85.ルヴィアリーラ、その心がままに、なのですわ!
オーツェンツァーリが咆哮を上げて海中に没する最中、彼の体内から一つの宝珠がふわりと浮かんで落ちるのを、ルヴィアリーラは見逃さなかった。
両手で掴み取ったそれは、青々とした輝きを放っており、かの封海竜を思わせる猛々しい水の元素、その気配に満ち溢れている。
恐らくはこれが、「素たる水の宝珠」なのだろう。
ルヴィアリーラは「鑑定」の魔術を使用せずとも、それぐらいは瞬時に理解していた。
恐らくは、難攻不落を誇っていたオーツェンツァーリの強さを支えていたのは、この「素たる水の宝珠」の力が故なのだろう。
かつて戦った風雪竜シュネーヴァイスのように、その在り方までは歪められてこそいなかったものの、元より持ち合わせている竜が持つ属性の力を宝珠がアシストすることで、それはより強力なものとなる。
ルヴィアリーラ自身も「素たる宝珠」たちの力を使って戦っているが、自分で使っても人の身には余るのではないかと思われる力だ。
敵に回ればどうなるかなど、火を見るよりも明らかだろう。
死戦をくぐり抜けた安堵にルヴィアリーラは大きく息を吐くと、星剣アルゴナウツの鍔にセットしていた「素たる土の宝珠」を抜き取って、今し方手にしたばかりの「素たる水の宝珠」を窪みに嵌め込んだ。
「ふぅ……これでなんとか一安心といったところですわね」
「……は、はい……」
「リリア、胸を張りなさいな。今回の戦いは貴女が英雄、竜殺しなのでしてよ?」
相変わらず控えめな態度で、船員から送られてくる喝采から逃れるように、自身の背中に隠れたリリアを激励し、ルヴィアリーラは新たに拓かれた「南回り航路」を一望する。
今は青一色で何も見えないが、ここから南下してゆけば南方大陸が、そしてここを辿った果てには恐らく東方大陸と、「北回り航路」を辿る迂遠な冒険の果てに見つけた、ジパンゲイア新諸島群なる場所があるらしい。
とりあえず、ウェスタリア神聖皇国と南方大陸を結ぶ航路は確保できたために、今は帰還を選ぶのが最善だが、いずれはその新諸島群とやらにも立ってみたいものだと、ルヴィアリーラは「断海」と呼ばれていた海を一望して、小さく笑った。
◇◆◇
「では、あくまで勲章の受勲は断ると?」
後日、無事に「海駆けるウーンドワート号」と共に帰還したルヴィアリーラとリリアは、スタークから王城へと呼び出されていた。
封海竜オーツェンツァーリを倒した、という偉業を労うべく開かれた受勲式だが、ルヴィアリーラとリリアの反応は、予想通りあまり芳しいものではない。
神王ディアマンテはそれをわかった上で、どこか試すようにルヴィアリーラたちへと受勲を辞退するのかどうかを問いかける。
勲章。胸にぶら下げていれば威光となるそれがただのコレクションでないことぐらい、ルヴィアリーラも、そしてリリアも理解している。
だが、勲章を受け取るということは貴族への昇格を意味することだ。
リリアは別に、貴族という位に対するこだわりなど何もない。
長い間、悲惨な生活が続いていて感覚が麻痺しているというのもあるが、何よりもルヴィアリーラがそれを望んでいないというだけで、自身が受勲を断る理由としては十分なのだ。
対してルヴィアリーラは、貴族に取り立てられると困る、というのが実情だった。
「申し訳ございませんわ、神王陛下。わたくしはまだ一介の錬金術師……もしも勲章を頂ける機会があるのなら、それは錬金術によって成し遂げたいのです」
恭しく膝をついて、ルヴィアリーラは首が飛ぶのを覚悟してそう語ったが、半分は本当で半分は嘘である。
貴族として召し上げられれば、社交界だとか面倒な陰謀が渦巻く世界にぶち込まれる、というのも何よりだが、ルヴィアリーラの理想としては、アトリエというのは万民に対して開かれるべき場所なのだ。
それが貴族のアトリエということで庶民からなんとなく避けられて、果ては王侯貴族御用達のような施設になってしまっては、目的が果たせない。
だからこそ、ルヴィアリーラにとっては今の冒険者であり錬金術師という身分がちょうど良かったのだ。
二度も叙勲という栄誉を辞退するというルヴィアリーラの奇行に、参列した貴族たちは騒然とするが、ディアマンテが睨めつけると、水を打ったように静まり返る。
──全く、この女は面白い。
顔に泥を塗られたと理解していても、ディアマンテは内心では腹を抱えて笑っていた。
竜殺しという偉業を成し遂げ、勲章を貰うことは、おそらく騎士の本懐といっても差し支えはないだろう。
それも下位種のワイバーンではない。
名を持つ「竜」を殺してみせて、尚自分はまだ平民であると主張しているルヴィアリーラのそれは確かに奇行に映るが、そこには確かな信念とでも呼ぶべきものがある。
リリアはともかく、ルヴィアリーラには恐らく野心がないというわけではないのだろう。
あの紅宝石のような瞳は、常に何かを見据えて、燃えるように輝いている。
ならばその信念は自分たちや貴族たちの抱えているものと方向性が違うだけである。それだけの話だ。
ふむ、と、ディアマンテはわざとらしく咳払いをすると、指を鳴らし、視線で傍に立つスタークに、最初から待っていたかのように指示を下す。
そして、メイド長から受け取ったものをスタークは、恭しく膝を突くルヴィアリーラとリリアの眼前に提示すると、顔を上げるように促した。
「恐れながら神王陛下、これは……?」
「うむ、受勲は保留にするとしても、功績を挙げた者に何もやらないとなればこちらの品格も問われかねないのでな。錬金術師ルヴィアリーラ。金品はともかく、この『シュテルカルポス』なる、ジパンゲイア新諸島群で採れた果実……其方ならば有意義に扱えるだろう」
ディアマンテの言葉通りに、ルヴィアリーラとリリアへと与えられた報酬は、庶民であればそれだけで一生遊んで暮らせそうな金品と、そして一つの果実だった。
ジパンゲイア新諸島群は、東方大陸からも南方大陸からも微妙に遠いこともあって、そこで採れる希少な素材の数々はそれこそ、宝石のような価格で取引されている。
この「シュテルカルポス」は極めて状態も良く、何に使うのかは自分で考えろとばかりにディアマンテはルヴィアリーラたちへと差し出したものの、その用途は恐らく食用ではない。
果実にみっちりと詰まった繊維質は、「鑑定」の魔術を使わずともただ見るだけでわかる。
ならば、その用途は一つだけだろう。
ルヴィアリーラは、その素材から生み出すものを瞬時に脳裏に描き上げて、感謝の言葉をその唇から紡ぐ。
「ありがたき幸せに存じますわ、陛下」
「……あ、ありがとう、ございます……!」
「うむ、気に入ったようで何よりだ。これからも皇国のため、そして国に生きる民のために尽くしてくれることを、余は期待しているぞ」
恭しく、そしてどこか芝居がかったように大仰な仕草で一礼するルヴィアリーラとリリアの背中を見送りながら、ディアマンテはどこか楽しげに唇の端を吊り上げていた。
「よろしいのですか、陛下」
「何、気にすることはない。オブシディアン。錬金術師ルヴィアリーラがあくまで錬金術で勲功を立てたいと望むのならば、その願いを拒むほど余は器量が小さくないのでな」
それに、封海竜オーツェンツァーリを倒すという皇国の悲願を達成した──正直なところ、ディアマンテ自身も望みは薄いかと思っていた偉業を見事に成し遂げた英雄が望むことであれば、何も言うことなどない。
二度も「竜殺し」を成し遂げながら二度も叙勲を拒むというルヴィアリーラたちの行動は、執政であるオブシディアンにもまた奇行に映ったが、それはどこか、かつての盟友だった男の姿を彼の脳裏に浮かばせていた。
「……パラケルスス伯、なぜ貴公は道を誤ったのだ」
「父上の時代に生きた錬金術師だったな……さてな、理由はわからぬが……『夜天の軛』と組んで我が国に、否、世界に牙を剥くのであれば誰であれ何であれどうであれ、容赦などするつもりはない」
生前の、というより、オブシディアンの知るパラケルススもまた、アトリエを開く頃には老齢の身でありながらも、その動機はルヴィアリーラが掲げたものと変わらなかったはずだ。
だが、現実は無情なものである。
ディアマンテは、パラケルススという人物について知らないが、知っていたとしても彼に手心を加えることは決してない。
全ては皇国と、ここに生きる民のためだけに。
それこそが自身の君臨する理由なのだから。
物思いに耽るオブシディアンを一喝するように横目で見やると、ディアマンテは内心で小さく呟く。
──思うがままに駆け上がるがよい、ルヴィアリーラ。そしてリリア。
平穏とは戦いの先に勝ち取るものだ。
そして今、世界が乱れているのなら、それを正せるのはきっと、彼女たちのように志ある者たちだけなのだろう。
故にこそ英雄は、勇者は、聖女は、イコンであり、偶像として立ち続けなければならないのだ。
一人一人の力は弱くとも、手を取り立ち上がることで世界の危機に立ち向かう人間たちの、その象徴として。




