んで勝てない相手では断じてない。
「我が刃、受け止め切れるか! 『ジグ・ダート・クリンゲ』!」
スタークが護りに徹している間に、アースティアナは己の周囲に浮かべた七本の魔剣──ルヴィアリーラのインゴットによって量産されたものだ──を巧みに操り、劫火竜の眷属たちを討ち払っていく。
こうした数と数のぶつかり合いであれば、アースティアナは滅法強い。
かつて「王認勇者」に敗れたことで汚名を被った「皇国の双璧」であるが、それを雪ぐがごとく、或いはその勇名は健在であると示すがごとく、奮闘を続けていた。
そして──それら全てが、パラケルススにとっては憎むべきことであった。
自ら錬成した「物見の水晶玉」で皇国本土の様子を見つめながら、可憐なクラリーチェの顔を醜く歪めて、パラケルススはぎり、と奥歯を軋ませた。
「何故だ……何故こうも、私の邪魔をするのだ……!」
「それは、貴方が悪党だからでしてよ!」
「誰だ!」
己の他に誰かが訪れるはずのない、深い森の中にひっそりと佇む廃屋。
パラケルススはそこを隠れ家として潜んでいたのだが、それを見破って現れたのは、案の定、あーっはっは、と、大胆不敵な高笑いを上げるルヴィアリーラに他ならなかった。
「以前にぶち空けた穴は塞がってますわね、その節はごめんあそばせ、パラケルスス伯……ですがここは、貴方の家ではありませんことよ!」
「ルヴィアリーラか……君は見抜いていたのか」
「ええ、何故ここに『素たる火の宝珠』などという大それたものがあったのかを考えれば、その答えは自明でしてよ!」
以前にルヴィアリーラがケーニギンアルマと戦った、機械文明時代のものと目されていた廃屋。
その正体は、クラリーチェ・グランマテリアが過ごした終の住処に他ならない。
だからこそ、ここには「素たる火の宝珠」などという、それだけで一国を揺るがしかねないものが眠っていた。
そして、パラケルススがクラリーチェの姿で出入りしていたからこそ、鍵は空いていて、アルマシリーズは沈黙していたのだ。
「……盗まれた時はしてやられたと思ったものだが、恐らくその自信、君も深智に到達したのだろう? ルヴィアリーラ」
パラケルススはゆらりと立ち上がると、己の周囲に展開していた光の障壁の密度を高めながら、ルヴィアリーラを手招いた。
「ならばわかったはずだ、この世界は幾度も終わらぬ戦いと平和と破局の三拍子を繰り返しているだけにすぎない。私と手を組み、その下らぬ輪廻を終わらせたいとは思わないか?」
「嘘、ですわね」
「……何……?」
「例えそれが真実であったとしても、わたくしの知ったこっちゃないのでしてよ! 錬金術を悪用して、魔族と手を組んで、己が生き延びるために他人の命を使い潰す……それだけで、わたくしが刃を向けるには十分すぎる理由でしてよ!」
ルヴィアリーラはパラケルススに星剣アルゴナウツの切っ先を突きつけると、文字通りに嵌めていた白手袋を叩きつける。
それが意味するものはただ一つ。
どちらかが斃れるまで終わらない、決闘の果たし状だ。
そして、ルヴィアリーラが見抜いていた通り、パラケルススが謀反を起こした理由は極めて単純なものだった。
「何故だ……ルヴィアリーラ、君ならばわかるはずだ! 民衆など所詮救うに足らず、足りない時は求めるだけ求め、満ち足りれば溢れて捨てることを繰り返すような連中ばかりなのだぞ! 他人を省みることなく、身勝手で……それに、私をここで倒したとしてだ、世界が救われると、本気で考えているのか、ルヴィアリーラ!」
「気安く名前を呼んでくれないでほしいですわね、外道が!」
パラケルススは民のためにとアトリエを開いたとされるが、それは最初のうちだけだった。
民衆とは傲慢で欲深く浅ましい。
だからこそ先王は自分が深智に到達するため、ホムンクルスについての研究をしていると知った瞬間に自分を追放したのだし、たまたま見ていたルヴィアリーラも似たような境遇にあったからこそ、同じ錬金術師として協力してくれるものだと、パラケルススは思っていたのだ。
だが。
「民衆は悪だ! 私の価値を、研究を認めずに追放した王家も同じだ! 何故それが……同じ追放された身でありながらわからない! よもや、英雄を気取ろうとでもいうのか!?」
「やっかましいですわね! わたくしは世界なんて救いませんことよ!」
「ならば、何故!」
「世界を救うのはそこに生きる民が手を取りあってこそ。なればわたくしは、その手伝いをするだけでしてよ! そして……何が悪かは、わたくしが決めるのですわ! それは、民衆ではなく貴方こそ!」
ルヴィアリーラは勇ましく啖呵を切って星剣アルゴナウツを抜き放ち、パラケルススへとその切っ先を突きつける。
だが、本来宝珠があるべきその鍔には、何も収まっていなかった。
「ふ……ははは! 拍子抜けだな! とうとう自棄でも起こしたか!」
「いいえ、貴方がお姉様を語らないでください」
「なんだと……?」
リリアは毅然とパラケルススを睨みつけて、その視線に臆することなく言い放つ。
正直にいってしまえば、パラケルススの言っているような感情は、リリアにも、そして今、彼に立ち向かわんとしているルヴィアリーラにも理解できるところはある。
だが、理解できたからといって、その暴論が通っていいという理由など、この世のどこにも存在しない。
そしてルヴィアリーラは、万能ポーチから四つの素たる宝珠を取り出すと、星剣アルゴナウツを床へと突き立てた。
星剣アルゴナウツを、クラリーチェの館の地脈に満ちる魔力を即興の触媒として、ルヴィアリーラは錬金術の式を起動させていく。
「その剣は、まさか……くっ、退け、小娘!」
「お姉さまには、指一本触れさせません……!」
パラケルススは、その事実に気づくと、慌てて光の障壁を攻撃に転用したが、ルヴィアリーラの一歩前に立ちはだかったリリアがそれを許さない。
同じ光の力を障壁として、リリアはエンゲルスタッフ、聖衣ホワイトリリー、そして己の「虹の瞳」が持てる全ての力を乗せて、ルヴィアリーラが錬成陣を完成させるその瞬間まで展開し、一歩も退くことなく立ち続ける。
「感謝しましてよ、リリア……そして、『開け』! 星鍵アルゴス!」
ルヴィアリーラが星剣アルゴナウツと呼んでいた物体の正体は、果たして万物の真理へと繋がる「鍵」であった。
錬金術師と共に歩み、その「理解」を深め、極めなければ決してわかることのないその事実は、まるで最初からルヴィアリーラを、後世に生きる錬金術師を導くかのように横たわっていた。
だがそれも、パラケルススには「それ」が、星鍵アルゴスであることがわかった瞬間に理解できていた。
ルヴィアリーラは──ルヴィアリーラ・エル・ヴィーンゴールドは、クラリーチェ・グランマテリアの遠い子孫なのだ。
何故魔法師の家系として成り上がったはずのヴィーンゴールド家の書棚に「錬金術体系全著」が納められていたのか。
何故、ルヴィアリーラに魔法師の適性がないとわかった瞬間、錬金術師になれるような道具が蔵の中に眠っていたのか、そして。
何故、星剣アルゴナウツが蔵に収められていて、ルヴィアリーラ以外の誰にも抜き放つことができなかったのか。
その答えは、全て一つに収斂する。ルヴィアリーラがクラリーチェの遠い子孫であると同時に──否、何よりも、彼女が「錬金術師」という道を選んだからだ。
神造金属で造られた、星々が浮かぶ空のごとく、如何様にも装いを変えられる鍵は、錬金術師にしか起動することができない。
錬金術の三大原則をより深く究明し、「理解」の深智に立ったのならば、次に立つべき場所は決まっている。
ルヴィアリーラは躊躇いなく四つの素たる宝珠を錬金術の素材として捧げて、星鍵アルゴスへと溶け込ませていく。
──瞬間、黒雷が迸る。
それは、パラケルススが展開した障壁を抑えきれず、リリアが背後に弾き飛ばされたのとほぼ同時だった。
「お姉様!」
「……大丈夫ですわ、リリア!」
リリアは、らしからぬ大声で途切れてしまった障壁の欠片と土煙の向こうへいた、ルヴィアリーラへと呼びかける。
しかし、ルヴィアリーラの行った錬成は既に成功していた。
剣の形に戻った「星鍵アルゴス」は、星剣アルゴナウツの上から黄金の刃を被せたような形状へと変化して、ルヴィアリーラが纏う聖衣ローズリーラは、三大原則の一つたる「分解」が持つ、闇の特性を引き出した、黒と金に装いを改める。
あの瞬間、パラケルススの攻撃を「分解」することで、ルヴィアリーラは生き残っていたのだ。
「ルヴィアリーラ、貴様!」
「ボロがでましたわね、パラケルスス! これで……終わりでしてよ!」
「ふざけるな、ふざけるなァ! 私は、こんなところで……」
「ちぇえええええすとおおおおおッ!!!!!」
戯言に耳を貸す暇はないとばかりにルヴィアリーラは絶叫し、二の太刀いらず、その後先を何も考えない一撃で、パラケルススが纏う光を「分解」し、ホムンクルスの身体をも同時に塵へと帰せしめてゆく。
「は、はは……私が、敗れるだと……? クラリーチェ・グランマテリアが……創造の深智に至ったこの私が……」
「お黙りなさいな、貴方は断じてクラリーチェなどではない!」
「はは……そうだ……クラリーチェは死んでいるからな……私は……お前と……」
今際の際にパラケルススは何かを呟こうとしたのだろう。
だが、その唇は灰へと還って、言葉を紡ぐことはない。
そして同時に、ルヴィアリーラが突き立てていた星鍵アルゴスもまた、役目を終えたかのように灰となって崩れ落ちていく。
いかに不壊不朽を誇るオリハルコンの刃であっても、三大原則、「分解」の力をその身に宿したからだといえば当然だ。
そして、聖衣ローズリーラも元の薔薇色ではなく、色が抜け落ちたかのように白と金色という、奇しくもリリアが纏う聖衣ホワイトリリーと同じ装いに変わっていく。
「……やりましたね、お姉様」
「ええ、リリア……貴女がいてくれたからですわ」
ここまでの旅路も、全て。
ルヴィアリーラは万感の思いを込めて、眦に涙を滲ませながら、リリアをそっと抱き寄せて。
「……っく、ぐすっ……うあああああ……っ……!」
「よしよし、です、お姉様……」
幼子のように、リリアの胸に顔を埋めて、最愛の義妹に頭を撫でられながら、今まで蓋をしてきた悲しみの箱をぶちまけるように、ルヴィアリーラは流れるがままに、大粒の涙を零すのだった。




