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93.勇者出立、なのですわ!

 劫火竜ヴルカヌスを倒したルヴィアリーラたちは、王都へと帰還していた。


 感覚的にはいつもの仕事といった風情であったのだが、ウェスタリア神聖皇国に生きる国民たちからすれば、英雄の凱旋であることに違いはない。


 万雷の喝采と拍手に困惑しながらも、リリアはルヴィアリーラの半歩後ろを歩いていた。


「変わりましたわね、リリア」

「……え、えと……その、今も、ちょっと、恥ずかしいです……」


 リリアは、喜びを知らなかった。


 怒りなどというものは抱くことを許されず、楽しみもまた同じで、哀しみだけがその仄暗い色で心のキャンバスを染め上げていたのが、リリアという人間の生き様だった。


 ルヴィアリーラは、変わったと言って微笑んでいたが、リリアにとってはそれが本当なのかどうか、今でもわからない。


 無論、ルヴィアリーラを信頼していないという話ではなく、感覚として自分の中にある変化を飲み込めていない、といったほうが正しいのだろう。


 それでも、湧き上がってくる感覚が悲しみとは遠いものであることぐらいはわかっていた。


 ルヴィアリーラが優雅に手を振って、民衆たちの期待に応えてみせるのを真似して、リリアも頬を真っ赤に染めながら、控えめにはにかんで小さく手を振る。


「錬金術師の英雄ルヴィアリーラ、そして大賢者リリアに永遠の祝福あれ!」


 それに応えるかのように、群衆の中で目があった詩人がハープのメロディを奏でて、即興の詩歌を作り上げる。


 それはルヴィアリーラとリリアを称える英雄の歌。


 それは、形こそ違えど、疎まれて、隅に追いやられた二人の存在を光の中に引き摺り出す(うた)


 人はそんな都合の良さに、掌を返したように歓待する民衆に、今更何を、と、きっと怒りを抱くのかもしれない。


 それでも、ルヴィアリーラは怒ってなどいなかった。


 それはリリアも同様だった。


 リリアにとっては、自らを認めてくれるというその感覚がむず痒くとも嬉しいものであった。


 確かに現金だと思うところはある。


 ルヴィアリーラは笑顔の下で唇をひき結んでそんなことを考えるが、最初から最後まで貫徹して、完璧であり続けられる人間などいるのだろうか。


 例えば、パルシファルはプライドが高く、小悪党のような一面を持ち合わせているが、己の伴侶であるアリサに対しての愛は本物だ。


 ルヴィアリーラだって、頑固で脳筋で、後先考えない無鉄砲だが、言い換えるのであればそれは、どんな困難にも立ち向かっていく強さがあるということでもある。


 挫けることもある。悲しむことも、怒ることも同じだ。


 だが、それでもルヴィアリーラはその全てを含めて、この国に生きる民を、そして自分の隣で控えめに笑っている義妹(いもうと)を、家族を、心の底から愛していた。


「まだ、全てが終わったわけではありませんけれど……ここまでついてきてくれて、感謝いたしますわ、リリア」

「……いえ、そんな……わたしも、拾っていただいて……それだけじゃなく、お姉様として、その……妹に、していただいた恩があります……だから……ありがとうございますっ」


 その眦に涙を滲ませながらも、陽だまりのような、窓から差し込む木漏れ日のような笑顔を満面に浮かべて、リリアは笑った。


 それだけで、ルヴィアリーラは随分と救われたような気分だった。


 今まで生きてきたこと。


 そして、今まで歩んできた旅路。


 その全ては決して無為なものではなかった。


 だが、まだ旅は終わっていない。


 王城へと向かっていくルヴィアリーラの胸中にあるのは、錬金術師としての矜持であり、パラケルススの誤りを正すという覚悟であった。




◇◆◇




「ならば、其方らは本土に残るのか」


 謁見の間に通されたルヴィアリーラとリリアは、劫火竜ヴルカヌスを討伐してきた旨と、その糸を引いていたのがパラケルススであったことを報告して、恭しく、神王ディアマンテの御前に跪いていた。


「憶測に過ぎず申し訳ない限りなのですけれど……パラケルススが何かを仕掛けてくるのであれば、恐らくそれは怨恨からだと思いますわ、陛下」


 そして、ルヴィアリーラたちを待っていたかのように、謁見の間には勇者リーヴェを始めとした勇者パーティーが顔を揃えている。


 飛空船の修理はイーステン王国の職人たちに任せて、皇国の警護についていたリーヴェたちだったが、とうとうそれが完成したために、明日、封鎖大陸イーヴィルへと乗り込む予定だったのだ。


 そして、その選抜メンバーの中にはルヴィアリーラとリリアの名前もあって、それがディアマンテから直々に伝えられたのだが、ルヴィアリーラはそれを断って、王都に残ると答えたのである。


「怨恨か……ふむ、オブシディアン。貴公は確かパラケルススのことを知っていたな」

「はっ、陛下……しかし恐れながら、彼は皇国の為に尽くしてくれた存在でした。何故それが今になってクラリーチェ・グランマテリアを名乗り、『夜天の軛』と協力しているのかは……」

「まあ、それもそうだな。しかし奴が我が国に対して怨恨を抱いているのは、劫火竜を利用してボルカノ火山を噴火させるなどという、大それたことを企てていたことからも明白だろう」


 最初からわかっているのであれば苦労はしない、とばかりにディアマンテは苦笑するが、すぐにその表情は険しいものへと戻って、国に仇なす逆賊に容赦はしないとばかりに語気を冷たいものに変えていく。


 パラケルススが何故このウェスタリア神聖皇国を恨んでいるのかは、ルヴィアリーラにもわからない。


 だが、パラケルススは以前、ルヴィアリーラに「こちら側に来ることを期待している」と仄かしていたのは記憶に新しい。


 ならば、その答えは。


 喉元まで出かかった言葉を呑み下して、ルヴィアリーラはディアマンテの視線に促されて言葉を続ける。


「わたくしは……同じ錬金術師としてケジメをつけたいと思っておりますわ」

「うむ、我が国としても身から出た錆……という他にあるまい。そして、三度竜を殺した英雄の願いとならば、聞き届けないわけにもいくまい。ただ、ひとつ尋ねるぞ。パラケルススは、王都防衛騎士団では、相手にならぬ存在か?」


 もしもその答えがノーであれば、ルヴィアリーラたちも封鎖大陸イーヴィルへと向かってもらった方が都合がいい。


 三度竜を殺そうが何をしようが、この場における絶対的な権力は揺らぐことはない。


 嘘をつけば即刻その首を跳ね飛ばすとばかりに冷たい視線を向けながら、どこか値踏みするようにディアマンテはふむ、と、小さく息をつく。


「パラケルススは……ちょうどここにいらっしゃる勇者リーヴェと同じような力を身につけておりますわ、陛下」

「全てを跳ね返す魔力障壁か……なるほど、それならば確かにスタークとアースティアナが組んでも難しいだろう。して、其方に策はあるのか?」


 あの魔力障壁は、錬金術の深智に身を置いていなければ生み出すことのできない、「光」の具現だとルヴィアリーラは踏んでいる。


 以前リーヴェにやってみせたように、アルゴナウツ・ペリドットが激突する衝撃で無理やり吹き飛ばすといった芸当も、その推測が正しければ、光に還元されるだけで無為に終わるだろう。


 だが、ルヴィアリーラは自信を持って、首を縦に振る。


「ええ、ございますわ。とっておきの──切り札が」

「なるほど、あいわかった。では、逆賊パラケルススの討伐は其方らに任せるとしよう」

「ありがたき幸せに存じますわ、陛下」

「……ありがとう、ございます……!」


 恭しく一礼するルヴィアリーラとリリアだったが、ディアマンテの本音としては彼女たちにも「夜天の軛」の本拠地である封鎖大陸イーヴィルに同行してもらいたかったというのが正直なところだ。


 だが、恐らく「夜天の軛」に属する魔物たちがこの大陸で神出鬼没に暴れ回っていたのは全て、パラケルススが錬金術を悪用していたからに他ならない。


 あまつさえそれが私怨でこの国に剣を向けるとなれば、到底許せるものではないだろう。


 そして、同じ錬金術師であるルヴィアリーラが自らケジメをつけると言ったのならば、その殊勝さと誇りにはディアマンテもまた、一角の敬意を払っている。


 だからこそ、勇者たちにルヴィアリーラを同行させない、という選択肢を彼は選んだのだ。


「さて、勇者リーヴェ。そして錬金術師ルヴィアリーラ。余から贈る言葉はもうない。各々がその力を正しく振るい……この世界に平穏を取り戻してくれることを、期待しておるぞ」

『はっ、神王陛下!』


 君臨すれども統治せず、を掲げる、名目上のお飾りであることを自覚しながらも、しかし毅然とした態度で、ディアマンテは神から選ばれた王としてではなく、この国に生きる民たちの代表として、リーヴェとルヴィアリーラたちに向けて、小さく頭を下げるのだった。





◇◆◇




「行ってしまいましたわね」


 空駆ける鉄の方舟は、城下町の前にある開けた平原に着陸すると、リーヴェたちを乗せて瞬く間に空の彼方へと飛び立っていった。


 機械文明が誇るロストテクノロジーの威容に驚愕しつつも、ルヴィアリーラが想っていたのは、リーヴェたちの無事と、その行く末だった。


 異界からの救世として現れた勇者は、その後、この世界を作り上げた光輝神ジュエリウスの尖兵となるべく、神々の戦いの園──ヴァルハラへと召し上げられると、ルヴィアリーラは幼い頃に読んだお伽話に書いてあったことを思い出す。


「リーヴェさん……もう、会えないんでしょうか……」


 リリアもどこか心配そうに、「この戦いが終わったら、あたしたちがいなくても大丈夫な世界になります!」と啖呵を切って旅立っていったリーヴェを想って眦に涙を浮かべている。


「……また会えると、いいですわね」

「……はい、お姉様」


 ルヴィアリーラには、それしかかける言葉が見当たらなかった。


 リーヴェたちが自分たちの意志でヴァルハラに召し上げられることを望んでいるなら、そこに言うべきことは何もなければ、何か口を挟む権利もない。


 そして、何もヴァルハラに召し上げられるのは、勇者だけではない。


 ──いつか、どこか、遠く。


 それは、星々が巡る果てかもしれないけれど。


 ルヴィアリーラはそんな再会への祈りを込めて、彼方へと飛翔した方舟に、「行ってらっしゃい」と、そう声をかけるのだった。

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